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加賀百万石の前田利家公~今年最後の武者ピー~

 年の瀬も押し迫って参りました。今回の武者ピーで年内の更新は終了としたい・・その次は1月1日・・。

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 それがしは一応、加賀は金沢出身なので前田利家公も造っておかないとね。利家公は金箔を使った甲冑を着ていたので今回はとても派手です・・それと左にご覧頂ける様にモデルがございます。
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 こちらはデル・プラド・ジャパンが2002年に出した戦国武将フィギュア・コレクションの第1弾・・確か大河ドラマで「利家と松」の年だったので、前田利家が取り上げられておりました。
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 シリーズの初めを飾るものらしく、よく出来ておりましたが、このシリーズ回を追うごとにどんどんいい加減になってきて、伊達政宗の時など顔が支那人のようでした・・まあ、向うで造っていたしね。それがしも何個か持っていましたが、前田利家以外は処分・・・まさか10年後に武者ピーなんて造っているとは思っておりませんでした(笑)

 個人的には前田利家って微妙な武将・・・無能ではないけど、巡り合わせが良くて肝心なときに日和見で上手いこと百万石とった人という印象。本当の意味で、豊臣秀吉や徳川家康から警戒されていない方・・金沢の恩人には間違いございませんが、北陸の政治家ってイマイチねぇ・・。辻政信とか森喜朗とか、選挙で東京18区に転出して負けた田中美絵子とか・・ため息しか出てこんわい。

 まあ、利家ピーを見てやってください。
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 全身、金の折り紙使っているので目がチカチカしました。

 横から見ると・・利家ピーの兜が大きい!そりゃ三等身のキューピーの鉢に合わせたから・・。
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 刀の鞘はトラの皮を被せている設定・・フィギュアもそうでしょ。

 金沢の兼六園近くにある銅像は・・
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 銅像も兜だけ金ぴかなんですよ。造られた当時、話題になりましたっけ・・。

 背中を見てみると・・・
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 利家フィギュアはつるっぺた・・器用な方は面相筆で描かれるでしょう。武者ピーは・・
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 鐘軌(しょうき)さまを描いた陣羽織が残っておりますが、武者ピーサイズでは小さいので、顔だけ手描き。
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 五月人形の鐘軌さまを参考にしました。この画像はネットから拾ってきました。

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 利家ピー   「どうも、前田利家です」
 利家フィギュア「・・・・」
 利家ピー   「もしもし!」
 利家フィギュア「おお、すまぬの。お互い同じ人物なのに外見があまりに違うから・・」
 利家ピー   「ふん、どうせ三等身ですよ」
 利家フィギュア「まあ、すねるな。なかなか可愛いではないか」
 利家ピー   「でしょ!甲冑師が年末で少しは忙しくて、造る時間がとりずらいらしいようだけど、利家だけは造っておこうと思ったらしくて・・」
 利家フィギュア「どうせ飲みにでもいっておるのだろ。この間、急性胃腸炎で寝込んでたくせに・・」
 利家ピー   「治ったら、『酒でアルコール消毒だ』っていってたっけ・・せいぜいインフルエンザには気をつけてもらわないとね。
 利家フィギュア「そうだの。これをここまで読んでくだすったみなの衆も体に気をつけての・・よい御歳を」
 利家ピー   「よい御歳を!」

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誠の旗の下に~新撰組の武者ピー~

 今回は新撰組の3人・・近藤勇・土方歳三・沖田総司らです。なんでって?近藤勇のリクエストが出たので、ならば他の2人もね、ってことで・・。

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 まずはキューピーの素体を用意・・・ふんどしをつけるのはただ付けているわけではなく、これを付けることによって上に着物を着せやすいのです。下地というわけ・・。

