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金沢文庫に運慶を観にいく・その2

 今回はいよいよ金沢文庫である。ちなみに「かねさわ」と読む。それがしのような石川県出身者はつい「かなざわ」と読んでしまうが、間違いなので正確を期したい。
神奈川県立金沢文庫
 こちらが神奈川県立金沢文庫、美術館と博物館が合体したようなところだ。称名寺と金沢文庫の間は丘があり、トンネルで通じている。前回の最後の画像は現代のトンネル。
鎌倉時代のトンネル
 こちらは平安後期か鎌倉初期に掘られたトンネル。崩落の危険があるため、現在は当然通行禁止。

 当然のことながら展示品は撮影禁止。見たい方はご自身で行って頂くしかないが、刊行済みの美術書や美術雑誌でも仏像は見ることができるので、それらの画像を使って紹介してみたい。

大日如来坐像
 こちらは今回の目玉「大日如来坐像」(東京・真如苑所蔵)。ご記憶の方も多いだろうが、2008年に新聞各紙に「運慶仏海外に流出か?」という記事が世間を騒がせたが、その後行われたオークションでは幸い日本の宗教法人が競り落とした為、我々もこうして国内で見ることができるのである。
 この仏像は幸運だったが、世間では盗まれたりして日本人が知らぬ間に海外に流出している例もあるのだろう。正規の取引で買い取られた場合は仕方ない面もあるが、盗難が原因というのはやるせない。そんな盗人には天罰があたってしまえ!!

厨子入大日如来坐像1
 こちらは「厨子入大日如来坐像」、高位の武士が自ら拝むために作らせたものである。これだとピンボケなので・・
厨子入大日如来坐像2
 本尊も素晴らしいが、台座の獅子や周囲を取り巻く仏も実に素晴らしい造型だ。直に見るとより感動を味わえる。

滝山寺・帝釈天立像
 こちらは愛知県滝山寺(たきさんじ)の「帝釈天立像」、模様や彩色もしっかり残っている美しい仏像である。家に床の間や書院があれば、こんな仏像を飾りたいなあ・・そんないい家に住んでないけど。

称名寺・大威徳明王像
 こちらは称名寺に安置されている「大威徳明王像」、運慶作。

浄楽寺・不動明王立像
 こちらは神奈川県・浄楽寺の「不動明王立像」、運慶作。

浄楽寺・毘沙門天立像
 こちらも神奈川県・浄楽寺の「毘沙門天立像」、運慶作。どの像も実物を見ると迫力があって見ごたえ十分だ。皆さんもこの機会にお近くの美術館や博物館に行こう。

 今回の展示品にはないのだが、運慶が作った「毘沙門天立像」では静岡県の願成就院(がんじょうじゅいん)のものが最高傑作のようにみうけられる。
願成就院の毘沙門天
 この画像がそれだ。内側からはちきれんばかりの力感が、まるで当時の東国武士をモデルに作ったように見えないこともない。
 だが近世や現代の彫刻家と違って、運慶は自身の作品について何も語っていないので想像をたくましくするしかない。それもまた楽しいのだけどね。

 他には中国から渡来した仏典や書状、仏像の中に納められていた願文などが展示されていた。金沢文庫は大人800円、学生500円(65歳以上と高校生は100円、中学生以下無料)で入場できるのでお近くの方は出かけてみよう。

 称名寺境内には他にも北條一門のお墓がある。南無南無・・
北條顕時公お墓
金沢さだあき公お墓
北條一門お墓説明板

 裏山に沢山石仏があったが、その理由がこの石碑に書かれている。
百観音石碑
 長ったらしいが、要約すると「金沢文庫の創設者である北條実時公が越後守(えちごのかみ)という官職を賜っていたので、新潟県の有志の人々が寄付を募って寄贈した」とのこと。なんとも奇特なことだ。

 また鐘楼には作られてから700年以上経つ鐘も吊るされている。
称名寺・鐘楼
 国の重要文化財なんだからもうすこし厳重に保護すればいいのに。

 他にも・・
不動明王堂
 不動明王が祀られているお堂がある。

 称名寺・金沢文庫共に巡って楽しい数時間があっというまに経ってしまった。およそ5時間だろうか。また春たけなわの頃にいきたいところだ。

 山歩きですっかりおなかが空いたので、駅前のラーメン屋で昼飯をいただいた。
サンマー麺定食
 こちら「サンマーメン定食」980円。サンマーメンとはモヤシラーメンの神奈川県の呼称だが、モヤシと豚肉、などの具財にとろみをつけてラーメンに載っている。ちなみにサンマーメンだけだと680円!や・安い!
サンマー麺アップ
 細麺にとろみのついたスープが絡み付いてますな。ごちそうさま!
ラーメン屋
 ラーメン屋「みなみ」さん、本当にごちそうさまでした!

