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金沢の高山右近像

 日本にキリスト経が入った時、多くの人々が入信した。その中には武士も沢山含まれている。今回紹介する高山右近もその一人だ。

高山右近像
 銅像は石川県金沢市内のあるキリスト経系幼稚園の入り口にある。この画像を撮った時は日曜日で誰もいなかったので誰にも迷惑をかけることなく撮影できた。

 高山右近は摂津(今の大阪府)の大名で織田信長・豊臣秀吉に仕えた。当時の宣教師らの報告書にも「キリスト経に熱心で勇敢な武将」と評価されている。宣教師らの報告書は布教と侵略を念頭に書かれているので、偏向的な文章だが当時の日本を知る資料の一つである。
 右近は秀吉の発したキリスト禁教令に逆らって大名を辞め、加賀・前田家に預けられ、10年以上の日々を過ごした。最終的には日本を出て、フィリピン・ルソン島で亡くなった。
 信教の自由を追求するあまり、外国で客死するとは・・ノー・コメント。
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福井県の銅像2

 福井を代表する幕末の志士に橋本左内がいる。
橋本左内1
 若くして福井藩主・松平春嶽公に見出され側近として登用、大坂・適塾の緒方考庵のもとで学び天才を謳われる。水戸の藤田東湖・薩摩の西郷隆盛・熊本の横井小楠や梅田雲浜らと親交。開国派でロシアとの接近を唱える。将軍継嗣問題では一橋慶喜(後の第15代将軍・徳川慶喜)を支持するも、紀州の徳川慶福(後の第14代将軍・徳川家茂)を推す大老・井伊直弼が起こした「安政の大獄」で捕らえられ獄中死する。

 橋本左内2
 詳しいことは各自で学んで欲しいが、左内の優れたところは若くして志に目覚め、自ら学問に刻苦勉励したことだろう。15歳の時に「啓発録」というものを書いている。その中の五箇条がまたいい。現代人も参考にすべきだ。以下に記す。
  一  稚心を去る
  一  気を振う
  一  志をたてる
  一  学に勉める
  一  交友を択ぶ
 これから学んでいく、もしくは社会に出て行こうとする若い方々は橋本先生の言葉を胸に励んで欲しい。特に五番目の「交友を択ぶ」は実に切実で深い。この真理を15歳で悟ったということこそ天才の証だと思う。皆さんはどう思われるか?
 橋本先生のような方こそ憂国の志士であり、坂本龍馬ごときは乱世に乗じて金儲けに乗り出した「死の商人」に過ぎない。そこを見落とすと、いたずらに個人を英雄視する羽目になるのである。

 ではまた次回!

福井県の銅像1

 福井県の銅像を紹介しよう。今年の大河ドラマ「江」も福井市にあった北庄城(きたのしょう・じょう)が舞台の一つになる。

柴田勝家1
 こちらは織田信長のもとで最も勇猛と謳われた柴田勝家公。通称は権六。信長が家督を継いだ時は信長の弟に仕えており、どちらが尾張の主導権を握るかで合戦をしたこともあるが、信長の用兵に舌を巻いた勝家は信長に臣従。
 その後は命じられるままに畿内・北陸などを転戦。本能寺の変では秀吉に遅れをとり、その後の清洲会議では完全に主導権を握られてしまう。
 それでも反秀吉の旗を掲げて徳川家康とも同盟して近江で秀吉軍と激突。時運利あらず敗れた勝家は北庄城に引き上げ、信長の妹・お市の方と共に自害。お市の三人の娘達は前田利家の元に身を寄せ、後に秀吉の命令で大名の下に嫁がされていくわけである。

柴田勝家2
 今年の大河の脚本家は「篤姫」の脚本家らしい。まあ、大河はあまりみなくなっているので好きにやるといい。しょせんドラマなので、史実と違うからといって目くじらたててもしょうがないので。

