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正八幡神社~文京区関口の鎮守さま~

 東京を東西に流れる神田川沿いに歩き、江戸川公園に入り、階段を上がって路地を抜けていくと・・・
正八幡神社1
 ふいにこちらの「正八幡神社」が現れたのである。手持ちの三万分の一の東京都地図には載っていなかったので驚いた。これだから、未知の路地探検は止められない・・。

正八幡神社2
 けっして大きいお社ではないが、境内はきれいに掃き清められており、清浄な「陽の気」が満ちている(ように思う)。
 あいにくと境内に由緒書きがなかったのでネットですこし調べてみたが・・
  『もともとは水神社の親宮で椿山八幡宮と称し竜泉山洞雲寺、下の宮といわれた。』これしかわからなかった。創建も不明で、地元の方に古くから信仰されていたのだろう。椿山八幡なんて風流な名前でいいなぁ・・正八幡神社という名の神社は福岡県に複数存在するようだ。ということは元はそちらから勧進したのかな・・?

正八幡の狛犬1
正八幡神社の狛犬2
 狛犬殿の台座は古かったが、狛犬殿は新しく見えた。

正八幡の拝殿
 こちら拝殿。まだ朝早いので開いておりませんが、参拝。
正八幡の本殿
 本殿ですね。ちょうど台地の端だから、大昔は土地の有力者が住んでいたのでしょうな。
正八幡からの眺望
 このように眺望もいい。隣は寺が三つほど並んでいます。

 境内の天水桶には・・
唐獅子牡丹
 唐獅子牡丹が・・桶は新しいものですがね。

 と、境内のいい雰囲気に名残を惜しみつつ、神社を後にすると・・

昭和の趣き
 都内では今時珍しい昭和の玄関先です。このあたりは静かな住宅街なので、とてもいい雰囲気。場所的に高級住宅地といえますが、田園調布や成城、松涛(しょうとう)のようなわざとらしさやいやらしさがありません。
 散策にはうってつけですね。

 次回は江戸狛犬の傑作を見つけたので、男前狛犬でも紹介しましょう。

追加情報!!
 「文京区神社誌」という本を見つけたので調べると・・・
  『水神社(文京区目白台)に並び鎮座していた椿山八幡宮を「下の宮」と呼ぶのに対し、(正八幡宮は)「上の宮」とも関口八幡宮とも呼称された。』
 ご祭神は「品陀和気命(ほんだわけのみこと)。それぞれ別の神社だったようです。水神社の近くには細川家の管理する永青文庫があるので涼しくなったらまとめて取材しようかね。

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「松平家忠日記」~戦国時代の落書きを見る~

 人は絵を描く生き物である。洞窟で暮らしていた頃から落書きし、エジプトのピラミッドにも大昔の落書きやナポレオン軍の兵士の落書きもある。現代の街には「グラフィティ」と称する落書きもある。人間、暇すると手が疼きだすらしい・・・。
 今回は戦国時代の武将が書き残した日記の余白に描かれた落書きを紹介し、その人物を紹介したい。

 江戸幕府・初代将軍であった徳川家康に仕えた武将の一人に松平家忠(まつだいら いえただ)がいる。弘治元(1555)年、三河の深溝(ふこうず)城主の伊忠(これただ)の嫡男として生まれ、天正3(1575)年、長篠合戦の前哨戦である「鳶巣山奇襲戦」で父を亡くし、家督継承。それから徳川領内の城や道路、市場などの土木工事を行い、合戦や城の守備に当たり、時に息抜きとして連歌や狩猟に興じたりして家康の活動を下支えする武将の一人として確実にキャリアを重ねていった・・が、彼もまた戦国の武人。天下分け目の大戦「関ヶ原合戦」の前哨戦である「伏見城攻防戦」において、押し寄せる西軍の大軍を他3人の武将や少数の兵士らと共に手強く抵抗し続けたものの、衆寡敵せず、ついに切腹、慶長5(1600)年に数え年46歳でその生涯を閉じたのである。
 はっきりいうと「地味」な武将であり、他に有名な武将は沢山いるが、彼が天正5(1577)年から文禄3(1594)年まで足掛け18年に渡って書き続けた「松平家忠日記」が彼の名を正史に燦然と輝かせることとなったのである。

