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太田道灌の短編小説「山吹の花」

 今回は以前書いた太田道灌公の小説の再録である。というのも北海道在住のアーティストmichiko殿に描いていただいていたイラストが完成したので、他の画像と共にあわせてお送りしよう。

 ちなみにmichiko殿のブログタイトルとアドレスを載せておこう。
  ブログタイトル:ゆかりしかりど~育児と絵と節約と国語~
  ブログアドレス:http://michikomichi.blog104.fc2.com/


 「山吹の花~道灌公の初恋~」
                                   著:サムライ銅像研究会
 これは後の世に江戸城を築かれた名将・太田道灌公の若き日のお話でございます。その頃は源六郎(げんろくろう)資長(すけなが)と名乗っておりまして、元服してまだ間もない頃でございました。これよりは資長様とお話の中で呼ばせていただきます。
 
 資長様は幼き頃より容姿端麗、才能も衆に優れたお子におわしまして、幼くして鎌倉・建長寺に学ぶこと三年・・その間はご実家に帰られることは一度も無く他の学僧らに混じって修行と勉学にことのほか励まれたとのこと。ある日資長様はお父上の資清様(後に剃髪されて道真(どうしん)様と名乗られます)に文を出されました。内容は今となっては残っておりませんが、一読された資清様は頷かれた後、使いをやって資長様を迎えられたとのこと。修行はもうよいから「武者の道」の修行のため、ご主君・扇谷上杉様の下に出仕させようとのお考えだったのでございます。

 初出仕を終え、源六郎資長となりましたお姿は誠に麗しく、また言語明朗かつ理路整然と話されるさまは実に末頼もしく、扇谷上杉様の主家にあたられる山内上杉様より是非我が家の家宰(かさい:主人にかわってその家の外向き・奥向きの仕事を担当する役職)に迎えたいとの有り難き仰せを受けたほどでしたが、資清様は
   「まだ若く、礼儀にも疎く、無作法でもあれば主人・扇谷上杉持朝に迷惑をかけることになりますので有り難き仰せなれど平にご容赦・・」と申し出を断ったほどの逸物ぶりであったとのこと。

 またその頃の資長様は武芸鍛錬にも人一倍精魂傾けておられまして、ことに愛馬に乗って野駆けや狩りには特にご執心であらせられたご様子で、太田家の領内や主家よりお預かりした相模・武蔵・上野の原野を思う様に駆け回られていたとのこと。そのことが後に「智謀鬼神の如し」とまでいわれた軍略の基礎となる地勢の学習でもあったのでございますが、それはまた別のお話・・。

 ある時、狩猟を終えられ、ご帰宅の途中急な雨が降ってまいりました。あやい笠を被っておられましたので頭は濡れないものの、そのままでは主人より拝領したお召し物を濡らしてしまいます。それではあまりに申し訳ないということで、前方に見えてきた農家の庭先に駆け込みました。お供のお侍衆は遅れておりましたので資長様は御自ら粗末なたてつけの扉を叩きました。
DSCF0085_1.jpg
 (鎌倉の某寺)