 新撰組は色んな本があるし、小説・ドラマにも様々とり上げられているけど、あらためて調べてみると意外なことがわかった。なんと近藤達が上洛する前に江戸で開いていた道場跡がそれがしの自宅から徒歩30分くらいのところにあった・・・そこそこ長いこと住んでいるが、気づいていなかった・・不覚。というわけで見に行った。
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 こちら市谷柳町・・今ではただの住宅街ですが、奥のお稲荷様は350年の歴史があるとのこと・・近藤らも手を合わせていたのかも・・。
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 この路地そのものは新しいかも知れないが、こんな所を新撰組の男達も駆け抜けていったのかもしれない・・という浪漫を味わってから製作に取り掛かりました。

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 最初に造ったのが沖田総司。一番隊隊長、突き技を得意として新撰組最強の剣客・・上半身は江戸小紋の千代紙「あられ」模様。
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 完成しました。幕末に流行った「講武所」髷が沖田ピーの特徴。刀も幕末は反りの控えめなタイプ。突き業に使いやすいのかも・・剣術には詳しくないので、あまり適当なことはいえませんが。

 そんな沖田ピーを連れて、沖田が亡くなったといわれる台東区今戸神社に参りました。
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 今戸神社は今戸焼きという焼き物発祥の地であり、招き猫発祥といわれる所・・・都内には他にも招き猫発祥地を主張する所がありますが、本当はどこ?最近は縁結びでも有名だそうで、それがしが伺った時も5~6人の女子が参拝していました。
 沖田は結核を患っていましたが、新撰組が江戸に帰ってきてから幕府の御用医者・松本良順が今戸神社境内で診察所を開いて、沖田もそこに入院していたそう。そのまま亡くなったといわれていますが、新宿区千駄ヶ谷の植木屋さんの離れで亡くなったという説もあります。ちなみに松本良順は幕府方の軍医として奥州を転戦しますが、後に明治政府の軍医総監として、「松本順」と改名して奉職します。

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 沖田ピー「ふーん、今戸神社あたりも随分変わりましたね。昔は浅草の外れで寂しいところだったのに」総司はたそがれています。

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 今戸神社の巨大招き猫をバックに記念撮影。

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 近藤ピー「俺も忘れるなよ!」近藤勇さんの衣装は迷いましたが、全体に地味目な色ですが、羽織の折り返しに見える通り、裏地は派手です。江戸で道場主だった近藤は京に上洛してから、派手に遊ぶことを覚えたため、上質な着物ながら裏地はオシャレっていう設定・・。
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 近藤は鉄製の鉢金を被っているという設定。現代も残っている遺品では頭部全体を覆う鎖帷子もついていますが、それだと顔が隠れてしまうので。

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 土方ピー「おいらも忘れるなよ」歳三は写真に残されたフランス式軍装です。ロングコートが難しいかと思いましたが、羽織を造った後は意外と簡単でした。
 それよりも歳三の髪型・・ちょん髷をやめてザンバラになった髪をオールバックにしてるけど折り紙でどう再現しようと苦心した結果がこれ・・・必ずしも上手くいっていないけど、笑ってやってください。

 勢ぞろいすると・・
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 今回のタイトル通り『誠の旗の下に』旗が微妙?まあ、笑ってやってください・・。3人揃いましたので・・。