 その日記を読むと、自弁で戦や土木工事にあたって借金に苦しみ、同僚や上司を接待してまた借金し、ストレスや疲れを癒すために川狩り(投網漁)や鷹狩、連歌の会や茶会を楽しみ、時に娘の病気を心配したり、息子誕生を喜んだり、当時の世情を揺るがせた大事件を自分が関係した所のみを淡々と書き綴ったりと実に読みどころが多い。昔の人の文章なので、読みづらい部分もあるが、ほとんど事実のみを記した備忘録の形をとっているので、興味をもたれた方は図書館などで探して読まれるといい。
 日記の大意をまとめて読みやすくした本なら角川選書からでた「松平家忠日記」盛本昌広氏:著が入門編としてオススメだし、日記そのものを読みたいなら、1955年に出版された臨川書店の「松平家忠日記(全2巻)」がとてもいい。特に後者は家忠が余白に描いた落書き194点を2巻の後ろに載せているので面白い。
 え?文章が苦手?ならば・・
三河武士列伝1~3
三河武士列伝3
 こういう本もある。愛知県に、いや岡崎にお出かけの際はこんな本が博物館や書店で購入できるし、ネットでも購入できる。正確には「三河武士に会いたい」というサイトで作者本人とやりとりしないと買えないのだが・・。

 本題からそれた。今回は家忠が描き残した珠玉のイラストの数々から注目すべきいくつかを紹介したい。

 まずは・・・
ひげオヤジ
 このひげオヤジ・・誰を描いたのかは不明。案外、主君の家康その人かもしれないし、直接の上司であった酒井忠次(さかい ただつぐ:徳川四天王筆頭)かもしれない。でも頭ツルツルだから家忠が懇意にしていた坊さんかもしれない。本人に聞いても「さて、誰だったかのう?」と二ヤリと笑ってとぼけそう。

ひなん民?
 その隣のこれ・・? 推測すると、落城などで逃げ延びている人々を描いたものか。恐らく身包み引っ剥がされた女房衆ではなかろうか?数人で1枚の筵で体を隠しながら落ち延びているところか。こういう絵を見ると、当時の残酷な世相が垣間見える。

謎の生き物?
 この左の生き物・・?何だろう?猿回しの猿かな。日記を読んでいても、遠国から踊りを生業とする人々が家忠の城に来て踊りを披露したとあるから猿回しが一座の中に混じっていたのかもしれない。

馬上武者
 馬上の武者。その眉がとても強気だ。こうでないと荒くれた足軽達を率いることなど無理だろう。
鉄砲足軽
 これは担いでいるものから鉄砲足軽と思われる。ここで注目してほしいのは彼の服装だ。後ろからで正確にはわからないが、陣羽織を着て、腰を帯で縛っている。ひょっとすると鎧は着ていないかもしれない。昔の合戦図屏風を見ていても、鉄砲や弓など離れた所から攻撃できる武器をもった足軽は動きを軽くするため、鎧を着ていない場合が度々ある。たまにふんどし一つで刀振り回している奴も描かれているし・・現代でよかったなぁ・・ワイルドすぎるぜぇ~。

ある日のメニュー
 これはある日のメニュー、恐らく接待用かな・・?これを見ていると、食べたものをブログに載せている現代人と変わらない。そういえば、ある人が家忠を「ツイッター武将」と表現したらしい。上手い!座布団1枚!

夫婦の団欒
 これは家忠夫婦の団欒かな。平安貴族も遊んだ双六をやっているところかもしれない。家忠は連歌を嗜み、時に毎月のように連歌会に出席していたから古くからの風流な遊びにも通じていたようだ。夫婦で双六やっているなんてかわいいところありますな。

牛若丸と弁慶?
 これは牛若丸と弁慶の五条大橋での決闘だろうか?でもこの牛若丸、笛じゃなく刀抜いているしなぁ・・どうなんだろう?

イラスト色々
 イラスト色々である。こう見ると、絵心はあったようですな。現代人が電話しながら書き散らす落書きよりよほど上手い。

謎の乗り物?
 この人?謎の乗り物に載っているのか、膝や太股が異常に発達しているのか??でも機嫌よさそうだな。

棋譜
 将棋の棋譜ね。それがし、将棋やらないのでわからないが、上手い人がみたらどっちも上手い指し手ではなかったみたい。細かく描き残したのにねぇ~。残念。

人魚?
 人魚が描かれている。これは・・
  「天正9年4月20日(旧暦です) 正月20日に安土(織田信長の安土城下)にかんてんちへあかり候。安土に而食人をくい候。声は『とのこほし』と鳴候。せいは六尺二分、名は人魚也」
 日記からそのまま抜粋。地名など分からない部分があるが、噂話を書き留め、人魚を想像して描いたものらしい・・ほんとお茶目なオジサマ!
 でも翌年に例の「本能寺の変」・・異変は織田信長の足元で起きていたのかもしれない・・・。

 まだまだ沢山紹介したいが、収拾つかないので最後にこちらを紹介しよう。
猿こう図
 恐らく、掛け軸や屏風によく描かれてきた「猿こう図」と思われる。水面に映った月をつかめるものと勘違いした猿を題材として描かれたものが古来から沢山あるが、これもその図だろう。家忠も老後に真剣に絵に取り組んでいれば、傑作を残したかもしれないという可能性を感じる。
 だが時代がそれを許さなかった・・。

