上越市内について
前回までの3回に渡って上杉謙信公とその丹精された春日山城について記してきたが、周辺も検分してきたので、今回はその折に撮った写真や感想などを記していこう。
まずこちら、何の変哲もない民家だが、歩道を覆う屋根を見て欲しい。これこそ雪深い北陸道に住む者の眼になれたものだ。昔はこのような屋根付きの民家が軒を連ねており、下を歩けば雪に悩まされず移動可能というわけだ。それがしは加賀の国出身であり、幼き日の記憶を刺激する情景に思わずパチリと撮ったものだ。
ちなみにこちらは港町・直江津で撮ったもの。町並みは現代的になっており、このような屋根もここだけであった。駅前には古びたアーケードのような情景がある。
続いては春日山より一つ内陸よりの城下町・JR高田駅である。なかなか瀟洒な駅舎である。こちらには徳川家康四天王の1人として有名な榊原康政公が祀られている榊神社や三重櫓を持つ高田城址公園がある。街の規模としては直江津よりも高田が大きい。
こちらが榊神社。駅より徒歩20分ほどだ。高田は徳川幕政初期から多くの大名が入れ替わりで統治にあたり、その中に榊原家もある。この神社は明治に入ってから、ゆかりのある榊原家を追慕し、初代・康政公の武具を神宝として祀った神社とのこと。
ここにはその康政公の甲冑が見ることができればと来た訳だが、あいにくと宝物館らしきものは厳重に閉ざされており、境内にもそれがし意外人影がなく、本殿のみ撮って引き上げた次第。灯篭に描かれた源氏車の紋所がわずかに榊原家との繋がりをしのばせるだけである。
その榊神社の目の前にあるのが高田城址公園。桜の頃になると、桜の花と三重櫓を撮りに行く観光客が押し寄せる高田観光の目玉スポットである。公園内には他に市立総合博物館や日本画家・小林古径邸などあり、渋めの観光コースだ。若い子には退屈だろう。それがしもまだ若いが・・。
こちらは小林古径邸の裏手から。本当は中を撮りたかったが、撮影禁止なので。ちなみに小林古径先生は近代日本画を代表される方の一人で、その繊細なタッチで表現される絵には古来ゆかしい日本の情緒が見事に表現されている。詳しくは諸兄がネット、画集などで調べて欲しい。絵も見るのは好きだが、門外漢ゆえこれ以上の表現が難しい・・。
そしてこちらが三重櫓とお堀端である。秋のはじまりの麗らかな日差しの中、多くの家族連れ、観光客が憩う素晴らしい公園である。幼子がお堀の鯉に餌をやる様は実にほほえましい・・。
話は変わって、太閤秀吉の時代、会津に領地替えになった後、堀家がはいり、後に徳川家康の子息・松平忠輝(「捨て童子忠輝」と書いた方がわかりやすいかな?)が50万石以上の知行で入った。忠輝はまた独眼龍・伊達政宗の婿であり、その将来を嘱望されていた。
時はまさに大坂の事態が急変を迎えつつあり、城内に天守はおろか櫓一つない状況に危機感を覚え、伊達政宗の協力のもと、大急ぎでこの三重櫓が建てられたのである。そして大坂の陣での事態は歴史にあるとおりである。いずれが賢か愚か、時は黙して語らない・・。
この櫓自体は近年建てられたものだが、その威容を伝えるに不足はない。
連なる甍越しに櫓を見るとき、過ぎし世に思いを馳せるのもまた一興。
話はうってかわってこちらは高田駅前・本丸商店街にある精肉店・「肉の米久」さん。偶然通りかかったが、小腹が空いていたので、揚げたてコロッケとメンチカツを買い求めた。
手前左がコロッケ、奥右がメンチカツ。どちらもソース無しでおいしい。コロッケはジャガイモ本来の甘みと肉の旨みが生かされており、メンチカツは肉本来の旨みが香辛料のスパイシーな香りと共に口いっぱいに広がるどちらも王道のおいしさだ。
別に米久さんから何かもらったわけではないが、あまりの美味しさに紹介せずにはおられなかった。後、ここの若女将がかわいかった・・へへっ。
最後に今回の越後・上越紀行の総評である。
この地にはかねてより訪れてみたかった春日山城があったので、念願かなって感慨深い。すばらしい山城跡だった・・。
だが、上越市自体は全体に元気のない街・・というより北陸人特有の恥じらいが出ているように思われた。上杉謙信公で売り出すのはいいが、駅からバスへの交通機関が限られていたり、積極的に売り出す旨いものがなかったりと腰が引けているように感じた。ポテンシャルは凄いものを秘めているのだから、奮起してほしいものだ。
たまに長岡の田中一族のような恥じらいのかけらもないしょうもないのもいるが、あれは例外だろう。みんな喋ればいい人であり、人懐こい方ばかりだ。天下に越後あり!の勢いを示して欲しいものだ。
