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武蔵の国・鉢形城・後編

 さて鉢形城の後編である。
本丸図アップ
 今回巡るところはこのあたりだが、本来の城であったところに公園化されているところと宅地化されているところ、地元企業がはいっているところと入り混じっているので臼井城や金山城のようには気分がノリづらい。

鉢形城休憩所1

 二と三の曲輪と本丸の間には鉢形城歴史館(今回は入りませんでしたが200円で入場できます)があり、休憩所が駐車場と共に併設されている。雰囲気ありますね。中は・・・
鉢形城休憩所2
 テーブルとベンチをどけて、陣幕を周囲に張って、床机を置いたらまるで陣地のような設えになりますね。甲冑武者がほしい画ですね。

 すこし歩いて本丸にいって眺めを楽しみましょう。
荒川を見下ろす
 暑い日でしたので川で遊ぶ子供達がたくさんいました。

鉢形城本丸石碑
 やっとここまで着ました。でも本丸あたりにはあまりお見せできるところがないのですよ。眺めは最高なんですが。

田山花袋の碑
 「布団」で有名な田山花袋先生の漢詩を武者小路実篤先生が書におこされた石碑がございます。意味は・・
  「襟帯する山河好く、雄視す関八州、古城の跡空しく在り、一水尚東に流る」というところ。

 それがしも一首詠んでみよう。 
  「草茂る 土手に立ちて 見ゆ山河 栄えも滅びも 夏草の下」 お粗末様・・。

立ち入り禁止
 石碑よりさらに奥のアの部分は立ち入り禁止で入れません。高くなっているところは分かるんですがねぇ。

本丸あたり
 このあたりも往年は建物や倉がたっていたのでしょうか?

 公園の入り口側に下って行くと鉢形城のジオラマがあります。
鉢形城ジオラマ1
 字は画像をいじくりました。
鉢形城ジオラマ2
 奥が前回歩き始めた部分であり、手前がこのジオラマのあるあたり。

鉢形城公園入り口
 ここが寄居駅から歩いて来た時に目にする入り口部分ですね。

 橋を渡って寄居町方面にむかいましょう。
正喜橋から荒川
 橋から荒川を見下ろしました。
荒川の大岩
 向こう岸にはこんな巨大な岩が。

 鉢形城が有名なのは小田原北条の氏康公の三男が城主を務めていたからだが、道灌公の時代の「長尾景春の乱」でも重要な舞台となっている。その城を巡る戦いを振り返ると、兵略に通じた道灌公のことがよくわかるのでまた軍記物風に語ってみよう。

 「時は文明10(1478)年、関東管領・上杉家に反旗を翻した長尾景春であったが、太田道灌の活躍により盟友・豊島泰経を6月の小机城攻めでなくし、上野国(群馬県)に退避していた山内・扇谷の両上杉家と太田道灌らの合流でしだいに追い詰められつつある景春であった。
 劣勢を挽回すべく、鉢形城から出撃した景春勢は北方の梅沢(本庄市金屋)に砦を構築し、上杉勢の動きをうかがう。その上杉家の軍議では、山内上杉の家宰・長尾忠景(景春の叔父)が即刻に梅沢砦の総攻撃を進言するが、それを聞いていた道灌は発言を求めた。
  「確かにもっともな策、それがし感服いたした。なれど梅沢は切所(要害の地)なれば損害が多く出ること明白でありましょうゆえ、梅沢と鉢形の間の原野に我ら上杉勢押し出し、威圧すれば景春は必ずや梅沢から鉢形救援の為にこちらに馬首を向けてまいりましょう。そこを待ち受けておいて討つ!さすればそれを見た梅沢や鉢形の守備兵も気落ちして開城することまちがいないでしょう。」との新たな作戦に満座の諸将も諸手をあげて賛同をしめして衆議一決となりました。
 この軍議で目上の立場を尊重しつつ、自らの意見を通す道灌でありました。

 さて上杉勢は用土ヶ原(寄居町)に押し出し、陣太鼓を叩き、軍兵に気勢をあげさせて城方を脅しました。その様子に兵を連れて景春も用土が原に駆けつけます。そこで両軍は互いに押しつ揉まれつ、斬って突かれての大激闘を繰り広げますが、ついに上杉勢が勝利し、景春はわずかな手勢と共に鉢形城に逃げ込んだのでありました。」

