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春日山城登頂・北面編

 今回から2回に渡り、春日山城編をお送りしたい。なぜなら、見所満載で紹介したい写真が沢山あるからである。上り口から本丸に至るまでを「北面編」、本丸付近の毘沙門堂や南側の上杉景勝屋敷跡などを「南面編」と仮称しよう。

 また以前、別の項目で熊本城を絶賛したが、春日山城は自然を生かした城という意味で熊本城とは対極の偉大な城郭であろう。今後は「東の春日山城・西の熊本城を日本を代表する2大名城」と呼称したい。あくまでそれがしが勝手に呼ぶものだが。

春日山城入り口
 まずこちら。JR春日山駅からバスで15分ほど、春日山城入り口がある。ここよりまっすぐ5分程歩けば入り口に至る。

謙信公騎馬像
 その道の途中にある「春日山埋蔵物センター」前に建つ「上杉謙信公騎馬像」。これは元々、上越リージョンセンターという建物前にあったものが、今年8月後半の「謙信公祭り」の前にこちらに移転したとのこと。
 そのことをしらずに、前日行ってエライ目におうたのである・・。ま、場所的にはこちらがふさわしいが。
 ちなみにこの銅像は佐川急便の会長が寄贈したものとのこと。いいこともしていたのね。

謙信公と秋の空
 別アングルから。「秋の空と謙信公」・・なんのこっちゃ。

御前清水
 入り口前には出陣前の謙信公も必ず飲んだといわれている「御前清水」が。まろやかで実においしい軟水です。この水と旨い米があるから、越後は酒どころなんだよねえ。

春日山神社
 入り口からぐいぐい登って行くと、道は左右に分かれる。結局は同じ道に合流するけど、右に行くと春日山神社に至る長い石段が現れ、ひいこら登ると・・春日山神社が出迎えてくれる。
 こちらの神社、地元・上越の文学者であった小川未明氏が謙信公を尊敬するあまり、明治に設けた神社なのです。つまるところ、それがしのような謙信公ファンの大先達ですね。
 「先輩!ありがとうございます!」と体育会系のノリはそれがし苦手なので・・。

屹立する謙信公
 参拝を終えて神社正面を左に行くと、かの有名な謙信公銅像が出迎えてくれる。謙信公のまなざしははるか頚城(くびき)平野と日本海、そして我々に向けられているのだ。
 本当はご尊顔のどアップがほしかったが、最近使っているカメラ、ソニーのαNEX5用の11倍ズームレンズがまだ届かないのでこれが精一杯。また、銅像周辺は立ち入り禁止。人さえ周囲にいなかったら、立ち入りたいところだが、ぐっと我慢。
 こちらの銅像作者は前回紹介した滝川毘堂先生。この銅像のベストショットは現時点では下の写真を。
哀愁の謙信公
 戦の天才と呼ばれた謙信公の孤高ただよう哀愁が滲み出して、前がみえない・・謙信公ファンならそう思うはず。またズームレンズ入手したら、お顔のアップを撮りにいきたいね。

山腹からの上越市内眺望
 謙信公に別れを告げ、さらにぐいぐいぐいと登っていき、振り返ると・・上越市内が見下ろせるのである。本丸からの眺望はさらにすばらしい。

二の丸跡
上杉影虎屋敷跡
土塁と米倉跡
 途中にはこんな・・看板だけではわかりずらい?すまん、興奮しすぎて的確な写真が撮れなかったのだ。リベンジを期したいところ。

本丸からの眺望・パノラマ
 そして本丸からはこのパノラマが広がるのである。この写真をクリックして、別ウインドウで楽しんでいただきたい。左から日本海・直江津市街・春日山市街・高田市街と広がっていく。町並みは違っても、この眺望を謙信公も眺めていたのだなあ・・と感慨にふけりつつ、持参したオーディオプレイヤーに落とし込んだNHK大河ドラマテーマ集を聞いていました。

本丸跡
 今回のラストにこちらを。春日山城本丸跡である。
 では次回は毘沙門堂など紹介していこう。









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上杉謙信公の国・越後旅情

 以前からそれがしの敬愛する武将は楠正成公と上杉謙信公であると、書き続けてきた。楠正成公については湊川神社にお参りするなど探訪を果たしてきたが、上杉謙信公に関しては米沢に2回行っただけだった・・。

 今回、念願がかない、ついに春日山城登頂と菩提寺である林泉寺の訪問を果たすことができた。やはり米沢に謙信公の遺骸はあっても魂は越後に残られていたということを今回の越後旅行でしみじみと感じることができた。米沢は上杉景勝公と直江兼続公、そして上杉鷹山公の町なのである。

 また、春日山城内をくまなく巡ることで謙信公亡き後に起こった「御館の乱」の意味合いが見えてきたような気がする。以下に写真と共にそのことどもをも記していきたい。

春日山駅
 という訳でJR春日山駅に参る!この瞬間を20うん年待ち続けたことか・・周囲が寂しい駅なので感傷に浸ってみた。

林泉寺の山門から
 バスは1時間以上なく、駅前にレンタル自転車もないので仕方なくタクシー(頚城ハイヤーさんには世話になった)を呼んでホテルに荷物を預けて一路、謙信公の菩提寺・林泉寺に向かったのである。
 写真は林泉寺の山門から仁王門を見渡した1枚。仁王門の奥に本堂や謙信公のお墓があります。

仁王門
 みよ!この堂々たる仁王門。「春日山」と掲げられた額は謙信公の御直筆の写しです。以下に額の画像を。
春日山の額
 こちらは正面の「春日山」。真裏には・・
第一義の額
 「第一義」嗚呼!なんたる堂々たる筆致!謙信公!あなたはやはり一流の文化人でもあったのですね。再確認!