 今回はここまで!銅像だけでなく仏像も面白いなぁ・・。
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金沢文庫に運慶を観にいく・その1

 最近あまりブログ更新をあまりしていない。ネタがないせいだが、冬なのであまり動きたくないからだ。冬はこもって書物を読み漁っている。そろそろ暖かくなりつつあるので動き出すシーズンが近づいてきたようだ。

 というわけで神奈川県横浜市にある金沢文庫で3月6日まで開催されている「運慶~中世密教と鎌倉幕府」展にいってきた。
運慶ポスター


 14日にはんぱなく雪が降っていたので「こりゃ明日は仕事にならんな」と思って15日は休みをとっていってきた。でも昼間には暖かくなって雪もほとんど融けていたので「ありゃりゃ」と思ったが、楽しかったので良しとする。

 まずJR山手線に乗って品川駅へ行き、そこから京浜線に乗り換えて金沢文庫駅へ。約1時間ほどだろうか。
金沢文庫駅
 駅から歩いて15分ほどのところに称名(しょうみょう)寺があり、金沢文庫が隣接している。

称名寺・赤門
 まずは赤門が迎えてくれる。その赤門には・・
三つ鱗
 堂々と「三つ鱗」紋がうたれている。この寺が鎌倉幕府の権勢を一手に握っていた北條家の一族が建立したからである。その話はおいおい・・。

称名寺・参道
 長めの参道を抜けて・・そんなに長くないけどね。

楼門
 立派な仁王門が出迎えてくれる。
三つ鱗瓦
 その屋根の飾りにも三つ鱗がある。

仁王・阿形
仁王うん形
 この仁王像、製作年次は1323(元亨3)年、翌年に後醍醐天皇による倒幕計画がばれる「正中の変」がおきる。製作者は法印院興、ヒノキの寄木造りで玉眼。高さ4メートルもあるたいへん立派なものだ。どこの寺でもこのような仁王像は蜂の巣状の網が張られていて撮影の邪魔だ。アクリル板で囲ってもらえないだろうか。無理かなあ。そんな仁王門をくぐると・・(門自体は通行不可、脇を抜ける)

池と本堂
 見事な浄土式庭園が出迎えてくれる。ほんとは雪景色を期待していたんだが・・ポカポカ暖かいんだけどね。
池と本堂2
太鼓橋から

 境内の一角に見取り図がある。
称名寺全体図
 池は「阿字ヶ池」というらしい。まだ早い時間だったので、金沢文庫行く前に本堂の裏山を巡ることにした。ここが面白かったのだ・・。


観音さま石仏1
 山道のあちらこちらに観音様の石仏が置かれていた。1体ずつみていくとなかなか面白い。兵庫県の北条石仏ほど味わいはないが。以下、何枚か石仏コレクションを・・。
観音さま石仏2
観音さま石仏3
観音さま石仏4
観音さま石仏5
 南無南無・・これらの石仏は昭和10年に新潟県の人々により寄進されたとのこと。なぜかはまた次回。

八角堂
 山頂は八角堂があり、広場になっている。見晴らしもよく。
八角堂からの眺望
 眼下には八景島や東京湾がみえる。空気がきれいなら富津岬までみえるかも。

横浜の名所
 反対側は横浜の中心部が見おろせる。あまりに気持ちのいい眺望に思わず叫んでしまった。

裏山・郭跡?
裏山・郭跡?2

 先ほどの広場から下って、ルートから外れたところに入っていくとこのような場所がある。この写真では分かりにくいのだが、山城の郭(くるわ)を連想した。称名寺は鎌倉幕府の滅亡と共に一度滅び、現在の寺は後に再建されたもの。山道を下っていくと北條一門の墓もあるので往時は防衛設備も整えられていたのかもしれない。なにより先ほどの眺望をみれば、ここに城や砦が築かれていてもなんら不思議はない。それに寺院はしばしば城砦として使われてきている。日本各地の城下町に「寺町」が必ずあるのもそのためだ。

北條実時公墓所
実時公墓所案内板
 こちらが金沢文庫を作られた北條実時公の墓所。南無南無・・。山道は全体で1時間ほどで巡ることができる。毎日ここを歩けばかなり健康にいいと思う。楽しい山道だった。

北條実時公胸像1
 山道を降りて、金沢文庫に向かう途中北條実時公の胸像がある。作者は名塚樹也氏。
北條実時公胸像2
北條実時公胸像3
 実時公は晩年、僧侶となり、漢籍研究に明け暮れていたので金沢文庫を作ったらしい。

金沢文庫入り口
 このトンネルを潜ると県立金沢文庫が現れる。それは次回のお楽しみ!

