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「一休さん」実写化

 こんばんわ。
 知人から「今夜、一休さんが実写ドラマでやるよ」と聞いた。ここ半年テレビ見ていないので何をいっているのかわからなかったが、検索してみると確かにフジテレビでやるとのこと。
一休宗純
 画像は実際の一休宗純

 居酒屋で飲みつつ、知人の携帯で見ていると確かにやっている。ごく一部しかみていないが、セットや装束はわりと「凝っているな」と感じた。足利義満役の東山某はケレンミたっぷりに演じているし、主演の鈴木福君も子役として名を売るだけはある。しかし東山将軍の衣装変えが頻繁で派手だな・・主役は墨衣だから仕方ないか。
 街のセットは福井県の一乗谷だろうか?

 ただシナリオは・・弱冠政治臭を感じた。疫病に苦しむ庶民を救うために明国と仲良くせよ、という台詞には現在の尖閣島問題を絡めて支那と仲良くせよとでもいっているように聞こえたぞ!フジテレビめ!
 なにしろ韓流ブームを大手広告代理店と一緒に仕掛けたテレビ局だからな。眉に唾つけて見ないといけない。
 
 それがしは愛国者なので、都知事の尖閣島購入計画を支持したいと思います。本来は国がやる仕事だけどな!

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早雲寺~箱根湯本の古刹~

 前回の白山神社の向いすぐに・・・
早雲寺
 こちら!金湯山・早雲寺がございます。こちらのお寺は臨済宗、小田原城主の伊勢宗瑞(一般には北條早雲)が亡くなった後、跡継ぎの北條氏綱が京・大徳寺83世の以天宗清を招いて大永元(1521)年に父の菩提を弔う為に開いたお寺です。
 初代・住職の以天宗清さん、室町幕府に仕える蜷川氏の出身です。蜷川氏というと・・とんちの一休さんに出てくる蜷川新衛門さんと同じ一族。新衛門さんは実在の人物ですよ。まあ、アニメ「一休さん」のようなすっとこどっこいのお侍さんではないでしょうが・・。
 ここで一休さんと新衛門さんの狂歌でも紹介しましょう。
  一休宗純  「門松は 冥土の旅の 一里塚 馬駕籠もなく 泊り屋(宿屋)もなし」
  蜷川新衛門 「年越しは 冥土の旅の 問屋場(といやば)か 月日の飛脚 あしをとどめず」
 なかなか辛らつな歌ですね。

 閑話休題・・・

三つ鱗
 ここは北條氏ゆかりのお寺なので寺紋として「三つ鱗」が使われています。お宝として、北條家歴代の当主の肖像画などもありますが、訪れたのは朝早かったので見ることあたいませんでした。またそのうち・・

 北條家が関東一の大名であった頃は大層繁盛したそうですが、お猿「豊臣秀吉」の北條征伐で本陣を置かれてしまい、北條家滅亡後は荒廃、火災にもあったそうですが、寛永4(1627)年に再建され、さらに慶安元(1648)年に三代将軍・徳川家光公より朱印状を頂き、復興を果たし、現代に至るそうです。

 そういえばお猿・秀吉が本陣を置いた折、ある悲劇がありました。秀吉の茶頭・千利休の高弟である山上宗二(やまのうえ そうじ)は師匠譲りの渋好みで、秀吉の金ぴかの茶室など派手数奇を大層嫌悪しており、出奔して小田原で北條の家臣団に茶道を指導していたそう。
 そこに秀吉の大軍が来襲し、小田原は包囲されてしまいました。宗二は秀吉と共に来ているであろう利休に会いたくて利休の所に来てしまいました。
 利休「宗二!小田原に来ていたと聞いていたが、このままでは太閤殿下に逆らった罪で首討たれるぞ。わしが殿下との対面を周旋するから、お許しを請うのだ」
 宗二「師匠、わたしは首討たれる前に一目でも師匠にお会いしたくて参りました。その私が・・許されるのでしょうか?」
 かくして早雲寺で秀吉と宗二と対面が果たされますが、その際、どのようの会話がなされていたのか・・秀吉は激怒し、宗二を生きながら耳や鼻を削ぎ、しまいに首を切りました。利休は弟子の亡骸をどのような思いで見たのでしょうか?翌年の天正19(1591)年、利休も秀吉と対立し、切腹します。
 ただ山上宗二は「山上宗二記」という書物を残しております。そこで利休や秀吉が愛用した茶器や茶道具の数々を評価しています。その本は現代でも読むことができます。読まれるのも一興かと。