林泉寺本堂
 こちら林泉寺の本堂。中には御本尊の他に・・
上杉謙信公木像
 謙信公の木像が安置されております。本堂にはご住職に頼んで入れていただきました。この場を借りてお礼申し上げます。
 さて、こちらの木像の作者は上越出身の彫刻家・滝川美堂(たきがわ びどう)先生。上杉謙信公を深く敬愛し、生涯に1000体の謙信公像を作ることを念願としたものの、おしくも845体で病に倒れられましたが、その願いはご子息の滝川毘堂(びどう)先生に引き継がれ、春日山城に屹立する頭巾・甲冑姿のりりしい謙信公像を作られています。また、林泉寺仁王門の仁王像をはじめ、市内には滝川親子の作品が多く残されています。

謙信公のお墓への入り口
 そしていよいよ謙信公の墓参です。この石段を昇って、どんつきをチョイ右にいくと・・上杉謙信公のお墓
 皆様・・お祈りください・・南無南無・・。
川中島戦死者供養塔
 少し下には川中島戦死者供養塔も。南無南無・・。

居多神社
 名残を惜しみつつ、お寺の前の加賀街道を一路海へ・・やってまいりました。越後一ノ宮・居多(こた)神宮です。こちらの宮司さんは花ヶ崎盛明さんという方で上杉謙信公研究の大家であられます。ひょっとしてお会いできるかと期待していたのですが、誰もいませんでした。お守りやサイン本は代金を賽銭箱に入れるシステム(ゆるいなあ・・)でしたので、正直に・・正直に代金を入れて頂いてまいりました。生涯の宝にいたします。

親鸞上人銅像
 さてこちらは親鸞上人像。神社近くの海岸が親鸞上人の越後上陸地点であり、ちかくに西本願寺別院があります。また、高田には東本願寺別院があります。
逆巻く波の日本海
 親鸞上人も謙信公もこの荒波逆巻く(この日はそれほどでもない)日本海を見ていたんですよ。ちなみに11月くらいまでサーファーは海にいるそうです。さぶっ!!

御館公園
 今回の最後に直江津にある御館公園を。こちらは関東管領であった上杉憲政が謙信公に養ってもらっていた跡地です。「御館の乱」の舞台にもなりました。春日山城とここの距離を考えると、謙信公ですらあの馬鹿を「敬して遠ざけていた」ということが感じられて、失笑してしまいました。

 さて!次回はいよいよ春日山城です。お楽しみを! 

 

奈良・東大寺

 今回は全ての銅像好きの故郷とでもいうべき所を紹介しよう。
近鉄奈良駅前
 ここは近鉄奈良駅。京都から特急で40分ほど、修学旅行で行った方もおおいだろう。それがしもその一人。中学時代以来だから20年以上ぶりになる。

鹿のお出迎え
 こんな出迎えもある。

 なぜ、銅像好きの故郷というのか?考えて欲しい。東大寺には日本最大の銅で鋳造した最大の仏像が存在し、また日本美術界の至宝・運慶と快慶親子製作の仁王像が存在するのだ。これ以上の条件があるだろうか?
 もちろん、現代の銅像と昔からの仏師が携わった仏像を同一線上におくのは難しいかもしれないが、かの高村光雲先生も仏師出身であり、古代より築きあげてきた造型技術は連綿と生きているのではないだろうか?

仁王1
仁王2
 という訳でこちら。写真なんかで見るより実物を見るほうが迫力満点なのだが、アマチュアとはいえカメラマンがそう簡単にいえない。せめて金網なければなあ・・そんなため息つく同好の士も多いのではないだろうか?

東大寺門
 順番が逆だが、華厳宗東大寺の大門から伺う大仏殿である。ほんとにでかい!

るしゃなぶつ
 ご本尊はこちら・・蘆舎那仏(るしゃなぶつ)。るの漢字が正しいか心配だが。
 色んなアングルで撮ってみたが、結局このよく教科書やガイドブックに載っているような写真に優るものが残念ながらなかった。左ななめ後からも撮ってみたがそれもよくみるアングルである。やはり「定番」は優れているがゆえに「定番」なのだと思い知らされた1枚である。悔しくなんかないぞ!

雨に煙る大仏殿
 さて、大仏殿見学を終えて出ようとしたところ、雷鳴が鳴り響き、轟然と雨が降り出してきた。幸い、広い軒下にいたのでなんら影響は受けなかったが、30分ほど足止めを喰らってしまった。
 だが、雨に煙る大仏殿というめずらしい写真を撮ることもできた。「ハプニングこそ旅の醍醐味」というそれがしのモットーそのもので感慨もひとしおだ。

魚眼・大仏殿
 雨が一段落してから魚眼レンズで撮ってみた。広大な空間と大きい空があるとこんなに楽しい写真が撮れる。まあ、楽しいのはそれがしだけかもしれないが。

襲撃する鹿
 お約束として鹿センベイを買ってみた。写真だと大人しく食べているようにもみえるがとんでもない。カメラ用意しながらお預けしていたら、3匹の鹿に前後から挟み撃ちされてどつかれまくった・・よく見ると目つきわるいし、とんでもない猫かぶりだ・・鹿だけど。それがしの様を白人のおっさんが笑いながらカメラで撮ってたっけ。おのれ、攘夷じゃ!冗談ね。