小説「蘭陵王」を読んだ

 今回は読後感想文なので画像はない。

 それがしの最大の趣味は読書に尽きる。歴史関係の本か歴史小説ばかり読んでいる。好きな野球チームはないし、サッカーは観ないし(さすがに今回のアジア大会は見ていたが)やりもしない。ゲームもしないし、酒量も最近減っている。別に草食系ではないがいまだ独身だ。とにかく本が読みたい。万巻の書物があるのに人生のなんと短いことか・・自分の時間は読書と史蹟巡りとカメラにつぎ込んでいるといっても過言ではない。

 今回、「銀河英雄伝説」で有名な田中芳樹先生の「蘭陵王」を読んだ。先生はスペースオペラでデビューしたが、ある時からファンタジー(「アルスラーン戦記」など)や歴史小説などを書くようになった。「蘭陵王」も歴史小説だ。
 日本の雅楽に「蘭陵王」の舞いがある。それがしはネットの画像でしか見たことがないが、実際に見物された方もいるだろう。恐ろしい鬼の面をつけた人物が躍動的に舞い踊るものだが、これは中国の北斉王朝に実在した高長恭(こう ちょうきょう)が戦に勝った後に讃えるために兵士たちが踊ったものが現在まで伝わったものだ。

 時は6世紀中頃、支那大陸は北斉・北周・陳の三国に分かれて互いを征服しようと戦争を続け、さらに北方の騎馬民族「突厥」も中原(支那文化が栄えていた地域)を虎視眈々と狙っていた。ある時、西に盤居する北周が20万もの兵をもよおして北斉に侵攻を開始した。北斉の帝・武成帝は蘭陵王・高長恭らにわずか5万の兵力で迎撃を命じた。ここに支那史上名高い「邙山の戦い」の幕が切って落とされたのである。詳しくは書かないが、高長恭は智謀溢れる兵略でみごと敵軍を撃退したのである。都に凱旋した高長恭は帝に褒められたものの、それは長く苦しい時代への第1歩に過ぎなかった・・。
 さてその高長恭は生来たいへんな美男子で、戦場で敵兵を恐れさせるために鬼人の面を被って戦陣に臨んでいたという。その鬼の面が現在も残る「蘭陵王」の舞いに残っているというわけ。

 小説自体はまあ面白く読めた。さすが支那史に詳しい田中芳樹先生、史実からそつなく物語をまとめられていたが、高長恭の人となりがただ「戦に強い」という方向でしか描かれていないというところが残念。読んでいる途中に何も考えることなくスナック菓子を食べるようにサクサクッと読めてしまうのである。
 中学生くらいならこれくらいでいいんだろうが大人が読むには物足りない。

 その点、宮城谷昌光先生の描く古代支那の小説は人物描写が深く、読んでいる途中も自分の人生に照らし合わせて考えさせられる文章なので実に読み応えがある。どちらがいいというわけではないが、歴史と正面から向かい合いたければ宮城谷先生や吉村昭先生などのより真摯に歴史に向き合う作家の作品を読むほうがいいだろう。司馬遼太郎先生ごときのように歴史を自分のみたいように書いてしまう作家の作品からは遠ざかったほうがいい・・と思う。

 話はかわるが、エジプトの反政府デモ・・ムバラク大統領の統治は知らないし、エジプトの未来は彼ら自身で決めるべきだが、あらためてネットの恐ろしさを思う。フェイスブックとはなんぞや?デモの画策者の主体とはなんぞや?現在、チュニジアを基点として中東各地に波及しつつある反政府デモは何を生み出すのか?歴史は動いている。

 鹿児島の霧島・新燃岳の噴火も心配だ。去年、鹿児島を訪れた際、地元の人々が「今年は桜島の噴火が多い。そのうち大爆発するんじゃないかねぇ・・」と異口同音におっしゃっておられたのを思い出した。

 なんだかとりとめもなくなってきたのでこの辺で・・。
プロフィール

サムライ銅像研究会

Author:サムライ銅像研究会
歴史と銅像と芸術が大好きなあまり、日本各地を東奔西走する銅像・史蹟ハンターである。神出鬼没なため、脈絡無しのブログ更新を続ける。掟はただ一つ!「死して屍拾うものなし!」昔の時代劇の決め台詞だけどね・・皆さん、見てやあ!
 最近、キューピーに侍の装束を着用させる遊びをやっております。「武者ピー」と呼んで可愛がってやぁ~!以後は「キューピー甲冑師」とも名乗ります。

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