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徳川四天王ピー完成~「星の王子様」も~

 前回の予告通り、今週は「徳川四天王」の製作に空き時間の全てを投入していた・・思ったより疲れた・・とはいえ苦労のかいもあったというもの。

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 まずは徳川家康公と全員集合・・なんか戦隊ものみたい・・。

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 四天王の筆頭と言われる酒井忠次・・「徳川四天王」とは後世の呼び方で本人たちは全くしりません。特に酒井氏は松平(徳川)氏と先祖を一緒にするので、他の3人と一緒にしたら怒られるかもしれません。

 徳川家康公の父上・松平広忠公の時代から駿河・遠江を支配していた今川義元に臣従していたため、松平家は家臣ともども大変な苦労を味わいます。忠次も幼い家康(当時は竹千代)を支えて苦労されました。そんな忠次に竹千代も懐いていたのでしょうか?二人は主従でありながら、兄弟のように成長していきます。
 桶狭間合戦で今川義元が討ち死にした後、家康公は自立します。その際、旗下の三河侍を編成しなおして、直属の旗本隊と東三河衆、西三河衆にわけました。酒井忠次はその東三河衆の「軍団長」。他の3人はペーペーの兵隊であったり、生まれる前だったり・・。
 後に家康公の嫡男・松平信康切腹事件の際に、命令した織田信長公に対して申し開き一つしなかったために家康公とは精神的距離が出来てしまいます。この事件には諸説あるので真相はよくわからないところがあります。家康公が関東に入った際、他の3人はのきなみ10万石以上の所領を与えられますが、忠次の息子だけ(当時、忠次はすでに引退)は2万石しかもらえなかったので、忠次は老いの身をおして家康公の元に出かけ、所領の増加を頼みました。すると家康公は皮肉な笑みを浮かべ
 家康公「お前も自分の息子は可愛いか・・」とつぶやきます。信康事件が尾を引いていました・・。

 忠次は慶長元(1596)年に70歳で亡くなります。酒井家はその後、出羽・酒田で25万石を食み、三方所替えの危機も乗り越え、幕末まで残りました。幕末では酒井家は大活躍しますが、それはまた別の話・・・。

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 家康公の配下で「最強」の名をほしいままにした武将。それが本多忠勝です。わずか13歳で初陣してから生涯50数度にわたって大小の合戦に参加したにも関わらず、一度として負傷したことがないそう。これは単に勇猛な武将ということだけではなく、意外に冷静な指揮が出来ていたということではないでしょうか?幕府の歴史書では
 「軍勢の指揮は榊原康政・井伊直政にかなわない」と書かれているそうですが、微妙な差だったのかもしれません。
 徳川の関東入府後は下総・大多喜城を築き、関ヶ原後は伊勢・桑名城を築きます。晩年は桑名で過ごしました。この方の娘がまた豪傑なんですが、それはまた別のお話・・。
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 家康公からその才能を愛された武将・井伊直政公。幕末の大老・井伊直弼はその子孫です。
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 井伊家は元々、遠江の豪族で今川家に仕えていました。義元の戦死後、今川の家督を継いだ氏真(うじざね)から謀反を疑われた直政の父親が殺されたので、幼い直政は母親共々逃げ回ります。一時、姓を変えていましたが、後に家康に見出され、仕えると共に「井伊」姓に復します。
 頭脳抜群で家康に忠実な直政を家康も可愛がって重要な仕事を任せたり、愛馬を与えたりと英才教育を施します。結果、22歳で小田原北条家との外交を担当したり、武田家滅亡後の「赤備え」軍団を任されたりと天下にその名を轟かせます。
 主君には忠実で、他所の家からもその存在を羨ましがられる優秀な男でしたが、部下にとっては「最悪」の上司でした。ちょっとでも気に食わないことがあると部下を手討ちにしたため、ひそかに「人斬り兵部」という不名誉なあだ名を付けられ、直政が死んだ後に「追い腹」する部下は一人もいませんでした・・・。
 現代でもいますよね。マスコミ受けのいい若手社長が、部下にはパワハラしまくり、だとか。

 結論からいうと、武将としては「二流」・・部下を殺してはいけません。
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 最後に・・榊原康政。
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 本多忠勝と同世代です。人格的には、4人の中で一番安定していたかも・・。幼い時から学問に才能をしめし、家康の近習に取り立てられると武勇でも優秀さをしめし、徳川軍の先鋒は本多忠勝と共に任されておりました。
 とはいえ、それだけではよくいる優秀な若手将校・・康政の名を天下に轟かせる事件。それが徳川家康と豊臣秀吉との間で勃発した「小牧・長久手の合戦」でおこりました。この合戦は両者とも陣地を構築して長いにらみ合いをした戦で、両者とも攻め手を欠いていました。そんな折、康政が一枚の檄文を書きました。中身は・・

  『そもそも秀吉は織田信長公に仕えていたのに、その死後、恩を忘れて、織田信孝を自刃させ、今また織田信雄殿をせめようとしている。そんな恩知らずを助けるのは後々、恥を残すことになる。天下の諸侯よ!義軍である家康公の下に集おう!』という内容・・。かなり省略・意訳していますが・・。
 それを読んだ秀吉は大激怒!榊原康政に十万石の賞金首をかけます・・。
 結局、両者の間で和平が結ばれたので、賞金は意味がなくなりますが、秀吉は家康に命令して康政に十万石を与えさせます。これは秀吉の徳川陣営切り崩し策と考えられておりますが、「十万石」というのは秀吉の皮肉でしょうか?

