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緊急告知! 示現会展覧会開催!!

DSCF3883_1.jpg
 今週は徐々に暖かくなってきており、菜の花やヒカン桜も咲き誇っておりますね。ソメイヨシノはまだまだですが・・。その前に菜の花とJR中央線を一緒に。タイトルをつけるなら・・
   『行ってらっしゃい!』
 ベタですまぬすまぬ・・。

 さて、以前から当ブログでひとかたならぬお世話になっている北海道在住のアーティスト「michiko」殿が所属されておられる美術団体の展覧会が港区六本木の国立新美術館で開催される運びとなっております。
新国立美術館
 そう、都心の美の殿堂「国立新美術館」です。開催要項を下記に貼り付けます。

65周年記念 示現会展 (主催:社団法人 示現会)
会場:国立新美術館(六本木)展示室2A・2B・2C・2D
期日:平成24年4月4日~4月16日
作品ジャンル:洋画
料金一般 700円
大学生以下・障害者手帳をお持ちの方及び付添者1名まで 無料
最終日閉会時間午後3時(入場締切 午後2時30分)
HPアドレスhttp://www.shigenkai.jp/

 東京や関東在住の方で美術に関心のある方!そう、そこの君!!700円握り締めて来るべし!それがし?すでにチケットを購入して待機状態にある。あー、楽しみ。

 michiko殿には以前、太田道灌公のイラストを描いていただいている。
道灌イラスト_1
 それがしが当ブログで書いた道灌公が主人公の短編小説に副えるイラストです。本来ならプロに描いていただくなんてありえないのだが、ネットとはありがたいものです。
 恩返しにせめて展覧会を宣伝したり、見に行かないとね。念のため、示現会の第50回(1994年開催)画集を見返してみると・・・色んなスタイルの洋画がありましたが、全体的に写実的な画が多かったですね。約20年前の傾向なので現在はどうなっているかはわかりませんが、楽しみですね。

 michiko殿のブログアドレスはこちら・・
http://michikomichi.blog104.fc2.com/
 そちらのブログで今回の作品の製作過程を興味深く拝見させていただいたのでどのような画かは把握しているが、実物を拝見するとまた別の思いを味わえるでしょう。その様子もまた来週お送りします。
 それでは・・・剥目して待て!!!

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江戸城・梅林坂~太田道灌と万里集九の友情

東京の暁
 なかなか暖かくなりませんね。こちらはそれがしの近所から偶然見つけたスカイツリー眺望スポット。新宿区から直線距離で12~13キロのはずだが、建物に遮られて見えない所もある中、ここはたまたま空いていました。高層マンションでも建った日には見えなくなりますがね。そういえば開業は5月でしたね、楽しみですが当分は観光客で溢れて見ることは難しいでしょう。1年くらい待ちましょうか。

 さて、今回は江戸城の梅林坂に梅を見に出かけました。ここは単に梅の名所というだけでなく、太田道灌公にとって深い所縁のあるところでもあるんですよ 大手門から入城し、二の丸庭園を右に、白鳥濠を左手に見ながら北に歩いていくと・・
春先の梅林坂1
 うわあ!キレイ!やはり春先は梅ですね。アングルを変えると・・
春先の梅林坂2
 やっぱりキレイですね。太田道灌公が江戸城を築いた当時、菅原道真卿を祭り、梅を数百本植えていたそうです。今ではそこまで梅は植えられていませんが、それでも梅の名所ですね。ここに祀られていた天神様は・・
平河天満宮
 千代田区平河町にある平河天神として今もなお多くの方の崇敬を受けております。徳川家康公が江戸入府後、江戸城拡張工事のために現在地に移したそうです。

