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群馬県太田市の城郭~築城の陰に軍師あり!~前編

 今回はいよいよ金山城を紹介しよう。ただ、画像の数が多いので前・後編にわけるのでご了解ありたい。

 まず太田の地名の由来だが「太田市歴史年表」によると・・
  「平安時代末期、天仁元(1108)年の浅間山大噴火により荒廃した土地を新田義重が開発し、「新田庄」を立庄。以後正式に新田家のものとなり、どんどん開発していったことで「大いなる耕田」つまり「大田」がいつしか「太田」となったとのこと。

 更にその太田市にそびえ立つ金山城が作られたのは文明元(1469)年、新田の後裔である岩松家純が長楽寺(太田市世良田)住僧・松陰西堂(しょういん・せいどう)に縄張りさせて築城した。松陰が書き残した「松陰私語」(別名「五十子記」)には
  「家純の代官として(松陰は)造営にあたり、鍬始め、地鎮祭を古儀によって実施した後、70余日間、休むことなく走廻して完成させた」とあり、同年8月吉日に屋形・家純が入城、とある。
 つまり文明元年の遅くとも5月下旬には工事を始めたということだろう。70日余で完成させたにしては城内は立派だが、小田原北条が豊臣秀吉により滅ぼされる天正18(1590)年までの121年間断続的に工事が続けられていただろうから、ごく初期の金山城とはかなり趣を変えているにちがいない。

 松陰西堂とは何者か?はっきりとしたことは不明だが、足利学校で学んだこともあるようであり、後の文明10(1478)年7月には太田道灌公も金山城を訪問し、「近比名城(近年にない名城)」と絶賛している。道灌公と足利学校で共に学んだ仲という説もある。
 前出の「松陰私語」を読んでいると兵法書「李衛公問対」からの記述が頻繁にでており、松陰自身も兵法に通じていることが明らかであり、また岩松家の兵を率いてしばしば戦場往来をして指揮官として活躍していたようだ。
 さらに埼玉県本庄市の増国寺には松陰の墓と位牌があるが、その位牌には「前惣持当寺中興開山新田松陰西堂禅師」とある。新田岩松家の一門の出身ということではないだろうか、さらに戦場でもしばしば「我は新田松陰軒なり!」と名乗りをあげていたようだ。しかし血の気の多い坊さんだなあ。彼のことは今後も追い続けていきたい。
 
 さて、長話はこれくらいで画像をみていこう。

金山の湧水
 前々回の大光院から緩やかなのぼり道になっており、道路わきには金山からの絶え間ない水の流れが小川となって用水路を流れている。これをみても金山城は水量豊富な城ということが理解できる。

金山全体図
 ここで金山城域全体をみてみよう。これは国土地理院の二万五千分の一地図を二枚(上野境と足利南部)使って拡大コピーしたり、継ぎはぎして作製したもの。

金山城詳細図
 こちらは「群馬の古城 中・東毛編」(山崎一 著/あかぎ出版)に載っていた地図を拡大コピーしてサインペンで注釈を加えたもの。今回廻るところをさらに拡大すると・・
前編部地図
 こんな感じ・・黄色く塗った道路を登って駐車場まで登り、山頂部を西の端までいってから、東の本丸部に向かうまでが今回巡るところ。わかる?わかりやすいようにけっこう工夫してるのよ。

ガイダンス施設
 道筋沿いに登っていくと、こんな派手な建物が出迎えてくれる。ここは金山城のガイダンス施設(無料)で、中には金山城からの発掘物が展示されてあったり、15分ほどの映画が上映されていたり、きめ細かく色々教えていただける。ここでガイドマップを貰うこともできるので、格別用意しなくてもかまわない。さらに土日に伺うと、お土産がいただける。それがしは竹炭をいただいた。燃焼温度が低いので炊飯などの調理には使わずに吸湿・脱臭用にお使いくださいとのことだったので、今それがしの部屋で脱臭用においてある。
 施設の裏手が本来の大手筋とのことで、険しいが道もついているので登攀可能だが、現在太田市教育委員会により発掘中とのことで、一部入れないところがあるとのことだったので、元の道筋に戻った。

桜の井戸1
桜の井戸2
 この井戸は金山城の南部にある八王子山砦の将兵のための井戸だったようだ。確かに水が湧き、辺りは湿っぽい空気である。ちょうどガイダンス施設の道路挟んだ真向かいにある。

 しばらく登ると・・
金山公園入り口
 やっと入り口ですな。道路左右の鬱蒼としげる樹木のおかげで快適に登れる。さらにここから緩やかな登りが続きます。
車道
 曲がりくねりながら登り、
見おろした道
 登ってきた道を見下ろします。黄色い矢印は登りの方向です。

 ふと見上げると・・
道路脇の石垣
 おお!ついに石垣ですよ!急にテンション上がってまいりました!
大手口1
大手口2
 昔はこの急峻な坂を登っていきます。現代の楽な道で助かりますなぁ・・。

 やがて地図上のモータープールつまり駐車場に到着します。そこにも展望台がありましたが、しょぼいので西の端にある「見附出丸」にむかいましょう。もう平坦な道です。
見附出丸の眺望
 爽快な眺めですね。弁当をつかいたいところですがまだ我慢・・。
八王子山など
 眼下を見おろすと、右の黄色い輪をつけたのが前回訪れた高山神社。左の赤い輪が八王子山一帯です。これらの輪は画像処理なので実際は緑の山ですよ。
東武太田駅前アップ
 さらにぐっと寄ると太田駅前がみえます。黒丸のところに「太田駅北口」とあります。左右の塗りつぶしは某有名企業なので、伏せました。
見附出丸説明板
 ここで西方面から登ってくる愚か者・・もとい敵を迎撃するわけです。敵勢の動きもすぐにわかりますね。

 ささ、本丸方面にむかいましょう。
本丸方面への道
 矢印方向に登ります。万一、見附出丸が突破されても道の両脇が盛り上がっており、一度に少人数しか通れないように工夫されていますね。両脇から弓矢や鉄砲玉、石や時に熱した糞尿など浴びせかけたのでしょうか?