 「これ、ご免候え(そうらえ)!誰かおらぬか!誠にあいすまないことではあるが、雨具を貸してくれぬか!」とやさしげな声で訪ねられました。これが他の坂東武者であれば、いきなり扉をあけてずかずかと踏み込んできて所望の品を奪っていく荒々しさでありますが、そこは若き頃より領民思いの資長様であらせられます。優しい声音でお百姓衆を恐がれせまいと心得られているのでございます。
 その声に扉をガタガタと開けて出てきたのは一人の娘、顔は泥に塗れて粗末な麻の着物を着ているものの、その容貌は資長様をはっとさせました。娘は身分のありそうなお武家様と知って、その場に平伏してしまいます。これには資長様も動転してしまいました。
 「こ・・これ、娘御、恐がることはないぞ。わしは雨具が欲しいだけのこと。鳥目(ちょうもく:金銭)がほしいならば届けさせるによってな。その・・なんだ・・これでは話が出来ぬ。顔をみせてくれぬか?」資長様の優しい語り掛けに心ほだされたのか娘はおずおずと顔をあげました。でもその目の奥にはまだ警戒の光が見えています。
 「わしはおお・・いや、田太源六(太田を名乗ると素性がすぐにばれるからそれを避けた)という。見ての通り狩りの帰りじゃ。雨に濡れるのは構わないのだがこのままではご拝領の着物を濡らしてしまうのでな・・蓑笠でも貸してはくれぬか?」といいつつも見ず知らずの娘に言い訳がましく言葉を重ねる資長様は内心あきれ果てておりました。
 (この俺が娘一人にどうしたことだ。いつもは上杉の重臣であろうと理にそぐわぬことであればたちまち喝破しておるものを。ただの頼みごとにうろたえるとは師匠の瞬徳和尚(道灌公の師匠、後に芝・青松寺を開く)に笑われてしまうわ・・)
 資長様の内心の戸惑いを別に娘はうりざね形の顔のくりっとした瞳に理解の光を点して、家の奥に引っ込みます。
 (やれやれ、やっと分かってくれたか。これで濡らさずに帰られるようだ・・。)と安心した資長様でしたが・・。
 しばらくして出てきた娘の手には白い扇が握られており、その上には黄色い可憐な花を咲かせる山吹の花を咲かせる枝が載っていました。
道灌イラスト_1
 (michiko殿のイラストです)

 これには幼き頃より和漢の学問を学んできた資長様も唖然としてしまいました。雨具を求めて花を差し出すとはどんな意味があるのか?身に着けた色々な学問からその意味を探り出そうとしましたが、皆目見当がつきません。しばらく突っ立ったままの資長様でしたが、突然振り返って立ち去ってしまい、愛馬に飛び乗るや激しく鞭をいれて荒々しく走り去ってしまいました。出された問題がわからないという初めての屈辱に暴れだしたくなった資長様でしたが、それはかろうじておさえました。でも居たたまれなくなり、駆け去らずにはおられなかったのです。屈辱に打ち震えるあまり、目じりから熱いしたたりがほとばしるのにも気づかない有様でした。
 しばらくして落ち着いた資長様は顔を自ら張り飛ばすと、家臣らの呼ばわる声の方向に向かって駆け出し、一緒に帰途につきました。

 帰館してもいつも通り明るく振舞う資長様でしたが、幼い頃より身近に接している老臣には誤魔化しきれませんでした。
 「若、本日はいつもと何か違う趣きであらせられますが、いかがされました。何かこの爺にでも話されてみれば案外つまらぬことであったかと思し召されるかもしれませんぞ?」とのさりげない申し出に資長様は周囲に二人しかいないことを確認して今日あったことを話しました。
 「なるほど・・若はあまり大和歌(やまとうた:和歌のこと)はお学びになっておられませんな。」と問う爺や。
 「そうだな・・和漢の歴史や兵略、治世の在り様などは誰にも負けぬと自負しているが、親父殿得意の歌はな・・苦手じゃ。」と素直に認める資長様。
 「若、古歌にこのようなものがございます。
    「七重八重 花は咲けども 山吹の 実のひとつだに 無きぞ悲しき」」と朗々とした声で歌いました。
 「うむ・・初めて聞くが・・ひょっとして「実の」と「蓑」にかけて「蓑すらもない詫び暮らし(貧乏暮らし)を恥じている」という意味か?」
 「さすが若じゃ。一聞くだけで十を知るとは・・古の聖徳太子の如しじゃ。」と褒める爺や。
 「世辞はよせ。そんなもの腹の足しになるではなし。」一応苦味ばしる資長様ですが、内心は「どうだ!」とばかりの気持ちです。
 「世辞ではございませんぞ。最近の若は狩りばかりでお部屋に居られる時がほとんどございませぬ。今もこんな子供でもわかる歌でどこやらの娘に愚弄されて逃げ帰ってくるとは・・これからはお歌の勉強もしていただかねばなりませぬぞ!今日はよい折じゃ、とくと説教させていただきますぞ!」資長様、とんだ藪蛇だったようです。