 豊臣秀吉の死後、天下は急速に徳川家康の下へと傾き、その権勢は豊臣秀頼の存在を霞ませるほどのものであり、石田三成など豊臣恩顧の大名は切歯扼腕して状況の展開を図ろうとしていた。
 徳川家康はそれと察しつつ、自らの命令に服さない会津の上杉景勝を討つべく大軍を編成し、関東へと旅立とうとしていた。家康は出発前に幼馴染でもある鳥居元忠や内藤家長、松平家忠、旗本の松平近正らを呼び、伏見城の守備を命じたのである。それが西軍の前に差し出された生贄と知りつつ・・。
 その晩、家康は元忠と二人きりで酒を酌み交わし、幼い頃から共に苦労した思いで話をしていた。話題は尽きず、酒は進み、冷静沈着な家康の目尻から光るものが・・。それを見た元忠は背筋を正して、
  「殿!お家大事の前にわれ等のような老兵の500や1000を死なせることに心を乱してはなりませぬ!殿は天下をまとめる立場なのです。それを考えてください!」と叱咤した。家康は言い返す言葉もなく、二人は盃を交わすのみ・・・やがて夜もふけて、元忠は若い家臣に助けられて家康の下を辞した。家康は滲む視線でその背中を眺めるしか出来なかった・・。

 一方、同じ夜、家忠は古くからの家臣の一人を呼んで古びた槍を渡していた。
  「これはご先祖様より受け継いだ『鎮西八郎』源為朝の矢尻を鋳潰して造った槍・・これを合戦の中でなくせばご先祖様に申し訳がたたぬ。どうか、これを関東の息子の下に持ち帰ってくれ」といって嫌がる家臣を説得してついに納得させるに至った。
 翌朝、家臣は何度も伏見城を振り返りながら関東へと旅立っていったという・・。

 さて、宇喜田秀家や石田三成などの西軍が「家康討つべし!」と決起し、伏見城にも大軍が押し寄せてきた。使者が遣わされ、開城降伏を説いたが・・
 家忠は使者に対して
  「御家人が多き中にして、武略をえらばれ、(家康様は)我々をこの城(伏見城)に止めらる。いかでか、敵の多勢に臆して城をさけむや、東国勢の守るところ近国にをいてはこの城のみなれば、攻めやぶりて(西軍の)その武勇を試みられよ!」と珍しく語気を荒げて西軍に挑戦状を叩きつける家忠。他、3人の将の顔にも決然たる色が浮かんでいた・・。
 それから10日間以上、西軍は伏見城を攻めあぐんだが、ついに城の中から裏切り者を出すことに成功し、守りの一角を攻め破り、城内は乱戦に陥った。家忠は部下をまとめて3度まで撃退したが、城門の鍵をもっていた兵が討ち死にしたため「今はここまで」と思い、切腹した・・。享年46(数え年)歳・・。もし時勢が安定しており、家忠が老後を風流に費やしていれば、どれほどの記録や芸術を残しえたのか・・・可能性は摘まれやすきものである。

 後年、家忠の嫡男・忠利は常陸(茨城県)で3万石への加増を内示されたが、
  「加増は結構でございます。知行はそのままで先祖の地である三河・深溝へ帰らせてください」と願い出たので特別に許された。その後、松平は領国をあちこちに変えながらも、代々の藩主の遺骨は常に深溝の本光寺へと帰って行き、幕末を迎えた。 

 どうであろう?落書きの向こう側に家忠公の苦笑するさまが見えはしないだろうか?そう思っていただければ成功である。
 

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夏の小ネタ集~お暑い中ごくろうさまです~

 もう梅雨明けのような激しい暑さですね。九州の方々はそうもいっていられないですが。関東は帽子ないと街中歩けません。男性でもたまに日傘使っている人いますね。何か陽射しを遮るものないと死ぬわ・・。

 というわけで暑中に涼を呼び込むような画像をお届けしよう。頭空っぽにして眺めてください。
ほおずき
 都内の飲食店の店頭に飾られたほおずきです。これを見ると夏って気がするねぇ~!でもここでご飯は食べません。いい材料使っているのか、気取っていてアジフライ定食ですら2000円とるんですよ!庶民の敵だ。金持相手にゴマすってろい!

