スポンサーサイト

上記の広告は1ヶ月以上更新のないブログに表示されています。
新しい記事を書く事で広告が消せます。

徳川家康公の銅像集

 徳川家康公の銅像画像が集まったのでまとめて紹介したい。

竹千代1
竹千代2
 静岡駅前の竹千代像。
 まだ竹千代という幼名で呼ばれていた頃、駿河の今川家に人質に赴く途中、身内により織田家へと売り飛ばされた。なんという運命だろう。だがひたすら耐え抜き、まだ若かった織田信長に兄事したという。
 やがて織田家の一族を捕らえた今川家により人質交換され、駿府へと向かった・・。

松平元康2
 岡崎城内の松平元康像。
 駿府での気の遠くなるような日々を耐え抜き、今川義元から一字を貰い、松平元康として元服。初陣は大高城への兵糧搬入であり、無事成し遂げた後に「桶狭間の戦い」が起きる。押さえつけていた障害が無くなったのを機会に独立。以後、織田信長の忠実な同盟者として各地を転戦。

浜松の家康1
浜松の家康2
 浜松の徳川家康像。
 松平の姓から徳川に改姓し、名前も家康に改名。甲斐の武田信玄と今川家の領地を分け合うことを画策し、遠江に進出。曳馬(ひくま)城から浜松城に改名。だが幸事魔多しともいう。家康最大の危機が迫りつつあった・・。

三方ヶ原の家康2
 岡崎城内の家康「しかみ」像。
 京の都に上洛を狙う武田信玄に戦いを挑み、見事に負けてしまう。世に「三方ヶ原の戦い」という。家康はこの時の敗戦を自身戒めるため、悔しさに塗れる自身を描かせ、生涯座右に置き続けたという。

岡崎の家康1
岡崎の家康2
 岡崎城内の家康像。何歳を想定したか不明だが、初老の頃だろうか?
 本能寺の変で倒れた織田信長の跡を羽柴秀吉が継ぎ、家康は北陸の柴田勝家らと同盟して秀吉と対立。勝家は「賤ヶ岳の戦い」で倒れたが、家康は「小牧・長久手の戦い」で秀吉率いる大軍に抵抗し、武門の意地を貫き、和睦。天下に徳川の名を知らしめる。

静岡駅前の家康1
静岡駅前の家康2
 静岡駅前の徳川家康像。この家康像はかなり年老いている。大坂の豊臣秀頼を攻め滅ぼすべく出陣を号令しているところだろうか?
 秀吉の愚かな朝鮮出陣にも家康は国内に留まり勢力を温存、ひたすら江戸を開発させていた。秀吉亡き後、関ヶ原の合戦で石田三成らを滅ぼして天下を奪取。絶え続けた日々がついに実った瞬間であった。

駿府の家康2

駿府の家康1
 静岡市・駿府公園内の徳川家康像。まさに神君家康公ですな。

久能山の家康公墓
 家康公の御魂は日光や久能山など各地に分祀されて眠っているのである。画像は久能山東照宮にあるお墓。

 家康像はこの他にも東京の江戸東京博物館の裏手に1体、埼玉県越谷市のある寺にも1体ある。そのうち行きたいものだ。

 ではまた次回!
スポンサーサイト

コメントの投稿

非公開コメント

No title

駿府の家康公が一番しっくりきますね。
お江戸の家康公騎馬像でも建ててほしいものです!

Re: No title

 家康公はおじいさんの姿ばかりですからさっそうとした馬上姿をみてみたいですね。江戸開府500年の頃なら・・我々がこの世にいませんね。
プロフィール

サムライ銅像研究会

Author:サムライ銅像研究会
歴史と銅像と芸術が大好きなあまり、日本各地を東奔西走する銅像・史蹟ハンターである。神出鬼没なため、脈絡無しのブログ更新を続ける。掟はただ一つ!「死して屍拾うものなし!」昔の時代劇の決め台詞だけどね・・皆さん、見てやあ!
 最近、キューピーに侍の装束を着用させる遊びをやっております。「武者ピー」と呼んで可愛がってやぁ~!以後は「キューピー甲冑師」とも名乗ります。

最新記事
最新コメント
最新トラックバック
月別アーカイブ
カテゴリ
検索フォーム
RSSリンクの表示
リンク
ブロとも申請フォーム

この人とブロともになる

QRコード
QR
上記広告は1ヶ月以上更新のないブログに表示されています。新しい記事を書くことで広告を消せます。