史蹟金山城址
 このあたりは「金山西城」ともいわれています。矢印は見附出丸方向です。
史蹟金山城址からの眺望
 先ほどの眺望がより高い所から望めるのがお分かりいただけますか?

矢倉台への道
 右の岩場の向こう側が駐車場のあたりですね。
削られた岩
 岩の表面が一様に滑らかですね。この岩を削りだして石垣とし、また岩陰をなくして敵や間者(スパイ)が潜むところを減らしていきます。
 前掲の「群馬の古城」によれば・・
  「金山は輝石安山岩から構成され、・・(中略)・・工事に相当な困難があったと思うが、これがため急傾斜は長く保持され、廃城後も遺跡の保存がよい。」とある。これこそが金山城が関東では珍しく石垣を多用した城であり、また保存状態が極めて良好ということなのです。分かりやすい本ですね。

 さらに進むと・・
塹壕石碑
堀切説明板
 石柱のほうが古い標識でカラーが最近設置されたものですね。同じ窪みでも「塹壕」と「堀切り」・・軍隊用語と最近の専門用語の違いが見て取れますね。
堀切見おろし
 実際の堀切りです。これで西城と本城の西矢倉郭を分断しています。同じものがこの先にもう一本あります。

スカイツリー?
 途中、南に視線を転じるとはるか向うに東京方向がみえます。カメラの最大ズームでは・・丸く囲った所がスカイツリーですかね?冬の空気がきれいな時期ならさらにはっきりわかるでしょう。

馬場下通路への道
 石畳の先を抜けると・・
馬場下通路
 馬場下通路ですね。岩盤を掘り崩して土橋をかけています。
削られた岩盤
 右上のあんな高い所から掘り崩したんですね。重機も無い時代にすごい難工事ですね。右上に物見台がみえます。そこからの眺めが絶景でしたが、それは次回・・。

土橋石垣1
土橋石垣2
 土橋を通って石垣に登るとこんな風に見えます。
石垣からの眺望
 やあ!絶景ですな!でもこんなものじゃない・・。

竪堀全体像
 土橋先の竪堀です。青い矢印方向から敵が攻めてきても左右から撃退できます。でもこんな斜面を刀や槍を担いで甲冑つけて登るなんて・・それだけでたまらんですな。
木橋
 竪堀の上を横切る木橋です。いざという時は橋を壊してここで分断します。


 ちょっと首を右に90度傾けて画面を下にスクロールさせてください。
木橋パノラマ1
木橋パノラマ2
木橋パノラマ3
 竪堀の上を横切る木橋がパノラマに見えてきませんか?ダメ?う~ん、考えてみたんですけどねぇ。まあ、心の目で思い浮かべてください。

虎口全体像
 今回の最後に木橋を渡った先の石垣上から撮影した全体像です。黄色がそれがしの進行方向であり、城方の動線です。青が敵の侵攻方向です。これだといかに敵を防ぎやすい構造か分かりやすいと思うのですが・・いかが?

 さて次回はいよいよ本丸(新田神社のある辺り)へむかいましょう。そこがまた石垣を多用した中世城郭の傑作であり、また絶好の眺望が望めるところなのです。では、また次回!
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No title

いやはや、首が右に曲がったままコメントを書きそうになりましたよw
矢印が棒人間が入ってると、わかり易いですしイメージがしやすかったです。

Re: No title

 こんにちわ。いつもコメントありがとうございます。肩こりにはお気をつけ下さい。

 何かしら工夫しないと、ただの森林や道ですからね・・いつもこれでいいかと迷いながら書いております。というのも自分自身、あちこち城址を見て廻り、本も見てきて、事前の情報と実際の知見が乖離しているのがなんとももどかしくて「わかりやすいお城探訪記」を志しております。

No title

矢印や走ってる人、丸印などの書き込み、
すばらしいアイデアですね。
とてもわかりやすいです☆
大変かとは思いますが、
続けて欲しいです☆☆☆

Re: No title

 こんばんわ。
 コメントありがとうございます。お城の本はどれをみても行こうとする人に不親切な感じなんで自分がだすとしたら・・と考えて色々遊んでみました。
 これからも見てください。
プロフィール

サムライ銅像研究会

Author:サムライ銅像研究会
歴史と銅像と芸術が大好きなあまり、日本各地を東奔西走する銅像・史蹟ハンターである。神出鬼没なため、脈絡無しのブログ更新を続ける。掟はただ一つ!「死して屍拾うものなし!」昔の時代劇の決め台詞だけどね・・皆さん、見てやあ!
 最近、キューピーに侍の装束を着用させる遊びをやっております。「武者ピー」と呼んで可愛がってやぁ~!以後は「キューピー甲冑師」とも名乗ります。

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