都心の谷間
 こちらは奥多摩・・ではなく、港区にある有栖川宮記念公園の一角です。土地の高低差を活かしてまるで渓谷のような緑の濃さ!涼しいですよ!
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 コケの緑に和みます。
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 公園のすぐ側に六本木ヒルズあるんですよ!信じられないでしょ!
鴨の親子
 ここだと安心して鴨ママも子鴨を遊ばせることができるようです。
CIMG0618.jpg

CIMG0653.jpg
 別のところでは鴨が日向ぼっこしてました。警戒心ないのか近づいても動ぜず。

CIMG0657.jpg
 最後に蓮の花を・・早朝、たまたま発見しました。運が良かった。自然光のライティングも絶妙で、毎回このように撮れるといいねぇ~!

 暑い中、熱中症に気をつけながらお励みください。

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千駄ヶ谷の鳩森神社~他の見所~

 前回に引き続き、鳩森神社です。
鳩森の別口参道
 こちらは裏参道。こちらにも立派な狛犬殿がいます。
別の狛犬1
別の狛犬2
 どちらも一歩踏み出していますね。めずらしい。台座の一角に・・
狛犬の銘
 作者とおぼしき銘が入っていますが、達筆すぎて不明。銘だけに不明・・ごめんなさい。

 裏参道はいったすぐ脇には・・
甲賀稲荷
 江戸時代、青山に甲賀同心衆の屋敷があったので、元々そちらにあったそうですが、明治に入ってからこちらに移されたそうです。
甲賀稲荷の狐さま1
甲賀稲荷のキツネさま2
 神使のおキツネさまです。手前が古そうですね。

 さて、こちらの神社の真向かいには「将棋会館」があるそうです。よく名人戦がやるとこですかね・・それがし囲碁も将棋もやらんのでよくわかりませんが・・
将棋堂
将棋堂の説明
 へぇ~~!
王将
 お堂の中に巨大な王将が垣間見えます。また、7月30日には毎年恒例の「鳩森将棋大会」があるとのこと。興味のある方は神社のホームページを参照してください。

 前回紹介した富士塚にこのようなものがありました。
江戸時代の腰掛
 腰掛でしょうか。座ってみるとちょうどいい高さでした。足元には・・
腰掛の年代
 奉納された年がはいっています。享保19年というと、8代将軍・徳川吉宗が小石川薬園で甘藷(サツマイモ)を栽培させ、それを全国に広めさせた年・・とのこと。古いものでしたね。

 境内の何気ない石畳もモノクロで、視点を下げて撮ると・・・
石畳
 味がでるような気がします。

境内の野良猫
 野良猫がいましたが、警戒心が強くてこれ以上近づけませんでした。堂々とした体格ですね。

 今回の最後に・・
境内の大銀杏
 先の戦災にも耐え抜いた大銀杏です。貴重な木ですね。これからも大切にしていきたいものです。

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千駄ヶ谷の富士塚など

 当ブログで何回か記してきた富士塚・・どうも西国にはないものであった。なのですこし調べてみると、江戸が発祥でほとんどの富士塚は東京都に集中しており、埼玉県と千葉県にすこしだけあるみたい。てっきり富士山が見える地域に幅広くあるものかと思っていたら、神奈川県・静岡県・三重県・山梨県とかにはないようだ。厳密な調査などしていないので、「うちのとこあるよ!」という方、教えてね、

 という訳で来たのは・・
鳩森八幡正面
 渋谷区千駄ヶ谷の鳩森八幡神社。ここは見所が多くて、一回くらいじゃ其の魅力は伝えきれないので今回は富士塚に集中します。
 まず参拝せんとね。
鳩森八幡狛犬1
鳩森八幡狛犬2
 ここの狛犬殿・・実に流麗な造りで、まさに江戸狛犬の代表みたいな感じです。新しいものですけどね。
鳩森八幡狛犬3
 この尾っぽの流麗な流れ見てください。思わず目を細めてしげしげと眺めてしまいます。
鳩森拝殿
 こちらが拝殿。その由緒は・・

  「鳩森八幡神社縁起 御祭神  応神天皇・神功皇后

 『江戸名所図会』によると大昔、此の地の林の中にはめでたいことが起こる前兆の瑞雲(ずいうん)がたびたび現れ、ある日青空より白雲が降りてきたので不思議に思った村人が林の中に入っていくと、突然白鳩が数多、西に向かって飛び去った。この霊瑞(れいずい)に依り 神様が宿る小さな祠(ほこら)を営み鳩森『はとのもり』と名付けた。貞観2年(860年)、慈覚大師(円仁)が関東巡錫の途中、鳩森のご神体を求める村民の強い願いにより、山城国石清水(男山ともいう)八幡宮に宇佐八幡宮を遷座し給うた故事にのっとり、神功皇后・応神天皇の御尊像を作り添えて、正八幡宮とし尊敬し奉ったと伝えられている。」