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 文京区は伝通院(でんずういん)にやってきました。ここは徳川家康公の御母堂「お大の方」や孫の「千姫」のお墓があり、出羽の浪士・清河八郎が浪士達を集めた所です。ここで近藤らは芹沢鴨や新見錦らと出会います。芹沢や新見は後に新撰組の主導権を巡って、近藤らに殺されますが。
 清河八郎も現在の港区一の橋辺りで待ち伏せされて殺害されますが、それはまた別の話・・。
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 近藤ピー「おい、俺達のことが書かれてるぞ」
 土方ピー「今じゃ俺達に関係するところは観光地になってるしな。総司の死んだ所も立派な石碑があったじゃないか」
 沖田ピー「なんか向島の方にでっかい塔が建ってましたよ。すごい時代ですね」
 近藤ピー「ああ・・でもこの間の『入れ札』じゃまた自民党とやらが馬鹿勝ちしたらしいな」
 土方ピー「近藤さん、入れ札じゃ今の人は分からないよ。『総選挙』っていわなきゃ。にしても今回行かなかった連中は後で後悔しなきゃいいがな。自民党の党首の長州野郎の面見たか!とんだ馬鹿殿面じゃねえか。会津の松平様の爪の垢でも煎じて飲ませてぇな・・」
 近藤ピー「まあ、前の民主党の太った男もとんだ面だったな。いつかは解散しなきゃならないのに、自分が決断したかのような勘違いしやがって・・俺達が生きていたら・・」
 土方ピー「斬る!」
 近藤ピー「違いない。大坂の橋下とやらもとんだペテン師面だな。俺達を造った甲冑師は奴を西欧の『ヒトラー』とやらになぞらえているらしいが・・どんな奴だ?」
 土方ピー「まあ、俺達にとっての清河八郎みたいなもんだな。野心だけは人一倍あるが、中身は空っぽってな・・まあ、清河はまだしも骨はあったがな。橋下みたいな奴に権力持たせたら危険だよな・・」
 沖田ピー「近藤さん、土方さん、政治の話はいいから本堂でも見に行きましょ」
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 沖田ピー「門が新しいですね。木のいい香りがする・・」
 近藤ピー「さすが東照権現さまの御母堂のお寺・・今もなお大切にされているな」
 土方ピー「ここに集まってから思えば遠くに来たよな、俺達って・・」しんみりする3人・・。
 近藤ピー「もう一箇所行かなきゃいけない所があるぞ」

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 こちらはJR板橋駅前にある近藤勇のお墓。新撰組の生き残り、永倉新八が老後、建てました。
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 お墓の全景です。板橋駅前商店街も新撰組を押していまして・・。
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 こんなキャラクターが。
 沖田ピー「これって僕がモチーフですかね?」
 土方ピー「モチーフって・・まあ、そうだろうな。何しろお前は美少年伝説があるからな」
 沖田ピー「土方さんも男前の写真あるじゃないですか。生前も死後もどれだけ女泣かせるんですか」
 近藤ピー「お前らはいいよ。俺は厳しい顔で写真撮っちまったからな。笑顔なんて考えられない時代ではあったがな」
 土方ピー「最近じゃ近藤さんも男前に描かれている新撰組の漫画やアニメとやらがあるみたいだぜ」
 沖田ピー「え?それは見たいですね。やっぱり拳骨咥えるんですかね?」
 近藤ピー「こら!総司!からかうんじゃない!せっかく新八が立派な墓を建ててくれたんだ。墓参りをしよう」
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 近藤&土方&沖田「南無~」
 近藤ピー「うう・・なんか俺の名前眺めてたら目から鼻汁が・・」
 土方ピー「へへ・・近藤さん、素直じゃねえな。俺も・・妙に目から汗が出るぜ」
 沖田ピー「もう二人とも・・意地っ張りなんだから。さあ、近藤さんの像も拝みましょう」
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 土方ピー「そんなに大きくない像だけど、こうして撮ると立派だな。近藤さんは全国に銅像・胸像が散らばっていてうらやましいな」
 沖田ピー「土方さんはいいですよ。高幡不動や函館にも立派な奴があるじゃないですか。僕にはないもん」
 近藤ピー「まあ、拗ねるな。そのうちできるかもしれないぞ。来年は会津が舞台のドラマで盛り上がるらしいからな」
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 近藤ピー「これだな・・俺達が行く札幌のアーティストmichiko殿の作品というのは」
 土方ピー「近藤さんがカッコよくかかれてるじゃないか。俺も蝦夷は函館までだからな・・札幌が楽しみだぜ」
 沖田ピー「味噌ラーメンでも食べに行きましょうね!」
 土方ピー「最近の流行はスープカレーらしいぞ」

 さて、今回の3人は以前から交流のあるmichiko殿のもとに行きます。可愛がってもらえよ!  

 michiko殿のホームページもよろしく!下のバナーをクリックするがよい・・。
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乗り物に乗った武者ピー~立花道雪公と山田長政~

