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小机城~太田道灌が落とした城~

 先日、横浜市港北区にある小机城に行ってみた。太田道灌が「長尾景春の乱」の初期段階で攻略し、乱の流れを決定づけた城である。さすがに遠いので、渋谷から東急東横線に乗り込んだ。普通にいくなら菊名まで乗り、菊名でJR横浜線に乗り換えて小机までいけば目の前だが、それでは面白くない。城はその周辺地域を歩くことにより、なぜそこに建てられたのかということが体感できるのであるから(自論だが)菊名で降りてみた。

 菊名からは横浜線の線路に沿ってひたすら西に行くのみ。途中新横浜駅を挟み、さらに行く手に横浜国際総合競技場など見えるが、それらは横目にしつつひたすら歩く・・といきたいところだが、道端にまた興味深い道祖神などがいくつもあった。
道祖神
 こちらは菊名駅付近。東京ではなかなかみかけない。
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 こちらは新横浜駅付近、恐ろしげなお顔立ちで・・足元には三猿も彫刻されております。

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 こちらは小机城付近の一角にあったもの。歩いている途中、あちこちに道祖神や地蔵様が祭られていたのがとても新鮮であった。今まで日本全国色々行って来たが、一地域にこれほど多いのはめずらしいと思う。
 肝心の地形だが、あちこちに宅地化された丘陵地帯が広がっており、新横浜駅付近まではなかなか前方を広く見渡すランドスケープが得られなかった。新横浜を過ぎ、駅前のビル街や環状二号線をすぎた辺りから唐突に視界が広がる。
競技場
 こちらは国際競技場ですね。ここで幾たび名勝負が繰り広げられてきたことか・・よく知らないけど。

小机城・下から
 競技場を横目に見つつ、脇を過ぎていくとやがて小机城跡・・現在の「小机市民の森公園」が見えてきます。この画像は北側の麓から見上げた画です。登るには南側の住宅街に廻り込んでいかねばなりません。初めて行くとすこし分かりづらいので看板立ててくれるといいんですがねえ・・。

 道灌公はこの城を一月ほど包囲しておりましたが、味方の数が少なく士気が挙がらないのである歌を謡い、軍歌代わりにして足軽らにうたわせました。その歌があの有名な・・
  「小机は 手習いのはじめにて いろはにほへと 散り散りとなる」 

小机入り口
 気を取り直して短い坂道を登っていくと、入り口が出迎えてくれます。この先に「根小屋広場」がありましたが、それほど広くも無く、公衆トイレとベンチ・水のみ場などがありました。
小机城見取り図
 広場の一角にあった地図です。中に入る前に虫除けスプレーを全身にくまなく噴射しておきましょう。やぶ蚊はズボンの上から刺してくるほど強力ですからね。

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 竹の緑が目に眩しいですね。
小机の郭
 柵があるので立ち入りはできませんが、もしここを切り開けば郭になる場所です。この公園は周辺住民による「竹の子クラブ」なる団体により管理されており、週末ともなれば竹細工を指導してくださる方もおられるとのこと。
 それにしても竹の多いこと。これでは「小机城」ならぬ「竹薮城」ですな。

空堀1
空堀2
 上の二枚は長大な空堀の底に下りて撮りました。本当は降りてはいけないのでいい子は真似しないように。

空堀
 小机城跡自体は後に後北條の手がかなり加えられているので、室町時代の遺構など望むべくも無く、また第三京浜道路が南北ど真ん中を貫いてくれているので雰囲気ぶちこわしでありますが、竹林のおかげで騒音などはそれなりに軽減されており、空堀の底などは実に静かでした。下から上げていると、ここを攻めあがった兵どもの雄たけびが・・気のせいです。

二の郭跡
 こちらは「二の郭跡(仮称)」です。発掘調査による確定がなされていないそうなので仮称とのこと。

せいろう跡
櫓跡
 周辺にはこのような痕跡がのこされております。

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本丸跡までいきましょう。
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 本丸跡は少年野球ができるくらいの広場にされており、城跡を想起させるものはほとんどありませんが、片隅に小さな石碑が建てられております。