 興福寺
 興福寺もいってみた。阿修羅展の人気で新しく建てられた国宝館が狭くて混んでて大変だ。柱多すぎるよ。

行基上人
 最後に駅前の行基様に挨拶してお別れ。あ、やべ。作者調べるの忘れてた。感動の再会でした。

中村晋也美術館・銅像好きの聖地

 以前、鹿児島行きを紹介したが、その目的の一つに日本芸術界の大家で文化勲章受章者の中村晋也先生の美術館訪問があったのだ。

中村美術館外観
 こちらはJR上伊集院駅の近くにあります。中村晋也先生の業績は皆さんネットで調べてもらうとして、それがしの銅像写真コレクションから何点か紹介しよう。

鹿児島中央駅前
 JR鹿児島中央駅前に建つ「薩摩の偉人達」原型が沢山美術館にならんでいます。薩摩の偉人達・原型
 こんな感じで。

島津義弘公アップ
 ご存知、JR伊集院駅前の島津義弘公。

武光公とアホ
 熊本県菊池市の菊池武光公像。下のアホは気にしないように。

大久保利通卿

 鹿児島市内の大久保利通像。他にも愛媛県今治市の藤堂高虎公像、青森県の太宰治像、アメリカのニューヨークユニセフ本部前にも作品(見たことないので詳細はわかりまへん)、仏陀の十大弟子シリーズなどなどその活躍の場は実に多い!
菊池武光公アップ
 先ほどの菊池武光公像の原型も展示されている。みよ!この超絶技巧を!今にも動き出しそうではないか!

 最後に学芸員の方から伺った特ダネを伏字でお伝えしよう。先生は現在、ある武将の像を制作中であり、今年中には完成するとのこと。それを原型として鋳造し、来年設置されるとのこと。それは・・
 某M県にK倉K十郎の像とのこと。なんでも床机に座っているらしい。さすがD眼龍の懐刀と言われただけあるね・・ってこれじゃ丸分かりじゃねえか!わかんなくても少し調べればすぐわかりませ。なにせ「星のフラメンコ」なあの人だし・・お後がよろしいようで。

柳川の名将・立花宗茂

 かつて関ヶ原の戦いで西軍についたが為に取り潰しにあい、その後流浪生活で苦労した後、大阪の陣で徳川に従い、戦後に見事大名に返り咲いた武将がいることをご存知だろうか?その名は立花宗茂(たちばな むねしげ)公という。

 本ブログの趣旨は銅像紹介だが、残念ながらまだ銅像は建っていない。しかし柳川という美しい街は紹介する価値がある故、今回取り上げたい。

西鉄柳川駅
 西鉄に乗り、小1時間・・水郷で名高い柳川駅に到着。

水路から
 町中に張り巡らされた水路からこんなローアングルの写真も楽しむことができる。駅で自転車を借りれば気軽に街中を巡ることができる。3時間もあれば町中を巡ることができる。

柳川城跡石碑
柳川城本丸跡地
 この2枚は柳川城本丸跡地である。ここは柳城中学校と柳川高校に挟まれたところにある。正直、分かりづらかったがここを探すのも柳川巡りの楽しみの一つであろう。ガイド付では得られない楽しみだ。

御花資料館
 こちら御花(おはな)資料館。美しい庭園やレストランも併設されているので時間のある方は半日でも楽しめるだろう。本丸跡の近くにある。

山笠・宗茂人形全容
宗茂人形アップ
 資料館には歴代当主の甲冑や肖像画、お姫様の嫁入り道具など並んでいたが、それは実際に見ていただいたほうがいいと思う。
 博多といえば「博多山笠」が有名だが、この武将人形こそ立花宗茂公である。なかなか勇ましくてそれがしの好みにぴったりである。昨今人気の仙台や名古屋の武将隊はイケメンばかり揃えているようだが、冷静に考えれば武将なんて汗臭い親父である。これくらいがちょうどいいのだ。まあ、夢を壊す気はないがな。

三柱神社本殿
 最後に立花道雪公・宗茂公・ぎんちよ姫の3人を祀った三柱(みはしら)神社の本殿を紹介して終わりにしよう。建物が真新しいのは、昨年放火にあって建て直したものとのこと。実に嘆かわしい話ではないか。犯人の逮捕を願うばかりだ。

不思議なこと

 日本全国の銅像を捜し求めるということは、同時に日本中の史蹟や城跡、古戦場を巡るということである。不敬な気持ちはもたず、真摯な気持ちで訪問しているが、異邦人には違いないのである。よって、なるべくその土地の神社を訪問してお参りするようにしている。
 そのせいか最近では神社の静かな雰囲気を好むようになり、積極的に足を向けている。
霧島神宮

 こちら最近訪れた鹿児島の霧島神宮。言わずと知れた日本屈指の歴史を誇る神社だ。訪ねてみるとその規模は想像を絶するものであり、さすが古代よりの神社と頭がさがったものだ。

 ところでここを訪れたとき、不思議な体験をした。鳥居をくぐって境内を歩いていると体中を震えが走って止まらないのだ。標高の高さから寒いから震えるのかとも思ったが、ちょうどいい温度で体に不快感は全くなかった。考えられる原因が全く思いつかなかったがある考えが頭をよぎった。

 「霧島神宮の神様の神気にふれたからではないか?」というものだ。突拍子もないかもしれないが、それ以外に自身納得できるものがない。もちろん、他者を納得させる理論的な説明などできようがない。だがそれ以降、不思議な経験をすることもある。

熱田神宮
 こちらは名古屋の熱田神宮。こちらも歴史が古く、広大な境内をもつ。こちらに参拝した時、鳥居をくぐった途端に雨が降り出し、本殿をお参りする頃は土砂降り・・15分ほど休憩所で雨宿りしてから降りも弱くなったので何枚か写真を撮ってから帰路についたが、鳥居をくぐると雨がやんだのだ!!

