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日本最古の近代銅像

 今年最後に何を紹介しようかとすこし悩んだが、大晦日ということもあって少し忙しいのでシンプルにいきたい。

 日本最古の近代銅像(仏教伝来当時の古い仏像などはノーカンということで・・)は石川県金沢市にある日本三大庭園の一つ・兼六園の一角に建つ「日本武尊像」である。
日本武尊
 この銅像は明治10年の西南戦争後、石川県出身の鎮台兵士(戦争当時は師団や連隊などの組織は整備途上)の菩提を弔うために、明治11年に建てられたもの。現代的感覚からするとポッチャリしすぎ、完全にメタボリックだが、当時はまだまだ栄養状態が悪いため、でっぷりした人が立派な人と見られた時代。西郷隆盛がいい例ではないか。

 皆様よいお年を!正月は2日から歴史長編ドラマ「二人軍師」が放映される。今から楽しみである。
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関東の名将・太田道灌公

 今回は関東各地に9体存在する太田道灌公の銅像を紹介したい。ちなみに日本で1番数の多い銅像は松尾芭蕉の27体、二位が坂本龍馬の18体、三位は明治天皇の12体のようで、太田道灌公は六位である。ただ、銅像は都市計画の変更により増減があるので上のランキングもかわっていくだろう。特に二位の龍馬などまだまだ増えていく可能性があるので首位に躍り出る可能性もある。
 銅像について詳しく知りたい方は、それがしも懇意にさせていただいているヒロ男爵の「日本の銅像探偵団」のHPを参照されたい。アドレスは下記に。
        http://www.geocities.jp/douzouz/
 それがしもここで情報を得た後により詳しい地図などで調べるようにしている。またヒロ男爵の銅像ブログ「銅像のススメ~めざせ次世代観光カルチャー~」とそれがしのブログもリンクさせていただいている。参照されたい。アドレスは下記に。
        http://ameblo.jp/7tv9/

 さて本題にはいろう。太田道灌公は室町時代中期の武将。道灌は法名、名前は資長、幼名は鶴千代丸。鎌倉の建長寺や下野の足利学校で学び、その英才ぶりを世に讃えられていた。元服してからは父・道真を補佐し、やがて家宰職を継いでからは武将として主家の扇谷上杉家を支えて享徳の乱や長尾景春の乱を戦い抜き、関東に平和をもたらした。
 また文化人としても一流の歌人であり、上洛した際には時の天皇の御下問に歌で見事に応えるなど、その声望は天下に満ちた。
 しかし、満ちた月はやがて欠けるもの・・主君の上杉定政に妬まれ、伊勢原の館で入浴中、刺客に襲われ「当方滅亡!」とうめき、絶息したのである。
 その後、小田原の北條が関東に進出し、上杉家は徐々に衰退していくのである・・。

 簡単にその来歴を記したが、関東にとって道灌公は格別の人物である。まずは東京都の3体から見ていこう。

新宿・中央公園の道灌公1
新宿・中央公園の道灌公2
 まずは新宿中央公園内にある「久遠の像」、道灌公の山吹伝説に基づいた銅像だ。都庁の目の前にある公園だ。山吹伝説とは・・道灌がまだ若き日、狩の途中に突如雨に降られた。困った道灌は近くの農家に馬を繋いで訪いをいれた。出てきたのはそこの娘であった。
 「もし、娘御よ。雨に遭い難渋しておる。蓑笠などかしてくれぬか?」と丁寧に頼んだが、娘は平伏したまま黙って山吹の花を差し出した。困惑した道灌はそのまま馬に乗り、館へと急いだ。
 帰館した道灌は老臣にその話を聞かせたところ、その老臣は・・
 「若、古歌に「七重八重 花は咲けども 山吹の みの一つだに なきぞ悲しき」というがございまして、その娘は蓑笠がないことをいうのが恥ずかしく和歌で察していただきたいとそのようなことをしたのでしょう。また貧しさの中にも学問を忘れぬ心がけこそ天晴れともうすべきでしょう。」との忠告に道灌は胸を打たれ、政務に励む一方、和歌の習得にも力をいれ、後世、一流の歌人の一人に数えられる方となったのです・・というもの。
 戦前の教育では必ず語られる話であり、戦後もそれがしより上の世代はまだまだ知っている方々も多いはず。