 さて、富士塚に向かいましょう。
はと富士塚
ハト富士説明
 鳥居の向うにこんもりと見えるのが富士塚。去年の東日本大震災の直後はしばらく登ることできないようにロープ張ってましたが、今は問題なく登ることができます。
 ここの狛犬殿が・・
ハト富士狛犬1
ハト富士狛犬2
 なんともユーモラス。いつの頃のものか不明ですが、江戸時代のものですかねぇ?扁平な顔は古い物に多いのですが、石工職人さんの個性もあるので不明としかいいようがないですね。

ハト富士参道
 説明板通りに参道が「くの字」に曲がっていますね。高さは7~8メートルくらい?
山頂のお宮
 山頂のお宮です。参拝しましょう。下に道路が見えます。反対側を向くと・・・
鳩森の拝殿方向
 向うに鳩森八幡の拝殿が見えます。ここの広さがお分かりいただけるのではないでしょうか?でもごく一部なんですよ。
 富士塚の麓には・・
ミロク行者
 こちら「身禄行者(みろくぎょうじゃ)」と仰られる方で、いわゆる「富士講」を始められた方。そのお墓がやはり都内にありました。

海蔵寺
 こちら文京区向丘2丁目にある海蔵寺。まあ、東大の近くといったほうが分かりやすいですね。
海蔵寺説明
 ふむふむ、なるほどね。早速お墓に向かいました。お掃除されておられるお寺の方に挨拶して・・こういうことをさりげなくやっておくと、後で話を聞くときもスムーズに進めやすいので・・今回は聞かなかったけど。
ミロク墓1
ミロク墓2
 ここも3メートルほどの富士塚でした。

 次回は鳩森八幡の他の見所でも紹介しましょうかね・・。

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スカイツリーなど

 前回に続いて吉原をちょっとだけお見せしよう。知らない街だしね。ちょっとだけ・・
吉原大門1
吉原大門2
 かつて大きな門があったようで夜もふけると閉じられていたようだ。現在も交通標示に残っている。ここの名物といえば・・
見返り柳1
見返り柳2
 やれやれ・・男って馬鹿な生き物さね・・。

 吉原周辺は江戸時代は田んぼであり、吉原は一段高く造られていた。それは今も地形に残っており・・
吉原地形
 手前から奥が吉原である。明らかに盛り上がっているのがお分かりいただけると思う。ま・・「ブラタモリ」でもやってたけどね。

 スカイツリーに行こう。
スカイツリー駅
 吉原から1時間ほど暑い中あるきました。あー、しんど・・。

スカイツリー煽り
 高いなぁ・・なにせ634メートルあるしね。でも都民としては、最初ここが計画地と聞いた時に「なんで?」と思いましたよ。墨田区吾妻橋って都民にはマイナーな所だったし。同時に「あそこくらいしか土地ないしなぁ・・」と思ったのも事実。とにかく意外な場所でした。

ロビー
 行った時はまだ完全予約制でしたのでのぼりませんでした。でもこの日も朝から行列できてましたよ。ご苦労様・・。

女性スタッフ
 手前のお姉さんが女性スタッフの制服です。単純なデザインですね。

 今回はここまで。次回は関東の神社に多い富士塚について少しお送りします。

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吉原神社

 台東区の観光地は年末賑わう「アメ横商店街」や「浅草寺と仲見世通り」・・・そして江戸の昔から大人の男達が遊んできた街がある。

吉原弁財天
吉原弁財天の説明
 詳しくは書かないが、「吉原」である。そこの遊女達の信仰を集めてきた弁天様。

弁天像1
弁天像2
 中央には大きな弁天様が祀られている。気のせいか物悲しいお顔に見えます・・・。
弁天堂
 奥には弁天堂があります。
弁天堂のご本尊
 右がご本尊様ですね。

 吉原神社がすこし離れたところにあります。
吉原神社
吉原神社の説明
 規模はあまり大きいものではありません。吉原の敷地の片隅にあります。今回は色々と書きづらいなぁ・・。

 狛犬をどうぞ。
画像 094
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 靖国神社タイプみたいないかついデザインですね。うん?目が光ってる??
画像 096
画像 097
 キラキラしたものが貼り付けてありますね。当地の女性が貼ったのでしょうか?

吉原神社の拝殿
吉原神社の扁額
 拝殿と扁額です。
お穴さま1
お穴さま2
 境内の片隅にありました。今回はほとんど書きませんでした。分かるな?察してくれ。

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反原発デモへの呼びかけ

 今週、金曜日もまた首相官邸を囲む「反・原発デモ」に参加しようかと思う。
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 以下はあくまで個人的考えだが・・・

  「日本人が産んだ「武士道」とは、『たとえ一代愚かな主君が現れても、次の代に賢明な主君が必ず現れると信じて、今この時を耐え忍び、次世代の為、生きる道なり!』

 これが日本武士道1000年に及ぼうかという歴史を学んだ結果、それがしが得た現時点での結論である。死ぬまで最終的結論など得られるわけないが、
   『武士道とは、生きることと見つけたり!』といっておこう。「葉隠」武士道とは反対かもな。

 そしてそこから現代人が学べることは・・・
  「我等の子供、孫、そのまた次の子らの為にこそ今の時代を保ち、次へと繋ぐべきであって、現在の繁栄のため、人もモノも次々と新しく替えていく行為は 
  『明日の我等自身を捨てている』行為と気づいて、それを改めることだ。 
 我等、現代人など、次の世代の為の『土壌』に過ぎない!!」

 同じ「どじょう」でもドジョウ宰相にそれが分かるかなあ~!分からないだろうなあ~!

