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太田道灌の子孫・太田氏資の銅像

 関東の名将・太田道灌にも多くの子孫が存在し、関東各地に散らばって戦国の世を生き延び、あるものは遠州・掛川で大名となり、またあるものは肥前・鍋島家に仕えるなどして現代にもその子孫は残っているという・・。
 今回はその中の一人、戦国乱世に儚く散っていった人物の銅像を紹介しよう。

太田氏資1
 こちらは埼玉県さいたま市岩槻区にある芳林寺に建つ「太田氏資(おおた うじすけ)公」銅像です。主君に謀殺された道灌公の跡を養子が継ぎ、岩槻城主を代々つとめて氏資で4代目。

 父親の三楽斎資正は小田原・北條家を嫌い抜き、徹底抗戦していたものの、ある時北條家に降伏した。北條家当主の氏康は太田家切り崩しの為に娘を資正の嫡男・氏資に嫁がせ、氏資もしだいに氏康の人柄に私淑するようになり父親・資正との距離が出来るようになった。

 資正はまた北條家に背き、北條と近しい氏資はひと時出家していたが、時を見て父親と弟を追放して岩槻城主になった。

 その後、房総の大名・里見氏との合戦で退却する北條軍を助けるために軍勢の最後尾で防ぎ続け、戦死。歳わずか25(数え年)であったという・・。悲しい話ではある。
太田氏資3
太田氏資2
 若くして亡くなったせいか凛々しく作られている。モデルに関しては不詳。

 ではまた次回!
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プロフィール

サムライ銅像研究会

Author:サムライ銅像研究会
歴史と銅像と芸術が大好きなあまり、日本各地を東奔西走する銅像・史蹟ハンターである。神出鬼没なため、脈絡無しのブログ更新を続ける。掟はただ一つ!「死して屍拾うものなし!」昔の時代劇の決め台詞だけどね・・皆さん、見てやあ!
 最近、キューピーに侍の装束を着用させる遊びをやっております。「武者ピー」と呼んで可愛がってやぁ~!以後は「キューピー甲冑師」とも名乗ります。

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