 ちなみに銅像の作者は不明。わりとザックリした作りなのでアップで撮影するものではない。

日暮里の道灌公1
日暮里の道灌公2
 次は日暮里(にっぽり)駅前の道灌公銅像「回天一枝の像」、作者は橋本活道。流鏑馬か笠懸か犬追物かは不明だが、馬上で矢を射た後に残心を見事に決めているポーズ。「動中静あり」である。
日暮里の道灌公3
 ビルをバックに撮影。往時はこの辺りも原野と田園風景だったんだろうなあ・・。

有楽町の道灌公1
 こちらは有楽町駅前の国際フォーラム内にある道灌公像。作者は朝倉文矢。都庁が有楽町にあった頃、道灌公像が都庁前のランドマーク的存在であった。

 続いては最多の4体を誇る埼玉県。
岩槻の道灌公1
岩槻の道灌公2
 岩槻区役所(かつては市だったが、市町村合併によりさいたま市に編入)前、作者は不明。岩槻はかつて太田道真・道灌親子が築いた岩槻城が存在した。また近くの芳林寺が太田家の菩提寺の一つであり、道灌公騎馬像が存在する。
芳林寺の道灌公1
芳林寺の道灌公2
 数多い銅像の中で唯一、甲冑姿である。右手には軍配を携えており、名将としての風韻を漂わせている。作者は冨田憲二・山本明良。難点を言えば、甲冑の考証が甘いことと銅像としては若いことだろう。歳月が経てば別の風格が出てくるに違いない。

川越の道灌公1
川越の道灌公2
 続いては川越市役所前の道灌公像。作者は川越在住の彫刻家・橋本次郎。像の線の細さが「文人」を強調しているように見える。

龍穏寺山門
 こちらは越生(おごせ)町にある太田家もう一つの菩提寺・龍穏寺。
道灌公
 本堂の前に道灌公が佇んでおられる。作者は先ほどと同じ橋本次郎。さて、道灌公の墓参を済ませておこう。
道灌公のお墓
 南無南無・・皆様もどうぞ。

 道灌公はある時、上洛して時の将軍・足利義政公に拝謁し、関東の情勢を述べて平和に導く策を献上したという話がある。真贋は不明だが、兵法に通じていたこともあり、幕府管領・細川勝元公に中国の兵法書(武経七書のうちのいずれか不明)を贈呈したという話も伝わっている。
 その際、将軍の引き回しで時の天皇・後土御門天皇に拝謁し、御下問に応えられた。
 「武蔵野とはいかなるところか?」との問いには「露おかぬ かたもありけり 夕立の 空より広き 武蔵野の原」と歌で返す。
 また「隅田川の都鳥は何か?」には「年ふれど まだ知らざりし 都鳥 隅田川原に 宿はあれども」と返歌。最後に「そなたの江戸城からの眺めはいかに?」に対しては「わが宿は 松原つづき 海近く 富士の高嶺を 軒ばにぞみる」といずれも見事な歌で返したのである。現代人の感覚でも、わずかな言葉で空間美を伝える歌に鮮やかな美意識を感じ取れる。

 さて、次は静岡県。こちらは1体。
熱川の道灌公1
 熱川温泉のホテルの一角にあります。作者は堤辰男。
熱川の道灌公2
 こちらは角ばったあご、太い首、ピンと伸びた背筋、広い肩幅ととても男性的な銅像。武将・道灌の面影を彷彿とさせる。
 さて、熱川(あたがわ)の地名は道灌公が狩でこの地に来た時、川が海に注ぐところに猿が浸かっているのをみて、また湯気が昇っている風景から熱川と名づけたという伝説が残っている。事実、この銅像には右に猿もいる。

