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群馬県太田市の銅像と寺院

 昨日、群馬県太田市に聳える金山城址を登ってきた。遺構があちこちに残っている楽しい城址で、調子に乗って300枚以上も写真を撮ってしまった・・どうしよう?そうだ!わけていこう。

 ということで今回は太田市にある銅像と寺院を紹介していきたい。

 この夏も「青春18キップ」の季節がやってきた・・山手線の始発に乗ってまず上野駅へ・・金曜日明けの始発は酒臭くてかなわない・・上野駅からは高崎線で高崎まで、高崎から両毛線で伊勢崎、伊勢崎から東武線に乗り換えて太田駅まで・・3時間かかった。駅前で出迎えてくれたのが・・
新田義貞と脇屋義助
 「新田義貞公と脇屋義介」像です。作者は高崎の彫刻家・分部順治(1911-1995)先生、東京美術学校(現・東京芸術大学)で木彫を学び、日展の理事なども務められた。他の作品などは特に調べていないので、この銅像をよくみていこう。
新田義貞1
新田義貞2
 鎌倉武士の威風凛々たる様が表現されていますね。その引き結ばれた口元には内心の断固たる決意がみえております。どこぞの首相の口元のだらしなさと比べたら・・・
脇屋義助1
脇屋義助2
 一方、こちらは仕える主人の意を汲もうと全身に神経を行き渡らせつつ、静かに控えている脇屋義助・・このお顔立ちも凛々しいですね。ここまで美しい主従像は見たことありません。この二人の姿に現代人が忘れた日本人の美意識が漂っているような気がしてなりません。アメリカ人にはわかるめえよ・・

大光院・吉祥門
 駅から30分ほど歩けば、市内で最大の浄土宗寺院「大光院」の吉祥門が出迎えてくれます。この寺は慶長18(1613)年に徳川家康により創建。徳川家は以前「松平」の姓を名乗っていましたが、今川家と手切れした後、新田家の末流「得川」家の系図を入手し、以降「徳川」となのります。
 その真偽はともかく、新田家は徳川家の先祖という訳で新田家の祖・義重(よししげ)公を追善供養するために義重公の法名から「大光院」と名づけ、浄土宗の18学問所の一つに認定します。その後は代々の将軍家により庇護され、大変に繁栄します。
 地元の方からは「呑龍(どんりゅう)様」と呼び親しまれています。初代住職の呑龍上人が近隣の身寄りの無い子供たちを集め、「弟子にする」という名目で養っていたことから「子育て呑龍」様と慕われていたことから今なお「呑龍さま」と呼ばれているそうです。
 幕末の頃には水戸・天狗党が押し寄せて「天下の為に攘夷をする。金を出せ!」と押し込み強盗同然に金品を獲られてお寺や太田宿の商家などは難渋したそうです。
 (水戸って、「大日本史」で後の尊王の土壌を作るけど、その議論好きな性格が災いして小さく分裂して日本中をかき回すだけかき回してねずみ花火みたいにパッと散っちゃいましたね。ほんま、しょうもない連中だ)

 ま、大光院の境内を見て行きましょう。
大光院・手水舎
 手水舎だけでこの豪奢な造り・・木彫部分は網で覆われてよく撮れなかったので他の部分を見ていきましょう。
大光院・水盤
 水盤というんでしょうか?四隅を童子が支え、上には新田家や徳川家の家紋が彫られています。
手水舎の柱
 柱にすらこのきめ細かい彫り・・ため息がでます。
 
大光院・本堂
 本堂もまた巨大です。渡殿で続く向うには・・
新田寺
 新田寺という別のお寺が境内にございます。
新田寺扁額
 この中の木彫がまた素晴らしいのですが、実際に見に行くことをオススメします。
新田寺と松
 樹齢ウン百年の松・・すごい枝ぶりですね。
大銀杏
 他にもこんな大木が・・銀杏かひのきか確認していませんでした。不覚・・境内を見て歩くだけなら特に拝観料はいりません。京都だったら数百円はいりますね。
 隣の足利市には「ばんな寺」もありましたね。
ばんな寺1
ばん阿寺本殿
 足利と新田はかつてライバル同士でしたが、今ではこんなにも立派なお寺が両市にございます。車で出かけられる際は両方参拝されることをおすすめします。

 太田市は富士重工の企業城下町でもあります。その前身は中島飛行機・・旧軍に多くの飛行機を提供しています。その創立者が・・
日の池と中島胸像
胸像アップ
 「中島知久平」胸像です。こちらは今回登頂した金山城址の本丸近くにある「日の池」の前にあります。後の丸い井戸が「日の池」ですね。
 中島飛行機といえば戦闘機「隼」、夜間戦闘機「月光」、重爆撃機「呑龍」など印象的な名前・・ん?実は大光院の「呑龍」さまから爆撃機の名前が付けられたとか・・草葉の陰の呑龍上人も苦笑しておられたのでしょうか?
 (この会社がなければ「加藤隼戦闘機隊」とかの名曲もなかったんでしょうねえ・・)

 金山城址を下りた後、新田義貞公の供養塔がある曹洞宗「金竜寺」を伺いました(臨済宗だったかも・・)
義貞院1
義貞院2
 境内の一角に「義貞院」があり、義貞公の木像もございます。薄暗くて遠くてよくわかりませんでしたが、衣冠束帯姿で座っていた木像でした。
 奥にある供養塔は・・
新田義貞供養塔
 一番奥の高いところにある石塔がその供養塔です。周囲には新田氏の岩松氏や由良氏のお墓もあります。
 (この供養塔をもっとアップで撮影する時、カメラが故障したわけでもないのに、高感度撮影したにもかかわらず、画面が真っ暗になってしまいました。これは義貞公らが「撮るでない!」と叱責されたと受け止め、画像を消去して一礼して立ち去りました。・・信じるか信じないかはあなた次第!)

 今回はここまでです。次回は太田市内の神社をいくつか紹介します。では、また!
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No title

最初の主従の像は、なかなか素敵ですね。
しかも、ライトアップされてる・・・っぽいですよね??

大光院、とっても見どころの多いところでしたね。
水盤を支える童子の顔、すごいリアルというかなんというか・・・。

Re: No title

 こんばんわ。

 節電のご時世ではライトアップも中止されているかもしれませんね。

 北関東にも見所は沢山ありますね。太田市と足利市はお隣同士ですのでセットで見に行くにはいいかもしれません。車のほうが便利です。
プロフィール

サムライ銅像研究会

Author:サムライ銅像研究会
歴史と銅像と芸術が大好きなあまり、日本各地を東奔西走する銅像・史蹟ハンターである。神出鬼没なため、脈絡無しのブログ更新を続ける。掟はただ一つ!「死して屍拾うものなし!」昔の時代劇の決め台詞だけどね・・皆さん、見てやあ!
 最近、キューピーに侍の装束を着用させる遊びをやっております。「武者ピー」と呼んで可愛がってやぁ~!以後は「キューピー甲冑師」とも名乗ります。

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