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乗り物に乗った武者ピー~立花道雪公と山田長政~

 先週末、体調を崩してから今週の半ばまで体調がイマイチだったため、武者ピー造りも滞ってしまっていたが、なんとか持ち直したので新作を発表したい。

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 はい、右が立花道雪(どうせつ)公。左が山田長政。一人ずつみていきましょう。

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 戦国時代の九州を一時は大友宗麟が制圧しかけた時代があったが、宗麟はとてもむらっ気のある男で、やる時は優秀だが、すぐに引きこもってしまって遊び狂ったり、キリスト経にふけったりとダメな戦国大名。しかし家臣団が優秀なため、大友家自体は成長し続けて北部九州を勢力化におき、さらに南下して島津家を飲み込もうとしたが、日向(宮崎県)・耳川の合戦で大敗北してしまい、大友家は一気に斜陽の時代へと突入していった・・。
 だが、そんな衰退しかける大友家を背負って合戦につぐ合戦で大活躍し続けたのが立花道雪公。

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 ご覧の通り、髪も髭も真っ白なおじいさんです。歩行が不可能なので足軽に輿を背負わせて、その上で指揮をしています。最初は足軽も武者ピーにしようかと思ったけど、4体も必要なので「もったいない」ということで紙に描いた足軽で代用。
 なぜ輿に乗っているのか?というと・・
  『道雪公は若い頃、野駆けした後、眠気を催して木陰で昼寝をしていたところ、にわかに空が掻き曇り、雷が轟きだした。雷鳴は徐々に道雪公に近づき、ついにはそばに落ちてきたので道雪公は脇差「千鳥」を抜いてきりつけた。雷は「ギャッ!」と悲鳴を残して空ももとの青空に戻った。道雪公はそれ以来、千鳥を「雷切」と名づけ、終生愛用した。足は雷に打たれたことから歩行に不自由を覚えるようになったという・・』

 とこのような『雷神切り伝説』が残されています。それがしも福岡県柳川市にある御花資料館(立花家の代々の家宝が展示されている)に伺った時に「雷切」を見ました。長めの脇差でしたが、そんな特別なものには見えませんでしたが、そんな逸話が残されているということが、道雪公が昔から愛されていた人物ということでしょう。事実、道雪公は部下を大切にした武将で、道雪公のためなら「命もいらぬ」という勇士がたくさんいました。
 立花家は道雪公の死後、養子の宗茂が継ぎましたが、豊臣秀吉の九州征伐の後で豊臣大名となり、朝鮮陣でも武名を挙げ、関ヶ原では西軍に属して大津城攻めに活躍しますが、本戦には間に合わぬまま改易。浪人となりますが、道雪公以来の立花家の武名を惜しんだ家康公によって宗茂はまた大名に取り立てられ、幕末まで柳川を治め続けます。
 柳川には、道雪公らを祀った三柱神社がございます。
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≪御祭神≫
 ・戸次道雪命(べっきどうせつのみこと) 【梅岳霊神/戸次鑑連/立花道雪】
 ・立花宗茂命(たちばなむねしげのみこと) 【松陰霊神】 [戸次道雪の養子・初代立花藩主]
 ・立花誾千代命(たちばなぎんちよのみこと) 【瑞玉霊神】 [戸次道雪の娘・立花宗茂の妻]


 三柱神社は、西鉄天神大牟田線の「矢加部駅」から、南に約200mの所に鎮座されており、柳川城から見るとちょうど鬼門の方角に位置します。
 天明3年(1783年)戸次道雪(べっき どうせつ)に「梅岳霊神」の神号が授けられ、第7代柳川藩主・立花鑑通(たちばな あきなお)が、三の丸にあった長久寺(現:廃寺)の中に道雪を祀った「梅岳宮」を建立したのが起源になります。
その後の文政3年(1820年)立花宗茂(たちばな むねしげ)に「松陰霊神」、立花誾千代(たちばな ぎんちよ)に「瑞玉霊神」の神号が授けられ、日吉神社(柳川市坂本町)の近くにあった唯一宮に祀られていましたが、同6年(1823年)その2神が「梅岳宮」に遷宮合祀されて「三柱神社」となりました。
 しかし、これでは規模が小さいということで、同9年(1826年)第9代藩主・立花鑑賢(たちばな あきかた)が、新たに高畑の地に新宮を造営し、同年(1826年)8月16日に遷宮式が執り行われました。現在も「御新宮」と呼称され、親しまれているそうです。
 また、神社内には、御本殿など文政期からの建築物もたくさん残っているそうですが、平成17年(2005年)6月3日火災により建築当初からの拝殿、廻廊が全焼し、楼門も一部焼けるなどの被害がでたといいます。幸い御本殿は延焼を免れたそう・・・。
 
 それがしが行った時は、再建直後あたりか・・・放火だったようだが、犯人は捕まったのだろうか?

