スポンサーサイト

上記の広告は1ヶ月以上更新のないブログに表示されています。
新しい記事を書く事で広告が消せます。

佐々木鐙(あぶみ)~これぞ武士の理想像~

 先日、ある雑誌の歴史コラムを読んでいて素晴らしい話に感動した。ということでここで拡散させてみたい。道徳の教科書にもでてきそうな話なので、お子さんのおられる方は語り聞かせて古来の日本人の美しい心を伝えていってほしい。

 織田信長が乱世を統一の方向に向け、豊臣秀吉がその事業を受け継いだ時代、2人の英雄に仕えた戦国武将がいた。それが蒲生氏郷(がもう うじさと)である。
ic.jpg
  (蒲生氏郷の死後、描かれた肖像画、細面で鼻が秀でているのが特徴か)
 近江(滋賀県)の豪族の嫡男として生まれ、十代のはじめに信長に面会するや「気に入った!」といわれ、姫との婚姻が整い、以降は織田信長の股肱の臣として戦場では先陣を受け賜り、後方では安土城の留守居を預かる信頼を得るに至った。本能寺の変後は、父・賢秀(かたひで)と共に織田家の親族を保護して領地に引き取り、明智光秀の死後は豊臣秀吉に仕え、ついには会津92万石の大領を食むに至る。
turu02.jpg
  (蒲生家の家紋「対い鶴」紋)
 また文化人としても著名であり、千利休の弟子「利休七哲」の一人に数えられる。切支丹でもあり、「レオン」という洗礼名をももつ。
 信長や秀吉からは、能力もさることながら主君を裏切らない人柄であることにより絶大な信頼を得るに至った。会津の領地は秀吉からの信頼の証であり、奥州や関東の大名に睨みを利かせることを期待されたものである。
 だが運命は苛酷なもの・・氏郷は数え年40歳で病死してしまう。秀吉に先立つこと4年前である・・・。

 いつの頃かははっきりとしないが、同僚の大名であり「利休七哲」の一人でもある細川忠興(ほそかわ ただおき)から蒲生家が先祖代々伝えられてきた「佐々木鐙」というものを「頂けないか」と所望された。
s-e38182e381b6e381bf-001.jpg
  (これは普通の鉄製鐙であり、佐々木鐙ではございません。参考画像)
 佐々木鐙というものは「平家物語」の宇治川の先陣争いで有名な佐々木四郎高綱が用いていたという謂れがあり、蒲生家ではいつの頃からか家重代の家宝として大切にされてきた。普通に考えれば、よその家の家宝を所望するのは大変な礼儀知らずであり、場合によっては家と家との合戦沙汰になるかもしれない。
 が・・氏郷と忠興は共に織田信長の薫陶をうけ、秀吉配下の荒大名として天下に重きをなす存在、さらに二人は同じ釜の飯を食ったともいえる親友である。氏郷はよく考えた上で忠興に「さしあげます」と返事をした。
 蒲生家の重臣達は色めきたった。中の一人は「殿!佐々木鐙は家重代の家宝ですぞ!それを細川殿に差し上げるなどとは・・太閤殿下に献上するならともかく・・似たような鐙を送って誤魔化しなさいませ!」と反対意見を表明した。
 対して氏郷はある歌を謡ってみせた。
  「なき名ぞと 人には言ひて やみなまし 心の問はば 何と答へむ」
   (これは何々というものですと人に言っても、偽物だと知っている自分の心に問えば何と答えたらいいので    あろうか、という意味)
 これには家臣団も一言もなく、押し黙ってしまったという。

 その後、鐙を受け取った細川忠興は喜んだが、氏郷の歌を人づてに聞いて申し訳なく思い、返そうとしたが氏郷は「一度あなたに差し上げたものですから・・」と受け取らなかったそうである。氏郷の死後、跡次ぎの秀行(ひでゆき)に返されたそうである。蒲生家はその後後継者ができず家が絶えてしまい、佐々木鐙も行方不明だが、武士として正直に生きるべきだと語るエピソードと共に蒲生氏郷の名は人々の心にこのように残っていくのである。これぞ「武士道」とは何かを考える上で欠かせない話の一つである。

 この話は原型が儒教の「孟子」にあるといわれ、真偽定かならぬ話ではあるが、その精神は現代人にでも理解できるだろう。もっとも、選挙が近くなって所属政党を抜けて大阪のあの「政党」に参加するような輩には理解できないだろうが。

 こぼれ話・・氏郷が長生きしたとして、関ヶ原合戦ではどのようにふるまったか?というifの話を想像してみよう。氏郷は多分、徳川家康に味方したと思う。氏郷は自ら野心を燃やして駆け抜けるタイプではなく、リーダーの下で仕事をしていくタイプのように思われる。それ故に信長も秀吉も信頼したのだろう。
 また、当時の考え方に「天下は廻り持ち」という思想があった。信長が倒れれば秀吉が、秀吉死後は家康とその時代の第一人者が政権を握っていくというものである。氏郷も家康亡き後を狙っていたかもしれないが、家康の晩年はその「天下廻り持ち」思想との対決であった。豊臣家はそのスケープゴートにされたのである。

 正直に生き、歌にのせて他者に教えていく、これこそ日本の古式ゆかしい武士のあり方である。武勇ばかりが武士ではないし、仕事ばかりでもいけない。心ばえの問題なのである。これからの日本人にも学ばなければいけないと思う。


MUSE_banner_02.jpg

にほんブログ村 歴史ブログ 日本史へ
にほんブログ村
スポンサーサイト

コメントの投稿

非公開コメント

No title

初めまして。

「かくありたい」と思わせてくれる,いいお話ですね。

蒲生氏郷関係の本を読んでみようと思います。

Re: No title

 はじめまして、こんにちわ。
 そう思って頂ければ紹介したかいがあるというものです。今後とも宜しくお願いします。

No title

本当ですね、こういうのはもう少しやさしい読み物として、子供たちに話して聞かせたいエピソードです。
原型は孟子ですか・・・。
性善説がまかりとおる日本でありたいもんです。

Re: No title

 こんばんわ。
 そうなんですよ。こういう美しい話こそ伝えていってほしい。ハロウイーンとかいっている場合じゃないですよ。
 戦前まで使われていた「修身」にはこういう話を集めて簡単に、絵つきであったみたいですね。楠正成公の「桜井の駅の別れ」なんか好きです。
プロフィール

サムライ銅像研究会

Author:サムライ銅像研究会
歴史と銅像と芸術が大好きなあまり、日本各地を東奔西走する銅像・史蹟ハンターである。神出鬼没なため、脈絡無しのブログ更新を続ける。掟はただ一つ!「死して屍拾うものなし!」昔の時代劇の決め台詞だけどね・・皆さん、見てやあ!
 最近、キューピーに侍の装束を着用させる遊びをやっております。「武者ピー」と呼んで可愛がってやぁ~!以後は「キューピー甲冑師」とも名乗ります。

最新記事
最新コメント
最新トラックバック
月別アーカイブ
カテゴリ
検索フォーム
RSSリンクの表示
リンク
ブロとも申請フォーム

この人とブロともになる

QRコード
QR
上記広告は1ヶ月以上更新のないブログに表示されています。新しい記事を書くことで広告を消せます。