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 丁寧な看板があるのが救いですね。

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 こちらは本丸直下の空堀跡が通路化されたものです。撮影するならここからがオススメですね。
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 小机城跡自体は1時間で廻れる小規模なところですが、竹林を楽しみつつ散策できるいい所ですね。ただ、虫が多いので、虫除けスプレーと長袖・長ズボン・トレッキングブーツなどの用意は必須でしょう。軽々しく短パンなどでいかないほうがいいです。ちなみに種類はわかりませんが、ヘビもみかけました。気をつけないとね。

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 小机城を後にして、道灌公が本陣を置いてた「亀の甲山」に向かいます。こちらの中央のこんもりした丘陵が小机城です。
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 鶴見川の対岸を渡った小高い丘が「亀の甲山」です。今では山頂が削られて工場が広がっていますが、昔はもっと盛り上がっていて亀の甲を伏せたような山だったそうです。

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 鶴見川の川面を見ていると、浅いところに波がたっています。ある時、道灌軍が夜間行軍中に渡河しなければなりませんでしたが、浅いところがわかりません。道灌公は次の古歌を詠んで部下を励ましました。
  「底ゐなき 淵やは躁く山川の 浅き瀬にこそ 化波は多くて」そんなエピソードを思い出しました。

 さて、ここまで来て思いついたことがある。前回記したように豊島泰経は小机落城の際、道灌公にひそかに逃されたという伝承が豊島家に伝わっているそうだが、ならば近在の寺社になにか伝承が残っているのではないか?泰経は熊野権現を祀った神社に匿われていたのではないか?と考えて訪ね歩いてみた。

 まず伺ったのは亀の甲山にある専念寺、浄土宗のお寺でしたが、特に何もご存知ありませんでした。
 
 そこでもう少し北上した新羽(にっぱ)町に着目。地図だといくつかお寺や神社がありましたので横浜市営地下鉄沿いにある光明寺に伺いました。真言宗のお寺で明応5(1496)建立の古いお寺。道灌公死後の10年後に建てられたんですね。ここは住職が不在でして、御内儀も特にご存知ないとのことでしたが、「新羽町史」という地元の有志が纏めた本を頂いてしまいました。一度お断りしたんですが、「沢山あるから・・」とのこと。ありがとうございました。
 更に近所の西方寺(さいほうじ)なら前代の住職が元気でいらっしゃるとのことで何かご存知かもと教えていただきました。

杉山神社
 西方寺に向かう途中、こちらの神社に立ち寄りました。「杉山神社」というありふれた名前でしたが、熊野権現が祀られているかもと考えて見ると・・?
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 おお!熊野神社も祀られています。早速お参りをすまし、境内にある民家を訪ねてご在宅であった宮司さんに経緯を説明して、伝承の有無を伺うと残されていないとのこと。
 「ここは村社だからね。昔いくつか周辺にある神社を纏めて合祀したんだよね。道灌?亀の甲山に陣を敷いたとは聞いたことあるけどね、言い伝えはないなあ・・」残念でした。
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 狛犬殿は何かご存知でしょうか?

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 というわけでやってまいりました。西方寺。川崎町田街道から一本はいったところにございます。両脇の地面が苔に覆われた参道をまっすぐ行くと立派な山門が出迎えてくれます。なんと茅葺ではないですか!

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 山門には・・
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 堂々たる龍の木彫がございます。
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 本堂もまた堂々たる造り、茅葺です。西方寺は建久5(1196)年、鎌倉の笹目ヶ谷に建立、大いに栄えましたが、室町時代の明応4(1495)年に当地に移転されたとのこと。
 本堂に向かって手を合わせた後、早速訪問させていただきました。幸い、どなたもご在宅で玄関先で先代住職からお話を伺うことができました。
 結論から言えば、やはり伝承はないとのこと。このあたりは鶴見川の流域で田んぼや畑ばかりで洪水がなければ「新羽千石」といわれたほど実入りの多い農業地帯であったけれども、一度水害に見舞われれば何もかも押し流していった土地であったそうです。確かに鶴見川の流れがこのあたりを大きく蛇行していますね。
 さらに昔はこの近辺まで船が遡ってきており、収穫したお米を積み込んで江戸まで運んでいたそう。
 小机城に関しては、城下に「矢之根」という地名が残っており、道灌公の陣所から飛んできた矢が沢山突き刺さっていたという話を教えていただきました。地図をみればお城と陣所の間は2キロくらいあって到底矢が届くはずはないのですが、このあたりで激しい戦闘が繰り広げられたのかもしれません。
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 ご住職ありがとうございました。お健やかに。

