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映画「13人の刺客」の原点

 映画「13人の刺客」が大好評のようだ。主演・役所こうじさんを初めとした俳優陣の熱演、監督・三池崇さんの新演出もあいまって、2回目のリメイクながら評判がいい。

 それがしも観にいったが、面白かった。オリジナルの片岡千恵蔵さん主演、1回目のリメイクテレビ版の仲代達也さん版と全て見たが現代らしくスケールアップしていて痛快な作品であった。やや、やり過ぎの感もなきにしもあらずだが・・。

 だが今回のブログは映画の話がしたいのではない。過日、静岡県の三島大社参詣をした折りに「13人の刺客」の原型ともいうような言い伝えを発見したのだ。

 まずはこちらを見ていただきたい。
言成地蔵
 「言成地蔵尊」・・「いいなりじぞうそん」とよむが、これだけだと「日本昔話」ののんきな話に聞こえそうだが、由来は恐ろしいものである。備え付けの看板に事件のあらましが書かれていたが、長いので以下に要約したい。

 「今を遡ること300年以上前の貞亨4(1687)年、三島を明石藩主・松平直明(まつだいら なおあきら)の大名行列が通過しようとした時、幼い女の子がうっかり行列の前を通りすぎてしまった。
 当時、大名行列の通過には庶民は街道の両脇に平伏してその通過を戦々恐々しつつ待っていたものだ。横切ればお手討ち(切り捨てられること)になるのだから。
 三島宿の全ての人々が女の子の助命嘆願を乞い願い、当時信望を集めていた妙法寺の住職・日迅上人も辞を低くして直明に助命を願ったものの、当時25歳で酷薄な性格で恐れられていた直明は決して許さず、女の子の両手足を切り落とした上に磔にするという恐ろしい所業を行い、行ってしまった・・。日迅上人はショックを受けて住職の座を他に譲って隠棲し、三島宿の人々は女の子の菩提を弔うため、地蔵をたてたが、「言い成り」にならざるを得なかったことを忘れないため、「言成地蔵」と名付けたのである。
 その後、女の子の父親(かつて尾張藩で鉄砲師範であった)は鉄砲で直明の駕籠を撃ち抜いたが、機転をきかせた明石藩士がその駕籠をダミーにしていたために仕損じたのである。」その父親はどうなったのか・・それは書いていなかった。

 さてこの実話・・言い伝え?・・「13人の刺客」といくつか共通点がある。まず「横暴な明石藩主」、そして「尾張藩」とのかかわり。この2点は見事に共通している。

 ここで「13人の刺客」のプロットそのものを調べてみると・・なんと「時代を下った幕政後半、明石藩主の松平斉宣(まつだいら なりこと)の行列が尾張藩領を通過する際、横切った女の子を切り捨てさせた。怒った尾張藩は「明石藩松平家は尾張藩通行お断り」と高札を掲げたという。困った明石藩士達は庶民の着物に着替えて少人数ずつ通過していったという」。どこかで聞いたような話が松浦静山(元平戸藩主)の「甲子夜話(かっしよわ)」に書かれているという。
 映画もこの話を元に作られたようだが、これは19世紀前半の話。「言成地蔵尊」は17世紀後半の話・・両者には100年以上も開きがあるのに、「明石」と「尾張」という共通点・・。

 この話に関しては古い記録や松平家のことなどもさらに調べて分かったことを発表していきたい。しかし、つくづく恐ろしい話である。現代に生まれてよかった・・。
 また三島大社参詣は別項目を設けて発表したい。
地蔵の由来





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No title

13人の刺客にはモデルがあったのですね。
太平の世の中の殿様は酷いですね・・・・。

Re: No title

 日本全国に300程の藩が存在し、江戸時代だけで250年以上強固な支配体制を築いていたわけですから色んな殿様がいたんでしょうねえ。

 このネタは時間をかけて探っていきたいと思います。
プロフィール

サムライ銅像研究会

Author:サムライ銅像研究会
歴史と銅像と芸術が大好きなあまり、日本各地を東奔西走する銅像・史蹟ハンターである。神出鬼没なため、脈絡無しのブログ更新を続ける。掟はただ一つ!「死して屍拾うものなし!」昔の時代劇の決め台詞だけどね・・皆さん、見てやあ!
 最近、キューピーに侍の装束を着用させる遊びをやっております。「武者ピー」と呼んで可愛がってやぁ~!以後は「キューピー甲冑師」とも名乗ります。

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