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隠田神社~原宿の鎮守さま~

 渋谷区の原宿というと「竹下通り」であり、「表参道」であり、若い人の街というイメージがあるが、そんな街にも古いお社があります。
隠田神社1
 こちらは神宮前5丁目。
  『御祭神は淤母陀琉神(おもだるみのかみ)・阿夜訶志古泥神(あやかしこねのかみ)・櫛御食野神(くしみけぬのかみ)
 隠田神社は旧穏田一円の産土神で、天正十九年伊賀衆が穏田の地を家康より賜り給地となる。以後この辺開け江戸時代は第六天社と称し明治維新の際に穏田神社と改称す。ご祭神は美容、技芸上達、縁結びの神として尊崇される』
 
 手水舎は・・
隠田神社の手水舎

 参道の狛犬は・・
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 片方は顔があるようなのですが、脚立などないので撮れてません。

 拝殿は・・
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 拝殿前の狛犬がすばらしい。
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 なんか全体に扁平な感じ。大正14年に奉納されております。彫刻師は「清水翠巖」。この名前で調べたところ、愛知県岡崎市の山中八幡宮にも同じ方の狛犬あるようです。
 阿形の足元の子狛がかわいい。
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 お尻がプリッとしていて・・
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 あんまり可愛いから撫で撫でしちゃいました。わりとスベスベしてました。他にも触っている方いるんでしょうね。

 末社は・・
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 お稲荷さんです。隅っこに・・
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 河野カタ女史胸像。背面の説明版によると・・漢方薬の大家で、毎日、隠田神社の参詣を欠かさなかったが、戦災で焼けたことを悲しみ、拝殿や神楽殿などの再建に尽力された方・・とのこと。武士ではありませんが、地域に尽くされた方ということで紹介させていただきます。
 ふ~、久々の銅像紹介だなぁ・・・。

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天祖神社~駒込総社・その2~

 前回に続き、今回は狛犬殿らを中心に見ていきたい。
駒込の狛犬1
駒込の狛犬2
 こちらは参道から拝殿敷地に入る前にある狛犬殿。明治44年に奉納されています。
台座の神紋
 台座には、丸に閉じた扇を重ねた紋が刻印されています。
駒込の狛犬3
 後ろから見ると、筋肉を表現したものかボコボコしています。明治も終わりかけの年ですが、まだまだ江戸狛犬ですね。あ形はね・・
アゴでてます
 いや、見事にアゴでています。アントニオ猪木か綾瀬はるかくらいに。ご立派!

 脇参道にはまた別の狛犬が・・
脇参道の狛犬1
脇参道の狛犬2
 こちらは昭和44年の奉納。あ形はかわいそうに鳩の糞で汚れています。
  「くっさ~い!」と言っているみたい。横顔を見ると・・
脇参道の狛犬3
脇参道の狛犬4
 可愛らしい顔立ちです。脇参道のすぐ外側には・・
縁結び・子育て地蔵
 縁結びの観音さまと子育て地蔵が祭られております。
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 こちらの如意輪観世音菩薩さまは寛文11(1671)年からございます。当時の江戸は男の人口が圧倒的に多い街でしたから、縁結びは深刻な問題でした。だから吉原も繁盛したわけですが・・・
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 子育て地蔵尊は正徳2(1712)年から。近代に入るまで子供の死亡率は高かったですから、無事な成長を必死に祈っていた親たちの姿が目に浮かぶようです。

 末社も見て行きましょう。
お稲荷さん
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 お稲荷さまとおキツネさまです。耳が欠けているのが残念です。置いてあるだけなので年期など不明です。

 もう一つ末社がありました。
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 神社の集合住宅のようですね。

 名残は惜しいですが、浮世に戻りましょう。
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 まだまだ暑い日が続きます。皆様もくれぐれもお体を大切に・・・


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天祖神社~駒込総社その1~

 今回は文京区本駒込の天祖神社。
駒込総社1
 本郷通りを南下する途中にこのような石碑がある。この神社がなかなか面白いので2回に渡ってお送りしたい。ここをまっすぐ行くと・・・
駒込総社2
 住宅街の向うにこんもりとした鎮守の森がございます。