 この銅像は福井市内の柴田神社というところに建つ。北庄城があった場所は夜の繁華街になっており、神社もそのど真ん中だ。勝家公がすこしかわいそうだ。他にもお市の方の銅像もあるのだが、デジタルデータで残していなかったので画像がない。できればまた行きたいものだ。

結城秀康像
 こちらは福井県庁前に建つ「結城秀康」公像である。かつて福井城のあった本丸後にそのまま県庁と県警本部があり、朝の出勤風景を眺めていたらまるで朝の登城に見えて誠に気分が悪い。お役人方はさぞや「お上」意識を植え付けられることであろう。

 結城秀康は徳川家康が庶民の女性に産ませた次男であり、家康はその次男が気に入らず、「おぎ丸」という醜い魚からとった名前を付けて家臣に育てさせた。ひどい話だ。成長してもなかなか会おうとしないので、みかねた長男の信康が強引に家康に引き合わせたのである。
 その後、秀吉に養子に出されたり、秀吉の都合で関東の結城家に養子に出されたりと散々な目にあうが、鍛錬をおこたらずに勇猛な武将へと成長。
 関ヶ原の戦いでは関東を任され、戦勝後は越前・福井に75万石を与えられた。しかし、若いときの放蕩がたたったのか梅毒に犯され、34歳の若さで亡くなった。知勇兼備の武将の死を惜しむ声も少なくなかったという・・。

 この像は石像だ。しかも作者が中国人。なぜ?おかげでひどい出来だ。これだと中国の武将ではないか!センスのなさに怒りすら覚える。

 次回は福井の幕末志士の銅像である。

前田利家公の銅像集

 それがしの出身地は北陸随一の都市・金沢である。金沢といえば、前田利家公・・という訳で利家の銅像3体を紹介しよう。ちなみに関東育ちなので、金沢にはたまに帰省するだけだ。

荒子の利家
 前田家は元々尾張・荒子の領主であり、利家は当主ではなかったが織田信長のお声がかりで荒子城主へとなれた。
 この銅像は名古屋市荒子駅前の「前田利家・初陣の像」イケメンですな。

前田慶次郎
 こちらはあおりを喰らった前田慶次郎・・山形県米沢市で撮影。

尾山神社の利家
 石川県金沢市の尾山神社境内の利家像。尾山神社は前田利家・まつ夫妻が祀られている。

兼六園前の利家
 日本の三大庭園の一つ兼六園前に建つ利家像。建てられて20年以上経つが、その当時兜が金色に塗られているものがかなりめずらしかったのを覚えている。

 では、また次回!

日本最古の近代銅像

 今年最後に何を紹介しようかとすこし悩んだが、大晦日ということもあって少し忙しいのでシンプルにいきたい。

 日本最古の近代銅像(仏教伝来当時の古い仏像などはノーカンということで・・)は石川県金沢市にある日本三大庭園の一つ・兼六園の一角に建つ「日本武尊像」である。
日本武尊
 この銅像は明治10年の西南戦争後、石川県出身の鎮台兵士(戦争当時は師団や連隊などの組織は整備途上)の菩提を弔うために、明治11年に建てられたもの。現代的感覚からするとポッチャリしすぎ、完全にメタボリックだが、当時はまだまだ栄養状態が悪いため、でっぷりした人が立派な人と見られた時代。西郷隆盛がいい例ではないか。

 皆様よいお年を!正月は2日から歴史長編ドラマ「二人軍師」が放映される。今から楽しみである。
プロフィール

サムライ銅像研究会

Author:サムライ銅像研究会
歴史と銅像と芸術が大好きなあまり、日本各地を東奔西走する銅像・史蹟ハンターである。神出鬼没なため、脈絡無しのブログ更新を続ける。掟はただ一つ!「死して屍拾うものなし!」昔の時代劇の決め台詞だけどね・・皆さん、見てやあ!
 最近、キューピーに侍の装束を着用させる遊びをやっております。「武者ピー」と呼んで可愛がってやぁ~!以後は「キューピー甲冑師」とも名乗ります。

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