 その為にも首都圏に住むそれがしはまたデモに参加しようかと思う。だが、あくまで理性的かつ平和的に参加し、暴走はせず、状況が過熱するようでは途中でも切り上げたいと思う。これを読まれた皆さんは、参加できるものはしたらいいし、出来なくてもツイッターやフェイスブックなどで拡げるだけでもいい。
 もちろん、関西電力へのデモや大飯原発へのデモ参加という道もあると思う。

 そろそろ我等日本人も「唯々諾々」しているだけでは駄目だ!このままでは支那がチベットやウイグルを飲み込んだように、日本も飲み込まれかねないぞ。そうなってから行動しても遅い。動くなら今だ!!

 次回はまた下町の神社をお送りします。

小野照崎神社~狛犬天国~

 先日、スカイツリーを訪ねて徒歩で東京を東西南北横断してみた。途中、名前は聞いていたが行ったことのないお社を幾つか訪問してみた。今回はその第1弾・・・

小野照崎神社
 こちら台東区下谷(したや)2丁目の「小野照崎神社」。
小野の由緒
 由緒によると「小野篁(おののたかむら)」由来の神社・・ここにもありましたね。文武両道の貴族にして、遣唐使に行きたくないごねて流罪にされたけどすぐ都に呼び戻された方・・最近は週刊モーニング誌に連載されている漫画にも閻魔大王の秘書官として登場されていますね。

 ここが色んなタイプの狛犬を置いていたのです。
小野の狛犬1
小野の狛犬2
 こちらは鳥居脇の狛犬殿・・小型犬みたいな可愛いタイプですね。うん形が好き。

小野の拝殿
小野の扁額
 拝殿と扁額です。こんな字が本来なんですね。拝殿前には別の狛犬が・・
小野拝殿前の狛犬1
小野拝殿前の狛犬2
 こちらは随分とおすましさんですな。

 境内には・・・
小野境内の富士塚
富士塚の説明

 江戸の神社に多い「富士塚」があります。それがしの住んでいる新宿区や渋谷区、文京区にも多く存在するので珍しくないのですが、西国の神社にはないそうです。考えてみれば富士参りは江戸庶民の一大イベントだったのかもしれませんが、富士山が見えない地域だとピンとこないのかもしれませんね。富士塚前には・・
狛猿1
狛猿2
 狛犬ならぬ狛猿殿らがちんまりと手を合わせております。あらら、部分的に顔がかけていますね。もったいない。風化でしょうか?近寄ると鑿の跡が見える精緻な石像なんですよ。
 富士塚本体は・・
富士塚本体
 6月30日と7月1日の二日間だけ登山(疑似体験)が可能だそうです。1年中登れる富士塚も少なくないのですが、そういえば新宿区の水稲荷神社の富士塚も秋のお祭限定公開だったかな・・。

 他にも・・
御嶽・三峯神社
 御嶽・三峯神社がございます。神前には・・
狛山犬1
狛山犬2
 狛山犬殿がおられます。あらら、片方は頭がとれていますね。境内を掃除中の宮司さんの手が開くのを待って伺うと・・
  「この間の嵐で木の枝が飛んで頭とれちゃったんですよ。今、修理の算段していますので。ご心配かけましたねぇ・・」と丁寧に応えていただけました。ありがとうございます。ほんと、神職の方って気さくな方が多いですね。坊さんとはえらいちがい・・。

 最後に・・
朝顔
 こんなマーブル模様の朝顔が一輪だけ咲いていました。もう夏ですね。あまり見かけない模様ですが、江戸時代は朝顔栽培もお大尽の道楽で大枚かけて色んな模様の朝顔を育てていたそうな。珍しい朝顔の番付まで作っていたとか・・・まだまだ知らないことが多々ありますね。

 さて、次回は浅草というと外せない「あの場所」の神社へ・・ご期待あれれ?

