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夏の暇つぶし~アイアンマン・フィギュア~

 世間は盆休みだが、それがしは仕事があるので盆休みはない。とはいえ休みもあるので、そんな時はカメラを抱えて散策写真を楽しむわけだが、秋葉原に通りかかったときに見つけてしまった・・・。

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 映画「アイアンマン」シリーズのガチャガチャがあったので思わず熱くなり、やってしまった・・1体ずつでれば総額二千円だが、ほぼ倍額かかってしまった・・・。あな恥ずかしや。
 しかしさすがの海洋堂、よく出来ている。鑑賞に耐え得るものである。1体ずつ見ていきたい。

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 ロバート・ダウニー・ジュニア演じるトニー・スタークがテロリストに捕らわれて、最初に造ったアイアンマン・マーク1、非常に荒削りだが天才トニーが造るだけはある。背中の「STARK IND.」が洒落ている。映画では背中まで見ていなかったからどうなのかな?

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 こちらは見事生還したトニーが豪邸の地下研究所で改良したアイアンマン・マーク2、とはいえこれは試作機。高高度では氷がつき、コンピュータが機能停止するのだが、その点は映画のラストにも関わる伏線なのでまだ見ていない方のためにもこれ以上は・・・。

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 こちらはアイアンマン・マーク3、改良を重ねた完成機。映画のポスターやDVDの表紙にも大きく写っているからこっちのほうが印象強い。
 しかしよく出来ている。原型師、まじハンパねぇ!高さ30センチくらいのブロンズ像でもあったらほしいね。銅像ハンターとしては。

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 こちらは映画のラストでアイアン・モンガーとの対決で傷ついたマーク3 

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 そして敵役のアイアン・モンガー・・こいつだけ4体も出てきやがった・・・軍団ができるな。

 組み合わせると・・
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 こんな遊び写真もできます。

 まあ、暇なオジサンの暇なブログでした・・・。

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太田道灌公の銅像10体目!~埼玉県川越市~

 埼玉県は川越市鯨井(くじらい)にある長福寺に太田道灌公の銅像が建ったというので撮りに行ってきました。
新宿から西武線・東武線と乗り継いで1時間半くらいかかったかしら・・・。
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 霞ヶ関といっても千代田区ではございません。真ん中の女の子はたまたま写り込んだだけなので他意はございません。まあ、直前にオジサンが通り過ぎるのは待っていた訳だが・・・

 銅像巡りの旅に付き物の徒歩移動・・駅から歩いて20分ほどかな・・暑い日でしたが、風が吹き、蝉の合唱も賑やかでしたので楽しい散策でした。途中には・・・
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 日枝神社、村の鎮守様ですが、創建は貞観年代(860年頃)・・古いですね。ここには狛犬殿はいませんでした。代りに灯篭がたっていましたが、年号は正徳元(1711)年。新井白石が江戸城で働いている頃です。古い!

 さらに歩くと・・・
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 こちらは八坂神社。今年も京都の祇園祭は盛大だったようで・・こちらの八坂さんはいつ建ったか不明でおま。ふと視線を感じると・・・
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 鬼瓦はんに見おろされておりました。ひぇぇぇ・・・何も悪いことはしてはりませんによって・・ほな、さいなら!

 途中、関西弁が混じってしまいました。このへんの神社は狛犬殿がおりませんなぁ・・。さて八坂神社からだともうすぐです!

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 今回の目的地「曹洞宗 吉祥山 長福寺」です。中にはいりましょう。
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 こちらが建てられたのは永享元(1429)年、京では「くじ引き公方」こと足利義教が猛威を振るっていますな。

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 堂々たる山門を潜り・・・

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 本堂でご本尊さまにご挨拶をすませ・・・いよいよ

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 いました!静かな境内の一角に柔らかな木漏れ日をうけて佇んでおります。
   『開山 雲崗俊徳(うんこうしゅんとく)禅師 弟子 太田道灌公』と台座には刻まれております。
 作者は重岡建浩氏ですが、ネットで調べても何も出てきませんでした。はて?今後の宿題とします。

 こちらでは以前にも書きましたが、太田道灌公がいつ出家したのかよく分かっていないのです。それどころか俗名も「持資」とも「資長」ともいわれており、よくわかっておりません。当ブログでは「資長」説を採用し、関東全域を巡って大田道灌の謎を追ってまいりましたが、最大の謎の一つ「道灌さん、あなたはいつ出家したの?」という疑問には答えが示されておりませんでした。
 そこに今回のこの銅像・・・道灌公については色々調べていますが、この長福寺は全く知りませんでした。河越は太田家ゆかりの街ですから足跡はあちこちにあるでしょうが、古い話ですからね。

 ともあれ銅像を見て行きましょう。まずは禅師から・・
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 厳しくも慈愛に満ちた視線を注がれております。思わず手を合わせたくなるような・・続いて道灌公。
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 道灌公も心穏やかに手を合わせております。出家後もまだまだ関東の騒乱は続き、このわずか十数年後に相模・糟屋館(神奈川県伊勢原市)で討たれる訳ですが・・。それにしても穏やかな表情です。撮りに来て良かったです。

 さて、出家年次問題ですが、「文明6(1474)年説」と「文明10(1478)年説」の二つあります。前者はその前年の文明5年に道灌の主君・扇谷上杉政真古河公方・足利成氏により討ち果たされたため、主君の菩提を弔うためと考えられます。後者は昭和30年代に刊行された『東京百年史』に書かれておりました。理由はなんだったかな・・古い本なので都内の大きい図書館でも置いてないところが多いかな。
 文明6年に江戸城で行われた連歌の会で「道灌」が資料上、初確認されています。ま、資料は改竄されている可能性もあるので、「資料にあるから間違いない」と思い込むと真実を見失いがちなので色々と傍証を集めていかないといけません。
 その意味でも長福寺の存在はありがたい。あいにくと住職は法事でご不在でしたが、ご家族にお話を伺うと住職もお寺の歴史を独自に調べており、道灌公についてもかなりお詳しいとのこと。また、禅師についても面白い情報を伺えたが、まだ自分では郷土史など調べていないので公開できるレベルではありません。今後、折を見て住職と連絡を取らせて頂き、公開できる範囲内でまた色々書きたいと思います。

 今回はここまで。色々収穫のある日でした。

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プロフィール

サムライ銅像研究会

Author:サムライ銅像研究会
歴史と銅像と芸術が大好きなあまり、日本各地を東奔西走する銅像・史蹟ハンターである。神出鬼没なため、脈絡無しのブログ更新を続ける。掟はただ一つ!「死して屍拾うものなし!」昔の時代劇の決め台詞だけどね・・皆さん、見てやあ!
 最近、キューピーに侍の装束を着用させる遊びをやっております。「武者ピー」と呼んで可愛がってやぁ~!以後は「キューピー甲冑師」とも名乗ります。

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