 それからしばらく、大和歌の学習にも時間を割かねばなりませんでしたが、もともと筋のいい資長様のこと、あっという間にコツを飲み込み、糟谷の上杉館に滞在している都の公家様に教えを乞う事になりました。とはいえ足弱の公家様のこと、資長様の屋敷まで来られるのに数日かかります。それまでまた野駆けに狩りにと外出される時間が増えてまいりました。そこで気になるのはあの娘のこと・・どうも胸の辺りがもやもやしてしようがないのです。
 (あの折の非礼を詫びねば気が済まぬな・・。)と一人合点をして、単騎駆け出した資長様、この間の所まで来ました。すると折りよく傍らの大根畑でうんうん踏ん張って大根を引き抜こうとしているいつぞやの娘に気がつきました。
 「おお、娘御よ。この間は済まなかったの、どれ手伝ってやろう。」と資長様は足元の大根に手をかけたところ・・。
 「まだ抜くでねぇ!それはまだ若いだでまだ土の中さ埋めとけ!」と娘にどやされてしまいました。はっと気がついた娘はすぐに土下座をしました。
 「すまねえこってす。太田の若殿と知らずにこの間も今日も・・どうかおらの命で勘弁してくれろ・・。」と蚊のなくような声で謝る始末。
 「いやいや悪いのはわしであった。どうか頭をあげてくれ。今日はわしが詫びに来たのだから・・」と資長様がいうと娘は頭をあげて訝しげな視線を送りました。
 「詫び?なんで?」
 「いや・・まあ・・とにかく立ち上がってくれ。喉がかわいたでな、茶・・いや水でも振舞ってくれぬか。水筒を忘れて難儀しておったのだ。」
 「あんれまあ、この若殿様はよく忘れ物なさること・・」と立ち上がった娘は腰にぶら下げた竹筒を資長様に渡します。受け取った資長様は栓をあけると、一口二口と旨そうに飲みました。
 「いやあ、助かった。甘露の如き味であったぞ。」
 「それはお武家様が喉が渇いていらしたから。」とこの娘、普通なら気後れして口も利けなくなるはずですが、よくもまあペラペラと喋ります。資長様が聞くと娘の名は紅扇といい、昔は武家であったものの曽祖父の代に戦に負けて土地をなくして百姓暮らしをしているものの、父親は今でも先祖伝来の甲冑・刀を大事にしてやせ馬を飼っているためただでさえ苦しいのに余計苦しいとのこと。家では先祖伝来の歌の本で幼い時から学ばされていたとのこと。
 なんとなく気のあった二人は和歌のことや日頃思っていることをぼつりぼつりと話しはじめ、いつしか幼馴染であったかのように口をきいていました。

 「あんれまあ、すっかり話し込んじまって若殿さまをすっかり引き止めてしまっただこれではお館のお侍に怒られるよう。」と眉をひそめる様子も可愛いと感じてしまう資長様であります。
 「いや、今日はわし一人で来たのだ。館のものは誰も知らぬ。わしのほうこそ忙しいところをすっかり邪魔をしてしまったな。武者奉公もこれで気詰まりなところがあってな・・これからもたまに話に来てよいか?」何か頼み込むかのように資長様も娘の顔を見つめられました。これには娘も参ったようで首の辺りを赤く染めてうつむいてしまいました。
 「それは・・若殿様が来たい時に来られたらうちらには否やはねえだ・・ううん!いやだって云うんじゃねえぞ!若殿様みたいな優しげなお武家さまはうら初めてみるものだから・・。」と娘は急に振り向いて走り去ってしまいました。資長様は思わず追いかけようと思いましたが、ふっと笑って繋げている愛馬のところに戻りました。
 (また会いにくればいい・・)と軽く考えておられましたが、資長様はこの時生涯初めての恋に落ちておられたのです。

