スポンサーサイト

上記の広告は1ヶ月以上更新のないブログに表示されています。
新しい記事を書く事で広告が消せます。

東京の坂探訪・麻布編

 震災の影響は我々の日常を色濃く覆っているが、生活は続けなければならない。という訳でまた銅像・史蹟訪問などを再開することにした。

 今回は品川から新宿まで歩いて帰宅することにした。品川駅の高輪口から第一京浜道路沿いに北上して、赤穂浪士で有名な泉岳寺へと通じる路地へ曲がり、お寺を左に見ながら伊皿子坂・魚藍坂を通ってやがて桜田通りへ・・。
 道沿いに歩いていくとやがて慶応義塾のキャンパスが見えてくる。そのまま歩いていくと国道1号線にでるが、面白みのない風景なのでハンガリー大使館のある路地を北上。ここで面白い発見をすることに。
綱坂
 なんと!このあたりで平安時代の武将・渡辺綱が生まれたのか!渡辺綱は鬼退治で有名な部将。まあ、お伽話の登場人物の実在の証がここであるとはねえ・・。
綱坂2
 登りきって振り返ると風情のある眺めが楽しめる。

綱の手引き坂
 綱坂を登ると「綱の手引き坂」が直角に交わっている。なにか渡部綱の出生地跡がないかと探してみたが、史蹟は残念ながらなかった。
綱の手引き坂2
 セレブリティ感溢れる街である。居心地わるいなあ・・なにせ庶民なんで。

 ちなみに渡辺綱の父親は源融、「源氏物語」の光源氏のモデルだったそう。そのせいか綱も大変な男前だったとか。羨ましい話である。

 手引き坂から北に続く神明坂を下るとこんな神社が出迎えてくれた。
元神明宮
 天祖神社とあるが元神明宮ともいうらしい。なんでも渡辺綱の産土神とのこと。こんな東京の片隅で平安時代を感じるとは思わなかった。

 神社を後にしてさらに北上。古川を越えて、東麻布の庶民的な商店街を抜けていくとこんな光景が出迎えてくれる。
東京タワー
 おお!東京タワーの足元から天辺まで見ることが出来る。先の地震では先端が傾いたらしいが、確認はできなかった。タワーというとスカイツリーばかりがもてはやされるが、元祖東京タワーも忘れてはいけない。

 やがて大きい通りにでて、麻布台へと通じる路地を曲がるとこんな坂が出迎えてくれた。
雁木坂
 階段の敷石を直角に組み合わせたから「雁木」坂という。
雁木坂2
 本当だ。

 ここを登って狭い路地をいくと思いもかけないランドスケープが眼前に広がる。
三年坂
 おお!住宅街の向うに東京ミッドタウンが見えるではないか!三年坂というこの坂は京都の清水寺近くにある三寧坂になぞらえて名づけたらしい。そう思ってみると、なにやら京都の光景を思い出す。
 「舞妓はーーん!」などと叫ばないように。

 坂を下って住宅街を抜けていくとこんな公園がでむかえてくれる。
公園1
 横川省三?公園を入って奥に行くとこんな記念碑が。
公園2
公園3
 横川さんの来歴が書かれている。ネットでも調べたこととあわせて以下に記述する。

 幕末に盛岡で生まれ、若いときは自由民権運動にかかわり、東京を追放されたことも。新聞記者として日清戦争に従軍し、アメリカにわたって農場経営などに関わったことも。日露戦争の機運が高まるにおいて、民間人ながら特務機関工作員として満州に僧侶に変装して潜入。だが、帝政ロシア軍にみつかり、ハルピンでもう一人の工作員と共に銃殺刑に処される。この麻布に横川さんの旧宅があった縁から盛岡の人々が公園として整備し、東京市に寄付したとのこと。

 うーん、波乱万丈の人物がいたものだなあ。小説にしても面白いだろうに。この人物のことをもっと調べようと思いつつ、さらに北上。ホテル・オークラやアメリカ大使館を横目に見つつ、やがて日比谷公園へでる。しばし休息した後に皇居方面へ。
皇居お堀
 うららかな日差しの割りにこの日は風が冷たかった。まだコートは脱げないな。ここまで来たら大楠公に拝謁しておかないとね。
大楠公像
 いつもは地方や海外からの観光客が取り巻いているのに、この日はほぼ無人。みんな放射能が恐いんだね。東京は安全です。お気軽にどうぞ!

太田道灌公
 有楽町の東京国際フォーラムにある太田道灌公にも拝謁しないとね。

 この後、皇居を平河門まで巡り、水道橋や飯田橋を抜けて大久保通りを行き、自宅に帰りました。あちこち寄り道しながら歩いて6~7時間ほどかかりました。

 今回はこれまで。
スポンサーサイト

東日本大震災によせて

 今回の大震災に対しては語るべき言葉が思いつかない。何を言っても寒々しいとしか思えないが、また日は昇るということを信じて頑張るしかないのだろう。

 当ブログは基本的に銅像や史蹟を紹介するブログだ。ここで何ができるというわけでもないが、一生涯を絶え続け、ついに天下人となった徳川家康公の言葉を紹介しておこう。

家康像
  「人の一生は重き荷を担い、遠き道を行くが如し」

 いつか笑える日が来ることを信じてこの国難にあたろうではないか!