 由緒はこちら・・
駒込総社由緒
 関東にはありがちですが、また「源氏」由来の神社。
駒込総社参道
 路面ギリギリにカメラを置いて撮ると、参道が長く見えるけど、50メートルもないかな?でも参道の途中にはね・・。
参道脇の大岩
 なぜか大岩が置かれていたり・・
寛政8年の灯篭1
寛政8年の灯篭2
 寛政8(1796)年に奉納された灯篭もあります。同年には、北海道・室蘭に英国人ブロートンが来航して、許可なく測量しやがっています。
 また、ジェンナーが種痘法を始めました。古来から多くの人命を奪い続け、時に文明をすら崩壊させてきた天然痘を制する種痘法は、オランダ領のバタビヤ(インドネシア)、長崎を経由して日本にも伝わり、江戸時代の嘉永2(1849)年に佐賀藩の藩医・楢林宗健とオランダ人医師モーニッケにより初めて行われ、日本でも猛威を振るってきた天然痘への対抗策として普及し始めました。それはまた長い物語となりますが、それはまたの機会に・・。

 裏参道に廻ってみましょう。
裏参道
 小ぶりな鳥居の脇には・・
御鷹組
 由緒書にあった「鷹匠組」寄進の」石柱ですね。年号はなかったかな・・。

 また・・
道祖神1
 元々境内にあったのか、近在のものがまとめられたのか道祖神がお集まりです。
道祖神2
道祖神3
道祖神4
 これはまた味があります。
駒込総社の拝殿
 拝殿前では神主さんがお掃除されておられました。ご苦労様です。

 狛犬など続きは次回・・・。

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徳川家康、異人と遭遇~慶長14年の怪異~

 今回は夏らしくすこし不思議なお話をしよう。

 「13人の刺客」関連の調査の中で「徳川幕府家譜」という書物を見つけた。徳川家康以来、歴代の将軍やその正室や側室、また徳川一門(御三家の尾張・紀伊・水戸、御三卿の一橋・田安・・あとなんだっけ?)の歴代当主らの家系図と履歴を記した本である。
 その家康の項目を読んでいると・・・

  『慶長14年4月4日 駿府の御庭に異人有。四肢指無く敝衣(破れた衣服の意味)乱髪にして青蛙を食ふ。来る所を問は天に向て指指す。(大御所さま:家康のこと)殺すことなかれと上意有て御城外に放す。其行方を不知』

 上記の本は公式な歴史書である。前後の記述は家康がどこかに狩りに行ったとか、朝廷からの使者を迎えたとか堅苦しい記事ばかり・・・それなのにここだけこんな記事が・・。なぜ?
異人
 「家忠日記」に倣って、それがしも異人を想像して描いてみた。青蛙を食うという記述に「ウッ」となったが、これが限界。松平家忠公ならどんな絵を描いたろう?

 さて、この事件。歴史好きの一部には有名な事件。それがしも話は聞いたことあったが、活字で読むのは初めて。実際に活字で読むと前後が堅苦しいだけに、異様さが際立つ。
 にしてもどのような意図でこんなことを書いたのだろう?裏を読めば「神君・家康公は寛大なお方であるので、得体の知れない異人にすらもお優しくあられた」ということを暗に言いたいのかなと思うが、それにしては変な事件・・現象である。第一、家康の隠居城である駿府城の庭に正体不明のものが現れれば、警備陣も「暗殺者か!」と色めき建つであろうに(当時はまだ豊臣秀頼はいた)。普通なら捕らえられて牢屋に押し込まれ、家康公も気づかないうちに処断されたと思うが、それが家康公直々に「放してやれ」とは・・・不思議な話です。宇宙人なのか、異次元から来たのか、はたまた・・・世に不思議の種は尽きまじ・・。

 ちなみに同じ年にはガリレオ・ガリレイが屈折望遠鏡を発明したそう。国内では、オランダ人との貿易を許可したり、来航したポルトガル船を撃沈したりしている。外国との絡みが多い年ですな。

 信じるか信じないかはあなた次第!なんかの番組みたい・・。


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「13人の刺客」~元ネタの殿様~

 2010年10月の記事で、当時公開していた映画「13人の刺客」の元ネタを見つけたという記事を書いた。
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 こちらは静岡県三島市に鎮座する「三島神社」の参道の途中にある「言成地蔵尊」。説明を読むとその哀しい歴史がお分かりいただけると思う。

 その後、太田道灌公や徳川家康公などの調査などに関心を向けていたので、追跡調査がなかなかできなかったが、今回、関係する土地の郷土史や幕府がまとめた歴史書を精査して元ネタのような殿様を探り当てた。

