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鎌倉最古のお社へ~♪

 引き続き、鎌倉散歩です。武者ピーは今回もお休み。次回、大量にでますので・・。ちなみに携帯電話やスマホからこの記事を見て頂き、感想を投稿してくれている方もいるようだが、なぜか文面が白紙。読めないので返事しようがないので、反応がないと不審に思われている方・・そういう訳なので、仕方ないのですよ。

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 前々回から今回動いた鎌倉概念図を描いてみました。まあ、東から西へ・・縮尺も道路も無視して描いているので正確には、鎌倉の地図を見るか、グーグルマップで見てください。

 今回は鎌倉最古の神社へ向かいます。
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 住宅街の向うに見えてきました。
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 神社の前にはこんな石碑や・・
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 元寇危機の時に活躍した執権・北条時宗公の産湯の井戸なんてあります。

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 こちらは甘縄(あまなわ)神社、正確には甘縄神明宮といい、天照大神をお祀りしております。創建は和銅3(710)年、平城京遷都の年です。この地で「八幡太郎」こと源義家が産まれた(小田原出生説もあります)と
されており、荒れ果てていた社殿を永保1(1081)年に再建した、といわれております。
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 扁額です。

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 狛犬はたいへん力強いですね。昭和初期?この台座にも年期が見当たりませんでした。
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 狛犬を煽って撮り、拝殿や扁額も上手い具合に収まりました。参拝を終えて、振り返ると・・・
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 画像の奥に鎌倉の海がみえます。やっと晴れてきて、温かい陽射しが届くようになりました。本殿はさらにこの上にあり、本殿裏の山は古くは「御輿ヶ岳」とよばれており、古歌に
  『都には はや吹きぬらし 鎌倉の 御輿ヶ崎 秋の初風』とあります。歌の解説は専門家ではないので省きます。雰囲気で味わってください。まあ、大体わかるでしょ!

 神社を後にして、鎌倉の街を西へ西へと歩いていくと・・・
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 寺院のようなお店が現れました。
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 さすが古都・鎌倉です。さりげなくこういう建物があります。軒先には・・
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 牡丹の花ですかね。すばらしい鎌倉彫りがありました。他にも・・
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 街中の新聞販売店も渋めの木造です。このあたりは観光客も少なめで、奈良の街中に雰囲気が似ているかも。

 さらに西へ行くと・・・
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 道路の分岐点に「六地蔵尊」が建っています。正面から撮っても面白くないので・・
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 こう撮るとかっこいい・・・この後、地蔵が皆、こっちを向きます・・・嘘です・・。 

 今回はここまで。次回は鎌倉最大のあの神社の昔と今を見てみます。武者ピーもでるでよ~。

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鎌倉の五霊神社

 今回は鎌倉の神社のみご紹介・・・。
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 やってきました。長谷の雪ノ下。

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 住宅街の向うに見えるよくある神社に見えますが・・・。

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 鳥居の前をすぐ江の島電鉄が横切ります。ここは鉄道ファンには有名な撮影ポイントらしいです。それがしも折りよく撮影できました。
 さて、こちらの神社は平安時代の鎌倉の開発領主・「鎌倉権五郎景政(かまくら ごんごろう かげまさ)」を祀ったお社。景政は源義家に従って、後三年の役に参陣し、片目を潰されながらも奮戦したという伝承があります。また大庭御厨を開発し、伊勢神宮に献納しています。さらに源頼朝に従った大庭氏や梶原氏の先祖でもあるそうです。

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 扁額には・・
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 そのものずばりの名前がはいっています。

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 旗立ての松。

 狛犬をみましょう。
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 顔が欠けているのが残念ですが、なかなか風格あるものです。台座には何も書いてませんでした。残念。

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 末社の石上神社は・・
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 こっちの狛犬が古くみえます。はて?

