千駄ヶ谷の富士塚など
当ブログで何回か記してきた富士塚・・どうも西国にはないものであった。なのですこし調べてみると、江戸が発祥でほとんどの富士塚は東京都に集中しており、埼玉県と千葉県にすこしだけあるみたい。てっきり富士山が見える地域に幅広くあるものかと思っていたら、神奈川県・静岡県・三重県・山梨県とかにはないようだ。厳密な調査などしていないので、「うちのとこあるよ!」という方、教えてね、
という訳で来たのは・・
渋谷区千駄ヶ谷の鳩森八幡神社。ここは見所が多くて、一回くらいじゃ其の魅力は伝えきれないので今回は富士塚に集中します。
まず参拝せんとね。
ここの狛犬殿・・実に流麗な造りで、まさに江戸狛犬の代表みたいな感じです。新しいものですけどね。
この尾っぽの流麗な流れ見てください。思わず目を細めてしげしげと眺めてしまいます。
こちらが拝殿。その由緒は・・
「鳩森八幡神社縁起 御祭神 応神天皇・神功皇后
『江戸名所図会』によると大昔、此の地の林の中にはめでたいことが起こる前兆の瑞雲(ずいうん)がたびたび現れ、ある日青空より白雲が降りてきたので不思議に思った村人が林の中に入っていくと、突然白鳩が数多、西に向かって飛び去った。この霊瑞(れいずい)に依り 神様が宿る小さな祠(ほこら)を営み鳩森『はとのもり』と名付けた。貞観2年(860年)、慈覚大師(円仁)が関東巡錫の途中、鳩森のご神体を求める村民の強い願いにより、山城国石清水(男山ともいう)八幡宮に宇佐八幡宮を遷座し給うた故事にのっとり、神功皇后・応神天皇の御尊像を作り添えて、正八幡宮とし尊敬し奉ったと伝えられている。」
さて、富士塚に向かいましょう。
鳥居の向うにこんもりと見えるのが富士塚。去年の東日本大震災の直後はしばらく登ることできないようにロープ張ってましたが、今は問題なく登ることができます。
ここの狛犬殿が・・
なんともユーモラス。いつの頃のものか不明ですが、江戸時代のものですかねぇ?扁平な顔は古い物に多いのですが、石工職人さんの個性もあるので不明としかいいようがないですね。
説明板通りに参道が「くの字」に曲がっていますね。高さは7~8メートルくらい?
山頂のお宮です。参拝しましょう。下に道路が見えます。反対側を向くと・・・
向うに鳩森八幡の拝殿が見えます。ここの広さがお分かりいただけるのではないでしょうか?でもごく一部なんですよ。
富士塚の麓には・・
こちら「身禄行者(みろくぎょうじゃ)」と仰られる方で、いわゆる「富士講」を始められた方。そのお墓がやはり都内にありました。
こちら文京区向丘2丁目にある海蔵寺。まあ、東大の近くといったほうが分かりやすいですね。
ふむふむ、なるほどね。早速お墓に向かいました。お掃除されておられるお寺の方に挨拶して・・こういうことをさりげなくやっておくと、後で話を聞くときもスムーズに進めやすいので・・今回は聞かなかったけど。
ここも3メートルほどの富士塚でした。
次回は鳩森八幡の他の見所でも紹介しましょうかね・・。
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という訳で来たのは・・
渋谷区千駄ヶ谷の鳩森八幡神社。ここは見所が多くて、一回くらいじゃ其の魅力は伝えきれないので今回は富士塚に集中します。
まず参拝せんとね。
ここの狛犬殿・・実に流麗な造りで、まさに江戸狛犬の代表みたいな感じです。新しいものですけどね。
この尾っぽの流麗な流れ見てください。思わず目を細めてしげしげと眺めてしまいます。
こちらが拝殿。その由緒は・・
「鳩森八幡神社縁起 御祭神 応神天皇・神功皇后
『江戸名所図会』によると大昔、此の地の林の中にはめでたいことが起こる前兆の瑞雲(ずいうん)がたびたび現れ、ある日青空より白雲が降りてきたので不思議に思った村人が林の中に入っていくと、突然白鳩が数多、西に向かって飛び去った。この霊瑞(れいずい)に依り 神様が宿る小さな祠(ほこら)を営み鳩森『はとのもり』と名付けた。貞観2年(860年)、慈覚大師(円仁)が関東巡錫の途中、鳩森のご神体を求める村民の強い願いにより、山城国石清水(男山ともいう)八幡宮に宇佐八幡宮を遷座し給うた故事にのっとり、神功皇后・応神天皇の御尊像を作り添えて、正八幡宮とし尊敬し奉ったと伝えられている。」
さて、富士塚に向かいましょう。
鳥居の向うにこんもりと見えるのが富士塚。去年の東日本大震災の直後はしばらく登ることできないようにロープ張ってましたが、今は問題なく登ることができます。
ここの狛犬殿が・・
なんともユーモラス。いつの頃のものか不明ですが、江戸時代のものですかねぇ?扁平な顔は古い物に多いのですが、石工職人さんの個性もあるので不明としかいいようがないですね。
説明板通りに参道が「くの字」に曲がっていますね。高さは7~8メートルくらい?
山頂のお宮です。参拝しましょう。下に道路が見えます。反対側を向くと・・・
向うに鳩森八幡の拝殿が見えます。ここの広さがお分かりいただけるのではないでしょうか?でもごく一部なんですよ。
富士塚の麓には・・
こちら「身禄行者(みろくぎょうじゃ)」と仰られる方で、いわゆる「富士講」を始められた方。そのお墓がやはり都内にありました。
こちら文京区向丘2丁目にある海蔵寺。まあ、東大の近くといったほうが分かりやすいですね。
ふむふむ、なるほどね。早速お墓に向かいました。お掃除されておられるお寺の方に挨拶して・・こういうことをさりげなくやっておくと、後で話を聞くときもスムーズに進めやすいので・・今回は聞かなかったけど。
ここも3メートルほどの富士塚でした。
次回は鳩森八幡の他の見所でも紹介しましょうかね・・。
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