 それからは糟谷の館に出仕される合間やご学問の間など折をみて娘の所に通われて色々と物語されておりました。二人はそれをごく何気なく行っておりましたが、周囲はそうはいきません。いつしか資長様が懸想されておられる娘がおられるといううわさが立つようになっておりました。

DSCF0117_1.jpg
 (鎌倉の某寺)
 ある時、お父上の資清さまとお話しされておられる時です。さりげなく側近らを遠ざけられ、親子水入らずとなりました。資清様が資長様の盃にお酒をお注ぎになりました。
 「源六よ、近頃は糟谷館に滞在中の九条様(京の公家)に歌を熱心に習っておるとか・・感心なことじゃが急にどうした?」
 「は、ご主君に仕えるには風流の道にも通じておらねば、とんだ粗相をすると爺に説教されまして。」畏まる資長様です。
 「ははは!鼻っ柱の強いお前にしてはめずらしいな。我ら太田の家は扇谷上杉家のみならず関東全体のことにたずさわるのだからな。当然、京の朝廷や将軍家ともやり取りをせねばならぬ。その時に慌てふためいても手遅れじゃからな。しっかりと励め。」といって盃を乾す資清様であります。空の盃に酒を注ぐ資長様・・お忙しいお二人にはめずらしく穏やかな時が流れております。
 「時に源六よ。なにやら領内に熱心に通うところがあるそうじゃが、おぬしはあくまでも太田家の嫡男。わしのいわんとしておることはわかるな?」と遠まわしにおっしゃる資清様です。
 (やはり来たか・・)資長様もこのような会話を想定しておりました。自らの立場も・・。
 「父上、いかな雑説(うわさ)をお聞きになられたかわかりませぬが、この資長はあくまでもご主君上杉家に一身を捧げる覚悟をいたしております。それがしが道を誤る心配はありませぬ。また、来年には長尾家(山内上杉家の家宰を務める家)より嫁御料を迎える身・・重ねての心配はご無用でござります。」といって資長様は頭をさげられました。こうまで言われてしまうと資清様も何もいえません。
 「やれやれ、お前にはいつも上手く逃げられてしまうような気がしてならんが、そこまでいうのならば何も言うまい。ま、お前も一人の男子(おのこ)・・周りに迷惑をかけねば少しは羽を伸ばすべきなのだ。お前は学問や武芸鍛錬に執着しすぎるのが玉に瑕だからの。」
 「は!」あくまで堅苦しい資長様です。