 冷静に考えればその日は曇り空でいつ雨が降ってもおかしくはなかったが、このタイミングのよさはなんなのか?

 思えばかつて織田信長公は熱田神宮を参拝した後、今川軍に強襲をかけ、天候の急変に助けられて見事今川義元公を討ち取ったのだ。考えようによってはゲンがいいともいえまいか?

久能山東照宮
最後に静岡県の久能山東照宮。こちらに参拝した時も神気にふれたのかわずかに震えを感じた。

 以上はそれがしの個人的体験なので根拠はないが、そんなこともあったという程度に聞いて欲しい。

大阪慕情!涙の真田幸村公!!

 えー、今回は大阪で撮った真田幸村公をお送りします。幸村公といえば大坂の陣での真田丸の大激闘!そして徳川家康公本陣への突撃・・力及ばず腹を召した地でもある。真田幸村公ファンなら涙をふりしぼらぜるをえないでしょう!・・それがしはそうでもないけど。

おぼろうどん
 さて大坂突撃編ということで、まずは腹ごしらえ。天王寺駅前の立ち食いうどん屋さんで「おぼろうどん」頂きました。だし汁のきいたうどんにとろろ昆布かけただけだけど、これが旨い!かやくご飯のおにぎりをお供に。
 と、おなか一杯になったところで出陣!

可愛いワンちゃん・雑種?
 と思ったら露店のおっちゃんが連れた可愛いワンちゃんが休んでたで。可愛すぎて悶絶・・我が家の犬を思い出しました。しっかし、何の品種やろ?雑種?おっちゃん、ようわからんわ。

安居神社の幸村公
安居神社の幸村公・2
 気をとりなおしてこちら天王寺は安居神社の真田幸村公。この地で切腹されたためかやや寂しい感じですな。そういえば、自称幸村公の正室とのたまっていた女性がこの銅像に抱きつきたいといってましたなあ。痛すぎます。

三光神社本殿
 続いて真田丸があったという玉造にある三光神社の本殿。え?順番が違うって?環状線でいったから天王寺が廻りやすかったんやからええやろ?お参りしている頭の薄いおっちゃんは俺やないで!失礼なこというてすまん!

出陣!幸村公
幸村公の勇姿
 どや!かっこいいやろ!思わず「えい!えい!おう!」言いたなるな。このそばに大坂城からの抜け穴跡もあったで。ほんま?

美味しいビール
 とまあクソ暑い中、移動していたんで難波の地下街で見つけた洒落たビアホールで頂きました。蘇ったね!ふと上を見上げると・・
ダークダックスって・・・
 「混んできたらダークダックスでお願いします」て。これやから大阪はかなわんなあ!最近の子にダークダックスってわかるんやろか?でもこのセンスすっきやねん。

木の葉丼
 最後に難波の大衆食堂で食べた「木の葉丼」。知らん?大阪名物「木の葉丼」親子丼の鶏肉のかわりにカマボコを薄く削いでいれたもの。やっぱり出汁がきいてておいしいで!大阪いったらいっつもこれ食べるで。みんなも気軽に頼んでみてな!でも高級な店いくと、断られることも。なにせ庶民的丼やから気ィつけてな!

 という訳で駆け足で見てきたけど食べてばかりやて?そりゃ「食い倒れ」の街・大阪やもん。旨いものくわな損やで。ほな、また!
 

旅の楽しみ・鹿児島編

 それがしは銅像大好きな変態であるわけだが、当然そればかりではない。人間は多面的な生き物なのだ。酒は好きだし、美味い食い物は好きだし、女の子も大好きだ。え?とんだ俗物だって?そうだ。俗物だ!何が悪い!肉食系だ草食系だのしゃらくさい!俺は雄だ!叶うものなら・・この辺で止めておこう。とんでもないことを書きそうだ。

 それはともかく、鹿児島をそれがしは大好きになったので、印象的なことどもを紹介していこう。

鹿児島中央駅前
維新の志士
 こちら、それがしの敬愛してやまない中村晋也先生の製作された「若き薩摩の群像」である。いうまでもなくすばらしい。文句アル奴は表デルヨロシ!なぜか「ワンス・アポン・ア・チャイナ」風になったが気にするな!
 それがしは薩摩の志士が基本嫌いなので詳しくは紹介しない。各自調べてね!

 薩摩・長州・土佐はいずれも明治維新の歴史に自信をもちすぎであり、どの県でも「維新群像」を作っている。すこし、けしからんとも思う。いつまでも維新の成功体験を引きずるな!あとアメリカや連合軍諸国!第2次世界大戦はとっくに終わってるんだからいつまでも勝ち誇るな!


幕末と現代と
 ともあれ、かつての苦労と現在の繁栄がこのように並び立つとは誠に平和ほど貴重なものはないな!感動で前が見えない!

きびなご刺身
 話題はうって変わってグルメ方向に。鹿児島の旨いものといえば「きびなご」の刺身でしょう!脂がのっているゆえの独特の甘みを味わうと・・関東の魚が食えなくなりそうだ。というより九州の魚を食べると、「今まで食べてきた魚はなに?」と感じる悲しみがある。

豚足煮込み
 続いて豚骨煮込み。肉も骨も簡単にかみくだけるほど柔らかく、一緒に煮込んだ大根なども豚のうまみを吸い込んでかつてないほどのうまみをもたらしてくれるのである!生まれてきてよかった!