 さて、白梅・紅梅を堪能していただきましょう。
白梅1
紅梅1
白梅2
紅梅2
 余計な言葉はいらないと思います。

 上に書いたとおり、ここは道灌公ゆかりの場所でもあります。そしてそこには万里集九(ばんり・しゅうく)という1人の禅僧が関わってくるのです。ところが万里について調べようとしたところで壁にぶつかりました。本屋にいっても武士のことを書いた歴史の専門書は沢山あるのに、僧侶について書かれた本なんてなかったんですね。それが室町時代の禅僧なんて・・と半ば諦めながら、都立中央図書館で「万里集九」をキーワード検索してみると・・・
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 ありました!快哉を叫びましたよ・・心の中で。さすが吉川弘文館の人物叢書、さらには著者の中川徳之助先生に大感謝!頭がさがります。あなたがこんな本を書いてくれていたからこそ、難しい漢詩ばかり書いている禅僧の生涯を把握できました。
 本題にもどりましょう。ざっと経歴など・・
  万里集九・・・正長元(1428)年9月9日、近江(滋賀県)国浅井郡速水郷に土豪の子として生まれる。少年の時から京都・五山に数えられる東福寺で修行を始め、後に建仁寺に移る。禅僧の基礎教育として支那典籍を学び、さらに「三体詩」などの学習による作詩法の習得を積む。
 応仁の乱(1467)勃発により京都を逃れ、美濃(岐阜県)国で竜門寺で住職になるも、どのような経緯か妻帯したことにより還俗。かつての師友からは仲間はずれにされるも、数少ない友人の紹介により、関東の名将・太田道灌公とのつてができ、道灌公の依頼により「静勝軒記」を記す。その後、道灌公の招きにより江戸に赴く(これを「東遊」という)。江戸についてから、道灌公と武将と僧侶という枠を超えた交友がはじまり、江戸城や越生、隅田川で漢詩や短歌、連歌を作る遊びを重ねる。その交友は長く続くと思われたが・・道灌公が主君の扇谷定正公により殺害されたことにより断絶!万里は悲嘆にくれる。
 その後、2年あまりも江戸に滞在し、道灌公の3周忌を終えてから自宅のある美濃・鵜沼へと戻る旅にでて、翌年帰還。東遊期間中に作った漢詩などをまとめた詩集「梅花無尽蔵」を書き上げる。それからは旅にでることもなく、80過ぎまで生きたという。没年不詳。

 とまあこのような生涯です。万里の名前は道灌公を調べた時点でわかっていましたが、ここまで詳しくは知りませんでした。さらに万里の書いた漢詩も注釈付で先の本にのっていました。はっきりいって難しい詩ばかりなので、注釈を読んでもわからない事だらけでしたが、道灌公が亡くなった後に書いた一本の詩に万里の底の知れない悲しみを感じ取りました。全ては長いので象徴的な一文だけ記しましょう。
  「黙してこの花に対して、個人を憶う」
 道灌公は万里を江戸城に招いた後で、万里の妻子をも護衛付で招待したり、万里の為に建てた邸宅の庭に自ら桜の苗木を植えたりと、当時の武将としては心の行き届いたもてなしをしていたそうです。それらのエピソードも万里の本で初めて知りました。そのエピソードを踏まえて、漢詩の一文を読んだ時、泪がとまりませんでした。
 また、武士というものは仕える主人はいても、近代的な友情の概念はありません。なぜならば、主人の命令が下れば親兄弟や友達であろうとも討ち果たさなければならないからです。現代人からは信じられないほど厳しい話ですが、それが「武者の道」、「武士道」というやつですね。
 でもその武者として最も輝かしい勝利を重ね続けてきた道灌公が遠来の友の到来に手放しで喜び、友の為に色々と手を尽くしている様はほほ笑ましい限りです。おかげで道灌公の人間的側面も知る事ができました。

 万里の邸宅があったのもこの坂の辺り・・これからは梅の季節を迎えるたびに2人の友情を思い出すことになるでしょう。

 最後に石垣と梅をいっしょに。
石垣と梅林
 ♪上を向いて~、あ~るこう~、泪がこぼれないように~・・お粗末様。

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筑波大学・彫刻展を見た!