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 こちらは今年、2012年に舞台でやる「13人の刺客」・・長髪のイケメンだな。でも、もとは・・
13人・ファースト_1

 こちら1968年公開の劇場版。主演は片岡千恵蔵、他に嵐寛寿郎、西村晃(水戸黄門役の方)、山城新伍、里見浩太郎、丹波哲郎など錚々たる面々・・さすがにDVD版しか見ていない。他に・・
仲代達也
 1990年のテレビスペシャル版。仲代達也と夏八木勲が主演。
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 2010年劇場公開版。役所広司と市村正親が主演。

 個人的に1番すきなのがテレビ版。仲代さんと夏八木さんのクライマックスの一騎討ちがたまらなかった!2010年劇場版はやややりすぎな感じ・・。

 まあ、フィクションは置いておいて・・明石藩の歴代藩主達を「三百藩藩主人名辞典」と「講座 明石城史」を調べてみた。明石藩自体は何度も統治するお家が交代していて、ずっと同じ家だあったわけではない。江戸時代260年間の中で、明石藩で暴君と呼ばれる殿様は2人いた。

 一人目は徳川家康配下で勇猛を謳われた本多忠勝の子孫・本多政利(1641~1707)この方は暴力的な人物であったらしく、領地で荒っぽい狩りを度々行って領民に迷惑かけたり、女中をささいなことで殺害したり、幽閉されてからも家臣を殴る蹴るの暴行を日々行っていたようだ。本来なら幕府から切腹を申し付けられても文句言えない人物なのだが、奥さんが水戸徳川家の頼房(家康の末っ子)の娘であったことから幕府のお偉方ももてあましていたらしい。
 ちなみに「明石城史」に・・
  『明石市林村に猪投(いなげ)町という村があるが、政利が捕らえた猪を投げ殺していたことからついた地名である』
 という恐ろしい説明がさらっとあった。現在の明石市の地図で探したが、市町村合併で見当たらなくなっていた。これは古地図でまた探したい。

 もう1人は松平斉宜(まつだいら なりこと:1825~1844)。江戸後期の殿様で「13人の刺客」と時代背景がピッタリな方。
 この方、時の将軍・徳川家斉の末っ子で、明石松平家に養子に出された人物。「寛政重修諸家譜」や「徳川幕府家譜」という将軍家・大名家の系譜と履歴をあわせた本にははっきりとしたことは書かれていなかった・・・が!
 末尾に『(斉宜が20歳で死んだ後)鳴り物(楽器)停止しなくてよい、将軍・家慶(斉宜の長兄)に対するご機嫌伺いなど特になく』
 という特異な一文が書かれていた。家斉の子供は男の子26人、女の子27人いるが(!)、他で亡くなった後にこのような一文が載せられることはなかった。斉宜の妹・泰姫の死後は『鳴り物は七日間停止、普請(工事)はやってかまわない』と書かれていたのである。
 ということは・・将軍家の斉宜への思いが伺えるような気がする。

 ここまで調べると、後は明石に趣いて地元の図書館や郷土史家を訪ねるしかないが、明石に行く用事ないしなぁ・・・。後の課題にしていこう。
 
 現時点での結論は「三島の言成地蔵尊や本多政利・松平斉宜のような暴君の記憶が渾然一体となり、悪政が続いた家斉時代に、このような痛快な話があればいいのに・・という思いがシナリオに昇華したのではなかろうか?」
 あまり結論らしい結論ではないが、とりあえずこんなところで・・・。

 次回は文京区の神社・・は次にして、あの家康公が異次元の生物とであっていたエピソードを紹介しよう。

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 あ!松平直明、調べ忘れてるな・・・。

小日向神社~新設狛犬~

 引き続き文京区である。今回は文京区小日向(こひなた)2丁目にある小日向神社である。
小日向の拝殿
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 由緒書きがすこし見にくいので・・
  『氷川神社と八幡神社を合祀して、明治2年小日向神社と改称された。天慶3年(940)の春、当時の常陸国の平貞盛が、この地方を平定して、現在の水道2丁目の日輪寺の上の連華山に建立した。
 また、八幡神社は昔の名を「田中八幡」といい、現在の音羽1丁目に鎮座していた。創立は、貞観3年(860)の春と記述されている。』
 ご祭神は品陀和気命(ホンダワケノミコト)。創建から1152年建つんだね。

 こちらの狛犬殿が新しかった。
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 新しい子は大量生産ぽいものでいまいち・・これから古くなれば味がでるかな。それよりも土台が面白い。
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 下のものなど、上に乗っかった新人を「大丈夫かい?」と心配しているみたい。偶然にしても面白い。

 さらにここの手水舎の水盤がなかなかの名品でした・・
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 裏まで細かくみたけどいつ造られたかは不明・・・
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 なんか海か湖か、波の上を神獣が跳ねています。
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 馬かと思ったら、背中に甲羅がのっかっていますね。何これ?