 最後は神奈川県伊勢原市。道灌公が落命したところだ。
伊勢原の道灌公1
伊勢原の道灌公2
 伊勢原市役所前にある。作者は慶じ丹長。川崎・新田神社の新田義貞公像や横浜・かもん山公園の井伊直弼公像の作者と同じである。

 急ぎ足で9体を紹介してきたが、いがかかな?太田道灌公はそれがしが楠正成公や上杉謙信公とは別に尊敬する武将である。また道灌公は「大和心(和歌のこと)がわからなければ、良き武将とはいえない」との言葉も残されているので、それがしも最近では「王朝秀歌選」岩波文庫など買い求めて音読したりしている。

 今回はこれまで!明日は誰にしよう・・。

武田信玄公と恵林寺

 山梨県といえば武田信玄公・・という訳で恵林寺に行ってきた。

武田信玄公1
武田信玄公2
 その前に甲府駅前の信玄公にご挨拶。あまりにも有名なので何もいうことはございません。あいにくと銘板なかったので作者などは判明せず。県立美術館とかいったら何かわかるかもしれない。

最寄り駅はJR塩山駅、バスに乗って30分ほど。
恵林寺1
 この門をくぐって・・
恵林寺参道
 長い参道の先に・・
恵林寺2
 この四脚門が出迎えてくれます。甲斐・武田家は武田信玄亡き後、設楽が原の戦いや一門衆の裏切りから力衰え、織田家の侵攻により滅亡します。その際、この恵林寺も焼き討ちにあいます。その織田家も本能寺の変で信長公亡き後は衰え、甲斐は徳川家の領地になります。そして恵林寺も徳川家の庇護を受けることになり、四脚門は徳川家康公により寄進されました。

恵林寺3
 四脚門の向こうには三門と本堂がございます。この三門、武田信玄公により招聘された僧侶・快川国師が織田家の焼き討ちの際に「心頭滅却すれば火もまた涼し・・」と詠みながら潜り抜け、ついに帰らぬ人となった門です。この門は後世に再建されたものですが、いきさつのある所ですね。

恵林寺本堂
 本堂参拝後は拝観料を払って中に入りましょう。
DSC01633_1.jpg
 本堂外側の通路を歩いていると・・
恵林寺の枯山水
 味わいのある枯山水ですねぇ。うぐいす張りの廊下を渡り、天井やふすまの絵など見ながら歩いていると・・
不動明王像
 奥まった一室に不動明王坐像が安置されています。この不動明王は武田信玄が仏師(仏像を作る彫刻家)と対面したまま模刻させたとのこと。さらに自身の頭髪を漆とまぜて像のお腹に塗らせたそうです。いわば生き写しの像ですね。信仰に篤い時代でしたね。

信玄公の墓1
 不動明王堂の裏手からお庭に出られるようになっており、広大な敷地の一角に信玄公の墓所がございます。
信玄公の墓2
信玄公の墓3
 南無南無・・皆様もお祈りください。

恵林寺の庭
 墓所を抜けるとまた本堂にあがり、裏庭の見事な造作を拝見できます。緑を見ていると心洗われますね。

 帰りはまたバスですが、これが1時間に1本ペースなので、30分くらい待ちましたかねぇ。
塩山駅前の信玄公1
塩山駅前の信玄公2
塩山駅前の信玄公3
 塩山駅前にも信玄公の像があります。元は能登(現在の石川県能登半島)出身の絵師・長谷川等伯の「武田信玄公像」でしょうが、問題の絵には「信玄公」とは明記されていないし、等伯が京都に上洛する前の能登在国中に描かれたものなので能登の大名・畠山某であろうといわれています。等伯は豊臣秀吉の最盛期に一番活躍したので、信玄公とも面識ないですしね。まだ最高傑作の「松林図屏風」も描いていませんし。本当のところ、誰なのか判明しておりません。