 先日、出先の湯島から御茶ノ水へ歩いていると、湯島聖堂のあたりでいつもと変わっている雰囲気があったので時間を確認して「まあ、小一時間くらいならさぼる・・もとい、一服(タバコ嫌煙派です)する時間くらいあるだろうと行ってみた。
筑波大学・彫刻展
 おお・・いつもは何もない湯島聖堂に彫刻が置いてある。なになに・・「筑波大学・彫刻展」ですと!これは観にいかないと。

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 入り口にまず置いてありました。タイトルは・・あれ・・チェック忘れた。

聖堂入り口
 入り口を潜ると・・・

聖堂全体
 あちらこちらに置いてありますね。というわけで数ある作品の中でも、また心に残った作品を紹介していきましょう。

自分がみたかたち
 「自分がみたかたち」 木村俊也さん
 裸婦のトルソーですね。何かこう・・古代の遺跡から掘り出されてきたような雰囲気があります。ルーブル美術館の「サモトラケのニケ」や「ミロのヴィーナス」像などでも分かるとおり、優れた造型は必ずしも全てのパーツが残っていなくても人々に感銘を与えるものです。この作品も何か心に残りました。

The beauty falls asleep
 「The beauty falls asleep」 神農曠衣さん
 言葉はいりませんね。暗いところでみたらドキッとしますね・・色んな意味で・・分かるな。

茂林寺の釜
 「茂林寺の釜」 武本大志さん
 これは昔話「ぶんぶく茶釜」ですね。確か群馬県館林市に実在するお寺ですよね。作者も群馬県出身なんでしょうか。ユーモラスな作品です。

遺構-門
 「遺構-門」 小松俊介
 他の作品もそうですが、これにも作者である学生さんの言葉が添えられていました。
  「心静かに石を打っていると、いい音が鳴り続ける」うーん、若いのに味わい深いことをいうなあ。これはそれがしは、『作品を見て感動を受ける人は沢山いても、一番楽しんでいるのは作者自身である』と解釈します。絵にしても、彫刻にしても、はたまた見事な風景写真でも人はいろんな物をみて感動します。でも一番楽しんでいるのは作者自身でしょう。それがしは写真しか撮りませんが、見たい風景を見るために日本各地に旅し、時には森や山に分け入り、何時間もかけて目的地へ向かいます。もちろん、自分の意図するものを常に撮れるわけではなく、むしろ逆の場合が多いですが、「意図せざる」絶景というものも多々あります。そしてそれをあとから見返した時、旅の思い出を苦労や楽しみなどと共に色々思い出します。その瞬間を味わい続けたくて、カメラを常に持ち歩いているのかもしれません。
 まあ、これはそれがしの勝手な感想です。作者の思いとは違うものでありましょう。この作品は・・どこか海外の遺跡を彷彿とさせますね。古代ギリシャか古代ペルシアか。皆さんはいかが思われるでしょう。


TREE1
TREE2
 「TREE」 渡部直さん
 森の哲学者といわれるオランウータンですね。何か思索にふけっているような表情です。いいですね。リビングの片隅に置いておきたいですね。

roots1
roots2
 「roots」 圖子哲哉さん 
 今回のラストです。これに一番感銘を受けました。あたかも書院の床に飾られている生け花のようにみえますが、これが全て鉄・・・無数の溶接がなされています。背景は湯島聖堂の丸窓を上手く利用した配置といったら怒られるかもしれませんが、もう絶妙!!この前でお茶やコーヒーでも飲みたいですね。

 いやあすっかり堪能しました。あとで調べて見たところ、今年で13回目だそうで毎年やっているそうです。来年も観にいきたいですね。

御茶ノ水概観
 面白かったなあ、と思いつつ御茶ノ水駅に向かいます。右側がJR、その下を斜めに走るのが地下鉄・有楽町線、向うの町並みが特殊な街・秋葉原ですね。それがしはパソコン関係やカメラ関係のものを見る時は出かけますが、それ以外では落ち着かない街なのでいきません。御茶ノ水下った神保町の古本屋街が好きな街ですね。
 時計を見ると・・・はっ!ゆっくりしすぎた!急がないと!というわけで、また・・。

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横浜を見守る神社

 先日、横浜に出かけたのでついでに桜木町にある神社に行ってきた。
桜木町駅前
 陽射しは暖かく天気はいいものの、まだ寒風吹きすさぶ2月のある日でした。ここから「みなとみらい」地区へ行くと観光名所目白押しですが、反対方向のもみじ山方面へ・・・。