地鶏地獄焼き
 そして「宮崎の地鶏・地獄焼き」である。名前はおどろおどろしいが、溶岩の石版の上で地鶏をじっくりやいた奴だ。食べながら、あのはげ散らかした知事の顔が浮かんでしょうがない。
 冗談はさておき、今年宮崎は大変な被害をうけた。我々、他県民も宮崎が盛り上がれるように宮崎県を応援していきたいものだ。

鹿児島中央駅夜景
 最後にホテルからの鹿児島中央駅の映像をお送りしよう。来年、3月にはいよいよ鹿児島から東京まで新幹線がつながる。これは大きな変化であり、鹿児島も熊本も博多も大いに変わりつつある。その変化のさまは実際に観にいくほうが楽しいので、諸兄各自で観にいこう。

 しかし、九州の女の子は可愛い!特に熊本。観光大使のスザンヌのレベルの女の子はザクザクいるし、それ以上の女の子も沢山いる。また、一部はモデルレベルだ。ああ・・熊本に住みたい。

 今回は脱線が多かったが、それだけ楽しかったのだよ!熊本の女の子は情熱的だったなあ・・・。

米沢・堂森善光寺

 以前の米沢編で堂森善光寺の写真を紹介したが、今回は別の何枚かの写真と共に紹介しなおそうかと思う。

堂森・善光寺
 お寺の正門からの画像。この近くに前田慶二郎は隠居所を築いたという。まあ、諸説あるがそれがしは気にしない。学者ではないからな。

供養塔周辺
けーじろー
 昨年の直江兼続ブームで「かねたん」は全国メジャー化したが、こんなキャラもすでに出陣していたのね。「けーじろー」というらしい。他の「かげっち」共々ストラップを買ってしまいましたがな。


本堂
 こちら本堂です。立派な幟ですね。
供養塔
 供養塔です。南無南無・・。
 そういえば我が家は一応浄土真宗ですが、ゲーム「信長の野望」ではいっつも本願寺家全滅に夢中になってしまいますね。全国にそんな方は沢山いると思いますが。

今年の実り
 善光寺周辺は豊かな田園風景で今年も実っております。
 またお寺の境内の中も実にいい気に満ちている(ような)気がします。よくはわかりませんが、落ち着いた気分になりました。また行きたくなるお寺ですね。美味い水
 最後にお寺の入り口に湧いていたお水。飲料用とは書いていませんでしたが、あまりにおいしそうだったので飲んでみるとこれが美味い!

 来年は慶二郎400年供養の年だそうなのでまた行ってみたいですね。

武将が愛した城・熊本城

 今回の熊本旅行、最大の目標である熊本城を2日がかりで撮影した。広壮な城なので1週間であろうとも撮りきれる城ではないが2010年の夏の終わりの熊本城を記録してみた・・・。

石垣白黒・1 
 熊本城は石垣と白塗りの壁と瓦で構成された城なので(日本の城は大体そうだ)白黒で何枚か撮ってみた。以下、そのシンプルな美をご堪能あれ。
ビバ!武者返し!
 天空へ駆け上がれそうな武者返し。
観光写真的な白黒
 熊本のパンフレットでよくみるアングル。白黒で撮ると、「あの頃の・・」的写真になる。
アングルを変えて
 こんなアングルからも。城も女の子も煽って撮るに限る・・変態ですまんのう。

熊本城前の加藤清正公
清正公アップ
 ここで清正公にご挨拶せんとなあ・・お城前に鎮座されておられる。

横井小楠先生と愉快な仲間たち
 最近は幕末ブームということで、熊本を代表する「横井小楠先生と愉快な仲間達」・・もとい幕末の偉人達だな。
 「これがあの・・!」「しょうなん(小楠)です。」渾身の親父ギャグを決めたところで次へ。すまんのう。

谷干城将軍
 西南戦争で西郷軍と戦い抜いた谷干城も外せませんな。「谷将軍」と書くと、「風雲!た・・城!」みたいだ。古いネタですまんのう。

二重の宇土櫓
 こちらから2日目。カラー写真。堀の水面に映る宇土櫓よ。この櫓の来歴を思えば残酷だが、美しいなあ。

有名な・・
 この写真も外せないな。他のアングルは多くの雑誌や専門書で紹介されているので、これだけ。やはり写真は自ら足を棒にしていいアングルを探さないとなあ。

飯田櫓
 そして飯田櫓・・露出を抑え目にしてやや暗めの画面で撮ったのがドンピシャ!石垣の重厚さ、空の青さに雲の白さが強調されつつもいいバランス(自画自賛という)だなあ。本当は空堀に下りて撮りたいのだが、ダメなのよねえ。

空と雲と天守閣たち・・
 空と雲と天守閣たち・・本当はもっと高い入道雲がバックに欲しかったんだけどねえ。大自然をキャスティングはできないからねえ。あくまで偶然性の美を追い求めるしかないのねえ。

大天守と小天守
 やはり大天守と小天守セットの写真がないと締まらないだろう。

昭君の間
 そして先年再建なった本丸御殿「昭君の間」です。フラッシュ禁止です。でも金箔まぶしくてわりといけます。王昭君の伝説は賢明な諸兄なら知っているでしょう。知らないならこの機会に調べてみてね。

石垣の苔
 最後にこの写真を。青い苔と石垣のコントラストが年月を物語るとは思いませんか?

