スポンサーサイト

上記の広告は1ヶ月以上更新のないブログに表示されています。
新しい記事を書く事で広告が消せます。

新田義貞~鎌倉攻略戦~

 今回からいよいよ南北朝を舞台に武者ピーを造っていきたい。第1弾は、後醍醐天皇の令旨に応じて挙兵し、分倍河原合戦で執権北条家の軍勢を蹴散らし、鎌倉を攻略し、北条高時以下、北条一族をことごとく自刃に追い込んだ新田義貞公です。

 詳しい説明は長くなるので・・新田義貞が上野(こうずけ)国・新田庄の生品(いくしな)神社で挙兵したのは元弘3(1333)年。最初は一族郎党ら百数十人しかいなかったが、南下するにつれて関東各地から武士が合流し続け、軍勢はどんどん膨れ上がっていった。そこに足利高氏の嫡男・千寿丸(二代将軍・義詮)が足利の家臣らに守られて合流したことでさらに決定的な流れとなった。
 多摩川べりの分倍河原で合戦した新田軍は一度は敗れたものの、すぐに態勢を立て直し、北条軍を撃破。迎撃軍が敗れたという報せに鎌倉の北条家の面々は蒼ざめて「鎌倉死守」しかないとの断を下すしかなかった・・。

 鎌倉は源頼朝以来、営々として築き上げてきた執権北条氏の金城湯池、守りの堅さに新田義貞は攻めあぐねる。義貞は各方面の攻防の指揮を任せ、自分に忠実な数千の軍勢と共に鎌倉外郭の西側・稲村ヶ崎に押し寄せた。
DSCF0231_1.jpg
 (現在の稲村ヶ崎、史跡公園として整備、2012年春頃撮影)

 ここからは「太平記」に書かれた伝説交じりではあるが・・海の潮がひくのを待って軍勢を渡らせるしかないと考えた義貞は携えてきた黄金造りの宝刀を海に投げ込んで海神に武運を祈った・・。
CIMG0182.jpg
 (新田義貞ピー、手前の青いものは「海の波」とみてください)

DSCF0232_1.jpg
DSCF0233_1.jpg
 明治天皇がここで詠まれた和歌が石碑に彫り込まれている。歌は・・
  『投げいれし 剣の光 あらはれて 千尋の海も くが(陸)となりぬる』味わい深い歌です。

DSCF0237_1.jpg
 (左に張られたロープの先を渡ったそうな・・)
 義貞が海面に宝刀を投げ込むや、潮はたちまち引き、そこには見事陸地があらわれたため、義貞は号令をくだし、鎌倉に攻め入った・・・結果、北条一族は東勝寺で自刃し、滅びたのであった・・。

 本当は長い話だから全然たりないが、詳しくは「太平記」「梅松論」「難太平記」や南北朝を扱った各種小説を読んでね。北方謙三氏だと「武王の門」「破軍の星」「悪党のすえ」「楠正成」など沢山書かれているのでオススメです。

 ここからは肩から力を抜いて武者ピーを見て行きましょう。
CIMG0183.jpg
 大鎧を着けた義貞ピーは宝刀を捧げ持っています。鎧正面の顔は、獅子の顔ですが、大きかったので切り抜きました。なんかおじさんの顔みたい・・一応「絶版江戸千代紙」(廣瀬辰五郎:著 徳間書店)という本からカラーコピーしたんですが・・使い方を反省。

CIMG0184_20121206213508.jpg
 義貞ピーの兜。吹き返しに貼った格子模様の和紙は、御茶ノ水にある「檸檬画すい」という画材店で調達。折り紙だけでは足りなくなったので、画材店に出入りするようになりました・・。

CIMG0186_20121206213510.jpg
 新田義貞ピーの郎党です。陣笠ではなく、侍烏帽子に半首(はっぷり)という顔の防具を付けています。半首は室町時代まで使われますが、槍の普及と共に使われなくなっていきました。槍以前は薙刀が主流でしたので「薙ぐ」攻撃から守るために顔の外側を守る防具が必要だったのですが、「突く」槍には不要なものとなりましたので使われなくなっていきました、とさ・・。
 武具の研究家からは怒られそうな説明ですが、まあ、こんなところで。

CIMG0187.jpg
 今回は新田家の家紋「大中黒」紋を描いた幟(のぼり)も用意。

 「太平記」では、新田義貞は愚か者扱いですが、鎌倉を落した後、すぐ京に登り、1338年に越前(福井県)で討ち死にするまで兵の補充すらろくにできないまま天皇方の為に戦い続けていたのです。その扱い方はひどすぎます。思うに・・義貞公は純然たる武人で、政治家としての動きは苦手だったため、天皇の側近である公家達にいいように利用されてしまったのです。
 単純に武将としてみれば、足利尊氏(高氏から改名)より有能かもしれません。鉄壁の防禦を誇っていた鎌倉を落したのですから・・。