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第1464回「最近「ドキドキ」してますか?」

こんにちは!FC2トラックバックテーマ担当加瀬です(^v^)/今日のテーマは「最近【ドキドキ】してますか?」です。皆さんは、毎日どんな気持ちで生活してますか?ワクワク、ハラハラ、ウキウキ…イライラ?w自分の心持ちを��...
FC2 トラックバックテーマ:「最近「ドキドキ」してますか?」




 テレビを見なくなってからラジオを聴いている。よく聞くのはJ-WAVEとNHK・FMだ。音楽ばかりを聴いているわけだが、それだと当然映像などの余計な情報が入らずに音楽のみのよさがわかる。それで最近「ドキドキ」した歌手は・・・

レオ2
 現役女子高生歌手の家入レオさんだ。この人の歌声には天才を感じた。ウタダヒカルには一向に才能を感じなかったが、この子の歌声には久々に参りました。シングルは買わない主義なので、ファースト・アルバム出たら買おうっと!
家入レオ

 え?普段は何を聞いているかと?昔から聞いているのは「永ちゃん」こと矢沢永吉兄貴!ロックンロールですよ。他にはメタリカ、パンテラ、どちらもアメリカのロック・バンドです。あとは神奈川県を中心に日本全国で活躍しているクレイジーケンバンド!
クレイジーケンバンド
 横山剣さんの渋い歌声にはしびれっぱなしです。どの曲がいいかって?全ていいです。それがしは好きになったら全肯定する人間なので・・。

 最近、聞きなおしているグループは・・
ピチカートファイブ
 ピチカートファイブ!90年代に「渋谷系」と言われた方々です。世代的にはど真ん中だが、当時は汗臭いロックばかり聞いていたのでオシャレな音楽は一向に聴かなんだ。ラジオで「ちょっと懐かしい曲」として代表曲の「東京は夜の7時」など聞いていたら、ボーカルの野宮真貴姐さんの歌声に惚れました。
野宮真貴
 真貴姐さんの歌声にもドキドキしますね。あんなに艶っぽい歌声なのに、ご年齢が・・それは気になる方が各自調べてください。

 というわけで最近ドキドキしていることは
  「家入レオと野宮真貴の歌声を聞いてドキドキしている」・・という所。これじゃただの変態じゃん!お後がよろしいようで・・・。


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反原発デモに参加してきたぞ!

 雨天の中、デモに参加してきたぜぃ・・ワイルドだろう?これが最近の流行なんだろ?満足したか?

首相官邸
 現在は「ドジョウ」の住処、首相官邸。民主党よ!次の選挙が楽しみだな!50議席も残るかなぁ?

議事堂
 議事堂ですよ。今回のデモは「日本的」というか・・皆、お行儀よかったね。警官も
  「首相官邸への抗議への『イベント』への参加の方は・・・」言うにことかいて『イベント』って・・これが海外なら、警官隊は完全武装で、火炎瓶やガス弾、ゴム弾が飛び交う地獄絵図なんでしょうけどねぇ・・日本人って大人しいなあ。

デモ1
デモ2
 肝心のデモなんですが、人が多くて動けませんでした。雨天なのに・・でも、色んな世代の人が老若男女そろってましたよ。一部報道でいうような10万人単位というのは疑問ですが、1~2万人はいたような気がします。ヘリも飛んでいたので検証をおねがいします。 
 数よりも、特定の層の人々が参加することではなく、色んな人が参加することが大切なんでしょうね。皆さんといっしょに「再稼動反対!」とシュプレヒコール叫んでおりました。
 
 
 報道ヘリ
 この2機以外にも1~2機飛んでましたね。

 今回、それがしは以下のプラカードを掲げて参加していました。
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 狂歌と太田道灌公の名言をアレンジしたもの・・それ以外にもいくつか狂歌書いておきました。
 最初の狂歌は2名の女性が立ち止まって声をかけてくださいました。ありがとうございます。携帯カメラやデジカメで撮っていかれていましたが・・どのように使われるのでしょうか?

 は!ナンパすりゃよかった!ひょっとして貴重なチャンスを・・何かのチャンスを・・見逃したのかも。勿体無いお化けに祟られそうですが、また参加しようかな。弱冠、不純な動機が混じっているかも。

 
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蒸し暑い夜に・・

 いやあ、いつの間にやら蒸し暑い季節になりました。寝苦しいというものです。そんな時には心和む画像を・・

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 ギネスの黒ビール、1パイントです。いやあ、心和む・・え?こんなもので和むとはオヤジだって?ええ、オヤジですが何か?
 たまにアイリッシュ・パブに立ち寄り、ギネスを1杯頂いて帰ります。本当は2杯目いきたいのだが、800円するのでね・・500mlの発泡酒なら5本は買えますぜ。だからたまの贅沢です。
 酒を飲むなら、女性がいない店、賑やか過ぎない店がいいですね。1杯の酒を傾けつつ、来し方を思い、先々に思いをいたす・・そんな僅かな時間が黄金のように貴重です。昔の人もいうじゃないですか。
  「酒に対してはまさに歌うべし、人生幾ばくぞ・・」と。朝露のようなものかも、重き荷物を背負って長い道を行くようなものかも。正解は棺桶に突っ込まれた時に思いつくかもしれませんな・・おやすみなさい。


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7月6日のデモ

 先週、東京の首相官邸を包囲するような大規模の反原発デモが起こっていた。にもかかわらずそれがしは知らなかった・・・その情報をJ-WAVEのラジオ番組で知った。無念!