 別の日、墨田区にある報恩寺で道灌公供養塔を拝見してきました。
報恩寺
 墨田区太平1丁目にある報恩寺、近くにはスカイツリーもございます。
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 こちらも「山吹伝説」の地ですか?
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 この石碑は戦後のもの。
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 太田道灌公。
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 山吹の花を差し出した娘。
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 こちらが太田道真・道灌両公供養塔です。南無南無・・。
 道灌公が江戸城築城の際、長禄2(1458)平河町に「本住院」を建立したが、道灌公の息子・資康の法名「報恩」からとって資康の息子・資高が「報恩寺」と改称。江戸時代に入り、神田・谷中と移転し続け、元禄8年に現在地に移転。

 今回で太田道灌公を巡るのは一旦終了したい。練馬・石神井公園を巡ることから道灌公の素顔に迫る旅が始まったが、歴史書を読むだけではわからないことが史蹟を訪れたり、地元の方に伺うことで更に深く知ることが出来た。これも道灌公のひきあわせか。
 最後に道灌公の書状「太田道灌状」から名言を一つ紹介しておわろう。

  「国に三不詳あり。賢人あるを知らざるを一不詳、知って用いざるを二不詳、用うるも任せざるを三不詳。このことを徳と失になぞらえれば、任と不任にあることになるのではないか。」

 この名言をも含む書状を読んだ上杉定正に道灌公は殺され、関東は戦国に続く混乱期に突入していった・・・。
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非公開コメント

No title

こんにちは。

道祖神、地蔵、、なんか阿修羅のようにも見えますね。

城ができた由来はその地域を見て廻らないとわからないですか、、、
そうかもしれませんね。必要があるから、その地に造られるわけですから。

No title

小机城堪能しました。

いきたいけどなかなか寄れないんですよねー。

ただ、かなり立ち入りが制限されてるようなのがさみしいです。

都会のお城だからしょうがないのかもしれませんが・・・

Re: No title

 こんばんわ。道祖神のことは何もわかりませんが、その地域の信仰の対象ですからね。見て廻るのもなかなか楽しいです。

 昔から城巡りはすきでしたが、いつからか城の周辺を巡って土地の美味しいものも頂くなんてことをしているうちに城周辺の地形を見るのも楽しくなってきました。物見高い性分なもので・・お粗末様。

Re: No title

 こんばんわ。今回紹介した画像程度ではぜんぜんその魅力が伝わらないんですが・・とにかく竹ばかりで土塁の上から空堀を見下ろして撮るような場合も竹が邪魔して閉口しました。
 
 後で「日本城郭体系・東日本編」知ったのですが、横浜線を超えた南側の寺院周辺が古い時代の遺構が残っているようなのです。立ち入れるかどうかまでは書いていませんでしたが。また機会があれば見に行きたいと考えております。

面白いですよね

サムライ銅像も面白いなぁといつも拝見させていただいていますが、
道祖神や狛犬も、面白いですよね。
全国の画像を集めてみるのも一興かなと思いました。
私が学生の頃にここまでネットが普及していたら、
やっただろうなぁ。
竹林も見ごたえがありますね。
天を支えて立っているような感じ、大好きです。

Re: 面白いですよね

 こんばんわ。狛犬や道祖神もけっこう個性豊かなので見ていると面白いので、最近はそれらの画像も増えつつあります。 
 図書館では狛犬の研究本も閲覧できるので、好きな方も多いということですよね。そのあたりまで手を広げると収拾がつかなくなるので、ブログで紹介する程度に留めておきます。
プロフィール

サムライ銅像研究会

Author:サムライ銅像研究会
歴史と銅像と芸術が大好きなあまり、日本各地を東奔西走する銅像・史蹟ハンターである。神出鬼没なため、脈絡無しのブログ更新を続ける。掟はただ一つ!「死して屍拾うものなし!」昔の時代劇の決め台詞だけどね・・皆さん、見てやあ!
 最近、キューピーに侍の装束を着用させる遊びをやっております。「武者ピー」と呼んで可愛がってやぁ~!以後は「キューピー甲冑師」とも名乗ります。

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