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江戸城・梅林坂~太田道灌と万里集九の友情

東京の暁
 なかなか暖かくなりませんね。こちらはそれがしの近所から偶然見つけたスカイツリー眺望スポット。新宿区から直線距離で12~13キロのはずだが、建物に遮られて見えない所もある中、ここはたまたま空いていました。高層マンションでも建った日には見えなくなりますがね。そういえば開業は5月でしたね、楽しみですが当分は観光客で溢れて見ることは難しいでしょう。1年くらい待ちましょうか。

 さて、今回は江戸城の梅林坂に梅を見に出かけました。ここは単に梅の名所というだけでなく、太田道灌公にとって深い所縁のあるところでもあるんですよ 大手門から入城し、二の丸庭園を右に、白鳥濠を左手に見ながら北に歩いていくと・・
春先の梅林坂1
 うわあ!キレイ!やはり春先は梅ですね。アングルを変えると・・
春先の梅林坂2
 やっぱりキレイですね。太田道灌公が江戸城を築いた当時、菅原道真卿を祭り、梅を数百本植えていたそうです。今ではそこまで梅は植えられていませんが、それでも梅の名所ですね。ここに祀られていた天神様は・・
平河天満宮
 千代田区平河町にある平河天神として今もなお多くの方の崇敬を受けております。徳川家康公が江戸入府後、江戸城拡張工事のために現在地に移したそうです。

 さて、白梅・紅梅を堪能していただきましょう。
白梅1
紅梅1
白梅2
紅梅2
 余計な言葉はいらないと思います。

 上に書いたとおり、ここは道灌公ゆかりの場所でもあります。そしてそこには万里集九(ばんり・しゅうく)という1人の禅僧が関わってくるのです。ところが万里について調べようとしたところで壁にぶつかりました。本屋にいっても武士のことを書いた歴史の専門書は沢山あるのに、僧侶について書かれた本なんてなかったんですね。それが室町時代の禅僧なんて・・と半ば諦めながら、都立中央図書館で「万里集九」をキーワード検索してみると・・・
DSCF3795_1.jpg
 ありました!快哉を叫びましたよ・・心の中で。さすが吉川弘文館の人物叢書、さらには著者の中川徳之助先生に大感謝!頭がさがります。あなたがこんな本を書いてくれていたからこそ、難しい漢詩ばかり書いている禅僧の生涯を把握できました。
 本題にもどりましょう。ざっと経歴など・・
  万里集九・・・正長元(1428)年9月9日、近江(滋賀県)国浅井郡速水郷に土豪の子として生まれる。少年の時から京都・五山に数えられる東福寺で修行を始め、後に建仁寺に移る。禅僧の基礎教育として支那典籍を学び、さらに「三体詩」などの学習による作詩法の習得を積む。
 応仁の乱(1467)勃発により京都を逃れ、美濃(岐阜県)国で竜門寺で住職になるも、どのような経緯か妻帯したことにより還俗。かつての師友からは仲間はずれにされるも、数少ない友人の紹介により、関東の名将・太田道灌公とのつてができ、道灌公の依頼により「静勝軒記」を記す。その後、道灌公の招きにより江戸に赴く(これを「東遊」という)。江戸についてから、道灌公と武将と僧侶という枠を超えた交友がはじまり、江戸城や越生、隅田川で漢詩や短歌、連歌を作る遊びを重ねる。その交友は長く続くと思われたが・・道灌公が主君の扇谷定正公により殺害されたことにより断絶!万里は悲嘆にくれる。
 その後、2年あまりも江戸に滞在し、道灌公の3周忌を終えてから自宅のある美濃・鵜沼へと戻る旅にでて、翌年帰還。東遊期間中に作った漢詩などをまとめた詩集「梅花無尽蔵」を書き上げる。それからは旅にでることもなく、80過ぎまで生きたという。没年不詳。