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 境内のご神木です。まだこの時は曇っていてとても寒かったです。

 次回も鎌倉の神社です。武者ピーはしばらくでません。

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武者ピーと武士の古都・鎌倉探訪~新作もな~

 えー、巴御前ピーにせっつかれましたので木曽義仲を造りました。「平家物語絵巻」では・・
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 真ん中の座っている武将です。金ぴかの大鎧着て、一目で大将とわかります。

 巴御前と同じ柄・色違いの直垂を。
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 できました。「旭将軍」こと木曽義仲公。左手に持っているのはたいまつ、その右にいるのは角に木をくくりつけられた牛さん。目が怒ってます。でもそんな牛さんもゆるキャラ化すると・・・

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 富山県は小矢部市のキャラクター「メルぎゅー君」、角が燃えているのに笑顔です!手・・前足を振っています!小矢部市のホームページを見ると、更に動きまくってます!面白いので見るといいよ!
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 ま、こっちの牛はあくまで興奮しているんですが。倶利伽羅峠の合戦で本当に「火牛の計」が使われたかは疑問なんですがね。大体、山道に強い牛を物資輸送に使っていたのに死なせたら困るだろうに・・・まあ、軍事作戦はしばしば世間の常識の逆をいくのがままあることですが・・。

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 兜の獅噛みも為朝や義経とは違います。

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 巴御前ピー「あら!義仲様!やっとあのヘボ甲冑師が造ってくれたのね」
 義仲ピー 「おお、何百年振りに会えたな。わしもうれしいぞ」
 巴御前ピー「その牛はどうしたの?」
 義仲ピー 「気づいたらついてきていたのだ。どうしよう?」
 巴御前ピー「きまっているじゃない。わらわの馬共々、お世話よろしくね!」
 義仲ピー 「・・・・わかった・・」
 おやおや、義仲さん、鬼嫁に尻にしかれているようです。

 さて、武者ピーを連れて鎌倉遠足にいってきました。なぜか担任の先生のような気分を味わいました。

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 鎌倉駅から江の島電鉄に乗り換えて「腰越」駅へ。ここで有名な「腰越状」がかかれます。源義経が頼朝に向けて書いたお手紙ですね。腰越まで平家の武将を連行して、源氏方の武将に引き渡すと「鎌倉に入ることまかりならぬ!」と言い渡されます。その後、義経一行は当地の「満福寺」に滞在しつつ、義経はお手紙をしたためます。
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 いやあ、もう寒くて寒くて・・近くに佐々木盛綱創建の「小動(こゆるぎ)神社」もありますがスルーしました。海風が半端なく冷たいし・・。
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 詳しくはこちらを読んでね。

 続いて、新田義貞ピーで有名な稲村ガ崎にいきました。
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 駅から稲村ガ崎に行くまでの間に「十一人塚」がございます。新田方の部将以下11人が討ち死にしたところです。
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 義貞ピー「又次郎・・・安らかに眠れよ」義貞公も神妙に祈っています。

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 という訳で稲村ガ崎に到着。詳しいことは義貞ピーの時に書いたので割愛・・。

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 波がきつめでしたので岩場の端で撮りました。天気が良くて、波穏やかならもうちょっと先までいけましたが。
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 義貞ピー「この岩場の先を、皆、縄で数珠繋ぎにして渡ったのだよ。あの折も何人も海に流されたものだ」
 大変な作戦でしたねぇ・・・。

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 材木座海岸や三浦半島方面を撮りました。雲間から太陽光が差し込んできました。
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 江の島方向です。この後、晴れていい天気になりましたが、それはまた次回・・・。

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 ちなみに、アルジェリアで多くの人命が失われたことは残念ですが、現地に一兵も送っていない日本には現地政府を支持するしかやりようがありません。まさに「これが世界の現実だ」という事件ですね。これで日本人も憲法問題について考え出すといいのですが・・・。

鏡開き・武道初め~九段下の武道館~源為朝もね!

 成人の日に武道館で「武道初め」といって、たくさんの大鎧が見られるイベントがあるというので行ってきました。後半に新作武者ピーを載せます。

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 朝方は雨だったんだけどね・・・まさか大雪になるとは・・・。

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 まず出陣式です。鎌倉幕府以来の古式ゆかしいやり方で行っています。見ていると、平安時代末期・源平合戦時代・鎌倉時代の色んな鎧が混じっていましたが、さすがに大鎧は色とりどりで見ているだけで楽しいですね。
 今日の見学をまた武者ピー製作にいかしたいと思います。