 そんな会話から数日後・・資長様は再び単身馬上の人となり、娘のいる村のあたりまで来ていました。懐には娘に与えるための美しい反物が入れられています。
あぜ道の向うから紅扇が資長様に気づいて手を振って出迎えます。資長様は近づいてきた娘を馬上に引き上げて、二人がいつも逢瀬を楽しむ村はずれのお堂に向かいます。
IMG_3694.jpg
 (伊勢原市の高部屋神社)
 「若殿さま、今日はなんだか雰囲気が違うね。」と鞍の前壷に載せられた紅扇が振り向きながらいいます。紅扇の吐く息が資長様の首元にあたり、えもいわれぬ背筋がそそけだつ感じを覚える資長様です。
 「そうか?宮仕えは面倒なことが多いからな。」はぐらかす資長様。
 「ふーん・・」紅扇は納得しないようです。いつしか馬はお堂につきます。馬から降りた二人はお堂の中に入り、いつものように水や餅など簡単に食べられるものを用意していつものように話しますが、談論風発というわけにはいきません。
 「若殿様、いいたいことがあるならいってくれろ。何か奥歯にものがはさまったようで楽しくねえ。」直截な紅扇です。
 「ああ・・実はなここに来られるのも今宵で最後になりそうなのだ。わしも来年は嫁を迎えねばならぬ。お前との話しは楽しいが、やはり男女ではあらぬ噂がたてられておるようだ。このままではおまえ自身やお前の両親にも迷惑をかけてしまう。これをこれまでの礼として受け取ってほしい。」と美しい紅色の反物を娘の手におしつけました。
 「都で流行の反物でな。お前の名にかけて紅色のものを持ってきたのだが・・うん?気に入らぬか?」娘はみるみる泣き出しそうな顔になってしまいます。
 「おらは・・こんものがほしくて若殿様と話してたんじゃね・・百姓の娘が嫁になれるとも思ってねえだ・・でも。こんなもの!」反物を足元に投げ出し、駆け出してしまいます。思わず資長様も追いかけます。
 暗い闇の中、二入は足元も分からない中を全速力で追いつ追われつです。が、若い男の脚力には叶わず、二人は畑の中で転んでしまいます。組み付かれた紅扇は目盲めっぽうに拳を振り下ろし、娘に組み付いている資長様はされるがままです。
 「紅扇!・・俺が悪かった・・もう・・殴るのはやめてくれ。」との言葉に紅扇も泣き出してしまい、資長様の胸にすがりつきます。深まる闇の中、二人の激しい息遣いと虫の声だけが響きます。
 「おらは・・おらは・・すまなかっただ。おらも若殿様と居る時は本当に楽しかったのに、こんなに急に・・」むせび泣く紅扇。
 「いや、俺も何をどうしたらいいのか・・わからなかったんだ。若殿なんて呼ぶな。源六と呼んでくれ。」紅扇の瞳を覗き込む資長様。
 「そんな・・げ・・源六さま・・。」
 「紅扇・・。」二人はそのまま唇をあわせます。急に虫の声がやかましくなったような夜でした・・・。

 その夜から数十年・・資長様は「道灌」と号され、今では江戸城の主として関東のみならず天下にその武名を轟かす扇谷上杉家の家宰として押しも押されぬ武
将と成長されておりました。
 ある日、江戸城下の平川村を見回った帰り、新しく建てられた尼寺に立ち寄ることにしました。
 「頼もう。わしは江戸城主の太田道灌じゃが、ちと喉が渇いての。茶を振るまってはくれぬか?」
 「はいはい・・おまちくだされや。今、出ますゆえ・・」と出てきた尼僧は道灌様の顔を見て立ち止まります。
 「おぬしは・・・もしや紅扇ではないか?」道灌様の胸もいつしか高鳴ります。
 「これはこれは・・あの資長様もご立派になられて・・噂はかねがねうかがっておりました。」
 「お前にはすまぬことをしてしもうたと思っておったが今では尼僧となっていたか。あれからどうしたと聞くのも野暮かのう。」と道灌様。
 「もはや過ぎたことです。あの折の思い出は胸にしまっております。それにしてもほんに立派になられて・・」と婉然と微笑むかつての紅扇。
 「すまぬが・・そろそろあげてくれぬか?わしももはやこの頭じゃ。」と剃り上げた頭をつるりとなでます。
 「これはすみませぬ。どうか庭よりお回りいただけませぬか?お茶でも進ぜましょうほどに。」
 座敷に通された二人はしばしの歓談をたのしみます。
 「道灌様は江戸城で品川湊の鈴木長治様や高名な連歌師など招かれて歌の会など催されているようですね。」
 「うむ。おぬしに差し出された山吹の花に発奮してな・・随分勉強したわ。おかげで都の帝にも御製の歌を頂いたほどよ。」
 「ほお。受け賜わらせていただけますか?」
 「うむ。江戸城からの景色を聞かれての
     「我が庵(いお)は 松原つづき 海近く 富士の高根を 軒端にぞ見る」と詠んだのだ。帝はいたくお心をうごかされたようで、
     「武蔵野は 高萱のみと 思ひしに かかる言葉の 花や咲くらむ」との御製をいただいたのよ。」
 「わたくしも噂に聞いておりますよ。在原業平の都鳥のことを問われて
都鳥
 (都鳥、都内で撮影)
     「年ふれど まだ知らざりし 都鳥 隅田川原に 宿はあれども」と詠まれたそうですね。」
 「ほっほ、それも知っていたか。おぬしも一度江戸城の静勝軒に参らぬか?富士山が実によく見えるぞ。今度はわしが茶を振舞わねばな。最近は都では「茶の湯」というものがはやっているのだ。それを手ほどきしようほどに。そうだ、それがよい!わっはっはっは!」と楽しそうに笑う道灌公を紅扇は静かに微笑んで見つめていました。それから道灌公は再会を約束して江戸城に帰っていきました。
 