 先週末、体調を崩してから今週の半ばまで体調がイマイチだったため、武者ピー造りも滞ってしまっていたが、なんとか持ち直したので新作を発表したい。

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 はい、右が立花道雪(どうせつ)公。左が山田長政。一人ずつみていきましょう。

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 戦国時代の九州を一時は大友宗麟が制圧しかけた時代があったが、宗麟はとてもむらっ気のある男で、やる時は優秀だが、すぐに引きこもってしまって遊び狂ったり、キリスト経にふけったりとダメな戦国大名。しかし家臣団が優秀なため、大友家自体は成長し続けて北部九州を勢力化におき、さらに南下して島津家を飲み込もうとしたが、日向(宮崎県)・耳川の合戦で大敗北してしまい、大友家は一気に斜陽の時代へと突入していった・・。
 だが、そんな衰退しかける大友家を背負って合戦につぐ合戦で大活躍し続けたのが立花道雪公。

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 ご覧の通り、髪も髭も真っ白なおじいさんです。歩行が不可能なので足軽に輿を背負わせて、その上で指揮をしています。最初は足軽も武者ピーにしようかと思ったけど、4体も必要なので「もったいない」ということで紙に描いた足軽で代用。
 なぜ輿に乗っているのか?というと・・
  『道雪公は若い頃、野駆けした後、眠気を催して木陰で昼寝をしていたところ、にわかに空が掻き曇り、雷が轟きだした。雷鳴は徐々に道雪公に近づき、ついにはそばに落ちてきたので道雪公は脇差「千鳥」を抜いてきりつけた。雷は「ギャッ!」と悲鳴を残して空ももとの青空に戻った。道雪公はそれ以来、千鳥を「雷切」と名づけ、終生愛用した。足は雷に打たれたことから歩行に不自由を覚えるようになったという・・』

 とこのような『雷神切り伝説』が残されています。それがしも福岡県柳川市にある御花資料館(立花家の代々の家宝が展示されている)に伺った時に「雷切」を見ました。長めの脇差でしたが、そんな特別なものには見えませんでしたが、そんな逸話が残されているということが、道雪公が昔から愛されていた人物ということでしょう。事実、道雪公は部下を大切にした武将で、道雪公のためなら「命もいらぬ」という勇士がたくさんいました。
 立花家は道雪公の死後、養子の宗茂が継ぎましたが、豊臣秀吉の九州征伐の後で豊臣大名となり、朝鮮陣でも武名を挙げ、関ヶ原では西軍に属して大津城攻めに活躍しますが、本戦には間に合わぬまま改易。浪人となりますが、道雪公以来の立花家の武名を惜しんだ家康公によって宗茂はまた大名に取り立てられ、幕末まで柳川を治め続けます。
 柳川には、道雪公らを祀った三柱神社がございます。
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≪御祭神≫
 ・戸次道雪命(べっきどうせつのみこと) 【梅岳霊神/戸次鑑連/立花道雪】
 ・立花宗茂命(たちばなむねしげのみこと) 【松陰霊神】 [戸次道雪の養子・初代立花藩主]
 ・立花誾千代命(たちばなぎんちよのみこと) 【瑞玉霊神】 [戸次道雪の娘・立花宗茂の妻]