 その後、政治家の出席者から挨拶があり、武道に貢献した人への表彰式がありました。そのあたりはすっとばし・・・。
 
 弓道や剣道などの古武道の模範演武です。
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 行われたのは弓道・空手道・杖道・合気道・銃剣道・柔道・少林寺拳法・薙刀・相撲道です。印象的な画像だけ紹介しましょう。
 上の画像は弓道です。背筋がピンと張っていてかっこいいですね。

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 杖道です。もう達人のレベルで何がなにやら・・・。

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 初めて見たのが「銃剣道」。自衛隊でしかやっていないかと思っていましたが、子供達もいましたので街中に道場があるようです。びっくりしました。

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 薙刀は女の子ばかりで「リズム薙刀」という演武をやっていました。ダンスみたいで面白かったですよ。

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 こちらは拓殖大学の相撲部の学生さん達・・学生相撲でも生で見ると迫力ありますね。体と体がぶつかる生の音がけっこう迫力ありました。

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 最期は武道館いっぱいに色んな人たちが集まって稽古のお時間です。これだけ集まると壮観・・ここまで見て帰途につきました。だって雪がやばいし・・。

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 江戸城も雪まみれです。

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 急に降ってきたのでびっくり!

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 靖国神社の大村益次郎も雪まみれです。

 源氏の伝説的勇者である武者ピーを造りました。
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 頼朝や義経の上の世代、なにせ2人のお父さん・義朝(よしとも)の弟なので叔父さんにあたります。まだ二十歳前の設定で、頬髯が生えています。長いもみ上げにしか見えないかも・・。
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 甲冑は赤糸オモダカ縅具足、刀の鞘は黒漆塗りに金の金具を付けている設定・・。
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 兜の獅噛(しがみ)もやや凶悪な顔立ちです。

 源為朝は身長七尺(210センチ!)、左腕が右腕よりも四寸(12センチ)も長く、大変な暴れん坊で弓の達人であったそう。あまりの乱暴振りに父親から勘当されると、為朝は九州へいってそこでも暴れ廻り、九州をほぼ統一。そのため「鎮西八郎」というあだ名がつきます。
 その頃、都では戦雲たなびき、為朝は父から呼ばれて腹心の28騎(いずれも曲者揃い)を連れて上洛した所に「保元の乱」が起こります。そこで父や他の兄弟に味方し、兄・義朝や平清盛と戦うことになります。
 早速、作戦会議が開かれ、為朝は「夜のうちに奇襲攻撃をしかけるべきだ」と進言するも、公家から「それは田舎者の作法」と馬鹿にされてしまいますが、果たして清盛らは逆に奇襲をかけてきて応戦する羽目になりました。そこでも為朝は奮戦しますが、衆寡敵せずついに囚われの身になり、その強力に恐れられて両腕の腱を切られて伊豆大島へと流されてしまいました。ここまでが歴史上、確実な話・・。

 伝説では、大島でも暴れまわり、沖縄で王朝を建てたとか、大島から為朝が射た矢が伊豆の海岸にまで届いたとか華やかな伝説があります。本当ですか?
 為朝ピー「さあな。随分、昔のことだからな・・大体、大男のオレがなぜこんなに小さいのだ?」
 まあ、それは愛嬌ということで・・・。そういえば、弓の達人のような話ですが、「保元の乱」の時に、外してしまったこともあるそうじゃないですか?
 為朝ピー「そんなことあったか?」
 鎌倉幕府の歴史書『吾妻鏡』建久2(1191)年8月1日に幕府の要職にあった大庭景能(オオバ カゲヨシ)という方が「合戦の最中に弓の名人・源為朝に出くわしたけど、あいつは西国にいたから乗馬は下手だから、それがしが彼奴の弓手(左手)側へと動き続けていたら、長すぎる弓を扱いかねてか、それがしの胴体を射抜くべき矢が膝にあたって済んだ」なんていってますよ。
 為朝ピー「・・・思い出した。そんな木っ端武者がいたな。チョロチョロ動き回るから外してしまった・・」
 為朝さんも外すことあるんですね。
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 為朝ピー「おい、そこまでにしておけ。造り主とて、射抜くぞ!」(頭に怒りの筋が浮き出ています)
 あ・・ごめんなさい。まあ、落ち着いてください。実は為朝さんのために素敵な屏風も用意しました。
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 浅草の和紙屋さんでこんな柄の端切れを安価に入手しましてね。
  為朝ピー「浅草というと、漁師の兄弟が観音像を引き上げたという・・?」
 よくご存知で・・こんなん出来ました。
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 江戸時代の尾形光琳という絵師の仕事を真似てみましてね。これなら為朝さんにふさわしいんじゃないかと・・ほら、立ってみてくださいよ。
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 あ!やっぱり似合いますよ。さすが源氏の伝説の勇者!
 為朝ピー「ふふん、悪くないな。ま、これに免じて許してやろう」
 ありがたき仕合せ・・。
 