 道雪公の甲冑が残っていないのでどうしようと考えたが、甲冑は伝統的な「紺糸縅胴丸」にして、兜と陣羽織を工夫・・。
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 兜の前立てに立花の家紋「立花杏葉」、道雪自身は『戸次』家出身。戦功により「立花」姓を与えられたが、主君・宗麟に遠慮して生涯「戸次道雪」しか名乗らなかった・・面倒な話だけどね。元々は戸次家も立花家も大友家から分かれた家だからいいんじゃないとは思うが、当時は真剣な問題でしょうなぁ・・。
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 陣羽織は黒地に斜めに雷が横切り、中央に家紋。「雷神切り伝説」がモチーフです。これもそれがしのオリジナルデザインです。こんなものがあってもいいなぁ・・と思ったので。熱心な道雪公ファンに怒られないかしら・・まあ、怒られても関係ないですが。

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 道雪公の輿には常に鉄砲が用意されていたそう、また部下が戦意喪失しそうになると「わしを輿ごと敵の中に放り投げてお前達は逃げろ!」といったそう。そんなこといわれて奮い立たない武者はいないでしょう。それがしもとても尊敬している武将の一人です。日本史上でも10本の指にいれてもいい名将の一人ですね。他の9人は誰なんだ?と聞かれると困るんですが・・・。
 道雪公の養子・宗茂公とその嫁・ぎん千代姫(道雪公の実子)もまた興味深い方々なので、いずれ武者ピー化します。

 続いて山田長政・・。
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 伝説上の人物ですが、大坂の陣で豊臣家が滅ぼされて失業した武士や海外に活躍の場を求めた商人たちが東南アジアに進出していきました。シャムに大きな日本人町が築かれ、そこを守っていた傭兵隊長が「山田長政」、彼はまた時のシャム王に気に入られて王のために国内外の敵と戦いますが、長政を危険視した廷臣らの陰謀により毒殺、日本人町も焼き払われたという・・・。
 半ば伝説なのでどこまで歴史的事実が含まれているか不明ですが、日本人が東南アジアで活動していたことは事実でしょう。

 今回の長政は、日本の甲冑師が「象」という生き物を初めて見た時に甲冑造りにどう反映させるだろう?という疑問から始まりました。それがしなりの回答がこれ。
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 左が長政の乗っている象、右が長政の兜。象の頭を模しています。象の鼻と牙を前立てに、耳を兜の吹き返しにしています。こんなデザインの本物の甲冑はありませんが、「あったっていいじゃない!」がそれがしのスタンス。造りながら笑ってました。

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 象「パオーンンン!」もっと大きく造ろうかなと思いましたが、ディスプレイのスペースがね・・。

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 眉間の赤い筋は、刀による「向こう傷」です。戦国を生き抜いた荒武者には凄みがあってもいいかな、と思ってつけましたが、武者ピーが可愛さで相殺してしまいます(笑)

 今年もそろそろ大詰めですなぁ・・・。

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No title

紺糸縅胴丸、素晴らしい出来です。
私的には、その後のバックシャンに目が釘付け。
ツルンとした卵的な後頭部に白髪(?)の簾が下がっているところなど
かなりリアリティを突き詰めてますね。

いつかこのアトリエを拝見したい!
宝の山ですねe-279

Re: No title

 こんにちわ。
 お気に入り頂いたようで・・本当は「道雪」という名前で出家しているので髪あるのも変なんですが、武者ピーとしての説得力をつける場合、髪が必要でした。
 武者ピーを一堂に集めた展示などしたら面白いでしょうね。

立花道雪

立花雪道って、こんなにすごい武将だったので、大友宗麟の家臣なんですね。

私は柳川に行ったことがあり、治めていたのが立花ということは知っていましたが、やっぱ、関係あるんだ

関ヶ原では西軍にいたのに、家康に認められたのは、よほどのことでしょうね。

それにしても輿に乗った武将ピーは初めてね。

象も輿もよく工夫しました。花○ね。

Re: 立花道雪

 こんばんわ。
 柳川は静かな街でしたね。そこから1時間くらいで大都会・博多ですから。また行きたい街ですね。
 立花宗茂はゲームに出てきているようで、若い子の間にも立花の名は知られてきているようです。道雪はまだまだかもしれません。今後も歴史にその人あり、というような名将達を武者ピー化させていきたいですね。

No title

象さんからインスパイアされた兜いいですね!
こういうの楽しいです☆
もしも・・・のif甲冑、また作ってほしいです。

Re: No title

 こんばんわ。
 御笑納頂けたようで・・こういうのは造っていても面白いですよ。何か要望あればいってください。可能な範囲内でやってみます(笑)
プロフィール

サムライ銅像研究会

Author:サムライ銅像研究会
歴史と銅像と芸術が大好きなあまり、日本各地を東奔西走する銅像・史蹟ハンターである。神出鬼没なため、脈絡無しのブログ更新を続ける。掟はただ一つ!「死して屍拾うものなし!」昔の時代劇の決め台詞だけどね・・皆さん、見てやあ!
 最近、キューピーに侍の装束を着用させる遊びをやっております。「武者ピー」と呼んで可愛がってやぁ~!以後は「キューピー甲冑師」とも名乗ります。

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