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ぶらり墨田区散歩~向島・木母寺から~

 最近よく読んでいる平岩弓枝先生の「御宿かわせみ」シリーズの14巻『梅若塚に雨が降る』を読んでいて、以前、榎本武揚の銅像を見に行った近くに平安時代からある史蹟があるので行ってみた。

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 浅草の浅草寺仲見世通りを抜けて・・
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 隅田川にかかる白髭橋を渡り・・
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 スカイツリーに見送られつつ・・

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 榎本さん!お久しぶり!また来ましたよ、墨田区最北端地域に。
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 榎本武揚「また来たのか。銅像の。今日は梅若塚に来たと?やれやれ、やっと気づいたのか・・」
 すいません、不勉強なもので・・。

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 こちらが木母(もくぼ)寺。梅若塚の伝説とは・・・

 『吉田惟房卿の息子・梅若丸は五歳で父を亡くし、七歳で比叡山に入って修学す。たまたま山僧の争いに遭遇し、逃れて山下の大津に至り、信夫藤太(しのぶ の とうた)という人買いに言葉巧みに騙されて東国へと拉致されてしまった。
 旅の途中、梅若は病を発し、墨田河原で動けなくなり、藤太に置き去りにされてついに余命幾ばくもない状態となった。里人は梅若を哀れみ、看病したもののついに貞元元(976)年3月15日、わずか12歳にして身罷った。
 梅若は死ぬ間際の苦しい息の下、
  「尋ね来て 問わば応えよ 都鳥 墨田河原の 露と消えぬと」と一首の和歌を残したという。

 この時、天台宗の僧侶・忠円あじゃりが梅若を弔い、塚を築き、里人と共に冥福を祈ったという。

 その翌年、梅若の母が梅若を捜し求めて墨田河原に至ると、里人が塚の前に参集して一心に祈っていた。母は里人の一人に祈りのわけを尋ねると、梅若なる稚児の菩提を祈っていたという。哀れ、母は息子・梅若の一周忌にたどり着いたのである。
 母は悲しみつつも里人と共に祈り夜明かしをしていると、深夜、塚から梅若の霊が漂いだし、母とのしばしの再会をしたという。
 翌朝、母は忠円あじゃりに事情を話し、髪を下ろして尼となり、塚の脇に草堂を築いて梅若の菩提を弔い続けたという・・・・。』

 涙なくしては語れぬ話である。東京都の地図で確認すると、木母寺は現存したので行ってみた、という訳。

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 この辺りは河川改修工事などで様変わりしており、元々塚があったところは榎本銅像の近く。寺は200メートル程西側に移動。

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 室町時代に観世流の元雅によって作られた謡曲「隅田川」に歌われて広く人々の心を潤し、以降も多くの人により梅若を主題とした文芸作品が作られている。
 
 当ブログで特筆すべきは、江戸城城主の太田道灌の親友・万里集九が書いた漢詩「梅花無尽蔵」にも下記のように記されている。
  『都鳥墨田之故事 河辺有柳樹 蓋吉田之子梅若丸墓処也 其母北白川人』とある。万里集九は美濃(岐阜県)の人である。遠い西国にも梅若伝説は伝わっていたということである。

 この寺は古くは墨田院梅若寺と称したが、天正18(1590)年、関東に入ったばかりの徳川家康が梅柳山の山号を与え、さらに慶長12(1607)年、貴族の近衛信尹が梅の字を分けて「木母寺」と改称させたと伝えられる。江戸時代には武士も庶民も木母寺を見に多くの人々が訪れたという・・。

 現在も毎年3月15日に「梅若忌念仏」が行われ、東京都の旧跡に指定されている。

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 観音様を中央に、左右に梅若丸と母の木像があります。
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 梅若丸
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 観音様
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 母

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 絵馬にも梅若丸が描かれています。裏?見てないですよ。
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 芸道上達もやっているんですね。そういえば向島芸者って有名でしたね。

 この日は梅若塚を基点に南下しつつ、神社をハシゴして参りました。次回からその模様をお送りしましょう。


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No title

銅像との会話、結構ツボです。
狛犬のときもやってほしいくらい♪

Re: No title

 こんばんわ。
 今回はたまたま以前訪れた榎本銅像が近くにあったので会話形式をとりました。今後とも、ネタがあれば会話形式など取り入れていこうと思います。

No title

仲見世通りに人がいなくて驚きました…!早朝だったのでしょうか。
榎本さんの銅像が都内にあったのですね。こ、これはぜひ会いに行きたい。梅若のお寺も戦災の憂き目を見たようですが、母が子を思う気持ちは1000年経とうとも色褪せぬということでしょうか。感慨深いものがありました。

Re: No title

 こんばんわ。
 左様・・仲見世どおりはいつ行っても観光客で賑わっておりますが、この時は午前8時前でしたので、店はおろか修学旅行生もきれいにいませんでした。いついってもこれほど人がいないかは不明です。運が良かったのかも・・。
 榎本さんは晩年、この辺りに隠居所を構えて馬でよく散策していたそうです。もともと御家人の家ですから本所や向島は庭みたいなものでしょう。
 梅若塚はとても感慨深い場所でした。スカイツリーもいいですが、こんな鄙びた所もあると知ってもらいたいものです。

No title

梅若丸、心細かったし、怖かったでしょうね(´Д⊂ヽ
しかし母上様もよくぞこんな東国まで、子供を探してたどり着かれた・・・そんな母子を、今でも祀ってるなんて、ここらの方々は心優しいですよね~~。
戦争の犠牲者ってやっぱり子どもですねぇ・・・。

Re: No title

 こんばんわ。
 心優しい史蹟でした。都内にこのような所があるのは知らなかったので、私にとっても新発見でした。行ったかいがありました。
 争いは常に弱いものにしわ寄せがきますからね。なるべく争いをしたくないものですが・・。
プロフィール

サムライ銅像研究会

Author:サムライ銅像研究会
歴史と銅像と芸術が大好きなあまり、日本各地を東奔西走する銅像・史蹟ハンターである。神出鬼没なため、脈絡無しのブログ更新を続ける。掟はただ一つ!「死して屍拾うものなし!」昔の時代劇の決め台詞だけどね・・皆さん、見てやあ!
 最近、キューピーに侍の装束を着用させる遊びをやっております。「武者ピー」と呼んで可愛がってやぁ~!以後は「キューピー甲冑師」とも名乗ります。

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