 最後に稲村ヶ崎から見た江の島を・・。
DSCF0236_1.jpg
 この画像を見ながら、新田義貞をフィギュア化した人間はどれだけいるのだろう?と考えてしまいました。

MUSE_banner_02.jpg

にほんブログ村 歴史ブログ 日本史へ
にほんブログ村
スポンサーサイト

コメントの投稿

非公開コメント

No title

前記事の静御前もせつないですが、
新田義貞も悲しいですよね。
でも武者ピーに昇華されて、
喜んでおられるのではないでしょうか?
獅子の顔、たしかに酔っ払い親父に見えます。(笑)

No title

サムライ銅像研究会さん、とうとう折り紙だけではこと足りず、画材店にまで出入りされるとは
いやはや、プロ魂に痛み入りましたm(__)m

鎧正面の顔、これまた「だるま」さんとしてお会いしたことがあるような...
かなりの気合いを感じます。
もともと、アーティストなのでしょうね♪

Re: No title

 こんばんわ。
 やはり日本人の心の琴線に触れるのは悲劇の主人公なのかもしれません。自分ではそうでないと考えていても選んでいるのかもしれませんね。
 和紙も選んでいると面白いです。これをあれに使おう、とか・・想像してしまいます。

Re: No title

 こんばんわ。
 いえいえ、元々凝り性ですから、ついついこだわれる部分はこだわってしまうだけのことです。画材店は初めていきましたが、楽しいところですね。色んな柄の和紙を、こう使おうとか、あれにしよう、とか・・平安時代から鎌倉時代の甲冑は、模様のある韋(なめしがわ)を正面にもってきているので楽しみがいがあるというものです。

No title

静御前様と義経公、とても麗しく、身もだえがしました!
キューピーちゃんたちはいつもお着替えをしているのだと思っておりましたが、作成するごとに増えているのですね!さらにサムライさんは築城技術までお持ちのようで…!時代を超えたヒーローたちの終結ですね。
おお、とうとう兜に和紙素材!そのうち本物の甲冑を作り出すんじゃないかとのぶ太はハラハラ…否、わくわくしつつお待ちしております♪

Re: No title

 こんばんわ。
 お褒め頂き光栄です。静は私自身、完成させた時に「か、可愛い」と思ってしまったほどなので・・親ばかです。城?段ボールに半紙貼り付けただけですが。そのうち、もうちょっと進化するかもしれません。
 和紙や千代紙の世界は奥深いですね。色んな柄を見ているだけでワクワクします。売り場的におばさん率高いので浮いていますが・・。
 キューピーは高さ5センチのものを使っています。これ以下の小さいサイズでは無理ですし、大きいとデフォルメの面白みが・・このサイズで着替え製作は不可能。出来る人がいたら私が尊敬します。 

No title

画材屋さんに材料を買い求めに行くなんて、だんだん趣味として本格化されてきましたねぇ。格子模様の目が細かいから、武者ピーみたいな小さなものに、ちょうどいい感じですね☆

Re: No title

 こんにちわ。
 そうなんですよ。画材屋さんの紙の種類の豊富なこと・・でも一つ方針がありまして、安い紙しか使っていません。「武者ピー」はあくまでも誰でも造れるし、親しめるがモットーなので。

新田義貞

新田義貞については、日本史ウオーキングでいくつかの史跡を訪ねました。
もちろん稲村ヶ崎も。

自分がちょっとでも関わった武将がピーになるのは嬉しいですね。

武者ピーもますます本格的になってきました。画材店で材料を仕入れているんですね。

そういえば、教えていただいた「サザエさん」の銅像について、銅像めぐりでアップしました。

Re: 新田義貞

 こんばんわ。
 新田義貞は喰い付きが薄いかと心配しておりましたが・・さにあらず・・義貞公も草葉の陰で喜ばれましょう。他にも分倍河原バージョンもつくってみたいですね。
 和紙も見出すと面白いです。深い世界で。サザエさんですねね、あとで拝見します。
プロフィール

サムライ銅像研究会

Author:サムライ銅像研究会
歴史と銅像と芸術が大好きなあまり、日本各地を東奔西走する銅像・史蹟ハンターである。神出鬼没なため、脈絡無しのブログ更新を続ける。掟はただ一つ!「死して屍拾うものなし!」昔の時代劇の決め台詞だけどね・・皆さん、見てやあ!
 最近、キューピーに侍の装束を着用させる遊びをやっております。「武者ピー」と呼んで可愛がってやぁ~!以後は「キューピー甲冑師」とも名乗ります。

最新記事
最新コメント
最新トラックバック
月別アーカイブ
カテゴリ
検索フォーム
RSSリンクの表示
リンク
ブロとも申請フォーム

この人とブロともになる

QRコード
QR
上記広告は1ヶ月以上更新のないブログに表示されています。新しい記事を書くことで広告を消せます。