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「平家物語」悲劇の美少年~敦盛と直実~

 源氏の武者ピーばかり増えているので「困ったもんだ」と思いつつ、「平家物語」の朗読CD(俳優の平幹次郎氏が朗読)を何回となく聞いていると・・・
  「やっぱり平家はあいつから造るしかないか・・」ということで。
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 何これ?舞台をこしらえました。背景は青空と右に松ノ木、足元は左が波打つ海と右が砂浜・・・
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 じゃじゃん!「平家物語」の名場面『敦盛最期』!!

 京都で暴れまわっていた木曾義仲を退治した源範頼・義経らは余勢を駆って一の谷の城砦に立て篭もっていた平家軍に総攻撃をかけました。源範頼率いる正規軍は正門から攻撃をかけ、多大な犠牲を払いつつもちょっとずつ前進・・その間、源義経は少数の奇襲部隊を率いて六甲山地を駆け抜け、平家軍をはるかに見おろす断崖にでました。
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 義経ピー「皆のもの!鹿すら崖を降りられるのだ。われ等に出来ぬわけはない!」というや自ら馬の手綱を握って馬を駆け下ろさせました。他の坂東武者は躊躇しつつも義経に続いていきました。
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 ま、馬を背負って降りる怪物のような坂東武者もいましたが・・・。

 たまらないのは平家です。今まで正門での戦いをほぼ互角に繰り広げてきたのに、後ろから嵐のような坂東武者の突撃をくらったのです。これにはたまらずに、平家方は崩れたち、我先にと海上の船に逃れていきます。あまりにも大勢の武者がとりつくので沈んでしまう船もでたほど・・。

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 武蔵国に所領をもつ坂東武者・熊谷直実は3人の息子共々、正門の攻撃軍に加わり、危うく討ち死にしそうになりながら平家軍と激闘を繰り広げていましたが、突然、平家軍からの圧力が弱まりました。見れば平家方の武者が逃げていくではありませんか!
 直実ピー「おのれ、汚し!取って返して戦え!」直実は傷ついた嫡男の直家を残る2人の息子に任せてなおも突き進みます。すると・・白馬にのり、大将軍のような立派な大鎧を着た武者が海に入っていくではありませんか。
 直実ピー「やあ!よき敵見つけたり!我といざ戦わん!」と直実が扇をかざしながら呼びかけると、白馬に乗った武者はやや躊躇しつつも引き返してきました。二人とも矢を討ちつくし、刀もささらのようにぼろぼろなので両手を頭上にさしあげ、やおら馬上での組討が始まりました。
 が・・直実が「おや?」と思うほど相手の武者は力弱く、あっというまに二人とも馬から落ち、直実は相手を組み敷いて兜を剥ぎ取りました。すると・・
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 相手は自分の息子と同じ年頃の若武者。小刀を相手の首筋にあてて尋ねました。
 直実ピー  「さぞや名のある武者と見覚え申し候。名をばうけたまわりたし」
 謎の武者ピー「名乗る程の者にもあらじ。我が首を取った後に誰かに聞くとよい・・」と目を閉じてしまいました。さすがの荒武者・直実もまるで息子を組み伏せているようで、命を奪うのを躊躇いました。
 直実ピー(わしが見逃してしまえばこの若武者は逃れられるだろうか・・)と思いましたが、その時、背後から激しい馬蹄の轟きを耳にしました。振り返ると、梶原や三浦など味方が駆けつけてきてしまいました。
 直実ピー(わしが見逃しても、他の武者に討ち取られてしまうに違いない・・ならばわしが首とって、この者の後生を祈るとしよう・・)直実はこみ上げるものを飲み下して若武者の首を挙げました。
 後に直実が首の名を聞くと、平清盛の末弟・平敦盛であったとのこと。敦盛が戦場にも携行していた笛を土地の寺である須磨寺に納めました。直実は跡を直家に譲った跡、浄土宗の法然に弟子入りして敦盛の菩提を篤く弔ったそうです・・・。

 聞くも涙、語るも涙の『敦盛最期』の概要です。今回は悲しい主人公でしたね。敵味方とも武者とは厳しきものなり・・・それはさておき、敦盛ピー、作者自身が驚くほどの美少年に仕上がってしまいました。
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 直垂も大鎧もとにかく華やかなものに心がけました。
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 髪も長めでサラサラ!