惣門
 まず惣門を潜りましょう。この扁額は江戸時代に日本に来ていた朝鮮通信使が書いたもののようです。長崎から長い旅をしてここで一休みして江戸城に赴いたのでしょう。

境内へ・・
 惣門からちょっと歩いて・・
鐘1
 境内の鐘突き堂です。この鐘は秀吉の石垣山城で使われていたものとか・・もうちょっと寄って撮ればよかった。
鐘2
 もやってるのは、境内の一角で枯葉を燃やしていたからです。おかげで風情のある景色となりました。

早雲寺本堂
本堂の説明
 古い本堂ですが、江戸時代のもの・・北條時代のものだったら、秀吉も歩いたのでしょうが。

 このお寺には日本史上の有名人の墓も多々あります。
飯尾宗ぎの墓
宗ぎの墓・説明
 室町時代の連歌師・飯尾宗祇(いいお そうぎ)のお墓です。この方は一休さんと交友もあったそうです。連歌は正直、難しいので読んでてもよくわからんのですよ・・。

 さていよいよ・・
北條5代の墓
北條の墓・説明
 北條5代の当主のお墓です。右から・・初代・宗瑞(早雲)、二代・氏綱、三代・氏康、四代・氏政、五代・氏直のお墓です。南無南無・・・。
 北條氏は時代を読み違えていったん滅びましたが(江戸時代に大名家として復活)、その政治はけっして過酷なものではなかったようで、国替えで関東に移ってきた徳川家も最初は苦労したようです。
 箱根湯本に来たらここにこないとね。え?普通は湯治だって?それがしはそれでは楽しめないので。

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箱根湯本の白山神社

 前回の大久保神社に行く前にまず箱根に出かけていました。新宿から小田急線に乗り・・
DSCF0746_1.jpg
 ああ、富士山が見えてきました。この辺だと遮るものも少なくよく見えますね。
DSCF0755_1.jpg
 小田原手前まで行くと頂上あたりしか見えません。

箱根湯本駅前1
 やれやれ、到着しました。箱根湯本駅前です。向いが有名な冨士屋ホテルです。でもスルー、湯治に来たわけじゃなし。目的は別にあります。陽射しは夏ですが、ここまで登ってくると風が涼しかったですね。
箱根湯本駅前2
 橋を渡って反対側から箱根湯本駅を眺めます。賑わってましたね~。

 山道をテクテク歩いていくと・・
箱根湯本の白山神社
 箱根湯本の白山神社に到着!江戸時代までは「白山権現さん」と呼ばれて親しまれていたそう。

白山神社
御祭神:伊豆大神奇魂・菊理媛命
例祭日:八月七日
ご由緒:伊豆山記、走湯山記によれば、聖武天皇天平元年夏、東国北条の祭主、伊豆権現に祈願したところ「悪行のなす所、救いに術なし、これ白山の神威を頼むべし」との神託があった。時に猛暑のころであったが、一夜のうちに石蔵谷(白山神社鎮座地)に雪が降り積もり、幾日たっても消えず、病いにある者これをとってなめたところ、病苦たちどころに平癒、よって社を創立せり。古来、病気平癒・厄難消除の神として庶民の信仰が厚い。
なお、社殿はこれより奥、山道を登って五百メートル余り、(徒歩約二十分)石蔵谷の岩上に社殿が鎮座する。