 だが!毎週行われていくもののようだ。そこでそれがしも参加しようかと思う。
橋本左内2
 幕末の福井藩士・橋本左内先生は
  「男子たるものが憂慮するところは、ただ国家が安泰であるか、危機に直面しているか、という点のみである」
 という言葉を残されている。昔の人なので、今の時代とそぐわない語句などあるが、その「思い」はご理解いただけるのではないだろうか?

 東京:
【日時】7/6(金)18〜20時予定
【場所】首相官邸前(霞ヶ関駅より徒歩7分、虎ノ門駅より徒歩10分)
※千代田線・丸ノ内線の国会議事堂前駅は大混雑が予想されます。

【呼びかけ】首都圏反原発連合有志

 今の時代は危機そのものである。志あるものは参加してもいいのではないだろうか?

 否!今行かずば、生涯後悔するであろう!!

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櫻田神社~六本木ヒルズふもとのお社~

 今回は六本木ヒルズの足元に鎮座まします神社を紹介しよう。

櫻田神社
 こちらは港区西麻布3丁目2番地17にございます「櫻田神社」 石鳥居が立派!
 ご祭神は・・豊宇迦能売大神(とようかのめのおおかみ)

 港区なのに『なんで櫻田?』と思ったそこのあなた!鋭い!それがしもそれを疑問に感じていたが、参拝だけすませていた。ところが、渋谷一族を調べるため、「渋谷区史」(1952年刊行)を読んでいたところ、なんと櫻田神社の縁起が記されていた。以下、要約します。

 『麻布の櫻田神社は治承4(1180年)11月勧進。渋谷重国が麻布に狩りに来た時、ある石窟の前で火を焚いた時に、白狐が現れたので、社を造営し、「霞山稲荷大明神」として祀り、その麓の霞ヶ関を江戸太郎重長が守護して居館の鎮守として祭った。
江戸太郎重長
 (世田谷区の永劫山慶元寺にある江戸重長の坐像。源頼朝の御家人)
 文治5(1185)年、源頼朝の奥州征伐の途次、櫻田神社に立ち寄って戦勝祈願した。戦勝後、三十貫の田地を寄付し、御供田のしるしに田の畦道に櫻の木を植え、そのことから「櫻田」の地名由来となった。
 後、太田道灌(ここでも登場!)が再興。慶長年間(1596-1614)、溜池(赤坂か?)の台に遷座。さらに寛永元(1624)年、麻布の現在地に移転した』

 という訳。部分的にそれがしの補足が入っていますが、こんな感じ。霞山があったといいますが、現在の警視庁や国会議事堂があるあたり。そういえば、警視庁からお堀沿いに緩やかに三宅坂ののぼりが続いていきますが、右手に皇居、左手に国会議事堂が見えます。古地図などで精査していないので聞き流してほしいが、国会議事堂があるあたりが大昔は小高い山があったと考えるとわかりやすい。

 ま、参拝しましょ。
櫻田神社参道
 両側を雑居ビルに囲まれ、長くない参道ですが、ちょっと薄暗いです。
櫻田神社手水舎
 手水舎。参拝した時は水とまっていたので手を清める真似だけ・・。

櫻田の狛犬1
櫻田の狛犬2
 奉納された年代は確認し忘れていました。しまったしまった・・。狛犬殿に笑われるな。

櫻田神社拝殿
 拝殿です。拝殿の左隣に宮司さん方がおられる棟があります。朝早くいくと、おばあさんが一人でお掃除されてましたっけ・・。

 小さいですが雰囲気の明るいお社でした。六本木ヒルズにお出かけの際はお立ち寄りください。


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プロフィール

サムライ銅像研究会

Author:サムライ銅像研究会
歴史と銅像と芸術が大好きなあまり、日本各地を東奔西走する銅像・史蹟ハンターである。神出鬼没なため、脈絡無しのブログ更新を続ける。掟はただ一つ!「死して屍拾うものなし!」昔の時代劇の決め台詞だけどね・・皆さん、見てやあ!
 最近、キューピーに侍の装束を着用させる遊びをやっております。「武者ピー」と呼んで可愛がってやぁ~!以後は「キューピー甲冑師」とも名乗ります。

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