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 対する直実ピーはむさくるしく・・このお話の時、直実は42~3、敦盛は16~7、直実は歴戦の荒武者で男盛りだから公達育ちの敦盛君ではかなわなかったでしょうね。
 この敦盛君、すでに嫁御料を迎えていたそうで、公家の姫御前「玉織姫」という方がいたそうです。広島県の備北・庄原には現在も「玉織姫」の墓が地元の人に手厚く守られているそうです。また民謡「敦盛さん」やその民謡を基にした踊りもあるそうです。

 武者ピー界に新たなアイドルが誕生してしまいました。静御前ピーはどう考えておられるでしょう?
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 静御前ピー「べ・・別に・・どうだっていいわよ。大体あのこ男の子でしょ!関係ないじゃない!」
 義経ピー 「吉野での別れでもあいつあんなに動揺してなかったぞ・・」
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 巴御前の髪も直しました。
 巴御前ピー「わらわはどうだってよい。早く(木曽)義仲さまを造ってもらえれば文句はない。それより敦盛をねっとりと見つめる武者ピーがおおいようじゃな・・」
 昔は『衆道(男色)は武者のたしなみ』なんていわれていた時代もありましたから・・現在造られている武者ピーの中にも男も女も両方イケタ口の方がいますねぇ・・・。

 とまあオチがついた所で・・。

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 武者ピーをすこしでも広めるため、フェイスブックに参加しました。「近葉尚吾」で検索してみてください。
 「クリエイターズバンク」にも登録しました。「キューピー甲冑師」と名乗っております。
 迷惑メールは勘弁してください・・。
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 敦盛ピー「じゃ、またね!」

源氏の兄弟と21世紀型神社

 お正月も何事もなく過ぎ、武者ピーもまた増えました・・大晦日の日に造ったものを振り返りましょう。

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 まず源義経の鎧を造り替えました。今回は鎧の下に着る鎧直垂(よろいひたたれ)から着せました。これで寒くないね!
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 髭も生えました。後世描かれた肖像画はいずれも髭あるのでそちらに従いました。最近の流行は髭なしかもしれませんが、昔は髭も生えてないような武者は子供扱いされたかな?
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 源氏といえば白旗・・これがないとね。
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 義経は美少年伝説もあるので、髪は長めにしてみました。サラサラヘアってね・・・兜はそのまま。

 お兄さんの頼朝も造りました。
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 やっぱり直垂から・・平安時代にこんな柄の布あったのかな?まあ、デフォルメ勝負の武者ピーなので厳密な考証は笑って許して。
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 頼朝さんは鎌倉の源氏山公園にある銅像を参考にしました。
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 やっぱりこの人、兜より烏帽子というイメージが強いですね。
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 手には采配をもっております。
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 カメラ目線もきまりました。
 義経ピー「兄上、載頼(のりより)の兄者がおられぬが・・」
 頼朝ピー「あいつ、存在感薄いからな・・甲冑師がお題に困ったら造るかも」
 義経ピー「なら、相当後になりますなぁ・・」
 
 大晦日の日は、同時に足利尊氏も造っていましたが、完成させた後、さすがに疲れたので神楽坂に散歩にでました。たまたま通りがかった赤城神社がしばらく見ない間に「スタイリッシュ」な21世紀型神社に変貌していて驚きました・・。
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 手水鉢からしてなんかオシャレ・・。

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 もっとちゃんと撮ればよかったんだけど、神社というより出来たての公園のような雰囲気でした。ちゃんと神社なんですけどね。
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 狛犬ちゃんの後ろはマンション・・・狛犬もなんかきどって見えました・・・この後、蕎麦屋で年越しそば食べて、帰って、ラジオ聞きながら寝てました・・・。