東日本大地震

 恐るべき大地震がおきた。日本史上、これまでに無いほどの地震・大津波・原子力発電所の炉心融解・・・こんな恐ろしい状況は小説の世界でしかありえないようなことだが、残念ながら事実である。

 地震が起きた時、それがしは出先の街中を歩いていた。歩いていると酒を飲んでもいないのに左右にスライドしていくのに驚き、地震だと気がついた。幸い、ある図書館に逃げ込めたので30分ほど避難していた。
 メールで関係先に連絡を入れた後、徒歩で帰宅した。自宅には愛犬のナナミらが取り残されている。心配でしょうがなかった。

 1時間半ほどで大久保の自宅マンションに到着。だが、エレベーターが止まっていたので非常階段で居住階へと向かった。マンションの高層階に部屋があるので息を切らせながら到着、ドキドキしながらドアを開けると、色んなものがとっ散らかっていたが、無傷で尻尾を振って出迎える愛犬がいた。

 とてもほっとした瞬間だった。家具などは転倒防止を施していたので、壊れたものはなかったが食器類や小物が散らかっていたので3時間かけて掃除した。

 その後はニュースを見ながら気持ちを落ち着けようとしたが、今にいたるも難しい。

 今日は昨日出たごみを階段を使って出した後、近くの戸山公園に愛犬の散歩にでかけた。地震の影響を見たかったからだ。

亀裂1
 以前紹介した箱根山の展望台の床部分だ。見事に亀裂が出来ている。

亀裂2
 そのうち、ここも立ち入り禁止になるだろう。山そのものは崩れていないが危険性はあるかもしれない。

 震災で亡くなった方々全てのご冥福を祈りたい。また、行方不明の方々も一人でも多く助けられることもあわせて祈りたい。

 日本に住む以上、地震とは無縁ではないとあらためて思い知らされた。

太田道灌公の足跡・豊島区

 前回、服部半蔵のお墓の写真を撮って家でブログ更新していると変に肩が凝って困った。なんかついてきたのだろうか?幸い霊感がないのでよくわからない。とりあえず鹿児島の霧島神宮のお守りを肌身離さず持っていると、数時間後には解消した。はて?どう解釈してよいやら。とりあえず霧島神宮の神威と考えておこう。信じるか信じないかはあなたしだい!

 先日、図書館で「関東武士研究ぎょう書 太田氏の研究」(前島康彦 著/名著出版)という本と出合い、熟読中だ。中身はおおむね関東の名将・太田道灌公のことだが、太田氏の出自から業績・学問や芸術での事績・道灌公亡き後のことまで包括的に書かれているのでとてもありがたい本である。今まで自分が誤解して理解していたこともゴルディオスの紐をほどくようにするすると分かっていくのでとてもありがたい。難しいことを平易に書いていただけるというのは優れた研究者の証ですな。
有楽町の道灌公2
 こちら有楽町の国際フォーラム内の太田道灌公像。

芳林寺の道灌公2
 こちらは埼玉県さいたま市岩槻区の芳林寺に建つ太田道灌公騎馬銅像。

 上記の本を読んでいると、今日の出先にゆかりの場所を発見。という訳で行ってみた。

妙義神社
 こちらは豊島区JR駒込駅近くの妙義神社。鳥居を潜ると・・・

妙義神社看板
 なんと道灌公、二回も戦勝祈願に来てしかも刀まで奉納していましたか。都内の神社仏閣はとかく太田道灌公とのつながりを語るものが多いので、全て信じるわけにはいかないが、ここは信憑性のあるところでしょう。

道灌祈念樋跡
道灌霊屋
 脇には道灌公を祀ったちいさなお社もございました。お参りして参りましたとも。

 引き返す途中に「駒込子育て地蔵尊」がありました。
駒込地蔵
 中の一体にかわった地蔵さまが・・
おかっぱ頭の地蔵
 なんでもこの地で交通事故に巻き込まれてなくなった女の子の菩提を弔うとか・・南無南無。

 今回はこれまで!
プロフィール

サムライ銅像研究会

Author:サムライ銅像研究会
歴史と銅像と芸術が大好きなあまり、日本各地を東奔西走する銅像・史蹟ハンターである。神出鬼没なため、脈絡無しのブログ更新を続ける。掟はただ一つ!「死して屍拾うものなし!」昔の時代劇の決め台詞だけどね・・皆さん、見てやあ!
 最近、キューピーに侍の装束を着用させる遊びをやっております。「武者ピー」と呼んで可愛がってやぁ~!以後は「キューピー甲冑師」とも名乗ります。

最新記事
最新コメント
最新トラックバック
月別アーカイブ
カテゴリ
検索フォーム
RSSリンクの表示
リンク
ブロとも申請フォーム

この人とブロともになる

QRコード
QR
上記広告は1ヶ月以上更新のないブログに表示されています。新しい記事を書くことで広告を消せます。