 ここで大事なのは道灌公が主要目的である「鉢形城攻略・景春逮捕」の為にやみくもに突っ走らないで敵を誘い出して合戦して、間接的でありながら二つの目的を達しようとしたことである。石神井城に篭った豊島泰経を破った江古田・沼袋の戦いを思い出してもらいたい。その戦いでも道灌公は最初、泰経の弟・泰明の守る平塚城(北区王子)を攻めてみせ、泰経を引きずり出すことに成功している。このような兵法は洋の東西を問わず存在する人間の知恵のようなものである。
 戦訓からひきだせば、孫ピンは魏に都を囲まれた趙を助けるために魏の都を包囲して魏の将軍を討ち取り、アレクサンドロス大王はペルシア帝国皇帝ダレイオス3世を引きずり出すために帝国領のエジプトなどをあらしまわり、あせったダレイオスは100万と呼号する大軍を集めてガウガメラ平原に繰り出し、10万にもみたないアレクサンドロス軍はマケドニア・ファランクス(重装歩兵密集戦術)戦法でみごとペルシア軍を打ち破ったのであった・・。
 現代風にいうとリデル・ハート(英国の戦略論研究家)の間接アプローチ戦略というのだろうか。目的にストレートに迫らずに間接的なアプローチをすることにより副次的効果をもひきだす。自分の手ごまが少ないものが行うやり方ともいえる。

 ま、そんなことは置いておいて荒川の雄大な景色をご覧頂こう。
荒川・雄大な眺望
 こういう景色を眺めているとチマチマしたことなど忘れるなあ・・。
鉢形城遠望
 振り返ると鉢形城が見送ってくれます。

 鉢形城の最後の城主であった北条氏邦のお墓が同じ寄居町の正龍寺に向かいます。お城からだと徒歩で小一時間です。平坦な道ですので、暑くなければ散歩みたいなものですね。
正龍寺遠望
 見えてきました。あれに見ゆるが正龍寺です。
正龍寺・仁王門
正龍寺説明板

 立派な仁王門が出迎えてくれます。当然そこには・・
仁王1
仁王2
 すみません、あまりによく出来ているので画像にイタズラ描きしました。何か?浅草や通天閣下にいそうなオジサンですね。とりあえず謝ってしまいそうです。
仁王の背中
 まあ、たくましい背中・・。


正龍寺本堂
 本堂の屋根には・・
三つ鱗
 当然のように北条の紋・三つ鱗が光り輝いております。そこまで金ぴかじゃなかったです。

 裏手の墓を登っていくと一軒の小屋があり、そこにございました。
氏邦夫妻墓
 北条氏邦夫妻のお墓です。南無南無・・。
 関東武士の名門・藤田家に氏邦は婿入りのかたちではいったので最初藤田姓を名乗っていましたが、本人は気に入らなかったみたいです。夫婦仲はよかったようで、夫人意外に女性の影はありませんが、何しろ一度滅んだ家なので確実な情報はしりません。
氏邦夫妻墓説明板

藤田康邦夫妻墓
 こちらは氏邦の義父母・藤田康邦夫妻の墓です。南無南無・・。
正龍寺本堂内部
 お寺に戻って本堂の内部です。左奥に古めかしい甲冑がありましたが、戦国のものかは近くで見ていないので不明です。

蛇の模様?
 こんな模様の石も祀られておりました。なんということでしょう!蛇の模様ですかね?自然とは不思議なものを作り出しますね。

 お寺を後にして寄居駅に向かいます。バスがあるといいんですがねぇ・・。
寄居駅全貌
 寄居駅はJRだけではなく、東武線や秩父鉄道も乗り入れているターミナル駅です。本数は少ないですがね。ともあれ大自然を満喫できますので気軽にどうぞ!あ!・・夏場は虫の王国ですので(車山など虫嫌いには耐えられないほどいましたっけ・・)虫除けスプレーや長袖シャツ、長ズボンなどご用意お忘れなく。

高麗川駅モノクロ

 最後に高麗川駅で撮ったモノクロ画像をば・・。

 もう一首
  「カメラ手に 兵(つわもの)共の 過ぎし跡 ただひたぶるに 思ひたどれよ」お粗末様・その2 

 ではまた次回!
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No title

思わずぷぷー(*^m^)o==3 ですよ。
本当に「コラッ」って言われてるみたいです。仁王さまに・・・。
背中の筋肉はデフォルメされすぎてて、もう何筋なのやらわかりませんね・・・モッコモコですね☆
あと、蛇の石もビックリです。
これは祀られるのも無理はない・・・ていうか、自然石なのが信じられない(!)です。

Re: No title

 こんばんわ。
 あの仁王様はリアルというかデフォルメが効きすぎているのか面白いですね。実際の画像がなければ漫画みたいで信じてもらえないようなあの表情・・・東大寺の仁王像とは別の意味で傑作です。

 あの石の画像持っていると金運でもあがらないか?と期待していますが、今のところ効果ございません。ありがたそうなんですけどねぇ。
プロフィール

サムライ銅像研究会

Author:サムライ銅像研究会
歴史と銅像と芸術が大好きなあまり、日本各地を東奔西走する銅像・史蹟ハンターである。神出鬼没なため、脈絡無しのブログ更新を続ける。掟はただ一つ!「死して屍拾うものなし!」昔の時代劇の決め台詞だけどね・・皆さん、見てやあ!
 最近、キューピーに侍の装束を着用させる遊びをやっております。「武者ピー」と呼んで可愛がってやぁ~!以後は「キューピー甲冑師」とも名乗ります。

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