 皆さんも熊本城に行ってみよう。それがしのようにほれ込んでも責任もてんが・・。



熊本市民が愛した武将・加藤清正公

 さて、熊本に滞在して今度は熊本城を見学するわけだが、その前に加藤清正公の銅像がある本妙(ほんみょう)寺にお参りにいってきた。そしてその後、市内を歩いて清正公がいかに熊本市民から愛されているかを知る第1歩だったのだ・・。
本妙寺正門
 JR熊本駅前から市電に乗って20分ほど、本妙寺前駅で下車し、5分ほど歩くとこちらの正門がまず出迎えてくれる。これがでかい!事業の成功者が戦前に寄贈したものだそう。
 この時、まだ本妙寺がいかに広いかということを全くわかっていなかったのだ・・・。

ワンちゃんのお出迎え
 正門からさらに数分・・お寺で飼われている犬だろうか。この穏やかな顔をしたワンちゃんが出迎えてくれた。老犬なのか実に堂々とした佇まいに思わずパチリ。家の愛犬を思い出しました。

浄池廟
 歩き続けてやっと加藤清正公が祀られている浄池廟(じょうちびょう)にたどりついた。ここからがまた遠かったんだよね。

300段の石段
 これが悪魔の300段・・カンカン照りだったので背中をあぶられましたよ。のぼりながら「敵は本妙寺にあり!」なんてつぶやいてました。元ネタはわざわざ説明せんよ。

加藤清正公・正面
 登りついた先についに加藤清正公が出迎えてくれましたよ。
 「なに!あちこち銅像を訪ね歩いて居るのか!もの好きじゃのう・・」なんていわれたような気がします。
加藤清正公・あおり
 青空によく映えますね。

 この銅像、北村西望(きたむら せいぼう)先生の作品です。東京都の吉祥寺にある美術館にも同じものがあるけど、やはり本場で見るほうがいいよね。山の上からの眺望も最高だったし。その瞬間は登ってよかったなと思いましたね。現金なものですが。

 次回はいよいよ熊本城です。撮っていて美しすぎて悶絶していましたね。ビバ!武者返し!というところ。






日本の五大騎馬銅像

 かねてより書いていた五大騎馬銅像の資料が集まったので、ランキング形式で発表したい。

まず第5位!ジャジャン!
政宗銅像の1

 言わずと知れた仙台の伊達政宗公像です。

続いて第4位!
最上義光公

 山形県霞城公園に建つ最上義光公像。

お次は第3位!
菊池武光公!
 熊本県菊池市の市民広場に建つ菊池武光公像です。作者は中村晋也先生。

さあ、待望の第2位!
島津義弘公・正面
 鹿児島県伊集院駅前の島津義弘公像。作者はやはり中村晋也先生。先生の作品はただならぬ迫力に満ちています。

そして堂々の第1位!
大楠公像

 東京都皇居前に建つ大楠公像です。作者は高村光雲先生など5人のチームで製作。

 この五体の写真を集めるために東奔西走したねえ・・。

 また次回!
 

「武王の門」の里・熊本県菊池市

 人は誰しも「特別な一冊」を持っているのではないだろうか。それがしの場合、北方謙三先生の「武王の門」です。その本について説明しだすとおかしくなるので、皆さんで調べていただきたい。
 今回はその「武王の門」に登場する武将・菊池武光(きくち たけみつ)公の故郷の熊本県菊池市にやってきた・・・。

菊池市民広場
 こちらは菊池市民広場に建つ「菊池武光公」像である。原型作者は鹿児島の彫刻家・中村晋也先生(日展理事)です。頭が高い!控えおろう!

菊池武光公!
 ちなみに軍配は大宰府の方向に向いています。真後ろにかつて菊池家の本城が存在した菊池神社がございます。

武光公アップ
 
雲と武光公
 一度は九州全土に覇を唱えた武光公の勇姿がまぶしいです。

 ちなみにこの近くで甲冑着付け体験が千円ぽっきりで(客引きか・・)できます。それを体験したアホの写真がこちら・・。
武光公とアホ
 本人はノリノリだったけどね。あー、甲冑ほし・・。

菊池神社本殿
 菊池武光公がご祭神の菊池神社本殿です。まさに聖地!

武光公のお墓
 最後に武光公のお墓を紹介します。ちょっと分かりづらいところにありました。入っていいのか判断に迷ったんだよね。結局、入ったけど。

 以上、聖地巡礼でした。

日本屈指の戦術家・島津義弘公

 古来より吉備真備・源義経・楠正成など幾人かの天才的兵法家が存在したが、島津義弘公もその一人に数えてもいいのではないか。義弘公の具体的な業績は諸兄が調べればいいことなので今回は純粋に銅像を紹介したい。

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 鹿児島県の伊集院は島津義弘公を敬愛する人々には聖地である。この写真は義弘公の位牌が納められている妙円寺である。寺の由来は各人で調べて頂けると面白いし、勉強にもなる。
 また妙円寺詣でという有名な行事も存在する。参加したいな・・。
 それはともかく、それがしが伺った時、たまたま住職がいらっしゃってありがたいお話をしていただいた。突然の訪問にも関わらず、である。実にありがたいお坊様でした。こういう姿勢は滋賀県彦根市のある寺(石田三成の銅像がある)には強烈に学んでほしい!。
 ともかく、ありがとうございました。涙が滲むほどありがたかったですね。
島津義弘公の位牌
 こちらが義弘公の位牌です。南無南無・・・。