 とまあこのような生涯です。万里の名前は道灌公を調べた時点でわかっていましたが、ここまで詳しくは知りませんでした。さらに万里の書いた漢詩も注釈付で先の本にのっていました。はっきりいって難しい詩ばかりなので、注釈を読んでもわからない事だらけでしたが、道灌公が亡くなった後に書いた一本の詩に万里の底の知れない悲しみを感じ取りました。全ては長いので象徴的な一文だけ記しましょう。
  「黙してこの花に対して、個人を憶う」
 道灌公は万里を江戸城に招いた後で、万里の妻子をも護衛付で招待したり、万里の為に建てた邸宅の庭に自ら桜の苗木を植えたりと、当時の武将としては心の行き届いたもてなしをしていたそうです。それらのエピソードも万里の本で初めて知りました。そのエピソードを踏まえて、漢詩の一文を読んだ時、泪がとまりませんでした。
 また、武士というものは仕える主人はいても、近代的な友情の概念はありません。なぜならば、主人の命令が下れば親兄弟や友達であろうとも討ち果たさなければならないからです。現代人からは信じられないほど厳しい話ですが、それが「武者の道」、「武士道」というやつですね。
 でもその武者として最も輝かしい勝利を重ね続けてきた道灌公が遠来の友の到来に手放しで喜び、友の為に色々と手を尽くしている様はほほ笑ましい限りです。おかげで道灌公の人間的側面も知る事ができました。

 万里の邸宅があったのもこの坂の辺り・・これからは梅の季節を迎えるたびに2人の友情を思い出すことになるでしょう。

 最後に石垣と梅をいっしょに。
石垣と梅林
 ♪上を向いて~、あ~るこう~、泪がこぼれないように~・・お粗末様。

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No title

今年は梅をほとんど見ることが無かったので、こちらで梅見をさせていただきました。素晴らしいですね~☆
きっと万里さんの中では、道灌公とのいろいろな思い出の場面に梅の花が咲いていたんでしょうね~(*´∀`)
人の記憶の中に花と共にある・・ってカッコいいですね。

No title

今年は梅をほとんど見ることが無かったので、こちらで梅を堪能させていただきました。綺麗ですね~☆
きっと万里さんの中では、道灌公とのいろいろな思い出の場面に梅の花が咲いていたんでしょうね~(*´∀`)
人の記憶の中に花と共にある・・ってカッコいいですね。

Re: No title

 こんにちわ。
 二人にとっては梅は特別な花だったのかもしれません。梅林坂の梅にそのようなエピソードがあったということを一人でも多くの人に知って欲しいものですね。

梅~♪

こんにちわっ♪

梅が咲き誇ってますね(人*´∀`*)
梅の花は桜と比べると小さいですが、
白やピンクや紅色と賑やかで良いです♪

そしてここには素敵なエピソードがあるんですね(´ー`)
そのお話を思って見ると、また感慨深いですね。

Re: 梅~♪

 こんにちわ。
 歴史的名所にエピソードあり!そんなことを記した看板でも立てればいいのに。千代田区教育委員会の皆さん、いかがっすか!

No title

改めて、道灌公の器の大きさ。
人間の大きさを教えて頂きました。
梅林坂でのエピソードには泣けてきます。
万里にとって、生涯唯一の武士と思えるのが。
道灌公だったのでは?
と勝手な想像をしてしました。

Re: No title

 こんばんわ。
 そうなんですよ、道灌公は奥深いのですよ。万里集九は美濃の斉藤妙椿(みょうちん)という武将とも交流がありましたが、道灌公とのような付き合いがあったかどうかは不明です。
プロフィール

サムライ銅像研究会

Author:サムライ銅像研究会
歴史と銅像と芸術が大好きなあまり、日本各地を東奔西走する銅像・史蹟ハンターである。神出鬼没なため、脈絡無しのブログ更新を続ける。掟はただ一つ!「死して屍拾うものなし!」昔の時代劇の決め台詞だけどね・・皆さん、見てやあ!
 最近、キューピーに侍の装束を着用させる遊びをやっております。「武者ピー」と呼んで可愛がってやぁ~!以後は「キューピー甲冑師」とも名乗ります。

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