 さて今回はここまで。今年もあと3日(今日入れて)ですな。

足利の里

 室町幕府を開いた足利尊氏公の銅像を求めて栃木県足利市にやってきた。JRで小山駅(そこで徳川家康公が上杉征伐軍を引き換えさせて関ヶ原にむかった)まで行き、両毛線に乗り換えて足利駅へ。
足利駅
 そんなに大きくない駅です。駅から歩いて20分ほど・・

足利学校1
 まずは足利学校。創建は奈良時代とも平安時代ともいわれているが、はっきりわかるのは室町中期の関東管領・上杉憲実公が和漢の書籍を集めて学校として再建して日本中の武士の子弟が集まって儒学や兵法などを学び、互いに切磋琢磨しあったということ。戦国時代にも大いに繁栄し、フランシスコ・ザビエルも「日本最大にして、最も有名な大学」と報告書に記したほど。

足利学校2
 「学校」の扁額が掲げられた山門の写真は多くの教科書や資料集に載っているのでご存知の方々も多いと思う。

足利学校3
 周囲には堀が巡らされており、中世武家の館のような構えである。次に向かったのは足利学校に隣接しているばん阿寺(ばんなじ)。
ばん阿寺
 開祖800年の歴史を持つばん阿寺(ばんなじ)は国の重要文化財の本堂や鐘楼などがあり、大日如来をご本尊としている。また足利家の屋敷跡でもあり、足利家にまつわる伝説も伝えられている。

 足利家は八幡太郎・源義家を先祖に持つ源氏だが、傍流であった。鎌倉時代の足利家当主が源頼朝の夫人・北條政子の妹を迎えてから幕府の重臣となり、重きをなすようになった。源氏嫡流が三代で途絶えてからはその血筋は武士の尊敬をより受けるようになったにも関わらず、政権を握っていたのは北條家であったため、肩身の狭い思いをしていた。

 その足利家に古くから伝えられていた文書があったという。足利初代当主が「俺の子孫が将来、天下をとるだろう」と書き残したものだ。当然、北條家に見られてしまうと足利家存亡の危機になってしまうので秘匿していたが、足利尊氏の祖父が「わしでは天下はとれない・・孫ならとれるかも・・」と書き残して切腹してしまう。その孫が尊氏公なのである。「難太平記」では「ばん阿寺の置文」という。

 あくまで伝説なので、その文書自体残っていないが、ロマン溢れる話である。累代の当主は気が重かったろうが・・。

ばん阿寺の瓦
 瓦飾りには足利家の家紋「二つひき」が施されている。

ばん阿寺本殿
 さあ、重要文化財の本殿で参拝。

鐘楼
 重要文化財の鐘楼。500年以上の古いものらしい。火災には気をつけてほしい。
鐘楼ともみじ
 もみじがきれいだ・・もっと引きで撮ればよかった。

庭園
 美しい回遊式庭園が造られています。

樹齢500年以上
 この大木は樹齢550年以上という。お寺の中は何でもかなり古い!
モノクロ
 いつもの魚眼+モノクロ 

足利尊氏公1
 お寺からでて近くのお土産屋の一角に建つ「室町幕府初代将軍・足利尊氏公」像です。由緒正しい衣冠束帯ですな。何しろ征夷大将軍なので。
足利尊氏公2
 アップはこれ。昔の教科書に髷をザンバラに切った騎馬武将が右肩に刀をしょっている絵が「足利尊氏公」と紹介されているが、最近では別の武将と紹介されている。別の学説では尊氏が新田義貞と最初の決戦を迎える前に「髪を切って出陣した」という記述があることからやはり尊氏だ、と諸説いりみだれている。まだ結論はでていないようだ。

八幡宮
足利駅から徒歩1時間ほどのところにある「下野国一社・八幡宮」にいってみた。関東・東北には奥州征伐に向かう源義家公が戦勝祈願をして創建した神社がいたるところにある。ここもそのひとつであり、足利家発祥の地でもあるようだ。
足利家発祥の石碑
 これ以上の案内はなかった。

 さて次回は・・どうしようかねぇ?