 三柱神社は、西鉄天神大牟田線の「矢加部駅」から、南に約200mの所に鎮座されており、柳川城から見るとちょうど鬼門の方角に位置します。
 天明3年(1783年)戸次道雪(べっき どうせつ)に「梅岳霊神」の神号が授けられ、第7代柳川藩主・立花鑑通(たちばな あきなお)が、三の丸にあった長久寺(現:廃寺)の中に道雪を祀った「梅岳宮」を建立したのが起源になります。
その後の文政3年(1820年)立花宗茂(たちばな むねしげ)に「松陰霊神」、立花誾千代(たちばな ぎんちよ)に「瑞玉霊神」の神号が授けられ、日吉神社(柳川市坂本町)の近くにあった唯一宮に祀られていましたが、同6年(1823年)その2神が「梅岳宮」に遷宮合祀されて「三柱神社」となりました。
 しかし、これでは規模が小さいということで、同9年(1826年)第9代藩主・立花鑑賢(たちばな あきかた)が、新たに高畑の地に新宮を造営し、同年(1826年)8月16日に遷宮式が執り行われました。現在も「御新宮」と呼称され、親しまれているそうです。
 また、神社内には、御本殿など文政期からの建築物もたくさん残っているそうですが、平成17年(2005年)6月3日火災により建築当初からの拝殿、廻廊が全焼し、楼門も一部焼けるなどの被害がでたといいます。幸い御本殿は延焼を免れたそう・・・。
 
 それがしが行った時は、再建直後あたりか・・・放火だったようだが、犯人は捕まったのだろうか?

 道雪公の甲冑が残っていないのでどうしようと考えたが、甲冑は伝統的な「紺糸縅胴丸」にして、兜と陣羽織を工夫・・。
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 兜の前立てに立花の家紋「立花杏葉」、道雪自身は『戸次』家出身。戦功により「立花」姓を与えられたが、主君・宗麟に遠慮して生涯「戸次道雪」しか名乗らなかった・・面倒な話だけどね。元々は戸次家も立花家も大友家から分かれた家だからいいんじゃないとは思うが、当時は真剣な問題でしょうなぁ・・。
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 陣羽織は黒地に斜めに雷が横切り、中央に家紋。「雷神切り伝説」がモチーフです。これもそれがしのオリジナルデザインです。こんなものがあってもいいなぁ・・と思ったので。熱心な道雪公ファンに怒られないかしら・・まあ、怒られても関係ないですが。

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 道雪公の輿には常に鉄砲が用意されていたそう、また部下が戦意喪失しそうになると「わしを輿ごと敵の中に放り投げてお前達は逃げろ!」といったそう。そんなこといわれて奮い立たない武者はいないでしょう。それがしもとても尊敬している武将の一人です。日本史上でも10本の指にいれてもいい名将の一人ですね。他の9人は誰なんだ?と聞かれると困るんですが・・・。
 道雪公の養子・宗茂公とその嫁・ぎん千代姫(道雪公の実子)もまた興味深い方々なので、いずれ武者ピー化します。

 続いて山田長政・・。
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 伝説上の人物ですが、大坂の陣で豊臣家が滅ぼされて失業した武士や海外に活躍の場を求めた商人たちが東南アジアに進出していきました。シャムに大きな日本人町が築かれ、そこを守っていた傭兵隊長が「山田長政」、彼はまた時のシャム王に気に入られて王のために国内外の敵と戦いますが、長政を危険視した廷臣らの陰謀により毒殺、日本人町も焼き払われたという・・・。
 半ば伝説なのでどこまで歴史的事実が含まれているか不明ですが、日本人が東南アジアで活動していたことは事実でしょう。

 今回の長政は、日本の甲冑師が「象」という生き物を初めて見た時に甲冑造りにどう反映させるだろう?という疑問から始まりました。それがしなりの回答がこれ。
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 左が長政の乗っている象、右が長政の兜。象の頭を模しています。象の鼻と牙を前立てに、耳を兜の吹き返しにしています。こんなデザインの本物の甲冑はありませんが、「あったっていいじゃない!」がそれがしのスタンス。造りながら笑ってました。

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 象「パオーンンン!」もっと大きく造ろうかなと思いましたが、ディスプレイのスペースがね・・。

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 眉間の赤い筋は、刀による「向こう傷」です。戦国を生き抜いた荒武者には凄みがあってもいいかな、と思ってつけましたが、武者ピーが可愛さで相殺してしまいます(笑)

 今年もそろそろ大詰めですなぁ・・・。

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伊達主従の出陣~汐留にて~

 伊達政宗主従を武者ピーにするにあたり、色々情報収集していると「自作甲冑クラブ しげ部」というサイトに行き当たったので最近ちょくちょく拝見させていただいている。アプローチは違えど、甲冑を造る別の方の作品を見たり、意見を伺うのはためにもなる。