徳重神社
 つづいて島津義弘公が祀られている徳重神社です。アリガタヤ・・・。もちろん、丸十のお守り購入しました。

島津義弘公・正面
 こちら、JR伊集院駅前に建つ島津義弘公騎馬像です。作者は日本を代表する彫刻家・中村晋也(なかむら しんや 日展理事)先生です。三重県ご出身ですが、鹿児島県で教職をとることになり定住されたそうです。
 中村先生のお言葉に「銅像を作るときは、その人の一生を強烈に象徴する一瞬をきりとらなければいけない」というものがあります。この銅像は義弘公が関ヶ原中央突破戦の際に、まさに采配を振り下ろさんとするその一瞬だそうです。本当にその言葉通りの銅像ですね。
 この銅像を目前にして・・自分は長年の念願がかない、滲む涙を拭いながらシャッターを押していました。この気持ちはなかなか他人には説明しがたいが、まさにわが人生の絶頂のひと時ではありました(我ながら痛い発言だ・・)。

島津義弘公の背中
 この背中に命を預けたいと思った君・・「漢(おとこ)」だね。

島津義弘公アップ
 この馬前で討ち死にしたい・・ああ、今日はもうおかしいので今回はこの変で。

 近々、「日本を代表する5大騎馬銅像」を実際の映像付きで発表いたします。お休みなさい・・。

鹿児島紀行・番外編

 おーっす!なぜだか鹿児島来てます。
青空
 台風9号の風が長くたなびいています。

大久保利通
 こちら大久保利通殿です。あえて言おう!俺は西郷が嫌いだ!以上!

 という訳で(どういう訳だ?)飛行機の中で椎名まこと先生の「麺喰い甲子園」を読んだ影響で鹿児島ラーメン3番勝負ということで食べてきました。うっぷ!身・・身がでる!
こむらさきラーメン
 まずは創業ウン十年の「こむらさき」さん。まずとんこつなのに臭くない!とんこつ苦手な俺が・・びっくりした!麺は細めで、上に乗っかったキャベツの千切りとチャーシューと絡めてすすると・・・旨い!!ビールと一緒においしく頂きました。

GARYUラーメン
 続いてメインの商店街・天文館にある「GARYU」さん。こちらは味噌系。こむらさきさんがあっさりなら、こちらはこってり。濃厚な味がたまりまへん。
 2杯食べて気づいたのは、鹿児島ラーメンは少なめに盛っているということ。これが意外にありがたいですね。ラーメンをぎょうさん食べたい時もあるけど、いつもやったらこれくらいがよろしおま。

夜の島津義弘公
 二杯食べて苦しかったので、電車に乗って伊集院駅前の島津義弘公に拝謁してまいりました。ちゃんとした撮影はまた明日します。でも夜の銅像もいいんだよね。

とら家ラーメン
 最後の3杯目だす。こちらは宿ちかくの「とら家」さん。立地はいいんだけど、客俺しかいなかった。味もよかったんだけど、東京でも他の街でも食べられる味だったんだよねえ。なんか全体に残念。
 今回の店の情報?そんなもの調べるかい!行き当たりばったりでおいしいものめぐり合うのが楽しいんやんけ!

 というわけで次回はちゃんと銅像ブログします。ちゃんと銅像好きの聖地・中村晋也美術館もいったんやでえ。面白い情報も仕入れたし。見たってやあ!

仙台紀行

林子平銅像
 こちら江戸後期の学者・林子平(はやし しへい)先生です。地理書「三国通覧図説」や国防啓蒙書「海国兵談」などを現し、現代にもその先見性を讃える方は多くおられます。実際、「三国・・」がなければアメリカとの国境画定交渉で小笠原諸島を分捕られるところだったのですから。
 先生自身は後に幕府から幽閉を命じられて苦悩の中で亡くなられてしまいました。

政宗甲冑複製
政宗兜複製
 続いて仙台市博物館で政宗公の甲冑を拝見しましたが、あいにくと複製。なかなか本物がみられないなあ・・。

青葉城入り口
 青葉城本丸入り口です。やっときました!

政宗銅像の1
政宗銅像の2
政宗銅像の3
 ここに来たら政宗公に拝謁しないとね。他の観光客にも大人気で皆さんカメラで撮りまくってましたよ。私もその一人か。

牛タン定食
 帰りに仙台駅の牛タンロードでご飯を食べました。たくさん店がありましたが、選んだのは「伊達の牛タン」
そこで極厚芯タン定食1.5倍盛りを頂きました。これが旨い!噛むとしっかりした歯ごたえがして肉汁がジュワーッと染み出てきてたまりませんでしたねえ。付け合せに唐辛子の味噌漬けがスパイシー!タンに唐辛子を塗ってから麦飯を巻いて食べるとこれがまた・・!テールスープもじんわりおいしかったねえ。
 ごちそうさまでした!