 これは古いですねぇ~。由緒正しい。

白山神社は、伝承によると「天平年間(729-748年)に関東に塙瘡(ほうそう)が大流行した時、加賀白山の開創泰澄から派遣された浄走坊が、この湯本の地に白山権現を勧請し、十一面観音を祭ったところ温泉が涌出してきた。その温泉に浴した人々はことごとく塙瘡が治った。」とあります。また、この湯本温泉は箱根の中で最初に温泉が湧き出たところで、国内で疱瘡が流行り関東に遣わされた加賀白山霊場の開祖康澄の弟子浄定が、天平10年(738年)箱根に白山権現社を建て、十一面観音を刻んだところ山から霊泉が湧き出し病を治したという伝承があります。
白山神社の御神水は、旧街道から小さな石橋を渡って直ぐ右側の手水舎から流れ出ています。この御神水は、社殿左に昔から境内に湧き出ているという白山御神水と祠があります。そこからパイプで手水舎に流し込んでいます。
白山神社のご神水
 という訳でこの手水舎からチョロチョロ流れているのがご神水。そういえば冷たすぎず、気持ちよかったですね。飲んだら美味しかったし。

白山神社へ
 境内へ行きましょう。

 白山神社狛犬コレクション!
白山の狛犬たち1
白山の狛犬たち2
白山の狛犬たち3
白山の狛犬たち4
 造られたのは大正5(1916)年9月吉日、彫刻師・松寿斎石熊、庭師・伴野徳平とのこと。「石熊」は屋号でしょうね。庭師が設置したのでしょうか?耳が立っているのが珍しいらしいのですが、そんなに立ってる?
 ちなみに大正4年には第1次世界大戦が勃発し、5年には大隈重信が狙撃され、翌6年には大日本帝国海軍からも遠く欧州の地中海へ向けて艦隊が派遣され、ドイツ軍の潜水艦と死闘を繰り広げていた(現在もマルタ島にその折戦死された方々への記念碑がある)誠に慌しい時代・・そんな時代から間もなく100年経とうとしていますね。その頃は現代の有り様など想像できなかったでしょう。今から100年後どうなんだろう?

 閑話休題・・。

白山神社の拝殿
 参拝しましょう。拝殿の木彫がまたすばらしい。こうして見ると、日本は道端に美術館があるような素晴らしい木彫を見ることができます。イイネ!!
拝殿の彫刻1
拝殿の彫刻2
 周辺は山深く、境内には清浄な気が満ちており、まことに「聖地」。この空気を呼吸するだけで寿命が延びますな。湿度も豊富なのか、狛犬は苔の衣をまとい、境内の一角には・・
カーペットのような苔
 緑のカーペットのような苔が敷き詰められています。潰れるといけないのでそっと触るとヒンヤリしていて、さわり心地も気持ちいいです。ジブリアニメの「もの○け姫」に出てくる精霊がそこかしこにいそうですね。拝殿には「しゃばけ」シリーズの「鳴家」たちが沢山居そう・・・。

 じんわり癒されました!

 次回は神社の向かいにあるお寺です。そこでは関東中世史にまつわるものを見学します。

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小田原市の大久保神社

 画像ファイルを整理していたら、取材だけしてまだ手をつけていなかったファイルや消去したと思っていたファイルが見つかった・・・というわけで今回はそんな1箇所。

小田原の海
 去年の夏に小田原市を訪れた時の画像・・真正面は競輪場らしい。興味ないので詳しくはしりません。その日は北條時代の小田原城跡を訪れるために暑い中ほっつき歩いていたのだが、道を間違えて結局いけなかった。とはいえもう一つの目的地には行けた。

大久保神社1
 ああ・・夏の日差しで白っぽい。ここ大久保神社も目的地でした。江戸時代に大久保家が小田原藩主として治めていたのでこの神社がございます。ご祭神は「大久保忠世(ただよ)公」と大久保忠真(ただざね)公」です。
 忠世公は徳川家康配下の16神将の一人に数えられる勇将で、長篠・設楽原合戦で武田軍相手に大活躍して織田信長公から「武者使いの名人」と激賞された方。
 忠真公は名君として知られ、二宮金次郎を農民から抜擢した方としても有名です。
大久保神社2
 [社頭掲示板]
大久保忠世候ならびに大久保忠眞候を祭る。大久保家は徳川譜代の重臣で天正十八年(一五九〇)北条氏滅亡後小田原を賜わり中途七十余年の間他領にあったがふたたび小田原に帰り明治に至るまで実に二百余年の永きにわたり小田原藩主であった。大久保忠世候は徳川家康に仕えていくたの功績を挙げ藩祖と仰がれる人であり、また大久保忠眞は大阪城代京都所司代老中を歴任し二宮尊徳ほか多くの人材を登用した名君で中興の祖とたたえられる人である。大久保神社は始め忠世候を祭神として明治二十六年(一八九三)小田原城天守台跡に造営されたが城跡が御用邸になるに及んで同三十三年にこの小峰山腹に遷宮し昭和十年忠眞候を合わせて祭って現在に至っている。
 
