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足利の里

 室町幕府を開いた足利尊氏公の銅像を求めて栃木県足利市にやってきた。JRで小山駅(そこで徳川家康公が上杉征伐軍を引き換えさせて関ヶ原にむかった)まで行き、両毛線に乗り換えて足利駅へ。
足利駅
 そんなに大きくない駅です。駅から歩いて20分ほど・・

足利学校1
 まずは足利学校。創建は奈良時代とも平安時代ともいわれているが、はっきりわかるのは室町中期の関東管領・上杉憲実公が和漢の書籍を集めて学校として再建して日本中の武士の子弟が集まって儒学や兵法などを学び、互いに切磋琢磨しあったということ。戦国時代にも大いに繁栄し、フランシスコ・ザビエルも「日本最大にして、最も有名な大学」と報告書に記したほど。

足利学校2
 「学校」の扁額が掲げられた山門の写真は多くの教科書や資料集に載っているのでご存知の方々も多いと思う。

足利学校3
 周囲には堀が巡らされており、中世武家の館のような構えである。次に向かったのは足利学校に隣接しているばん阿寺(ばんなじ)。
ばん阿寺
 開祖800年の歴史を持つばん阿寺(ばんなじ)は国の重要文化財の本堂や鐘楼などがあり、大日如来をご本尊としている。また足利家の屋敷跡でもあり、足利家にまつわる伝説も伝えられている。

 足利家は八幡太郎・源義家を先祖に持つ源氏だが、傍流であった。鎌倉時代の足利家当主が源頼朝の夫人・北條政子の妹を迎えてから幕府の重臣となり、重きをなすようになった。源氏嫡流が三代で途絶えてからはその血筋は武士の尊敬をより受けるようになったにも関わらず、政権を握っていたのは北條家であったため、肩身の狭い思いをしていた。

 その足利家に古くから伝えられていた文書があったという。足利初代当主が「俺の子孫が将来、天下をとるだろう」と書き残したものだ。当然、北條家に見られてしまうと足利家存亡の危機になってしまうので秘匿していたが、足利尊氏の祖父が「わしでは天下はとれない・・孫ならとれるかも・・」と書き残して切腹してしまう。その孫が尊氏公なのである。「難太平記」では「ばん阿寺の置文」という。

 あくまで伝説なので、その文書自体残っていないが、ロマン溢れる話である。累代の当主は気が重かったろうが・・。

ばん阿寺の瓦
 瓦飾りには足利家の家紋「二つひき」が施されている。

ばん阿寺本殿
 さあ、重要文化財の本殿で参拝。

鐘楼
 重要文化財の鐘楼。500年以上の古いものらしい。火災には気をつけてほしい。
鐘楼ともみじ
 もみじがきれいだ・・もっと引きで撮ればよかった。

庭園
 美しい回遊式庭園が造られています。

樹齢500年以上
 この大木は樹齢550年以上という。お寺の中は何でもかなり古い!
モノクロ
 いつもの魚眼+モノクロ 

足利尊氏公1
 お寺からでて近くのお土産屋の一角に建つ「室町幕府初代将軍・足利尊氏公」像です。由緒正しい衣冠束帯ですな。何しろ征夷大将軍なので。
足利尊氏公2
 アップはこれ。昔の教科書に髷をザンバラに切った騎馬武将が右肩に刀をしょっている絵が「足利尊氏公」と紹介されているが、最近では別の武将と紹介されている。別の学説では尊氏が新田義貞と最初の決戦を迎える前に「髪を切って出陣した」という記述があることからやはり尊氏だ、と諸説いりみだれている。まだ結論はでていないようだ。

八幡宮
足利駅から徒歩1時間ほどのところにある「下野国一社・八幡宮」にいってみた。関東・東北には奥州征伐に向かう源義家公が戦勝祈願をして創建した神社がいたるところにある。ここもそのひとつであり、足利家発祥の地でもあるようだ。
足利家発祥の石碑
 これ以上の案内はなかった。

 さて次回は・・どうしようかねぇ?
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プロフィール

サムライ銅像研究会

Author:サムライ銅像研究会
歴史と銅像と芸術が大好きなあまり、日本各地を東奔西走する銅像・史蹟ハンターである。神出鬼没なため、脈絡無しのブログ更新を続ける。掟はただ一つ!「死して屍拾うものなし!」昔の時代劇の決め台詞だけどね・・皆さん、見てやあ!
 最近、キューピーに侍の装束を着用させる遊びをやっております。「武者ピー」と呼んで可愛がってやぁ~!以後は「キューピー甲冑師」とも名乗ります。

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