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あけましておめでとうございまする

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 お年賀代わりに「静御前・お正月バージョン」ということで絶賛舞踊り中・・・。

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 武者ピー用のお城や天守閣、足軽長屋など築いておりました。まあ、段ボールに半紙や色紙貼り付けただけですけどね。

 これだけではアレなので、「お正月天下人大放談大会」をお送りします。
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 太田道灌ピー「皆さん、明けましておめでとうございます。司会の太田道灌です。本日はお正月ということもあり、日本史を代表する天下人のお三方に集まって頂き、今年の展望などを語っていただこうという企画です」

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 (チャーッチャ、チャッチャラッチャー♪ 政治番組的導入音楽)
 道灌ピー「それでは皆様のご紹介をさせていただきます。中央は鎌倉幕府・初代征夷大将軍であらせられる源頼朝公です」

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 源頼朝ピー「うむ、源氏嫡流である頼朝じゃ。よろしゅうに・・」
 道灌ピー 「左側が室町幕府・征夷大将軍であらせられる足利尊氏公です」

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 足利尊氏ピー「おお・・よろしくな。何か向うからきつい目線を感じると思ったら、新田義貞殿がおられるな・・」
 道灌ピー  「事前に皆様には過去の恩讐や因縁は、武者ピーである以上、棚上げしてもらうべくお願いしてありますので心配はございません。加えて、ここには日本史を代表する名将や豪傑が集まっていますので警備は万全です。かくいうこの道灌も得意の足軽戦法でいかなる敵も通しませぬぞ」
 尊氏ピー  「それは安心じゃな」
 道灌ピー  「最後に徳川家康公をご紹介させていただきます」

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 徳川家康ピー「どうも、ここには源氏の方々ばかりで、それがしもその一員として喜ばしく存じます」
 尊氏ピー  「おぬしは新田源氏の末流というておるが本当か?」
 家康ピー  「いや・・それは・・都の公家さまに系図探しを手伝って頂きましたが・・」
 尊氏ピー  「それは随分とむしられた(金を払わされた)ことだろうのう・・まあ、わしの子孫は大事にしていただいたようだから文句はないがの・・」
 頼朝ピー  「これこれ、尊氏殿、大人気ないですぞ。大体おぬしより新田の方が源氏の血筋としては濃いのにも関わらず、鎌倉幕府で執権北条氏に取り入っていたから『源氏嫡流』といっているだけではないか」
 新田義貞ピー「我が先祖を冷遇したのは鎌倉殿(頼朝のこと)ではないか!」
 道灌ピー  「まあまあ・・・血筋論はその辺りで・・。それがしも源三位頼政(「平家物語」で以仁王の令旨を受けて平家に挙兵するも、敗れて自害)の末裔とうたっておりますが、本当のところはわからないのですよ。系図はとかく後世の都合が反映されることが多々ありますから・・」
 頼朝ピー  「うむ、すまぬの。わしも大人げなかった・・ま、源氏嫡流のわしから見れば、おぬしらまとめて似たようなものじゃな・・」
 道灌ピー  「これは手厳しい・・ひとつ尊氏公に確認したいことがあるのですが・・」
 尊氏ピー  「なんじゃ?」

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 道灌ピー「本日のお姿はこの肖像画が元であると思うのですが、これは尊氏公のお姿なのですか?」
 尊氏ピー「うむ・・一昔前まではこれがわしの姿ということだったが、最新の研究ではわしの家臣の『高師直(こうもろなお)』らしいとされておるな。国立博物館では混乱を避けるため、単に『騎馬武者』と呼んでおるが、武将の肖像画としては一級品じゃからな。甲冑師はこれで造ろうと思ったそうじゃ」
 道灌ピー「なるほど・・では最初のお題にうつりたいと思います。今年の芸能界はどうでしょう?」
 尊氏ピー「知らぬ!」
 家康ピー「大体、甲冑師がテレビ見なくなったからわからないのだろう」
 頼朝ピー「ほっほっほっ・・わしらに今の芸能などわからぬぞ。わしは白拍子が舞をまっておればよいわ。あとは和歌かの」
 尊氏ピー「わしの生涯は戦ばかりでそれどころではなかったわ・・孫がなにやら『能』というものに夢中じゃったそうじゃが・・」
 家康ピー「わしは風流事は苦手での・・前右府(さきのうふ:織田信長)様や太閤殿下の茶道狂いには内心困っていたものよ・・」
 道灌ピー「なるほど・・わたしもよくわからないのですが、今年の大河ドラマは『八重の桜』で、久々のヒットが期待されているようです。昨年の『平清盛』がさんざんでしたから」
 頼朝ピー「なんと!今の世では『平家物語』は好まれておらぬのか?」