米沢紀行の本編

 実を言うと米沢は2度目だ。直江兼続の大河ドラマの2年前で、その頃は現在ほど過熱はしていなかったが、それでも上杉の聖地。心は昂ぶりを覚えたものだ。

 駅からまっすぐに上杉神社に向かい、まず出迎えてくれたのがこちら。
上杉中興の祖
 上杉家中興の祖として名高い鷹山公です。まるで「よくまいったの。あれこれ見て、聞いて学ぶがよい」と言わぬばかりではないですか。素直に頭が下がりました。

 上杉神社
 お殿様の前を通り過ぎていよいよかつて米沢城があった上杉神社である。出迎えていただけるのは・・
上杉謙信公その1
 謙信公と米沢は直接関係はないものの上杉景勝が会津120万石を拝領したときに、越後・春日山城に安置されていた謙信公の遺体も米沢に運ばれ、神社とは別の霊廟にお眠りになられております。今回は行かなかったが・・
謙信公の近影
 まさにこの下で武締式を行いたくなりますな!
 「運は天にあり!鎧は胸にあり!手柄は足にあり!死なんと戦えば活き、活きんと戦えばまた死するものなり・・」

上杉中興の祖・その2
 と思えばまた鷹山公・・何かの勧誘チックであります。

上杉の軍糧・・嘘
 小腹が空いたので、上杉家の兵糧・・ならぬ新しい米沢名物「米沢牛ころっけ」を頂きました。やや甘めのあんに肉汁が絡まって何もつけなくてもおいしいです。とはいえ、2口目からは備え付けのソースをたっぷりかけました。子供の頃の買い食いを思い出します。

 堂森善光寺
 次は前田慶次郎が晩年をこの近くで過ごしたという堂森善光寺へ。ちゃんと慶次郎の供養塔もあります。

前田慶次郎の供養塔
 お墓や供養塔の写真を載せるのは異論・反論もあるでしょうが、可能な限り載せていきます。やはり現在の姿が知りたいし、後続への道標にもなるしね。
 このお寺は周りが田園ということもあるせいか静かでいい力に満ちていますね。入り口の水もおいしかったし。山頂で民謡をやっている方もいたな。本当にいいお寺です。
 ちなみに来年は慶次郎400周年法要なので、事前に調べて迷惑にならないようマナーに気をつけていってください。

 米沢のゆるキャラ
 その後、市内まで歩いて(小一時間かかりました・・)宮坂考古館にもいったり、蕎麦をたぐってきたりしていました。
 最後に駅前で米沢のゆるキャラ達がお見送りしてくれましたので、ストラップ買ってしまいました。まあ、記念品にということで。
 
 続いて向かったのはあの独眼龍の待ち受ける仙台!史蹟あり!グルメあり!熱い夜あり!といかがあいなったのかはまた次回!














上杉の聖地・米沢に行って参った!番外編

 それがしの尊敬申し上げている武将は楠正成公と上杉謙信公であります。今回、その謙信公の眠られている米沢に行ってまいった。上杉神社や堂森善光寺などいきましたが、それはまた後日・・・

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 こちら、米沢駅で直江兼続公が直々にお出迎えしていただける。誠、かたじけなし。

直江兼続公のお顔
 意外と巨大で立ち上がったら3メートルくらいはありそう。去年の「変地人」・・ならぬ「天地人」をどう見られたのか・・。

 米沢市内・戦国の杜
 続いて米沢市内の戦国雑貨を集めた「戦国の杜」に行ってきました。雑貨も少しは購入したが、目的はかの大ふへん者がいると聞いたので・・
 大ふへん者、参る!
 これがまたでかい!松風と前田慶次郎が蘇ったらこんな感じ?
前田慶次郎
 いやあ、いい男だねえ。いっそ、直江も慶次郎もこれらを原型にして、銅像つくればいいのに。山形で知り合った姐さんもよろこぶだろうなあ。

 最後にこの近くの名物「板蕎麦」を食べに弥へえそばに行ってきました。板蕎麦・やへえそば
 まず板1枚ぶんの蕎麦がたっぷり。量が嬉しいね。東京の蕎麦屋は少なくっていけない。蕎麦をすすると、濃い目のつゆに太目の蕎麦が絡んで旨いこと!香りと歯ごたえにびっくり!もっちもちかつのどを滑り落ちる勢いに夢中で食べてしまい、蕎麦湯まで平らげてしましたとさ。

楠正成公の終焉の地・・神戸巡礼

 太平記で大活躍した南朝方の知将・楠正成公が最後に戦い、そして散っていった地。それが兵庫県神戸市に存在する湊川(みなとがわ)です。現在は湊川神社が建ち、多くの人の尊崇を受けています。かつての勤皇の志士達も多く訪れたとか。
湊川神社

 神社から少し離れた所にある湊川公園に楠正成公の銅像が建っています。
大楠公・湊川公園
 東京・皇居前の大楠公像と並んでこちらが日本の二大楠公像と言えると思います・・というか、それがしはいいます。

 アップはこちら。
湊川の大楠公アップ
 躍動感に溢れていませんか?この地でかの足利尊氏・直義兄弟を相手に奮戦し、ついには力尽きて自刃されたのかと思うと、涙で前がみえません。
 太平記を読んでそのあたりのくだりを知ると、さらに泣けるのですが、本ブログの趣旨にはあいませんので諸兄におまかせします。

 最後にこの写真を見て、楠正成公の霊を慰めてあげてください。
天空へ駆ける大楠公
 天空に駆けあがらんとする武将のようではないでしょうか?
プロフィール

サムライ銅像研究会

Author:サムライ銅像研究会
歴史と銅像と芸術が大好きなあまり、日本各地を東奔西走する銅像・史蹟ハンターである。神出鬼没なため、脈絡無しのブログ更新を続ける。掟はただ一つ!「死して屍拾うものなし!」昔の時代劇の決め台詞だけどね・・皆さん、見てやあ!
 最近、キューピーに侍の装束を着用させる遊びをやっております。「武者ピー」と呼んで可愛がってやぁ~!以後は「キューピー甲冑師」とも名乗ります。

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