京都の城跡・勝龍寺跡

 今回は京都の城跡の一つ勝龍寺城跡を訪れた記録を書こう。この地には「細川忠興とガラシャ夫妻」の銅像がある。細川忠興は分かりやすく言うと、細川護煕元首相の先祖だ。

 来年の大河ドラマ「お江」にもこの夫妻は出てくるが、夫人のガラシャの方が有名かもしれない。本能寺の変で織田信長を討った明智光秀の娘であり、その美貌は有名であり、切支丹でもあった。。関ヶ原の戦いの前に大坂に残っていた大名の家族を人質にしようとした西軍に対して、家臣に自らを殺させる(カトリック教徒は自殺すると神の前にいけないってさ)ことで抵抗。まあ、悲劇のヒロインだね。しぬことはなかったかもしれない。だって他に自害した夫人なんていないし。それはさておき・・

JR長岡京駅
 来ました!長岡京駅!京都駅から大阪方面に乗って4っつ。駅前には有名企業の本社がそびえ立ち、他にも物流センターなどがある。古来より京都南部は物資集積地であったため、土地の歴史は現在もなお生きているということ。

ガラシャ通り
 駅前の通りにこんな標識が!通りの名前になっているとは知らなかった。この通り沿いをまっすぐ行くと途中に神足(こうたり)神社があり、境内にかつての空堀跡がある。
勝龍寺城看板
空堀1
空堀2
 竹やぶに覆われていたので下りるのがすこし面倒だったが、そんなに深くはない。1メートルくらいか。恐らく大分埋まっているのではないか?

勝龍寺城1
 神社から1分ほどで現在は公園として整備されている勝龍寺城に到着。敷地内に銅像が建つ。まずは何枚か撮影
勝龍寺城モノクロ
 魚眼レンズをつけてモノクロで撮影。魚眼だと空間に歪みと奥行きが生じるので広くなくてもこのように広大な空間に見えないこともない・・。ふと足元を見ると・・
九曜紋の椅子
 おお!細川家の家紋の「九曜紋」の形にベンチが配置されている。地元の方は気づいているのだろうか?

勝龍寺城正面
 正面に廻ると・・あれ?閉まってる・・なんと!定休日!!くーっ、ぬかったわ!!!残念ながら銅像撮影できませんでした。代わりにお堀端で見つけたカワセミの画像を。
カワセミ
 それがしの200ミリ望遠ではこれが限界。すばしっこくてすぐ逃げ出すんだよね。この後、豊国廟に登ったのでした・・。

奈良・東大寺二月堂

 春日大社と東大寺は隣接しているので、間の森林を森林浴気分で散策している間に東大寺大仏殿が見えてくる。
大仏殿遠景
 こちらは若草山。遣唐使として唐に渡り、ついに日本に帰ることのなかった阿倍仲麻呂も
  「天の原 ふりさけみれば 春日なる 三笠の山に いでし月かも」と詠まれていますねぇ。
若草山
 「三笠の山」が若草山という説と、いや他の山だという論争があるそうですが、門外漢のそれがしは気にしまへん。

 今回は大仏殿はスルーしてより高台にある二月堂へ。
二月堂への参道
 モノクロで撮影。ここをまっすぐいきましょう。左へ行くと大仏殿です。

二月堂まであとちょっと
 そんなに遠くないので景色を楽しみつつ、緩やかな坂を登りましょう。

二月堂全景
 着きました!こちら二月堂。東大寺の有名な行事「お水とり」で名高いですね。右側には三月堂がありますが、撮影しわすれました。向かい正面には・・

四月堂
 こじんまりとした四月堂がございます。

 さて、二月堂を登りましょう。特に拝観料はありませんでした。ふと足元を見ると・・
二月堂の石段
 波や亀甲、彩雲などの筋彫りが施されていますね。磨り減り方に歴史を感じますね。