 これで大体の所はお分かりいただけるのではないだろうか?大久保家についてもっと詳しく知りたい方は・・
「天下のご意見番」で有名な大久保忠教(ただたか)の「三河物語」を読むか・・
新・三河物語
 三河物語をベースにした宮城谷昌光先生の「新・三河物語」を読んでください。これを読めば徳川家康公が天下をとったのが誰にでも分かるようになるかも・・?

大久保神社4
 ま、参拝しましょう。ここは個人の方が管理されているようで、普段は入れないようになっているそう。何も知らずに訪れたのですが、空いてました。忠世公に招かれたのでしょうか?

大久保神社3
 神紋は当然、大久保家の家紋。真ん中の「くぎ抜き」が目印。

大久保神社5
 よろしければ皆様も参拝どうぞ。ただの画像ですが・・。

大久保神社扁額
 扁額はこちら。

 白黒で見るとどこか懐かしい感じ・・あの日は暑かったなぁ・・。
大久保神社白黒1
大久保神社白黒2
 観光地ではないので一般的な面白さはありませんが、街の歴史を物語る神社には間違いございません。

 最後に神社から小田原の町と相模湾を見て頂きましょう。
大久保神社からの眺め

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六本木の一隅に佇む神社・天祖神社

 当ブログでは六本木の国立新美術館で開かれる展覧会を度々お送りしてきたが、美術館近くの商店街一角に建つ神社を紹介したい。

天祖神社1
 こちらの天祖神社、別名「龍土神明宮」、ご祭神はもちろん天照大神であらせられる。創建は至徳(1384)年8月16日と古い。表通りは賑やかな外苑東通りであり、近在にはミッドタウンや六本木ヒルズなど観光地が目白押しだ。最も東京らしい街ともいえるだろう。
 だが神社がもともとあったのは現在の飯倉付近であり、現在ではホテル・オークラや全日空ホテルなどが建つ。かの太田道灌公の時代には寂れていたが、道灌公が祭田を寄進し社殿を再建して手厚く保護したという。後に江戸幕府・第2代将軍の徳川秀忠公の時代に現在の場所に移転。木造桧皮葺の立派な社殿だったらしいが、度重なる火災によりたびたび焼け、明治に入ってから再建。 
 だが、昭和20年に戦災で再び焼けてしまい、戦後復興したようだ。 

天祖神社2
 ともあれ参拝しましょう。

天祖の狛犬1
天祖の狛犬2
 狛犬殿、毎日ご苦労様です。造りは古そうだが、江戸時代のものではなさそうだ。恐らく明治の再建時に寄進されたのでは?台座の裏の年期など確認していないが、そんなところではないだろうか?色んな神社で色んな狛犬を見ていると、徐々に色んな違いに気が付くようになるだろうが、あたってるかは不明だ。そのうち狛犬検定でもどこかやるのではなかろうか?

天祖の拝殿
 こちらが拝殿。周囲を高級レストランやバー、マンションなどに取り囲まれているが、そんな栄枯盛衰など知らぬげに静かに鎮座まします。境内は決して広くありませんが、静かでいい雰囲気です。
 近頃はパワースポット巡りがブームですが、案外、近所の神社など見落としがちではないかな?遠くのお伊勢さんや出雲大社、霧島神宮などももちろん大いに結構だが、近所の神社を巡ってみるというのも一興ですぞ。

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アンパンマンの銅像~文京区本駒込~

 当ブログはおかげさまで色々な方に見ていただいているようで、その中には小さいお子さんがおられる方もおられるようだ。というわけで、小さい子らのヒーロー「アンパンマン」の銅像でも紹介しよう。