 次回はまた別の文京区の神社です。

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本郷のご神木

 先日、都内散策していると前方に街中に存在するのが信じられないほどの大木に出くわした。
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 なんという太いクスノキの大木!直下では見上げてもどれだけ高いか分からず・・

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 ちょっと離れてもこれだけの迫力!神社や公園でもないのに街中に忽然と現れる大木・・いや、木からしたら後から来たのは人間かな・・。

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 ひええ!幹廻りが8.5メートル!!樹齢何百年なんだろう?

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 この枝振り・・・ため息しかでません。

 遠くから見ると・・・
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 手前から2台目のトラックが木のふもとですが、その大きさから察するに・・・20メートル以上はありますかね・・?すごい。
 これだから街歩きはやめられませんね。

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水神社~ご神木の大銀杏~

 ちょっと前に「正八幡神社」をお送りしたが、その兄弟的存在の「水神社(すいじんじゃ)」を撮ってきた。

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 所は文京区関口もしくは目白台・・・地図でみてもどちらの町か境がわかりづらいのだがまあ、関口かな。
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 細かいことは由緒書きにも書いているが・・
  『いい伝えによれば、水神が八幡宮社司の夢枕に立って、「我水伯(水神)なり、我をこの地にまつらば堰の守護神となり、村民をはじめ江戸町ことごとく安泰なり」と告げたため、ここに水神を祀ったという。
 日本最古の神田上水は徳川家康の命により大久保藤五郎によって開かれた。井の頭池を水源とし、神社の前を流し、すぐ下流の大滝橋あたりに堰を築き、水位を上げて上水を水戸屋敷に入れ、樋(とい)で地下を神田や日本橋方面に流した。』
 
 また『江戸砂子』という古書には「上水開けてより関口水門の守護神なり」とあり、古くから日本橋や神田あたりの人々の崇敬も受けていたという。

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 鳥居が真新しいと思ったら・・
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 平成16年の大嵐で倒れた・・・毎年のように色んな災害があるから覚えてないけどなるほど。

 鳥居を潜ると・・
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 階段の両脇に大銀杏が2本そびえ立っています。こちらの神社、狛犬はないのですが、銀杏がその代わりのように守っています。とても大きく神々しい銀杏です。
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 20メートルはあるでしょうかねぇ・・?
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 緑が目に眩しい・・・。

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 銀杏脇から関口町を見下ろすと、神田川とそこにかかる駒塚橋が見えます。近くには早稲田大学があり、若い人達で賑わっています。

 参拝しましょ。
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 お社はごく小さいものです。右の坂は「胸突(むなつき)坂」といいまして、登る時は自分の胸に膝が突くほどの急な坂だったということ。
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 今ではこのように整備されていますが、昔は雨でも降ったら泥だらけになりながら登ったんでしょうね。このように東京はとても起伏の多い街。「丘と谷と川で出来上がった街」なので歩いていてとても面白い街です。日本中の街は、北は札幌や南は鹿児島まで色々巡りましたが東京ほど歩いて面白い街はちょっと思いつきません。それぞれの街にそれぞれの特色はありますが、こと「地形の面白さ」でいえば、東京は世界を見渡しても比肩しうる街は少ない、というのが自論です。東京にきて繁華街めぐりやショッピングもいいですが、東京の地形を感じられるところを歩いてみても面白いですよ。

 話がそれました。胸突坂を登ると・・
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 室町時代から現在まで続く細川家の至宝が観覧できる「永青文庫」があります。古くは細川幽斎が戦国時代の文人武将として有名ですし、現在は元首相の細川護煕氏が有名ですね。息の長い一族ですね。

 最後に水神社の主にご挨拶していきましょう。
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 眼光鋭く、風格ある野良猫殿ですね。レンズを向けても全く動じないふてぶてしい・・いえ、落ち着いた猫でした。神社や路地で見かける猫も撮っていてあきませんね。