伊勢山皇大神宮
 坂をすこし登った宮崎町に伊勢山皇大神宮が鎮座まします。ご祭神は天照大神、一座のみです。元は久良岐郡戸部村にあったのを明治に入ってから現在地に移したもの。残念ながら創建年次など細かいことは分からないということだが、江戸末期に外国人居留地ができた横浜の街を見下ろすこの地に国家鎮護のお社を築こうという運動が起こり、明治3年4月14日に勧進されたとのこと。現在も横浜市民の崇敬を集める神社です。

皇大神宮の拝殿
 こちらが拝殿。この日は何かお祭が行われていたようで、巫女さんが神楽を舞っていました。
神楽舞う巫女さん
 巫女さんの許諾を得たわけではないので目線のみ隠させて頂きます。そういえばここの巫女さん4人くらい見かけたが、どの方も驚くほど美しかったですな。神主さんの採用基準が気になります。

 周辺には歴史的名所もございます。
神奈川奉行所跡
 神奈川奉行所跡。かつては居留地に関わる事務はここで行っていたわけですね。近くには県文化センターや県立図書館、青少年会館などがあって、奥には・・
井伊直弼公とランドマークタワー
 暗殺された悲劇の大老・井伊直弼公の銅像が建つ「掃部(かもん)山公園」がございます。眼下には横浜の街が一望・・・ビルがあってそれは無理ですが、ランドマークタワーを見上げながら直弼公は何を思うのでしょうか?

日本丸
 みなとみらい地区へと降りて日本丸を外側だけ見学。やはり帆船は美しいですね。

氷川丸
 さらに歩いて山下公園へ。有名な氷川丸ですね。この景色を眺めていると脳裏に「♪街の明かりが、とてもキレイね、ブルーライトヨコハマ~」ってメロディがよぎりますね。その世代よりずっと若いのだけど。


 さて、本日はもう一つ神社をご紹介。こちらは東京都新宿区曙橋にある「金弁財天」
金弁財天
 まあ、神社というより街角の祠という規模ですがね。地下鉄の新宿線・曙橋駅をおりてかつてのフジテレビ通りを北上・・路地を一本入ると到着。かつては大名屋敷の奥向きにあったようで女中さんたちの崇敬を集めていたとか。ここが面白いのは・・
狛蛇1
狛蛇2
 狛犬ならぬ狛蛇・・たまたま祠を掃除していた地元の方が居たので話を伺うと・・
  「元は普通の狛犬が置いてあったんですよ。でも40年くらい前にね・・弁天様のお使いの蛇の方がいいんじゃないかって話が出ましてね、石材屋さんに頼んでこうしたわけで。頭がない?別に折れたわけじゃなくて、皆さすっているうちにこんな風になっちゃんたじゃないですかねえ。」とご教示いただきました。近くに東京女子医大があるので、近くにおいでの際は路地探検などして探して見てください。まあ、地図見れば載ってるけどね。


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五美術大学展を見てきた!~彫刻編~

 さて、前回の続き。彫刻編である。といっても色んな素材で作られていたので彫刻というより立体アート作品という方が正解かな?

狛猫1
狛猫2
 「狛猫」 河野楓さん 東京造形大学
 木彫です。木の自然な割れ目が、まるで野良猫の喧嘩の傷跡のようで凄みがありますね。野良っていったら怒られるか?

seiren1
seiren2
 「seiren」芹澤彩美さん 東京造形大学
 西洋の神話に出てくるセイレーンですか。荒れる海の中でどこからか美しい歌声が聞こえてきて、フラフラッとそっちに行くと難破してしまう・・・というアレ。でもこれ、プロ・スケーターの荒川静香さんに似ているな・・これから荒川さんをテレビなどで見るたびに・・・分かるな?大人の事情で細かくは書かないぞ(ピストン西沢さん風に~ピストン西沢さんはラジオJ-WAVEなどで活躍されているDJです)。

どこまで行く?1
どこまで行く?2
 「どこまで行く?」 白坂日香理さん 多摩美術大学
 作者の内面の優しさが作品に表れているような作品ですね。これは京都の民家の苔むした坪庭などに置いて、雨降る日に眺めていたい作品です。雑貨屋や園芸店とかに置いていても売れそう。

