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早雲寺~箱根湯本の古刹~

 前回の白山神社の向いすぐに・・・
早雲寺
 こちら!金湯山・早雲寺がございます。こちらのお寺は臨済宗、小田原城主の伊勢宗瑞(一般には北條早雲)が亡くなった後、跡継ぎの北條氏綱が京・大徳寺83世の以天宗清を招いて大永元(1521)年に父の菩提を弔う為に開いたお寺です。
 初代・住職の以天宗清さん、室町幕府に仕える蜷川氏の出身です。蜷川氏というと・・とんちの一休さんに出てくる蜷川新衛門さんと同じ一族。新衛門さんは実在の人物ですよ。まあ、アニメ「一休さん」のようなすっとこどっこいのお侍さんではないでしょうが・・。
 ここで一休さんと新衛門さんの狂歌でも紹介しましょう。
  一休宗純  「門松は 冥土の旅の 一里塚 馬駕籠もなく 泊り屋(宿屋)もなし」
  蜷川新衛門 「年越しは 冥土の旅の 問屋場(といやば)か 月日の飛脚 あしをとどめず」
 なかなか辛らつな歌ですね。

 閑話休題・・・

三つ鱗
 ここは北條氏ゆかりのお寺なので寺紋として「三つ鱗」が使われています。お宝として、北條家歴代の当主の肖像画などもありますが、訪れたのは朝早かったので見ることあたいませんでした。またそのうち・・

 北條家が関東一の大名であった頃は大層繁盛したそうですが、お猿「豊臣秀吉」の北條征伐で本陣を置かれてしまい、北條家滅亡後は荒廃、火災にもあったそうですが、寛永4(1627)年に再建され、さらに慶安元(1648)年に三代将軍・徳川家光公より朱印状を頂き、復興を果たし、現代に至るそうです。

 そういえばお猿・秀吉が本陣を置いた折、ある悲劇がありました。秀吉の茶頭・千利休の高弟である山上宗二(やまのうえ そうじ)は師匠譲りの渋好みで、秀吉の金ぴかの茶室など派手数奇を大層嫌悪しており、出奔して小田原で北條の家臣団に茶道を指導していたそう。
 そこに秀吉の大軍が来襲し、小田原は包囲されてしまいました。宗二は秀吉と共に来ているであろう利休に会いたくて利休の所に来てしまいました。
 利休「宗二!小田原に来ていたと聞いていたが、このままでは太閤殿下に逆らった罪で首討たれるぞ。わしが殿下との対面を周旋するから、お許しを請うのだ」
 宗二「師匠、わたしは首討たれる前に一目でも師匠にお会いしたくて参りました。その私が・・許されるのでしょうか?」
 かくして早雲寺で秀吉と宗二と対面が果たされますが、その際、どのようの会話がなされていたのか・・秀吉は激怒し、宗二を生きながら耳や鼻を削ぎ、しまいに首を切りました。利休は弟子の亡骸をどのような思いで見たのでしょうか?翌年の天正19(1591)年、利休も秀吉と対立し、切腹します。
 ただ山上宗二は「山上宗二記」という書物を残しております。そこで利休や秀吉が愛用した茶器や茶道具の数々を評価しています。その本は現代でも読むことができます。読まれるのも一興かと。

惣門
 まず惣門を潜りましょう。この扁額は江戸時代に日本に来ていた朝鮮通信使が書いたもののようです。長崎から長い旅をしてここで一休みして江戸城に赴いたのでしょう。

境内へ・・
 惣門からちょっと歩いて・・
鐘1
 境内の鐘突き堂です。この鐘は秀吉の石垣山城で使われていたものとか・・もうちょっと寄って撮ればよかった。
鐘2
 もやってるのは、境内の一角で枯葉を燃やしていたからです。おかげで風情のある景色となりました。

早雲寺本堂
本堂の説明
 古い本堂ですが、江戸時代のもの・・北條時代のものだったら、秀吉も歩いたのでしょうが。

 このお寺には日本史上の有名人の墓も多々あります。
飯尾宗ぎの墓
宗ぎの墓・説明
 室町時代の連歌師・飯尾宗祇(いいお そうぎ)のお墓です。この方は一休さんと交友もあったそうです。連歌は正直、難しいので読んでてもよくわからんのですよ・・。

 さていよいよ・・
北條5代の墓
北條の墓・説明
 北條5代の当主のお墓です。右から・・初代・宗瑞(早雲)、二代・氏綱、三代・氏康、四代・氏政、五代・氏直のお墓です。南無南無・・・。
 北條氏は時代を読み違えていったん滅びましたが(江戸時代に大名家として復活)、その政治はけっして過酷なものではなかったようで、国替えで関東に移ってきた徳川家も最初は苦労したようです。
 箱根湯本に来たらここにこないとね。え?普通は湯治だって?それがしはそれでは楽しめないので。

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非公開コメント

いつもありがとうございます!

私も勉強させていただきますね(^^)/
よろしくお願いします!

Re: いつもありがとうございます!

 こんにちわ。
 こちらこそどうも。宜しくお願いします。

早雲寺

早雲寺って、金湯山が山号なのね。

湯本にあるからかしら。

ずいぶん前に一度行きましたが、北条一族の墓や宗祇の墓があるのですね。まったく覚えてません(泣)

茶道を少したしなんでいるので、山上宗二と秀吉のことは、知ってましたが、理由はよく分からないですねえ。

多くの武人が茶をたしなんでいて、それを政治的にも利用していた時代があった。これもよく分からないです。

秀吉が亡くなる直前の醍醐の花見と茶会など、なにかというと茶道がでてくるんですけどね。

Re: 早雲寺

 こんばんわ。
 当時の人々が茶道に何を求めたか・・・現代ではわかりづらい部分もありますが、殺伐とした時代をくぐり抜け、ろくな娯楽もない時代で何で肩の力をぬけばいいのか武士達はわからなかったかもしれませんね。それで茶道へ・・財政力をもった商人衆ともつながりができますし、利点はあったのでしょう。
 ただ「茶道具一つが城一つ」というバブル的な高騰をしたのは商人等にしてやられましたようで・・同じ金額で戦争やるよりかましかもしれません。

 でも・・徳川家康公以下、三河武士らには今一理解できなかったようで・・あの時代の茶道の盛り上がりは織田・豊臣時代のバブルなんでしょうね。
プロフィール

サムライ銅像研究会

Author:サムライ銅像研究会
歴史と銅像と芸術が大好きなあまり、日本各地を東奔西走する銅像・史蹟ハンターである。神出鬼没なため、脈絡無しのブログ更新を続ける。掟はただ一つ!「死して屍拾うものなし!」昔の時代劇の決め台詞だけどね・・皆さん、見てやあ!
 最近、キューピーに侍の装束を着用させる遊びをやっております。「武者ピー」と呼んで可愛がってやぁ~!以後は「キューピー甲冑師」とも名乗ります。

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