 自作甲冑クラブ しげ部 http://shigebu.minibird.jp/event.html
 ある日、同じサイトを見ていると新橋の汐留でイベントに参加されるというので行ってみた。

 出かけたのは12月9日、寒風吹きすさぶ日であり、目の前には大手広告代理店の電通や日本テレビが入る高層ビルが乱立している。見上げていると・・・もし映画「トランスフォーマー」の第4弾が造られるのなら、サイバトロンの諸氏には是非、この地で大暴れして頂きたい・・・という思いが湧いてきた・・閑話休題。

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 おや?武者ピーの後ろに巨大な武将たちが・・じゃなくて武者ピーがもともと5センチくらいだけど。後ろの伊達政宗・伊達成実(右)像が今回訪れた「汐留2012クリエーターズマーケット」に参加されている「たかせ ひとみ」さんの作品です。
 たかせさん本人と共にブース全体を撮りました。本人の許諾も得られたので、画像はそのままだします。
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 たかせさんは自作の甲冑を着用されておられます。プラスチック製なので軽めです。布も反物の端切れやカーテン(?)を用いて造られているそうです。うむむ・・すごい・・。

 会場は新橋駅からゆりかもめ乗り場のある出口の地下街に潜り、汐留方向に歩いていくと自然にたどり着きます。人の流れに乗っていけば迷いません。むしろ迷う方が無理・・。時間は15時から20時まで、寒いので防寒の支度をしっかりとね。
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 もう12月ですからね・・しかし会場が半地下の屋外なので寒いこと・・ダウン着ていきましたがそれでも寒いです。たかせさんにもこれまでの武者ピーの写真を見て頂きながら、いささか話をさせていただきました。手短に済ませたつもりでしたが、邪魔したのであれば申し訳なし・・。

 たかせさんはイラストレーターが本職のようですが、色々作っておられました。見て頂きましょう。
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 右の胸像が好き。
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 今、人気のアルパカ・・。
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 食玩サイズでコレクションによさげ・・。
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 熊さんの飛行士?横にはユンカースやフォッケウルフなどのレシプロ飛行機ですな。

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 たかせさんの伊達政宗公です。画面が暗くてかたじけない・・粘土の一体成型に見えるかもしれませんが、甲冑は全て別パーツで紐で威しております。陣羽織も布地です!すごい!
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 伊達成実です。陣羽織の布地がステキ・・・こんな鶴の布地だったら、蒲生氏郷に着させたいなぁ・・。
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 成実鎧の草ずりをご覧下さい。別パーツで紐で威しております。すばらしい。

 今回、無理をいってたかせさんの所に伊達主従を押し付け・・婿入りさせていただきました。可愛がってもらえよ!あとは野となれ、山となれ~!今週末は体調を崩して、金・土寝込んでいたので武者ピーがつくれませんでした。ためにストレスが溜まっておりましたが、今日の見学ですっかり晴れました。
 あと武者ピーの製作依頼も受けますよ。まあ、材料代と送料・制作費くらいはいただきたいが・・。お安くしまっせ!

 最近のお気に入り漫画。
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 昔から「週刊モーニング」は愛読しております。某ジャンプ系は大嫌いだが、講談社系マンガはすきなんですね。その中でもモーニング、モーニングの中でも「グラゼニ」「宇宙兄弟」「へうげもの」「とりぱん」色々あるけど、こちらの「鬼灯の冷徹」がおきにいり。
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 地獄で閻魔大王の秘書・鬼灯氏とその仲間達が日常業務の最中に大活躍(?)、まあ、いちど読んでも損はさせませんよ。

 追伸
  たかせさん、購入させていただいた豆本の「deux」、面白い!続きが気になります。キャラクター皆、チーズですね。ワインを飲んでチーズをつまみつつ読むには・・分量が少なめです。ま、それだけ面白いということです。