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護国寺近くのお稲荷さま~古いおキツネ様~

 文京区には護国寺という古刹がある。裏手が豊島ヶ岡御陵である。その大きな寺の麓の一角にひっそりとかつて江戸城内に祭られていたお稲荷様がある。
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 こちら文京区大塚5丁目にある「吹上稲荷神社」。由緒には・・
 
  『元和8年(1622)、2代将軍徳川秀忠が日光山から稲荷の神体を賜り、江戸城内吹上御殿内に「東稲荷宮」と称したのが始まり。5代綱吉のころ、江戸城内から一ツ橋に移遷し、その後、水戸徳川家の分家松平大学頭が拝領し、邸内に移した。(現在の教育の森公園)
宝暦元年(1751)に大塚の鎮守として松平家から拝受し、善仁寺(小石川4丁目)に移し、今日の社名に改名した。
(小石川4丁目にある吹上坂の由来となる。)その後、護国寺、薬師寺等に移遷し、明治45年に現在地に移った。』

 拝殿や扁額など境内の写真も撮ってきたのだが、それらの写真だけどうにもアップできない。どいうわけだか何度試しても無理だったのでそれは諦めた。境内自体はこじんまりした「村の鎮守様」という規模だったので興味ある方が見に行ったり、ネット検索してほしい。

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 上記と同じ内容がこちらにも書かれている。現在の吹上御所内に祀られていたということですね。世が世なら、参拝できませんが今なら可能です。
 
 こちらの御神使のおキツネ様をみていきましょう。
吹上稲荷おキツネさま1
吹上稲荷おキツネさま2
 あら!かわいらしい前掛けだこと・・。台座を見ると・・
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 宝暦12年というと1762年・・おお!ちょうど250年前じゃないですか!!これは奇しき偶然!!その頃、英国では産業革命の嚆矢ともいうべき紡績機械や蒸気機関が次々と発明されています。日本では・・9代将軍・家重の頃で、前の将軍の失政と次の田沼意次時代の繁栄の狭間期ともいうべき地味な時代・・・年表見ていても、派手な物事が見当たりませんでした。地味で重大な事件はいくつもあるんだけどね・・・。

 おキツネ様にもどりましょう。モノクロで撮影すると・・
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 奥に拝殿が見えます。
おキツネさま・ウン形
 浅彫りですが、お顔が彫られています。幕末頃の狛犬などは細かい「仕事」がなされていますが、この頃はまだ素朴な風合いですね。おキツネ様はバリエーションがあまりないので通り過ぎがちですが、こういう古いものを見るとすでに原型ができていた、ということがわかりますね。

 境内には穏やかな時間が流れており、聖地というべき所でした。さすが江戸城内に祀られていただけあるというもの。満足したので神社を後にすると・・
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 地元の猫に見送られてしまいました。あと何年かすると猫又に・・まさかね。

 このあたりを歩いていると、なぜか京都を歩いているような感覚に陥ってしまいました。護国寺のある丘が京都の船岡山(建勲神社が鎮座)のあるあたりに雰囲気が似ているせいかな?と考えました。上手くはいえないのですが、どちらも周囲が住宅街にも関わらずすぐ近くに「聖なる所」がある共通点のせいか・・ま、いいや。個人的感想なので聞き流してください。京土産の「あじゃり餅」が食べたくなりました・・。


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お江戸の男前狛犬

 ブログ管理画面に移る前のテレンス・リーが暑っ苦しい!まあ、FC2ブロガー以外には「なんのこっちゃやら」かもしれん・・・。

 今回は都心の青山墓地で見つけた古い狛犬を紹介したい。狛犬といえば神社とセットかと思っていたら、お墓にもあるのね・・なんでも青山墓地はもともと神道式墓地だったらしいが、今では多くの有名人のお墓があるそうな。今回の狛犬も別に墓参りに来て発見したわけではなく、通り過ぎる道すがら発見したもの。

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 さて、こちらはさるお殿様のお墓だが、詳細は伏せておこう。あくまで狛犬メインなので。場所は・・青山墓地の中央あたりかねぇ・・ほっつき歩いていれば誰でもたどり着けるが、場所柄お静かに・・。

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 鳥居潜ってすぐの狛犬殿。台座見ても年次不明、部分的に破損もあるが、素晴らしい出来。

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 さらに2組ずつ並んでいる。ここだけで計6体の狛犬殿が居られるわけですな。 

