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太田道灌公の小説~私家版その2~

 みなの衆、こんにちわ。 

 最近の愛読書は古今和歌集で移動の最中や昼休みなど読みながら色々と勉強している。千年以上も前の人々の歌なのになぜこんなに共感できるのだろう?なぜそれがしの胸もしめつけられるのだろう?などと色々感心しながら勉強している。
 そんな歌の中で「きよはらのふかやぶ」という人物の歌に着想をえて、また太田道灌公のとても短い小説を書いた。短すぎて、短編というより小話のような長さだが、お暇なら読んでね。前回の「太田道灌公の初恋」から数年後の若く逞しい武者に成長した資長の物語です。読んで頂けた方はまたコメントなど残してくれると、嬉しくて跳ね踊ります。
 では、どうぞ!


 江戸城築城前史~若き日の太田道灌公~」
                          著:サムライ銅像研究会

 これはまだ道灌様が江戸城をお取立て(造営すること)になる前のお話でございます。その頃はまだ資長様と名のられており、わずか25歳(数え年、実年齢は24歳)でお父上の道真(道号)資清様より御家督を継がれたばかりの頃でしたが、扇谷上杉家の家宰として忙しくすごされており、また京の将軍家(足利義政公)の御命令で武蔵(現在の東京都と埼玉県)国の各地に城を取立てされておられる折でございました。以下に物語させていただくのは江戸城を取立てるために日比谷の入り江あたりを検分されておられる時のことでございます・・・。

 その日、資長様は狩り装束に身を包み、あやい笠を被られ、数名の家来を伴いつつ入り江沿いの浜辺を馬で緩やかに走らせておられます。後方で馬上の斉藤安元(太田道灌の軍配者、後に道灌と共に戦い無敗を誇った)様が声をあげられました。
  「殿!この辺りは平川(現在の江戸城大手門前を平川が流れていた。平河町の名のおこり)が流れ込んでおり、遠浅の海となっている由にございます。」
家来
 (この画像と斉藤安元は何の関係もございません。画像は群馬県太田市の東武太田駅前の脇屋義助像です。適当な画がないため代用しました。ちなみに斉藤安元は実在の人物であり、その詳細はいまだ調査中)

  「うむ、紅葉山(現在は皇居内にある)のあたりからも湖の流れが足元近くまで流れ込んでおる様が見てとれるな。この地ならば・・・城を築くには絶好の地であるな。」
  「はっ!土地の古老によれば、往年、江戸氏(平安から鎌倉にかけて武蔵国で勢威を振るった豪族。後に現在の世田谷区に移り、喜多見氏をなのる)もこの辺りに館の一つを置いていたとのこと。」
  「左様であろうな。しかしこのままでは浜手から城下に人や物の流れを作りにくいな。人手がいるが、平川の流れを東流させねばならん。(鈴木)道胤(品川湊の長者、太田家の財政面での支援を担う)とも相談せねばならんな。」
  「夜には潮が満ちてくるのでしょうが、どこまで満ちてくるのやら・・。後でどこまで潮が来るか土地のものに尋ねさせましょう。」
  「待て待て、農事に勤しむ良民を度々煩わせるのは誠に忍びない。」と資長様、馬をとめて鞭を小脇にはさ み、なにやら物思うていであります。付き従う家来共も心得たもので誰も物言わず一心に資長様を見つめております。しばらくして資長様、小さく頷かれて口を開きました。

岩槻の道灌公2
 (この画像は埼玉県さいたま市岩槻区役所前の道灌公像です。)
  「古今(和歌)集にこのような歌があるぞ。 『みつ潮の 流れひるまを あひがたみ みるめ(海藻の一 種)浦に よるをこそ待て』とな。」
  「ほお、雅な歌ですな。それがしもそのような思い女(おもいめ)をもちたきもの・・。」と頬をほころばせる安元様。
  「フフッ、お前も兵書ばかり読んでおらんと、歌の一つも詠むがよかろう。まあ、ここでは下の句の『みるめ浦に よるをこそ待て』が大切なのだ。」資長様、安元様に謎をかけられます。
  「はて?みるめと夜と何の関係が・・あっ!満ち潮とともに波間に漂うみるめが浜に流れ着きますな。潮が引くとともにまた流されますが、いくばくは残るもの。その跡を探して棒を立てて、縄をひけばおおよその線がみえてきますな。」との安元様の回答に資長様も破顔一笑。
  「さすが安元、見事よ。なれば手配りをするように!」
  「はっ!」安元様は短く首肯すると、すぐ付き従う伴侍らに命じて命じられました。侍共は袴の裾を高く股立ちにくくりあげ、その辺りに生えていた長い葦を折り取り、左右に散りました。そのうちの一人は縄も手にし・・。
 すると幾ばくもなく満潮時のおおよその線が浮かび上がってきました。安元様、それを手元の帳面に書き付けております。
  「安元、歌もこのように使えば雅なばかりでなく、意外と役に立つものぞ。」
  「確かに。安元、感服いたしました。孫呉の兵書にはない実の世の機微を歌より導き出すとはさすが我が殿で   あらせられます。それがしもこれよりは学ばせて頂きますぞ。」
  「フッ、世辞はいらぬ。俺もある人に教えられたのさ。」と一瞬、資長様の面にさびしげな色があらわれました。それもつかの間のことでしたけれども・・。
  「よし、品川館に帰るぞ!今宵は道胤らを招いて月を肴に歌なぞ詠む趣向よ。お前も同席せよ!」と朗らかに命じられました。
  「これは一本とられましたな。ならば下手な歌でも詠んで見せましょうぞ。」と安元様の応え(返事)に声高く笑われた資長様は愛馬に鞭をいれられると駆け去っていかれました。
あわてて跡を追う安元様や家来達。

 その後に残された葦にはトンボがとまっておりました・・・。


 以上である。突如降って湧いたアイディアをメモにまとめ、さささっと書き上げたため意外と短かった。もうちょっと長いと思ったけどな。
 江戸城築城の流れはいまだ謎が多く、太田道灌公一人で築いた訳ではありませんがこのような物語があってもいいなと思いました。

 では、また次回!

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No title

和歌からお話が!
前回のお話とちょっとリンクする台詞なんかもありますね~。

Re: No title

 こんばんわ。

 和歌を読んでいると、妄想(?)が膨らんでしょうがなくなるので物語など作らないと頭がパンクしそうになるのでこれからも物語る予定です。
 ちなみに最近、古今和歌集の中で一番セクシーな歌を見つけてしまったので、モンモンとしている今日この頃です。どう物語ろう?

 しいたけ美味しかったですよ。鮮度がよすぎてもう痛み始めていたので全部食べてしまいました。次はいつあんなにおいしいシイタケにめぐり合えるのだろう・・?


プロフィール

サムライ銅像研究会

Author:サムライ銅像研究会
歴史と銅像と芸術が大好きなあまり、日本各地を東奔西走する銅像・史蹟ハンターである。神出鬼没なため、脈絡無しのブログ更新を続ける。掟はただ一つ!「死して屍拾うものなし!」昔の時代劇の決め台詞だけどね・・皆さん、見てやあ!
 最近、キューピーに侍の装束を着用させる遊びをやっております。「武者ピー」と呼んで可愛がってやぁ~!以後は「キューピー甲冑師」とも名乗ります。

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