国立新美術館の内部
 ここで一服・・・国立新美術館の内側です。ここは建物自体美しいですね。建物見るだけなら無料で入れますから、六本木にお立ち寄りの際はどうぞ。

モコトリくん
 「ミグルミ」 鈴木みづきさん 武蔵野美術大学
 これは見た瞬間「何だこれ?」でした。どうも着ぐるみのようで、作者自らがこれを着て街中に出没しているようです。作品の足元にアルバムが置いており、小さな子供達と一緒に写した写真が沢山はいっていました。ツイッターをやっているようで「@mocotorikun」というアドレスがありました。アドレスでいいの?それがし、ツイッターとかフェイスブックとか無視しているのでよくわからんのですよ。興味のある方はフォローしてあげてください。

かたちのないもの1
かたちのないもの2
 「かたちのないもの」 白鳥真寿美さん 女子美術大学
 仏像みたいですね。仏像なのかな?違うのかな?まあ、いいや。手を合わせたくなります。

阿吽1
 「阿吽」 近藤ゆかりさん 女子美術大学
 今回の締めくくり。色んな立体作品の中でこれが一番お気に入り。表情があってかわいいですね。たまりません。これらが生きていて飼っているとしたら帰ってくるたびに尻尾ふりながら「おかえり!」といってくれそうです。犬飼っている人ならわかるな?
 こんなに表情ゆたかだとこの二匹の会話を想像しました。
阿吽2
 阿形「なあなあ、今夜の晩御飯どうする?」
 形吽「そうだね。ぼく肉豆腐がいいな。」
 阿形「俺、モツ煮込みも食べたいな。七味たっぷりかけてさ!」
 吽形「じゃあ、いつもの居酒屋にしよっか!」
  会話の中身が親爺臭くてすみませぬ・・本人がもうオジサンなもので・・。

 これにて終了!他、全ての作品がキラキラするような感性に彩られた作品ばかりでしたが、とても全ては紹介できません。これは来年もまた見に行かないと・・・。

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五美術大学展を見てきた!~絵画編~

雪と大船観音
 こちらは神奈川県鎌倉市大船を見おろす「大船観音」。JR大船駅からも見える観音像です。上半身しかないのだが、東海道線や京浜東北線に乗っていると車窓の風景としてもお馴染みだ。雪舞う日に見上げているとさらに美しいですな。

 さて、別の日にギロッポンでブシャブシャ・・変な業界用語ですまぬ・・そんなゆとりはないので、六本木を普通に散策していると、国立新美術館で都内の美術大学の合同卒業制作展がやっていると情報を得たので行ってみた。
 「五美術大学」展といって、武蔵野美術大学・多摩美術大学・東京造形大学・女子美術大学・日本大学芸術学部といった錚々たる美術系大学が集まって卒業制作の発表会を行っていた・・しかも無料で!見てきましたよ。沢山の、想像力あふれる若人達の作品を見てまいりました。どれも面白かったねぇ~。
 というわけで気に入った面白い作品を絵画編と彫刻編にわけてお送りしたい。

夕餉の席1
 「夕餉の席」安田佳那子さん 武蔵野美術大学
 最初はカエルだけ置いてあるのかと思ったら、振り返ると「虫」ばかりの絵で驚いた。セットで見ると・・なるほどね。
夕餉の席2
 カエル目線で見ると・・わあ!よりどりみどり!!

夜明け前
 「夜明け前」桑原陽子さん 武蔵野美術大学
 セクシーな絵ですね。日本人じゃなさそうだけど・・。

おおばくこばく
 「おおばくこばく」猪上亜美さん 武蔵野美術大学
 一目見るなり笑ってしまいましたよ。大好き、こういう絵。こんな表紙の絵本あったら見てみたいですね。2匹のバクを親子と見るか、恋人とみるか、はたまた友達とみるかで全然ストーリーが変わってきますね。

靄の中
 「靄の中」麻薙啓さん 武蔵野美術大学
 これもいいですね。玄関に置いておいたらど迫力ですね。仁王像の顔のアップっていいなあ。
  阿形「俺のプリン喰ったろ!!」
  云形「名前書いてないお前が悪い!文句あるか?ん!」
   そんな会話をしていそうです。

