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古河公方・足利成氏

          足利成氏(あしかが しげうじ)・・・・
 関東の名将・大田道灌を追いかけていると、この男が浮き彫りとなってくる。まるで道灌公の陰からにじみ出てくるように・・。
 実際、室町の末期、戦国のあけぼのとでもいう時代の栄光を一身におった道灌公ですら、今となっては事績が明らかでないのに、それ以外の人物に脚光を浴びるわけが無い。ならば・・それがしが脚光を当てて見よう。

 足利成氏(永享(1434)生 明応6(1497)死去
  第4代・鎌倉公方である足利持氏の4男として生まれる(恐らく鎌倉)。幼名は万寿王丸。永享10(1438)年に発生した「永享の乱」で信濃に逃亡。持氏は嫡子・義久と共に切腹。
 永享12(1440)年、万寿王丸の兄である春王丸・安王丸が結城家に担がれて挙兵。「結城合戦」、翌年落城し、兄二人は京都への護送途中、大垣・金蓮寺で斬首。
 以後、文安4(1447)年まで過ごし、鎌倉帰還を果たす。同年、将軍・義政の任命により、鎌倉公方に就任。
 宝徳元(1449)年、将軍・義政(この時は義成)から一字を拝領し、「成氏」と名乗り、正式に鎌倉公方に就任。
 宝徳2(1450)年、「江の島合戦」勃発。公方・成氏と上杉・長尾・太田が敵対。将軍・義政の仲介により和睦。
 享徳3(1454)年、公方・成氏、関東管領・山内上杉憲忠を招きよせて殺害。同時に上杉館を襲撃。ここに30年に渡って繰り広げられる「享徳大乱」勃発。関東のみならず、駿河や越後にまで影響をあたえ、さらに中央政界との動きとも連動した戦争であった。その中に太田道灌が大活躍した「長尾景春の乱」も包摂される。

 このように書くと、成氏公は大戦争をはじめた人物のように思うかもしれない。確かにその一面はある。だが同時に父や兄らを戦に奪われたこともあり、その動きを詳細に追っていけば乱を起こしたのもやむを得ざる仕儀といえなくもない。

 ちなみに道灌公は永享4(1432)年生まれであり、成氏公とわずか2歳差である。二人は同世代といえる。まさにカードの表と裏とでもいえようか・・。

 というわけで今回は古河の成氏公に関するところを画像で紹介しよう。
渡良瀬川河原
 雀神社の裏手から見える渡良瀬川の河原・・・ここまで広いと「河原」の定義を問い直したくなるな。

 川沿いに土手を歩いていくと・・
三国橋
 茨城県と埼玉県を繋ぐ「三国橋」。空が広いなあ・・・。

 さらに土手をひたすら歩くと・・・
古河城本丸跡1
古河城本丸跡2
 古河城本丸跡です・・・今まで見てきた中でもっとも空しい城址ですな。ああ・・空が青い・・。

 気を取り直して、古河歴史博物館に行ってみた。
古河歴史博物館
 ここもかつては古河城の曲輪の一角でした。中には古河の歴史がわかりやすく展示されており、その中に・・
古河城ジオラマ1
 古河城のジオラマがあります。時間が許せば、いつまでも見ていたいですね。男の子はこういうのがすきなのよ。久々に兜のプラモデル組み立てたくなりました。

古河城ジオラマ2
 こちらが、先ほど何もなかった本丸跡の周辺ですね。これは江戸時代のお城ですが。古河は古くから利根川・渡良瀬川をさかのぼって、さらに奥州へとつなぐ物流基地でもありました。成氏公が拠点を置いたのは、このあたりが公方家の所領があったことと、公方家を支える奉公衆の領地もこの辺に集中していたという背景があります。「物の流れに利権あり」というところでしょうか?
 
 ずっと南下して古河総合公園に到着。その中に・・
古河公方館跡
 「古河公方館跡」・・つわもの共が夢の跡・・という感じ。

 今回はここまで。これからは道灌公と成氏公もそれがしの短編小説に絡めていきます。二人主人公のような感じになっていきますね。

 古河は関東の古都としてもなかなか面白い街でした。そちらもまとめてお送りします。

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No title

いやーどうもどうも。ご無沙汰しちゃって・・・。
それにしても、晴れ晴れとしたよい青空ですね~。
まぶしいっ。そしてうらやましいっ。

ジオラマ・・自分でも作ってみたいと思います。
小さい世界を作るのって夢がありますよね~。
でもきっと根気の足りない自分のことだから、すぐ飽きちゃうんだろうなぁ~とも(笑)

Re: No title

 こんばんわ。
 ジオラマのような緻密なものは自分の性格から無理だと思います。そのかわり、そのうち盆栽とか始めそうです。ますます爺むさくなりそうです。
プロフィール

サムライ銅像研究会

Author:サムライ銅像研究会
歴史と銅像と芸術が大好きなあまり、日本各地を東奔西走する銅像・史蹟ハンターである。神出鬼没なため、脈絡無しのブログ更新を続ける。掟はただ一つ!「死して屍拾うものなし!」昔の時代劇の決め台詞だけどね・・皆さん、見てやあ!
 最近、キューピーに侍の装束を着用させる遊びをやっております。「武者ピー」と呼んで可愛がってやぁ~!以後は「キューピー甲冑師」とも名乗ります。

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