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新田義貞~鎌倉攻略戦~

 今回からいよいよ南北朝を舞台に武者ピーを造っていきたい。第1弾は、後醍醐天皇の令旨に応じて挙兵し、分倍河原合戦で執権北条家の軍勢を蹴散らし、鎌倉を攻略し、北条高時以下、北条一族をことごとく自刃に追い込んだ新田義貞公です。

 詳しい説明は長くなるので・・新田義貞が上野(こうずけ)国・新田庄の生品(いくしな)神社で挙兵したのは元弘3(1333)年。最初は一族郎党ら百数十人しかいなかったが、南下するにつれて関東各地から武士が合流し続け、軍勢はどんどん膨れ上がっていった。そこに足利高氏の嫡男・千寿丸(二代将軍・義詮)が足利の家臣らに守られて合流したことでさらに決定的な流れとなった。
 多摩川べりの分倍河原で合戦した新田軍は一度は敗れたものの、すぐに態勢を立て直し、北条軍を撃破。迎撃軍が敗れたという報せに鎌倉の北条家の面々は蒼ざめて「鎌倉死守」しかないとの断を下すしかなかった・・。

 鎌倉は源頼朝以来、営々として築き上げてきた執権北条氏の金城湯池、守りの堅さに新田義貞は攻めあぐねる。義貞は各方面の攻防の指揮を任せ、自分に忠実な数千の軍勢と共に鎌倉外郭の西側・稲村ヶ崎に押し寄せた。
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 (現在の稲村ヶ崎、史跡公園として整備、2012年春頃撮影)

 ここからは「太平記」に書かれた伝説交じりではあるが・・海の潮がひくのを待って軍勢を渡らせるしかないと考えた義貞は携えてきた黄金造りの宝刀を海に投げ込んで海神に武運を祈った・・。
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 (新田義貞ピー、手前の青いものは「海の波」とみてください)

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 明治天皇がここで詠まれた和歌が石碑に彫り込まれている。歌は・・
  『投げいれし 剣の光 あらはれて 千尋の海も くが(陸)となりぬる』味わい深い歌です。

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 (左に張られたロープの先を渡ったそうな・・)
 義貞が海面に宝刀を投げ込むや、潮はたちまち引き、そこには見事陸地があらわれたため、義貞は号令をくだし、鎌倉に攻め入った・・・結果、北条一族は東勝寺で自刃し、滅びたのであった・・。

 本当は長い話だから全然たりないが、詳しくは「太平記」「梅松論」「難太平記」や南北朝を扱った各種小説を読んでね。北方謙三氏だと「武王の門」「破軍の星」「悪党のすえ」「楠正成」など沢山書かれているのでオススメです。

 ここからは肩から力を抜いて武者ピーを見て行きましょう。
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 大鎧を着けた義貞ピーは宝刀を捧げ持っています。鎧正面の顔は、獅子の顔ですが、大きかったので切り抜きました。なんかおじさんの顔みたい・・一応「絶版江戸千代紙」(廣瀬辰五郎:著 徳間書店)という本からカラーコピーしたんですが・・使い方を反省。

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 義貞ピーの兜。吹き返しに貼った格子模様の和紙は、御茶ノ水にある「檸檬画すい」という画材店で調達。折り紙だけでは足りなくなったので、画材店に出入りするようになりました・・。

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 新田義貞ピーの郎党です。陣笠ではなく、侍烏帽子に半首(はっぷり)という顔の防具を付けています。半首は室町時代まで使われますが、槍の普及と共に使われなくなっていきました。槍以前は薙刀が主流でしたので「薙ぐ」攻撃から守るために顔の外側を守る防具が必要だったのですが、「突く」槍には不要なものとなりましたので使われなくなっていきました、とさ・・。
 武具の研究家からは怒られそうな説明ですが、まあ、こんなところで。

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 今回は新田家の家紋「大中黒」紋を描いた幟(のぼり)も用意。