奈良全景
 この画像はパノラマ撮影していますので、一度クリックして別ウインドウで拡大してお楽しみください。左の丸く囲っているのが四月堂。中央の丸く囲ってあるのが大仏殿です。まさに奈良市街を一望の下に見下ろすことができるので誠に気分がよろしい。京都の清水寺も市街を見下ろせることができるが、ビルが多いのでいまいち。京都の眺望なら、南禅寺の山門がオススメ。500円かかるけどね・・。
 下に下りる途中で
二月堂の石段2
 雰囲気のいい石段なのでモノクロ撮影。周囲にあまり観光客もいなかったので快適に撮影できました。

 近くの食事どころできつねうどんを頂いた。580円とやや高めだが、きちんと出汁をとり、大振りのお揚げが載ったおいしいうどんなので大満足。冷えたからだもこれで温まった。やはり京や奈良の盆地の冬は足元から冷えるからねぇ。
 帰りに仁王門に寄ることにした。大仏見なくとも運慶・快慶の傑作は何度も見なくては。

東大寺の鐘楼
 途中、鐘突き堂があった。屋根の反り返りがイイネ!この画像では見えないが、鐘のすぐ下にお守りやお札売っている露店があった。この寒い中お疲れ様というところだが、露店がなければもっと撮影できたのに・・という感想をもった。寒い中、大変とは思うけどねぇ。

仁王門
 何度見てもでかいなあ。ここでは観光客が沢山撮影しています。また、左目が白くにごった鹿が主のように山門の石段を登って行き来しています。見覚えのある方も多いのでは?

あ像
うん像
 いつ見ても迫真の造形美ですなあ・・凄いの一言しかでない。もはや余計な言葉は無用!

 さて次回は京都の城跡です。二条城じゃないよ!

奈良・春日大社参詣

 冬の奈良、2回目は春日大社である。この夏、越後の春日山城の麓にある春日神社に参詣したが、その春日神社は元々奈良の春日大社から分祀したものなので今回どうしても大元に参詣したかった。
越後の春日神社
 こちらは越後の春日神社。他の神社同様、春日神社も日本各地にありますからねえ。

春日大社の入り口
 来ました!誇らしげに「世界遺産」と謳っておりますね。確かにこの春日の森は美しいですよ。

鹿手水鉢
 まずは手水鉢で手を洗わないと・・おお!ここにも神のお使いの鹿が!ぬかりないですねぇ。

鹿1
鹿2
 早速鹿さんのお出迎えです。可愛い顔してますね。

長い参道
 では長い参道を参りましょうか。

苔むした石灯籠
 参道の途中には色んな人が奉納したであろう石灯籠があります。古いものはいつ頃のものなんでしょう?

本殿への石段
 おお!あの朱塗りの門を潜ると・・

春日大社本殿
 春日大社の本殿です。参拝しないとね。これで今回の主目的が果たせました。

緑したたる苔
 引き返す途中、こんな美しい光景が。目に優しい緑ですね。ゆったりとした時が流れております。

春日の森
 深いですね。宮崎駿のアニメに出てくる精霊が顔を覗かせそうですね。

DSC02648_1.jpg
 では鳥居を潜って、東大寺に向かいましょう。

 東大寺の二月堂に行きましたが、それは次回。以下、鹿さん写真館をお送りします。

鹿3
鹿4
 意外と鹿の目線とあうタイミングが難しいのですよ。

鹿5
 親子かな?
鹿の群
 鹿の群ですね。右から2番目の鹿など目を細めていますね。
鹿6
小鹿
 斑点が残っているとは、完全に子鹿ですね。沢山鹿がいましたが、この子だけ斑点ありました。運がいい。

