スポンサーサイト

上記の広告は1ヶ月以上更新のないブログに表示されています。
新しい記事を書く事で広告が消せます。

武田信玄公と恵林寺

 山梨県といえば武田信玄公・・という訳で恵林寺に行ってきた。

武田信玄公1
武田信玄公2
 その前に甲府駅前の信玄公にご挨拶。あまりにも有名なので何もいうことはございません。あいにくと銘板なかったので作者などは判明せず。県立美術館とかいったら何かわかるかもしれない。

最寄り駅はJR塩山駅、バスに乗って30分ほど。
恵林寺1
 この門をくぐって・・
恵林寺参道
 長い参道の先に・・
恵林寺2
 この四脚門が出迎えてくれます。甲斐・武田家は武田信玄亡き後、設楽が原の戦いや一門衆の裏切りから力衰え、織田家の侵攻により滅亡します。その際、この恵林寺も焼き討ちにあいます。その織田家も本能寺の変で信長公亡き後は衰え、甲斐は徳川家の領地になります。そして恵林寺も徳川家の庇護を受けることになり、四脚門は徳川家康公により寄進されました。

恵林寺3
 四脚門の向こうには三門と本堂がございます。この三門、武田信玄公により招聘された僧侶・快川国師が織田家の焼き討ちの際に「心頭滅却すれば火もまた涼し・・」と詠みながら潜り抜け、ついに帰らぬ人となった門です。この門は後世に再建されたものですが、いきさつのある所ですね。

恵林寺本堂
 本堂参拝後は拝観料を払って中に入りましょう。
DSC01633_1.jpg
 本堂外側の通路を歩いていると・・
恵林寺の枯山水
 味わいのある枯山水ですねぇ。うぐいす張りの廊下を渡り、天井やふすまの絵など見ながら歩いていると・・
不動明王像
 奥まった一室に不動明王坐像が安置されています。この不動明王は武田信玄が仏師(仏像を作る彫刻家)と対面したまま模刻させたとのこと。さらに自身の頭髪を漆とまぜて像のお腹に塗らせたそうです。いわば生き写しの像ですね。信仰に篤い時代でしたね。

信玄公の墓1
 不動明王堂の裏手からお庭に出られるようになっており、広大な敷地の一角に信玄公の墓所がございます。
信玄公の墓2
信玄公の墓3
 南無南無・・皆様もお祈りください。

恵林寺の庭
 墓所を抜けるとまた本堂にあがり、裏庭の見事な造作を拝見できます。緑を見ていると心洗われますね。

 帰りはまたバスですが、これが1時間に1本ペースなので、30分くらい待ちましたかねぇ。
塩山駅前の信玄公1
塩山駅前の信玄公2
塩山駅前の信玄公3
 塩山駅前にも信玄公の像があります。元は能登(現在の石川県能登半島)出身の絵師・長谷川等伯の「武田信玄公像」でしょうが、問題の絵には「信玄公」とは明記されていないし、等伯が京都に上洛する前の能登在国中に描かれたものなので能登の大名・畠山某であろうといわれています。等伯は豊臣秀吉の最盛期に一番活躍したので、信玄公とも面識ないですしね。まだ最高傑作の「松林図屏風」も描いていませんし。本当のところ、誰なのか判明しておりません。

 さて今回はここまで。今年もあと3日(今日入れて)ですな。
スポンサーサイト

コメントの投稿

非公開コメント

バス

バスの本数が少ないと、大変ですよね。
私がこれまで暮らした場所で、
もっともバスの本数が少ないのは別海でした。
こちら↓に画像、載せてあります。
http://komichikomichi.web.fc2.com/hajimete/512.htm
興味があればのぞいてみてください。
プロフィール

サムライ銅像研究会

Author:サムライ銅像研究会
歴史と銅像と芸術が大好きなあまり、日本各地を東奔西走する銅像・史蹟ハンターである。神出鬼没なため、脈絡無しのブログ更新を続ける。掟はただ一つ!「死して屍拾うものなし!」昔の時代劇の決め台詞だけどね・・皆さん、見てやあ!
 最近、キューピーに侍の装束を着用させる遊びをやっております。「武者ピー」と呼んで可愛がってやぁ~!以後は「キューピー甲冑師」とも名乗ります。

最新記事
最新コメント
最新トラックバック
月別アーカイブ
カテゴリ
検索フォーム
RSSリンクの表示
リンク
ブロとも申請フォーム

この人とブロともになる

QRコード
QR
上記広告は1ヶ月以上更新のないブログに表示されています。新しい記事を書くことで広告を消せます。