まずこちら、何の変哲もない民家だが、歩道を覆う屋根を見て欲しい。これこそ雪深い北陸道に住む者の眼になれたものだ。昔はこのような屋根付きの民家が軒を連ねており、下を歩けば雪に悩まされず移動可能というわけだ。それがしは加賀の国出身であり、幼き日の記憶を刺激する情景に思わずパチリと撮ったものだ。
ちなみにこちらは港町・直江津で撮ったもの。町並みは現代的になっており、このような屋根もここだけであった。駅前には古びたアーケードのような情景がある。
続いては春日山より一つ内陸よりの城下町・JR高田駅である。なかなか瀟洒な駅舎である。こちらには徳川家康四天王の1人として有名な榊原康政公が祀られている榊神社や三重櫓を持つ高田城址公園がある。街の規模としては直江津よりも高田が大きい。
こちらが榊神社。駅より徒歩20分ほどだ。高田は徳川幕政初期から多くの大名が入れ替わりで統治にあたり、その中に榊原家もある。この神社は明治に入ってから、ゆかりのある榊原家を追慕し、初代・康政公の武具を神宝として祀った神社とのこと。
ここにはその康政公の甲冑が見ることができればと来た訳だが、あいにくと宝物館らしきものは厳重に閉ざされており、境内にもそれがし意外人影がなく、本殿のみ撮って引き上げた次第。灯篭に描かれた源氏車の紋所がわずかに榊原家との繋がりをしのばせるだけである。
その榊神社の目の前にあるのが高田城址公園。桜の頃になると、桜の花と三重櫓を撮りに行く観光客が押し寄せる高田観光の目玉スポットである。公園内には他に市立総合博物館や日本画家・小林古径邸などあり、渋めの観光コースだ。若い子には退屈だろう。それがしもまだ若いが・・。
こちらは小林古径邸の裏手から。本当は中を撮りたかったが、撮影禁止なので。ちなみに小林古径先生は近代日本画を代表される方の一人で、その繊細なタッチで表現される絵には古来ゆかしい日本の情緒が見事に表現されている。詳しくは諸兄がネット、画集などで調べて欲しい。絵も見るのは好きだが、門外漢ゆえこれ以上の表現が難しい・・。
そしてこちらが三重櫓とお堀端である。秋のはじまりの麗らかな日差しの中、多くの家族連れ、観光客が憩う素晴らしい公園である。幼子がお堀の鯉に餌をやる様は実にほほえましい・・。
話は変わって、太閤秀吉の時代、会津に領地替えになった後、堀家がはいり、後に徳川家康の子息・松平忠輝(「捨て童子忠輝」と書いた方がわかりやすいかな?)が50万石以上の知行で入った。忠輝はまた独眼龍・伊達政宗の婿であり、その将来を嘱望されていた。
時はまさに大坂の事態が急変を迎えつつあり、城内に天守はおろか櫓一つない状況に危機感を覚え、伊達政宗の協力のもと、大急ぎでこの三重櫓が建てられたのである。そして大坂の陣での事態は歴史にあるとおりである。いずれが賢か愚か、時は黙して語らない・・。
この櫓自体は近年建てられたものだが、その威容を伝えるに不足はない。
連なる甍越しに櫓を見るとき、過ぎし世に思いを馳せるのもまた一興。
話はうってかわってこちらは高田駅前・本丸商店街にある精肉店・「肉の米久」さん。偶然通りかかったが、小腹が空いていたので、揚げたてコロッケとメンチカツを買い求めた。
手前左がコロッケ、奥右がメンチカツ。どちらもソース無しでおいしい。コロッケはジャガイモ本来の甘みと肉の旨みが生かされており、メンチカツは肉本来の旨みが香辛料のスパイシーな香りと共に口いっぱいに広がるどちらも王道のおいしさだ。
別に米久さんから何かもらったわけではないが、あまりの美味しさに紹介せずにはおられなかった。後、ここの若女将がかわいかった・・へへっ。
最後に今回の越後・上越紀行の総評である。
この地にはかねてより訪れてみたかった春日山城があったので、念願かなって感慨深い。すばらしい山城跡だった・・。
だが、上越市自体は全体に元気のない街・・というより北陸人特有の恥じらいが出ているように思われた。上杉謙信公で売り出すのはいいが、駅からバスへの交通機関が限られていたり、積極的に売り出す旨いものがなかったりと腰が引けているように感じた。ポテンシャルは凄いものを秘めているのだから、奮起してほしいものだ。
たまに長岡の田中一族のような恥じらいのかけらもないしょうもないのもいるが、あれは例外だろう。みんな喋ればいい人であり、人懐こい方ばかりだ。天下に越後あり!の勢いを示して欲しいものだ。
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