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古今和歌集やっと読み終えたり・・

 この夏は古今和歌集を読んでみた・・とはいえ1100首を超える数・・時間を見てはよみ一月かかった。さすがにどの歌もすばらしいが、個人の趣味というものがあるので全てを褒める気はない。
 今回はただ1首、もっとも気に入った歌をのみ紹介しよう。

 「東雲(しののめ)の ほがらほがらと 明けゆけば 己(おの)がきぬぎぬ なるぞ悲しき」
                            詠み人知らず

 歌の意味:東の空に光が差して、空がほがらかに明けてゆけば、めいめい自分の着物を着て別れることになるのが悲しいことよ。

 この歌は最初「ほがらほがら」という表現が面白いと感じたが、その意味を理解して読み込んでいくうちに「これはなんと哀しく、エロティックな歌だろう」と感じ入ってしまった。歌の意味をもっとくだけた感じでよんでみると・・
 「男と女が愛し合って、互いに裸のまま火照った体を寄り添いつつまどろんでいると、東の空が明るくなってきた。朝になる前には二人は別れなければならない。離れがたくはあるが、身を起こしてそれぞれ自分の衣に手を通すことがさみしくてしょうがない。」
 大人なれば、誰しも似たような情景に身に覚えがあるのではないだろうか?

 今回は画像はない。まあ、気が向いた方はご自身の想像力でどのような情景がふさわしいか思い浮かべるのもまた一興・・。

 では、また次回!関ヶ原編スタートである。

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天下人が残した短歌~銅像といっしょに~

今回はいつもとすこし趣向を変えて銅像画像をお送りします。歴代の天下人(源頼朝・足利尊氏・徳川家康の銅像を彼らが詠んだ(と云われる)短歌とともに見ていただくことで、彼らの年表を見る以上にその人柄に迫ることができると考えるからです。

 ある図書館で「武人万葉集」(東京出版)という本をみつけました。著者が定年退職後、趣味として万葉の昔の「防人」から先の太平洋戦争まで有名・無名問わず武人が詠んだ短歌を集められ、先に太平洋戦争で戦没された方々の歌集を出版され、「武人万葉集」ではその本に漏れた万葉の昔から明治に至るまでの短歌を集めた労作であります。誠に頭がさがります・・というわけで詠んでいるのは男性ばかりなので男臭い歌が多いです。「万葉集」や「古今和歌集」とは自然、趣が違う歌が多い。

 ではまず鎌倉に幕府を開き、朝廷から独立した日本史上初の武家政権を築き上げた源頼朝公の歌を紹介しましょう。
鎌倉山の頼朝公
 (鎌倉市の鎌倉山頂上にあります。銭洗い弁天でお金を洗った後にでもみにいってください。)
  「道すがら 富士の煙も わかざりき 晴るるまもなき 空のけしきに」 頼朝公が鎌倉から京都に上洛する途中に詠まれた歌とか・・・特に何の感興もわかない情景描写の歌ですね。ご子息の三代将軍・実朝公は明治の大歌人・正岡子規から若すぎる死と天才的な才能を惜しまれたんですがね。どうやら北条の血のようですね。参考までに実朝公と執権・北条泰時公の歌も載せます。

  「おほ波の 磯もとどろに よする波 われてくだけて さけてちるかも」源実朝
 どうです!この浜に打ち寄せる波の荒々しさをダイナミックに読みあげたこの歌!!惚れそうです。

  「山がわの 氷やうすく むすぶらむ 下に木の葉ぞ 見えて流るる」北条泰時
 鎌倉幕府の憲法ともいうべき「御成敗式目」を制定した政治家として有名な泰時公ですが、こんなに繊細な情景描写の歌も詠まれたのですね。北条の血は侮れない・・。


 次にその鎌倉幕府を倒すきっかけを作った足利尊氏公です。この方、ややむらっ気のある方でいい時は武将として政治家として時代を切り開いた方ですが、だめな時は引きこもって「出家してやる!」といって一族や部下を困らせています。それでも朝廷が北朝と南朝に別れて争う激動の時代をくぐりぬけて室町幕府の基礎を築いた方ですから天下人にほかなりませんがね。
足利尊氏公
 (栃木県足利市のばんな寺近くにたっています。JR足利駅からお寺に行く途中にあるのでみつけやすいですよ)
  「今向かふ 方は明石の 浦ながら まだ晴れやらぬ 我が思ひかな」 この歌は後醍醐天皇に叛いた時、合戦に負けて九州に落ち延びますがすぐに軍勢を編成して京都に攻め上る折、舟上で詠んだ歌だそうです。
 この後の湊川の戦いで後醍醐天皇の忠臣・楠正成公と戦い、討ち取ります。尊氏公は後醍醐天皇に叛きたくなく、また楠正成公とも互いに認め合った仲ですが、政権の運営を朝廷が握るか武家が奪い返すかの避けようのない争いの中で敵対せざるをえなかった悲劇の武将ともいえます。おかげで勤皇思想の高まる幕末から戦前に至るまで尊氏公は嫌われ者でありつづけましたが、今はその名誉は回復されたといってもいいのではないでしょうか?
 歌自体は尊氏公の万感胸に迫る思いを巧みに歌い上げたすばらしいものです。天下人の中では詩人として一流です。他に・・

  「今ははや 心にかかる 雲もなし 月をみやこの 空とおもえば」尊氏公が晩年に詠まれた歌とのこと・・忠実な家臣も次々と死んでいき、また実の弟とも対立して毒殺させた恩讐を乗り越えて、安定した内面を雲ひとつない夜空にたくした歌です。これも・・感に堪えない歌ですね。胸が熱くなってきます。武将としてだけでなく、歌人としても一流の方ですね。


 最後に徳川家康公です。この方も凄い方で、徳川260年の繁栄の基礎を築き、江戸、ひいては東京の大恩人ですが、歌人としては・・・まあ、その実直な性格がでているとしかいえませんね。とにかく見てください。
駿府公園の家康公
 (静岡市の駿府公園に堂々とそびえ立っています。JR静岡駅前にも幼年時代の像や晩年の家康像がありますが、神々しさで言えばこれが最上ですね。)
  「怠らず 行かば千里の 果ても見む 牛の歩みの よし遅くとも」
  「人多し 人の中にも 人ぞなき 人となせん 人となれん」現代の経営者が好みそうな歌ばかりですね。言ってることは正しいけれど、なんとも親父臭さというか説教臭が漂うというか・・・歌としては情緒のかけらも認めたくないですね。その波乱万丈の人生を思えばいたしかたないのですが・・。諸氏はどう思われたでしょうか?

 今回はここまで!今後も不定期に武将と短歌を掲載して過ぎし面影を偲ぶ一助としたいと思います。でも次回はそろそろ鎌倉を取り上げたいなあ・・。


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プロフィール

サムライ銅像研究会

Author:サムライ銅像研究会
歴史と銅像と芸術が大好きなあまり、日本各地を東奔西走する銅像・史蹟ハンターである。神出鬼没なため、脈絡無しのブログ更新を続ける。掟はただ一つ!「死して屍拾うものなし!」昔の時代劇の決め台詞だけどね・・皆さん、見てやあ!
 最近、キューピーに侍の装束を着用させる遊びをやっております。「武者ピー」と呼んで可愛がってやぁ~!以後は「キューピー甲冑師」とも名乗ります。

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