スポンサーサイト

上記の広告は1ヶ月以上更新のないブログに表示されています。
新しい記事を書く事で広告が消せます。

小説「蘭陵王」を読んだ

 今回は読後感想文なので画像はない。

 それがしの最大の趣味は読書に尽きる。歴史関係の本か歴史小説ばかり読んでいる。好きな野球チームはないし、サッカーは観ないし(さすがに今回のアジア大会は見ていたが)やりもしない。ゲームもしないし、酒量も最近減っている。別に草食系ではないがいまだ独身だ。とにかく本が読みたい。万巻の書物があるのに人生のなんと短いことか・・自分の時間は読書と史蹟巡りとカメラにつぎ込んでいるといっても過言ではない。

 今回、「銀河英雄伝説」で有名な田中芳樹先生の「蘭陵王」を読んだ。先生はスペースオペラでデビューしたが、ある時からファンタジー(「アルスラーン戦記」など)や歴史小説などを書くようになった。「蘭陵王」も歴史小説だ。
 日本の雅楽に「蘭陵王」の舞いがある。それがしはネットの画像でしか見たことがないが、実際に見物された方もいるだろう。恐ろしい鬼の面をつけた人物が躍動的に舞い踊るものだが、これは中国の北斉王朝に実在した高長恭(こう ちょうきょう)が戦に勝った後に讃えるために兵士たちが踊ったものが現在まで伝わったものだ。

 時は6世紀中頃、支那大陸は北斉・北周・陳の三国に分かれて互いを征服しようと戦争を続け、さらに北方の騎馬民族「突厥」も中原(支那文化が栄えていた地域)を虎視眈々と狙っていた。ある時、西に盤居する北周が20万もの兵をもよおして北斉に侵攻を開始した。北斉の帝・武成帝は蘭陵王・高長恭らにわずか5万の兵力で迎撃を命じた。ここに支那史上名高い「邙山の戦い」の幕が切って落とされたのである。詳しくは書かないが、高長恭は智謀溢れる兵略でみごと敵軍を撃退したのである。都に凱旋した高長恭は帝に褒められたものの、それは長く苦しい時代への第1歩に過ぎなかった・・。
 さてその高長恭は生来たいへんな美男子で、戦場で敵兵を恐れさせるために鬼人の面を被って戦陣に臨んでいたという。その鬼の面が現在も残る「蘭陵王」の舞いに残っているというわけ。

 小説自体はまあ面白く読めた。さすが支那史に詳しい田中芳樹先生、史実からそつなく物語をまとめられていたが、高長恭の人となりがただ「戦に強い」という方向でしか描かれていないというところが残念。読んでいる途中に何も考えることなくスナック菓子を食べるようにサクサクッと読めてしまうのである。
 中学生くらいならこれくらいでいいんだろうが大人が読むには物足りない。

 その点、宮城谷昌光先生の描く古代支那の小説は人物描写が深く、読んでいる途中も自分の人生に照らし合わせて考えさせられる文章なので実に読み応えがある。どちらがいいというわけではないが、歴史と正面から向かい合いたければ宮城谷先生や吉村昭先生などのより真摯に歴史に向き合う作家の作品を読むほうがいいだろう。司馬遼太郎先生ごときのように歴史を自分のみたいように書いてしまう作家の作品からは遠ざかったほうがいい・・と思う。

 話はかわるが、エジプトの反政府デモ・・ムバラク大統領の統治は知らないし、エジプトの未来は彼ら自身で決めるべきだが、あらためてネットの恐ろしさを思う。フェイスブックとはなんぞや?デモの画策者の主体とはなんぞや?現在、チュニジアを基点として中東各地に波及しつつある反政府デモは何を生み出すのか?歴史は動いている。

 鹿児島の霧島・新燃岳の噴火も心配だ。去年、鹿児島を訪れた際、地元の人々が「今年は桜島の噴火が多い。そのうち大爆発するんじゃないかねぇ・・」と異口同音におっしゃっておられたのを思い出した。

 なんだかとりとめもなくなってきたのでこの辺で・・。
スポンサーサイト

コメントの投稿

非公開コメント

プロフィール

サムライ銅像研究会

Author:サムライ銅像研究会
歴史と銅像と芸術が大好きなあまり、日本各地を東奔西走する銅像・史蹟ハンターである。神出鬼没なため、脈絡無しのブログ更新を続ける。掟はただ一つ!「死して屍拾うものなし!」昔の時代劇の決め台詞だけどね・・皆さん、見てやあ!
 最近、キューピーに侍の装束を着用させる遊びをやっております。「武者ピー」と呼んで可愛がってやぁ~!以後は「キューピー甲冑師」とも名乗ります。

最新記事
最新コメント
最新トラックバック
月別アーカイブ
カテゴリ
検索フォーム
RSSリンクの表示
リンク
ブロとも申請フォーム

この人とブロともになる

QRコード
QR
上記広告は1ヶ月以上更新のないブログに表示されています。新しい記事を書くことで広告を消せます。