 さて、次回は東大寺・二月堂。奈良の絶景をお楽しみいただきましょう。

まほろばの国・大和

 最近、ある方よりブログの画像が見られなくなっているとの情報を頂いたので、あらためて調べて見たところ、なんと10月半ばから11月後半頃までのブログ記事の画像が消えていた!う~ん、ショック!ヨコスカン・ショック(クレイジー・ケン・バンドの曲名です)!
 あんまりショックなので記事の復活はまた追々ということで。

 さ!気を取り直して・・今回は「まほろばの国・大和(奈良)」です。まず「まほろば」という言葉の意味を調べてみると、「素晴らしい場所」「住みやすい場所」という意味の日本古語だそうです。美しい響きですね。

JR奈良駅
 降り立った駅はJR奈良駅。今年の遷都・奈良1300年祭でキレイにしたんでしょうか?

せんと君
 出迎えてくれたのは「せんと君」、この人(?)も出だしは散々でしたが、今では奈良にすっかり溶け込んでいるようです。慣れというものはげに恐ろしきもの・・。

せんと君とリポーター
 駅前ではどこかの放送局のレポーターやカメラマンらがロケの打ち合わせしていました。地方局でしょうか?

平城宮跡
 駅前からバスで20分ほどで「平城宮跡」停留所に到着。周囲には基本的に高い建物はございません。公園として整備されつつあるようで、無料で見て廻れます。イイネ!

宮内省跡
 宮内省跡、今でいうところの宮内庁ですね。意外とこじんまりした敷地でした。

カラーの大極殿2
 そして今回の主役である「大極殿」です。1300年祭のメインステージでもあったようで、何度も某NHKで見たところです。その壮麗さにテンションあがりました!!

カラーの大極殿1
 青い空・・白い雲・・赤い宮殿。夏の沖縄のキャッチコピーみたいですが、歴史好きのそれがしには冬の奈良の方が大興奮なんですね。

屋根飾り
 「鴟尾(しび)」といわれる屋根飾りですね。同じものが中で間近に見ることができます。触っちゃダメよ!

IMG_0426.jpg
 こちらに天皇がお座りになられます。当今の陛下が座られるかはわかりませんが。天辺には鳳凰が。
鳳凰
 輪っかはそれがしが画像に付けたものですが、どこかで見たことあるなあと思ったら・・
IMG_0466.jpg
 一万円札の裏に書かれた鳳凰と同じものだったんですね。なるほど。

 天井付近には・・
玄武
 北方の守護獣・玄武
朱雀
 南方の守護獣・朱雀
白虎
 西方の守護獣・白虎
DSC02598_1.jpg
 東方の守護獣・青龍 らが描かれています。玉座から南を見ますと・・
朱雀門方面・彩色雲
 中央に見えるのが朱雀門ですね。この広大なスケール感は実際に見ていただくか、もしくは画像を大きい画面で見てください。周囲に高い建物がないのが本当に有り難いですね。東京や京都、鎌倉ではこうはいきません。
 南を見下ろす天皇を下座から見上げる人々を「北面の・・」といいます。「平家物語」や「太平記」読んでいると「北面の武士」なんて表現が出てきますが、ここに立つと実感として体験できます。南側の広場に装束を調えた文武百官が居並んでいたのかと想像すると、背筋にゾクゾクッと這い上がる何かがありますね。

朱雀門方面・魚眼
 魚眼レンズで見るとこんなスケール感に。

 最近、モノクロ撮影の魅力に目覚めましてこんな写真を撮影しています。以下、モノクロ写真館。
大極殿遠景・モノクロ
モノクロの大極殿1
DSC02585_1.jpg
DSC02591_1.jpg
 いかがでしょ!