フレーベル館
 こちらは文京区の六義園入り口の正面にあるフレーベル館・本社ビル。やなせたかし先生のアンパンマン・シリーズで大儲け・・もとい有名な会社ですね。その表玄関右側に・・
アンパンマン銅像
 アンパンマン「やあ!僕アンパンマン!お腹が空いている子はいないかな?悪いことしているバイキンマンはいないかな?僕のアンパンチが黙っちゃいないぞ~!」・・てアンパンマンはそこまで攻撃的じゃないよね。

 子供の頃読んだ絵本で覚えているのは「百万回生きた猫」と「ぐりとぐら」くらい。どちらも今もベストセラーのようだ。アンパンマンもあったはずだが、子供の頃はあの線が許せなかった・・今はどうでもいいけど。

 銅像に戻ろう。アンパンマンのマントには・・
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 やなせ先生のサインが。

 台座には・・
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 上は原型製作者の銘だと思うが、下の「デ」って・・?何?デ・ニーロとか?そりゃないわな。

キャラ一堂
 こんなコーナーもありました。
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 えーと、左からメロンパンナちゃん、アンパンマン、バイキン子?あれ?右端だけ名前わかんないや。

 近年、このようにキャラもの銅像や石像がふえていますね。これらが50年・100年と時を経過していった時に未来の人は何を思うのだろうか?侍や武将の銅像も作っていこうね。

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国展~工芸部門~

 前回の更新から時が経ってしまい、国展を見に行ってから早くも1月が過ぎてしまった・・光陰矢のごとしという。残った工芸部門のことを書いてしまわねば・・とはいえ、この部門は他のような感想が残りづらかった。

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 「ああ、反物や着物か・・」という所。自分用の着物を持っているが、紺色無地のいたってシンプルなものなので、かようにはでな着物を着る訳でなし・・

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 日常の道具だからそんな特別視することないんだろうが・・・でも1点数十万円とかするんだろうなあ・・。

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 ここは窓越しに外光が柔らかく入ってくるので爽やかなスペースでした。こうしてみると、タペストリーにもなりますな。

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 根来(ねごろ)塗りの漆器です。根来というと紀伊、和歌山県の山奥ですかね。昔は僧兵と鉄砲で有名でしたね。織田信長の傭兵になったり、敵対したり・・平和な時代になるとこんな工芸品作っていたんですね。これは実用的な美、「用の美」ですね。

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 子供用の着物もあります。

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 これは座り心地のよさそうな座椅子です。読書や昼寝によさそう。

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 この飾り棚いいなあ・・・これを置くとしたら、部屋をキレイにして余計なものを一切置かずに、真ん中の棚によさげな器を一点だけ置くのがいいのだろうなあ・・。ということはそれがしの部屋には無理だな。

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 他は全体にこんな感じ。もうちょっと展示に創意工夫があってもいいなあ・・せっかくいい物取り揃えているんだからさ。

 あれこれ公募団体の美術展覧会を見てきたが、どこも来場者の年齢層が高いねぇ・・若い人がいても、画学生のような感じの人ばかりで、普通の人がふらりと見に来た、という感じが薄い。これは残念なことです。来れば面白いものや素晴らしいものが沢山あるのに。ちょっと昔の言葉で「若者よ、書を捨てよ、街へ出よう」なんてありますが、いい直すなら「人々よ、スマホを置いて、美術館に行こう」というところですか。お後がよろしいようで・・。

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プロフィール

サムライ銅像研究会

Author:サムライ銅像研究会
歴史と銅像と芸術が大好きなあまり、日本各地を東奔西走する銅像・史蹟ハンターである。神出鬼没なため、脈絡無しのブログ更新を続ける。掟はただ一つ!「死して屍拾うものなし!」昔の時代劇の決め台詞だけどね・・皆さん、見てやあ!
 最近、キューピーに侍の装束を着用させる遊びをやっております。「武者ピー」と呼んで可愛がってやぁ~!以後は「キューピー甲冑師」とも名乗ります。

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