 道灌ピー「さて、本題の政治の展望を伺いましょう」
 家康ピー「そもそも日本人自身が武力を持たず、南蛮人の軍隊が駐留しておるのがおかしい」
 尊氏ピー「家康殿、南蛮人ではなく米国人じゃ。憲法の問題があるが、例の長州男は憲法改定をねらっておるようだの」
 頼朝ピー「それはわしも賛成じゃ。刀は威力が問題ではなく、自らの意志で抜く決断ができるかが重要じゃ。長州男は『危機突破内閣』といっておるようじゃが、『参議院選挙突破内閣』が本音じゃろ・・それまでは大人しくしておるつもりかの・・」
 家康ピー「大体、今の世はエネルギーを使いすぎじゃ!原子の火などという恐ろしいものを使って『今さえ良ければいい・・』という風潮は嘆かわしい。大体、『人生は重き荷を背負いて、長き道を・・』」
 尊氏ピー「まあ、その名言はまたの折に・・TPPとは何じゃあれは!外交交渉の中身を明かさぬまま交渉を強要し、参加すれば、抜け出すことなど不可能とは・・アメリカは益々『帝国化』を先鋭させておるな。とはいえ今の日本では、自立も心もとない・・半世紀前までは世界に冠たる連合艦隊をもっていた一等国であったのにな・・」
 頼朝ピー「なにか愚痴ばかりになっておるな。道灌よ・・次の話題に移るがよいぞ」
 道灌ピー「はあ、では皆様が何かやり直したいことなど承れば・・」

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 源義経ピー「兄上・・・」
 頼朝ピー 「う・・義経、鎧が新しくなって立派じゃな」
 義経ピー 「兄上!それがしにいうことはそれだけですか!」
 道灌ピー 「まあまあ・・過去の恩讐はあまり引きずってはいけません」
 頼朝ピー 「いや・・わしも悪かった。猜疑心のあまり、弟達を次々と破滅させてしまって、しまいには北条が幕府を乗っ取ったからの・・後悔したものよ。今さら許せとはいわぬ。だがわしらが兄弟であることは変らぬ。それを思ってこれからは仲良くやっていこう・・」
 義経ピー 「兄上・・・まあ、今さら謝ってもらっても仕方のないこととは思っております。忘れえぬことは多々ございますが、これからは仲良くやっていきましょう」と手を握り合う二人・・。
 道灌ピー 「素晴らしい・・歴史的和解がなされました!」
 尊氏ピー 「うう・・わしも同じよ。弟の直義を毒殺せざるをえなかった・・あのままでは幕府は瓦解する可能性もあった・・だが、血を分けた弟を殺したのは事実・・それだけが心残りよ・・」
 家康ピー 「わしには兄弟は年が離れた父親違いの者達(久松松平家)がおりましたが、そこまで心の交流はありませんでしたな。わしにとっては、息子の信康を自害させざるを得なかったが悔いても悔い切れぬことじゃな・・」
 道灌ピー 「なるほど・・天下人と世間から称揚されていても、人間としての苦悩は誰しもあったわけですね。庶民も武士も貴族も同じ人ということですな・・ということで今回はお時間ということでお開きにさせていただきます」

 第2回はあるかな?各武者ピーの詳細はまた後日・・。

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プロフィール

サムライ銅像研究会

Author:サムライ銅像研究会
歴史と銅像と芸術が大好きなあまり、日本各地を東奔西走する銅像・史蹟ハンターである。神出鬼没なため、脈絡無しのブログ更新を続ける。掟はただ一つ!「死して屍拾うものなし!」昔の時代劇の決め台詞だけどね・・皆さん、見てやあ!
 最近、キューピーに侍の装束を着用させる遊びをやっております。「武者ピー」と呼んで可愛がってやぁ~!以後は「キューピー甲冑師」とも名乗ります。

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