倶利伽羅1
 「倶利伽羅おとし」田村佳丈さん 武蔵野美術大学
 これは大作でした。「平家物語」の名場面・木曾義仲の倶利伽羅峠での牛の角に松明をつけた大群を平家軍に差し向けた奇襲を描いた物ですね。いいですね!こういう堂々たる歴史絵画!しびれます!細部を拡大すると・・
倶利伽羅2
 馬と人に押しつぶされて泡吹いて白目むいている足軽など迫真の一瞬を鮮やかに切り取っていますね。こういう絵描く方減っていますからね。これからも歴史絵画を続けてほしいですね。

LiuBeism
 「LiuBeism」小俣さやかさん 女子美術大学
 これは「三国志」にでてくる劉備(玄徳)を描いたものですね。LiuBeiで劉備です・・合ってるよね?これは斬新でした。しかも描いたのは女性でしょ!左の劉備は日本画のような趣きなのに、右はアンディ・ウオーホルのようなポップアート風味ですね。壁の向うから劉備を覗いているのは・・上の関羽っぽい人物を思い浮かべているのが鵬統?下の火を連想しているのが諸葛亮?蜀の二大軍師でしょうかね??作者に伺いたいところですね。
 他にも曹操とか蜀の五虎大将とか描いてほしいですね。

 あれ?ほとんど武蔵野美術大学でしたね。他にも色々面白い作品はあったんだけど、心に残ったのは武蔵野美大ばかりでしたね。縁も所縁もないのに・・なんでだろ?

 次回は彫刻編です。

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桜田門外の変・現場検証

 去る2月29日・・・季節外れの大雪が関東各地のみならず東京の都心をも覆った。降る雪を見て・・・
  「これほどの降雪ならば、あの『桜田門外の変』の現場を実地検分できるぞ!」と思い立ち行ってみた。

 まずはこちらをご覧頂こう。
明治17年の地図
 これは明治17年に内務省地理局がまとめた「五千分の一東京図」コピーである。現代の地図はネットでも簡単に見られるから古い地図もたまには面白い。
 左の青く斜線をひいた所が井伊家屋敷跡である。明治に入ってからは陸軍省の土地となり、参謀本部が置かれていたところである。現在は憲政記念館がある所だ。
 屋敷跡からお堀沿いにいくと、桜田門に達するが、その手前の赤い×印のところで事件は発生した。現在の警視庁まえである。

 桜田門外の変・・・アメリカ合衆国との日米通商条約調印を決断した時の大老・井伊直弼を水戸や薩摩の浪士らが襲撃し、殺害した事件である。この事件をきっかけに幕府の権威は坂を転げ落ちるように失墜し、大政奉還へと至るのである。
 ではなぜ水戸や薩摩の浪士らは事件を起こしたのか?事件に関する本は沢山でているので今さらここで詳述するつもりはない。今回の眼目は現場検証だから。ただ、事件の背景に第14代将軍家の座を巡る暗闘と開国問題の二つが複雑に絡み合った末のことだと書いておこう。この事件がなければ・・日本近代史はもうすこしましなものであったかもしれない。少なくとも薩長土の夜郎自大な連中が幅をきかせたことはなかったかもしれない・・今さら死んだ子の年を数える訳にもいくまいが・・・。

 気を取り直して・・寒い!寒さに備えて万全の支度をしてきたが、寒い!そして足元が滑る!井伊家の屋敷があった憲政記念館である。JR有楽町駅から地下鉄に乗り換えて桜田門駅へ。
憲政記念館入り口
 記念館自体には行かなかったが・・。敷地内にはこんな素敵なお庭があった。
憲政記念館の庭
 晴れた日にまた来たいところですね。寒いので少しだけ眺めて敷地を出た。