 今回の最後に平城宮跡バス停から見ることのできた東大寺・大仏殿を
大仏殿
 丸で囲ったところが大仏殿。遮る建物がないおかげで何キロも離れているのに見えます。これには感動しました。

 さて次回は春日大社と可愛い鹿さんの写真でお送りします。

冬の京都・豊国神社編

 皆さんは旅をする時、何を手段にするだろうか?自家用車で、という人もいれば飛行機が、という人もいるだろう。それがしは電車の旅が好きだ。それは何故かというと、親父が国鉄マンだったせいで帰省というと電車であったせいか(ずっと国鉄の官舎住まいだったし)線路のガタンゴトンがないと旅した気にならないからである。別に鉄っちゃんじゃないよ!
 という訳で(どんな訳だ?)冬の京都・奈良に来てみた。青春18キップを買って、夜行電車のムーンライト長良に乗って京都着!まずは京都タワー地下3階にある銭湯で体を温めて洛中に出陣!

豊国神社の本殿
京都は東山にある豊国(ほうこく)神社。京都駅から市バスに乗ってまずは三十三間堂停留所で降りて、京都国立博物館・西側のやまと大路通りを北上するとございます。
 立派ですね。

豊国の手水鉢
 手水鉢にも豊臣家が朝廷から拝領した「五三の桐」がでっかく彫られています。

豊国神社の彫刻
 あちこちにこのような精緻な彫刻が施されております。

 今回のこちらで、大阪・京都・名古屋の豊国神社を巡り終えた。特に秀吉が好きというわけではないんだけどねぇ。京都には豊国廟があると聞いたので境内を探してみたがなかった。神社の案内によると東山に飛び地であるということなので行ってみたのだが、ここがとんでもないところだった・・・。

太閤廟参道
 京都国立博物館の前に戻り、七条通りを東に進んで東大路通りへ。横断歩道を渡って北上し、智積院と妙法院の間の通りを東にいってください(詳しくは各自京都の地図を参照してね)。新日吉神宮・京都女子大学の横を通って画像の坂をどんどん登っていってください。坂の右脇にオシャレなカフェなどありますが、行きに行ってはいけません。帰りに寄りましょう。

太閤廟の階段
 入り口で50円払って入り口を潜ると・・・この見上げるような階段が待ち受けています。凄いですね。でもこの階段の上に更に急な長い階段が待ち受けているんですねぇ。日本各地の史蹟で色んな石段登りました。滋賀県の安土城の大手門階段きつかったです。熊本の加藤清正の銅像があるお寺の石段も疲れました・・。秩父の御嶽神社の石段も心臓潰れるかと思いましたが、豊国廟の石段と比べたら、まだ序章でしたね。それがしの登った石段の中では一番しんどかったです。どんだけしんどいかは・・皆さんが登って確かめてください。おかげでその後廻る気力をなくして、三条の繁華街や錦市場を見てから早々に宿に入って朝まで熟睡していました。
 
 太閤廟
 頂上まで辿り着きましたがこの1枚しか撮っていません。疲れきっていましたので・・。

京都らしい風景
 京都らしい風景もすこし。だいぶ葉も散っていましたが、まだ紅葉した葉も残っていました。やはり今年は少し変なんですかね。

 梅こんぶうどん
 関西に来たらうどん食べないとね。だしのきいたうどんにおぼろこんぶに梅干、ネギ、梅の酸味と出汁の旨みがたまりまへんな。

 次回はまほろばの国・奈良でお送りします。
プロフィール

サムライ銅像研究会

Author:サムライ銅像研究会
歴史と銅像と芸術が大好きなあまり、日本各地を東奔西走する銅像・史蹟ハンターである。神出鬼没なため、脈絡無しのブログ更新を続ける。掟はただ一つ!「死して屍拾うものなし!」昔の時代劇の決め台詞だけどね・・皆さん、見てやあ!
 最近、キューピーに侍の装束を着用させる遊びをやっております。「武者ピー」と呼んで可愛がってやぁ~!以後は「キューピー甲冑師」とも名乗ります。

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