 数日後、いつものようにお勤めをしていた紅扇のところに近在の檀家が訪ねてきました。一つの噂を携えて・・。
 「道灌公、主君の扇谷上杉定正に糟谷の館で討たれる!」「江戸城に上杉の軍兵がはいり、道灌公の嫡男・資康様は行方不明!」という噂でした。
 それから程なく、旅支度の紅扇は尼寺を知人の尼僧に譲り、いずれとも知れず旅立ってしまい、その消息は誰も知らないとのことだそうです。戦乱の時代に咲いた哀しいお話でした。 
DSCF0121_1.jpg
 (鎌倉の某寺境内で撮影した観音石仏)

 いかがであったろうか?太田道灌公について調べ続けた挙句、思いつきで書いたものからこのようなイラスト付きのものに出世するとは・・・感慨も一塩です。

 一度読んでくれた方も、初めて読んでくれる方も、感想を頂けると誠に嬉しい。すでにこの続編のような資長の初陣話がスタンバイしているのだ・・。

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No title

さっそくご活用&ご紹介いただきまして、
嬉しい限りです。
今後のために、着物の資料も
日ごろから集めておこうと思いました。
(画像、大きすぎてはみ出してますね。
 タグの中をちょっといじるとサイズ変更ができます。
 私のブログでは
 width="400" height="320"
 としてあります。
 よろしければお試しください☆)

Re: No title

 こんばんわ。
 イラストありがとうございました。確かに見切れていましたので早速調整いたしましたので全貌を見ていただけるようになりました。すみませんでした。

 画像にくわえ、イラストも加わることで自分の書いたものではないように見える・・というと言いすぎですかね。
 今後ともよろしくお願いします。

No title

一気に読んでしまいました。
設定もよく、有名な山吹の和歌がこのような悲恋(古い言い回しですが)とからむと一層引き立つ気がしました。
昔の恋って余韻がありましたよね。
何より命がけ。現代は携帯メールという便利なものがありますが、『待つこと』も恋のうちというのを忘れてしまうんでしょうね。
手紙の時代はよかった。
時間がゆっくり流れる恋は、失うときもゆっくり。
紅扇さんは恋の余韻をかみしめながら生きていったのか、それともというフェードアウト。よかったです。
私も年甲斐もなく、過ぎし日の幼い恋を思い出してしまいました。尤もこんなに情緒溢れるものではありませんでしたが・・・。

Re: No title

 こんばんわ。
 過分なお褒めの言葉ありがとうございます。現代は便利すぎますからね・・早すぎますし。話はあいまいな部分を作って、読み手の想像力に任せております。だって・・その方が楽しいじゃないですか!「古今和歌集」なんか読んでいると、妄想力・・いえ想像力をフル回転せざるをえないので楽しいですからね。
 電子書籍とかスマートフォンなんかいらないと主張しつつ生活しております。
プロフィール

サムライ銅像研究会

Author:サムライ銅像研究会
歴史と銅像と芸術が大好きなあまり、日本各地を東奔西走する銅像・史蹟ハンターである。神出鬼没なため、脈絡無しのブログ更新を続ける。掟はただ一つ!「死して屍拾うものなし!」昔の時代劇の決め台詞だけどね・・皆さん、見てやあ!
 最近、キューピーに侍の装束を着用させる遊びをやっております。「武者ピー」と呼んで可愛がってやぁ~!以後は「キューピー甲冑師」とも名乗ります。

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