 事件当時も季節外れの大雪が降り、難儀したようだ。当時の路面は舗装などされていないから大変でしたでしょうなあ。それに現代と違って防水性能のあるブーツなんてものもないし。そもそも守る井伊家側が不利ですね。攻める浪士側も条件は同じだけど。当時の写真を見てみましょう。
明治5・6年頃の外桜田門遠景
 これは明治5~6年頃に写真家の内田九一が手前の井伊家屋敷前から撮影した桜田門遠景です。路面を見ると砂利むきだしですね。当時は雪が積もって歩きずらかったのではないだろうか?雪国の大名家なら、藩士ら総動員で屋敷前を雪掻きしたり踏み固めたりしたのかもしれませんが、井伊家はあいにくと近江の大名。冬には雪も降るだろうが、雪国というほどではないだろうし・・。

 憲政記念館からお堀沿いの道路に出て振り返ると・・
井伊屋敷跡
 うわあ、真っ白・・。こんな日は帰宅して布団にくるまっていたいですね。近くに警備の警官がいたので「あそこって井伊屋敷跡ですよね?」と伺ってみると「知りません」と一言。せっかく皇居周辺を警備できる名誉な仕事してるんだから歴史上有名なことくらい勉強しておきましょうよ。

 桜田門方向を見ましょう。
桜田門遠景1
 今回の画像はデジカメのシャッタースピードを上げてフラッシュも使っているので降っている雪が止まって見えますが、実際は傘をさしていても風で足元に雪が吹き込んでくる凄まじさでした。門も霞んで見えづらかったです。
桜田門遠景2
 寒いよ寒いよ~。それがし、北陸出身なれど雪は大の苦手。だから関東に住んでいるのですよ。

 足元が滑りやすい中、襲撃現場までいきましょう。
襲撃現場
 ここが襲撃現場。ちょうど警視庁前。例の特別手配犯人をたらい回しにしたところですね。浪士達はこの辺りで大名行列見物の町人にばけて(当時は大名行列を見物する趣味が町人にあったようです。考えたらそれがしもそんな連中と似たもの同士だわな・・。)見張っていたそうです。井伊直弼公が乗っていた駕籠が通りがかるのを狙って、浪士の一人が訴状をもって行列の前に駆け出し行列の動きを遅くさせ、別の一人が隠し持っていた拳銃(アメリカ製のコルト・ネイヴィーを水戸の刀鍛冶が模倣したものらしい。本物とは違って、銃身にライフリングが刻まれていない滑空銃)を駕籠に向かって激発。それを合図に浪士達は抜刀し、井伊家の護衛の侍達に切りかかった。護衛の侍達は刀が濡れないように柄に油紙を巻いてこよりで縛り付けており、とっさに抜刀できずにいた。
 駕籠の中の直弼公は銃撃で大腿部に重篤な状態に陥っており、自ら立つ事もできなかったようだ。本当なら直弼公は文武両道の達人だから用意さえ出来ていればこれくらいの襲撃など軽くあしらえるはずであった・・。

 屋敷から門まではわずか400メートル足らず・・だが降雪の最中では怒号も悲鳴も届かず、助けに出るものもいなかった。ましてや江戸城のまん前で大老襲撃が行われるなんて誰も想定していなかったろう。今なら、首相が官邸から国会に行く途中で銃撃されるようなものだ。どちらにしても空前絶後の事件、起こる前は誰もまともにとりあわない可能性だし、起きた後では誰しも茫然自失・・テロを防ぐ難しさである。

 かつて英国の首相を務めたマーガレット・サッチャーの暗殺を狙ってアイルランド独立を訴えるIRAが首相の泊るホテルに爆弾を仕掛けた。幸い爆弾は事前に発見されたが、テロリスト・グループは不気味な声明を発表した。
  「我々はたった1回の幸運に恵まれればいい。でも君達、守る側は常に幸運でいなければならない」と。これこそ対テロリズムに当る人々の難しい宿命を見事に言い表した言葉だろう。
ハマの井伊直弼1
 こちらは神奈川県横浜市掃部(かもん)山公園内に建つ井伊直弼公像です。顔の造りがちょっと大げさですね。ハマの井伊直弼2
 滋賀県彦根市の彦根城内にもありますが、そちらの方が実物に近いかも。