 「太平記」では、新田義貞は愚か者扱いですが、鎌倉を落した後、すぐ京に登り、1338年に越前(福井県)で討ち死にするまで兵の補充すらろくにできないまま天皇方の為に戦い続けていたのです。その扱い方はひどすぎます。思うに・・義貞公は純然たる武人で、政治家としての動きは苦手だったため、天皇の側近である公家達にいいように利用されてしまったのです。
 単純に武将としてみれば、足利尊氏(高氏から改名)より有能かもしれません。鉄壁の防禦を誇っていた鎌倉を落したのですから・・。

 最後に稲村ヶ崎から見た江の島を・・。
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 この画像を見ながら、新田義貞をフィギュア化した人間はどれだけいるのだろう?と考えてしまいました。

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遊びをせんとや~静御前~

 どうも武者ピーの性格上、男の子ばかり増えるので今回は女の子を造ってみた。誰にしようかなと考えていると
  『遊びをせんとや~!』梁塵秘抄の一節が浮かんできたので・・
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 静御前の参考にしました。鎌倉時代の白拍子(しらびょうし)を再現しています。ある図書館で見つけた本で、古代から近代まで色んな時代の衣装を再現してくれている本なので随分参考になります。
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 左は久々登場の源義経、静御前は義経の思い人・・吉野の山中で別れてからどれくらい経つでしょうか?ようやくの再会です。

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 毎年、鎌倉の鶴岡八幡宮で開催されるお祭で舞われる「静の舞」の動画も何回か見て、参考にしました。厳密にいえば「水干(すいかん)」という装束と微妙に違いますが、お目こぼしを・・。

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 黄金造りの太刀を下げています。立ち烏帽子と太刀を下げているので昔は「男踊り」といっていたそうですが、徐々に烏帽子や太刀は省略されていったそうです。動画を見ていても、長い袴をさばきつつ、踊る姿に独特な凛々しさを感じました。この路線を突き詰めていくと「宝塚歌劇」にたどり着くのかもしれませんね。

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 髪を束ねるか迷いましたが、今回はそのままにしました。意外に「乙女」感が出ていいですね。

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 静御前は義経と別れた後、京に潜んでいましたが、源氏方に捕まって鎌倉に送られてしまいました。そして鶴岡八幡宮で源氏を「寿ぐ」舞を強要されます。
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 鶴岡八幡宮です。太鼓橋から、本殿まで一直線に見えます。
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 拝殿前から見下ろした画像。舞殿は後世に立て直されたものですが、同じ場所で静は舞いました。

  『吉野山峰の白雪踏み分けて~ 入りにし人のあとぞ恋しき~ 静や静しずのおだまき繰り返し~ 昔を今になすよしもがな~』
 義経を恋い慕う舞に源頼朝は激怒しますが、妻の北条政子は夫をとりなします。確かに静は助けられましたが、その後で産んだ義経の子は由比ガ浜でころされてしまったそうです・・・。語るも涙、聞くも涙の物語・・・。

 今回の静は鼻歌を歌いつつ、二時間程で完成しました。簡単でしたね。

 足軽くんを追加・・。
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 台座をつけたので、まず倒れません。
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 ついでに武者ピーの館も構築・・ジオラマ造りみたいで面白いですね。屋根の右上には・・
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 忍者くんがいます。

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 追加した足軽くんは左の見張り台が定位置です。

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 屋根からお屋形さまが満足げに眺めています。

 次回は南北朝から題材をとりましょうかね。

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プロフィール

サムライ銅像研究会

Author:サムライ銅像研究会
歴史と銅像と芸術が大好きなあまり、日本各地を東奔西走する銅像・史蹟ハンターである。神出鬼没なため、脈絡無しのブログ更新を続ける。掟はただ一つ!「死して屍拾うものなし!」昔の時代劇の決め台詞だけどね・・皆さん、見てやあ!
 最近、キューピーに侍の装束を着用させる遊びをやっております。「武者ピー」と呼んで可愛がってやぁ~!以後は「キューピー甲冑師」とも名乗ります。

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