 今回主に紹介したいのはすぐ上の2枚の手前の狛犬殿。この子らだけ年次が判明しました。
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 えーと・・文政6(1823)年というと同じ年にシーボルトが来日しております。彼が日本にもたらした海外知識は当時の日本の武士・町人・医師らに大きな影響を与え、その後の開国問題にも影響があります。シーボルト自身は日本地図を持ち出そうとした罪で追放されますが、親日家として欧州中を廻って日本を平和裏に開国させるべきだと説きまわっておりました。というのも・・長崎に日本人妻お滝さんと愛娘・イネさんを残しているので何とか再会したいという思いが彼を突き動かしていたとか・・・明治に入ってから親子は再会しますが、その辺りの経緯は吉村昭さんの小説「ふぉん・しいほるとの娘」に詳しいのでご一読ください。

 閑話休題・・・話がそれてしまったが、上の狛犬殿は190年も前のものなんですね。他には・・
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 こちらも古そうだが年次不明・・・残念。狛犬たちを後ろから眺めると・・
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 こんな感じ。

 ではそれぞれの後姿を個別に眺めていきましょう。
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 まず鳥居側のものから・・ノミの跡も確認できます。尻尾の流れがいいですね。

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 こちら例の文政6年のもの。グルグルが・・目が回りそう・・・でも面白い。

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 苔の衣が目に眩しいですね。

 最後に・・・
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 文政6年の「あ形」。なんか「また来てやぁ~!」と言っているように見えてきますな。同時にどうしても「バカボン・パパ」に見えてきてしょうがない。頭にねじり鉢巻つけて撮りたいねぇ~~!


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 こぼれ話・・
  青山墓地というと怪奇スポットでも有名・・・夜中、タクシーが通りかかると若い女性が手を上げるので乗せると「谷中へ・・」という。目的地に着くと・・・・これ以上はネットで検索してください。あくまで伝聞ですので。
 でもね。夕方以降は立ち入ろうとは思いません。近道で便利なんだけど。

夏の熱中症~注意喚起!!~

 今週の月曜日、帰りがけに急に汗が止まり、体温が上昇しだした。2010年の酷暑の経験から・・
  「やべ!熱中症だ!」と気づき、近くのコンビニでスポーツドリンク2リットルを二本購入して、近くの公園の木陰で一本目をがぶ飲みして飲み干し、あとの一本を1時間ほどかけて飲んでいた。もちろん、首元は緩めて。それからバスに乗って帰宅したが、夜になって再び体温上昇。首元・脇下・股下と「三点クーリング」を実行して就寝したものの、翌日は起き上がる体力も気力もなく、やむなく休暇を使い、火曜日は休んだ。その日一日は塩入の水を飲みながら、消化吸収のいい雑炊だけしか食べられなかった。水曜日にやっと復活し、汗をかくことの大切さをあらためて学んだ次第・・・。ナトリウムの体への吸収には一日かかるようである。

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 (画像は内容と関係ありませんが・・何か?)
 2010年にも一度熱中症になったことあるので対処法はばっちりだったが、やはりきついなあ・・。皆さんにいいたい。
  『熱中症は命を奪う!』
 毎年、数百人から数千人の人々が救急搬送され、そのなかの一部がお亡くなりになられている。そのような危険なものを「熱中症」などという生ぬるい表現で放置していていいだろうか?「殺人熱射病」といったほうがいいのではないか?
 熱中症の何が危険かというと、汗が出ずに体温上昇してそのうち体が動かなくなるのだ!其の時、近くに涼しい所やコンビニ、売店などあればいいが、人通りのいない田舎道でなった時を思うと想像するだに恐ろしい・・。
 以前からお茶を煮出して冷やして持ち歩いていたが、最近はお茶に塩を混ぜるようにしている。

 これからは街に出るのに、帽子は欠かせないな。

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プロフィール

サムライ銅像研究会

Author:サムライ銅像研究会
歴史と銅像と芸術が大好きなあまり、日本各地を東奔西走する銅像・史蹟ハンターである。神出鬼没なため、脈絡無しのブログ更新を続ける。掟はただ一つ!「死して屍拾うものなし!」昔の時代劇の決め台詞だけどね・・皆さん、見てやあ!
 最近、キューピーに侍の装束を着用させる遊びをやっております。「武者ピー」と呼んで可愛がってやぁ~!以後は「キューピー甲冑師」とも名乗ります。

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