 さて直弼公自身は開国についてどう考えていたのでしょうか?そもそも井伊家自体は遠江(現在の静岡県浜松市周辺の県西部一帯)に根を下ろした藤原の一族・九条家の末裔。元々は朝廷に仕えていた古い家だったんですね。それが初代彦根藩主・井伊直政公のパパの時代、落ちぶれてしまい、徳川家康公に拾われて仕えるようになったのがことのはじまり。
井伊直政公
 彦根の井伊直政公。恩義に感じて、合戦の時には大将自ら先頭きって突撃する奮戦振りで旧武田家の侍たちまで預けられ、「井伊の赤備え」と天下に武勇を謳われた家でした。また朝廷への忠誠心も並々ならぬものがあり、代々の藩主は朝起きてまず京都に向かって「遥拝」を行っていたそうです。
 彦根・井伊家では寛政6(1794)年に藩校を造り、藩士の子弟教育を熱心に行い、天保元(1830)年に「弘道館」と名を改め、蘭学の研究も怠らなかったようである。ということは開国にひたすら反対する守旧の人でもなかったかもしれませんね。

 一方、幕府の外国方として横浜開港実務に取り組み、後に幕府の使節団として2回も渡仏した田辺太一殿は
  「井伊大老はかくべつ開国に理解があったわけじゃない。和歌で「今さらに 異国ぶりを 習はめや ここに伝ふる もののふの道」なんて詠んでいるくらいだからね。大老就任以前の幕府とアメリカの折衝で条約を結ぶことは決まっていたわけだから、あの人は京都にやった使節が朝廷から「この上は仕方ない」という言質を引きずり出したから決断しただけのことさ」と辛口な評価です。この田辺さんは維新後は紆余曲折の末に外務省に出仕して岩倉遣欧使節団に随行したり、清国(当時の支那の国名)に外交官として赴いたりして元老議員になり、大正4(1915)年にお眠りなられた方です。昭和50年に青蛙房から出版された「幕末の武家」(編集:柴田宵曲)という本に談話が載っております。古い本ですので、大きい図書館などで探されるといいでしょう。他にも色々な方のお話が載っており、楽しい本です。

 襲撃自体は30分近く長々と壮絶な殺し合いの末、薩摩の浪士により直弼公の首があげられてしまいました。浪士達の実名もわかっていますが、ここではあげません。あくまで卑劣なテロを起こした愚か者共と記憶されるべきだからです。
 権力に立つ人々はしばしば「テロで政治が変わることはないからやっても無駄です」といいますが、そんなことは大嘘です。古来、どれだけ暗殺やテロが歴史を変えてきたか。効果絶大だからこそ色んな連中が手を染めてきたのですよ。
 桜田門外の変に限っていえば、直弼公の死後は彼ほど強権的な政治家は幕府に現れませんでした。強権政治がいいというわけでも毛頭ありません。ただ、薩長土がテロによって日本の近代化を乗っ取った事実は忘れるべきではありません。西郷隆盛も木戸孝允も坂本龍馬もテロリストです。彼らによって、鳥羽伏見の戦い、上野・彰義隊戦争・戊辰戦争・函館戦争とどれだけ無用な血が流されたことか・・・それがしは薩長土の「維新の志士」と呼ばれている偽善者達を顕彰する気は決してないので、彼らの銅像を紹介しないのです。
雪の桜田門
 あの日、この門前で流された血が日本近代化の流れを変えたのです。いくら惜しんでも惜しみきれはしませんが、せめて忘れないことで歴史を風化させたくないですね。

 最後に桜田門から井伊屋敷方向を描いた絵を紹介して終わろう。
外桜田門からの絵
 世界の誰もが武器を取らずに政治的解決を目指すことを祈って・・・まあ、祈ったところで撃ちたい奴は撃つんだけどもね・・。

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プロフィール

サムライ銅像研究会

Author:サムライ銅像研究会
歴史と銅像と芸術が大好きなあまり、日本各地を東奔西走する銅像・史蹟ハンターである。神出鬼没なため、脈絡無しのブログ更新を続ける。掟はただ一つ!「死して屍拾うものなし!」昔の時代劇の決め台詞だけどね・・皆さん、見てやあ!
 最近、キューピーに侍の装束を着用させる遊びをやっております。「武者ピー」と呼んで可愛がってやぁ~!以後は「キューピー甲冑師」とも名乗ります。

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