 関ヶ原後、康政も政治の要職を任されますが、『老臣、権を争うは亡国の非なり(家臣どうしで権勢を競うのは国が滅ぶもとである)』という言葉を残して領地の館林に引きこもり、病死しました。その颯爽たる生き様は史実を調べていて、一服の清涼剤を飲むような爽やかさを感じずにはおられません。永田町の住人に正座させて聞かせてやりたいですね。残念ながら銅像は酒井忠次ともどもないんですよね・・・。
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 三重県桑名市九華公園内にある本多忠勝像。
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 滋賀県彦根市JR彦根駅前にある井伊直政像。

 ちょっと重めの内容になってしまいましたので・・。
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 以前、アーティストのmichiko殿のブログで「星の王子様」の書評が載っていました。存在は知っていた名作ですが、読んだことはないので読んでみたところ・・言葉にならない感動を覚えました。なんとかその感動を表現してみたいと考えていたところ・・キューピーで顕してみました。
 一番好きな光景を抜粋・・。

 『「さよなら」と王子はいった・・・・・・。
「さよなら」ときつねがいった。「ぼくの秘密をいうよ。すごくかんたんなことだ。心で見なければ、よく見えないっていうこと。大切なことって目には見えない。
「大切なことって目には見えない」とちび王子は、その言葉を忘れないようにくりかえした。』

 とても短い物語ながら、子供から大人まで読むものの心を掴まえて離さない物語です。劇中では王子様と仲良しのキツネ君は離れ離れになりますが、ここで再会・・。未読の方は是非! 

 何か要望があれば「武者ピー」化します。可能な範囲内で・・秀吉と薩長土は絶対作りませんので悪しからず・・。

 
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No title

新作ですね~☆
四天王のひとりひとりのお話も面白かったです。
名前は知っていても、具体的なことはあまり知らないので(;´∀`)
星の王子様は名作ですよね~。本当に泣いちゃいますよ、あのお話は。たぶん、大人になったから余計にしみる、ってところもありますよね。キツネ君のほかに、バラの花も欲しかったなー。

Re: No title

 こんばんわ。
 今回はセットでの製作ですから気合が入りました。楽しかったですよ。徳川家の侍は他にも沢山の「名物男」がいるので今後も造り続けていこうと思います。そのうち武者ピーで「徳川16神将」なんて・・置く場所どうしよう?

 「星の王子様」、バラも考えたんですが、どう造るのか思いつかなかったので今回は見送り・・宿題ということで。童話や物語から題材をとるのも面白いですね。「エルマーと竜」とか・・。

四天王

四天王のひとりひとりの説明、ありがとう。

数回読みましたが、まだ分からないところがあります。三河武士についてもっと知りたいわ。

仕える人を変えざるを得なかったなど、今の政治家を見ているようです。

私は仙台育ちですので、酒田には友人もいて、酒井藩には興味を持っていました。四天王の子孫にしては、江戸からみると、ずいぶん田舎ですもんね。



Re: 四天王

 こんばんわ。
 お読みいただき恐縮・・四天王について書いたものはざっとした解説なので舌足らずなところも多々あったかと。本当は松平家初代の親氏(ちかうじ)あたりから始めないといけませんが、膨大な量になるので・・四天王以外にも三河武士には多士済々、面白き男たちが沢山いるのですが今後も武者ピー化していこうと思います。最終的には「徳川16神将」になるかも・・・展示スペースが必要ですね。

No title

忠勝のくわがた兜の表現にびっくり…!
なぜでしょう、サムライさんの作られるキューピーちゃん、とてもかわいらしいもののはずなのに兜や甲冑がよく似合う。
立札に秀吉を撃とうとかなにやら天下分け目の合戦が起こりそう?
キューピーたちの戦いが今始まる…!?
(すみません悪乗りです^^;)

Re: No title

 こんばんわ。
 お褒め頂き恐縮・・当方、誉めれば伸びる子です(笑)全国の史蹟・博物館を見て廻る際、甲冑もあれこれ見てきましたので目は肥えておりますぞ!四天王も酒井忠次の甲冑以外、本物を全て見ております。見た以上、デフォルメとはいえ下手なものは造れないと気合をいれて造っております。
 また見に来てください。

星の王子☆彡

こんばんわー☆彡

おぉー(っ*´▽`)っ武将シリーズに続き星の王子様も♪

同じキューピーなのでお顔は同じはずなんですが、
武将はキリッとして王子様は温和な表情に見えますね~

いやはやお美事でございます♪((o´ω`o)

『星の王子様』は大人になってから読んでみると、
また違った読み方も出来て良い本ですよね(´ー`)

『砂漠が美しいのは、
 どこかに井戸をかくしているからだよ……』

という言葉が印象深いです。

Re: 星の王子☆彡

 こんばんわ。
 「馬子にも衣装」といいますからね。キューピーさんは元々、裸のせいか何着ても似合いますね。

 「星の王子さま」のそのシーンもいいですね。人により微妙に好きな所は違うのですな。 
プロフィール

サムライ銅像研究会

Author:サムライ銅像研究会
歴史と銅像と芸術が大好きなあまり、日本各地を東奔西走する銅像・史蹟ハンターである。神出鬼没なため、脈絡無しのブログ更新を続ける。掟はただ一つ!「死して屍拾うものなし!」昔の時代劇の決め台詞だけどね・・皆さん、見てやあ!
 最近、キューピーに侍の装束を着用させる遊びをやっております。「武者ピー」と呼んで可愛がってやぁ~!以後は「キューピー甲冑師」とも名乗ります。

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