スポンサーサイト

上記の広告は1ヶ月以上更新のないブログに表示されています。
新しい記事を書く事で広告が消せます。

「松平家忠日記」~戦国時代の落書きを見る~

 人は絵を描く生き物である。洞窟で暮らしていた頃から落書きし、エジプトのピラミッドにも大昔の落書きやナポレオン軍の兵士の落書きもある。現代の街には「グラフィティ」と称する落書きもある。人間、暇すると手が疼きだすらしい・・・。
 今回は戦国時代の武将が書き残した日記の余白に描かれた落書きを紹介し、その人物を紹介したい。

 江戸幕府・初代将軍であった徳川家康に仕えた武将の一人に松平家忠(まつだいら いえただ)がいる。弘治元(1555)年、三河の深溝(ふこうず)城主の伊忠(これただ)の嫡男として生まれ、天正3(1575)年、長篠合戦の前哨戦である「鳶巣山奇襲戦」で父を亡くし、家督継承。それから徳川領内の城や道路、市場などの土木工事を行い、合戦や城の守備に当たり、時に息抜きとして連歌や狩猟に興じたりして家康の活動を下支えする武将の一人として確実にキャリアを重ねていった・・が、彼もまた戦国の武人。天下分け目の大戦「関ヶ原合戦」の前哨戦である「伏見城攻防戦」において、押し寄せる西軍の大軍を他3人の武将や少数の兵士らと共に手強く抵抗し続けたものの、衆寡敵せず、ついに切腹、慶長5(1600)年に数え年46歳でその生涯を閉じたのである。
 はっきりいうと「地味」な武将であり、他に有名な武将は沢山いるが、彼が天正5(1577)年から文禄3(1594)年まで足掛け18年に渡って書き続けた「松平家忠日記」が彼の名を正史に燦然と輝かせることとなったのである。

 その日記を読むと、自弁で戦や土木工事にあたって借金に苦しみ、同僚や上司を接待してまた借金し、ストレスや疲れを癒すために川狩り(投網漁)や鷹狩、連歌の会や茶会を楽しみ、時に娘の病気を心配したり、息子誕生を喜んだり、当時の世情を揺るがせた大事件を自分が関係した所のみを淡々と書き綴ったりと実に読みどころが多い。昔の人の文章なので、読みづらい部分もあるが、ほとんど事実のみを記した備忘録の形をとっているので、興味をもたれた方は図書館などで探して読まれるといい。
 日記の大意をまとめて読みやすくした本なら角川選書からでた「松平家忠日記」盛本昌広氏:著が入門編としてオススメだし、日記そのものを読みたいなら、1955年に出版された臨川書店の「松平家忠日記(全2巻)」がとてもいい。特に後者は家忠が余白に描いた落書き194点を2巻の後ろに載せているので面白い。
 え?文章が苦手?ならば・・
三河武士列伝1~3
三河武士列伝3
 こういう本もある。愛知県に、いや岡崎にお出かけの際はこんな本が博物館や書店で購入できるし、ネットでも購入できる。正確には「三河武士に会いたい」というサイトで作者本人とやりとりしないと買えないのだが・・。

 本題からそれた。今回は家忠が描き残した珠玉のイラストの数々から注目すべきいくつかを紹介したい。

 まずは・・・
ひげオヤジ
 このひげオヤジ・・誰を描いたのかは不明。案外、主君の家康その人かもしれないし、直接の上司であった酒井忠次(さかい ただつぐ:徳川四天王筆頭)かもしれない。でも頭ツルツルだから家忠が懇意にしていた坊さんかもしれない。本人に聞いても「さて、誰だったかのう?」と二ヤリと笑ってとぼけそう。

ひなん民?
 その隣のこれ・・? 推測すると、落城などで逃げ延びている人々を描いたものか。恐らく身包み引っ剥がされた女房衆ではなかろうか?数人で1枚の筵で体を隠しながら落ち延びているところか。こういう絵を見ると、当時の残酷な世相が垣間見える。

謎の生き物?
 この左の生き物・・?何だろう?猿回しの猿かな。日記を読んでいても、遠国から踊りを生業とする人々が家忠の城に来て踊りを披露したとあるから猿回しが一座の中に混じっていたのかもしれない。

馬上武者
 馬上の武者。その眉がとても強気だ。こうでないと荒くれた足軽達を率いることなど無理だろう。
鉄砲足軽
 これは担いでいるものから鉄砲足軽と思われる。ここで注目してほしいのは彼の服装だ。後ろからで正確にはわからないが、陣羽織を着て、腰を帯で縛っている。ひょっとすると鎧は着ていないかもしれない。昔の合戦図屏風を見ていても、鉄砲や弓など離れた所から攻撃できる武器をもった足軽は動きを軽くするため、鎧を着ていない場合が度々ある。たまにふんどし一つで刀振り回している奴も描かれているし・・現代でよかったなぁ・・ワイルドすぎるぜぇ~。

ある日のメニュー
 これはある日のメニュー、恐らく接待用かな・・?これを見ていると、食べたものをブログに載せている現代人と変わらない。そういえば、ある人が家忠を「ツイッター武将」と表現したらしい。上手い!座布団1枚!

夫婦の団欒
 これは家忠夫婦の団欒かな。平安貴族も遊んだ双六をやっているところかもしれない。家忠は連歌を嗜み、時に毎月のように連歌会に出席していたから古くからの風流な遊びにも通じていたようだ。夫婦で双六やっているなんてかわいいところありますな。

牛若丸と弁慶?
 これは牛若丸と弁慶の五条大橋での決闘だろうか?でもこの牛若丸、笛じゃなく刀抜いているしなぁ・・どうなんだろう?

イラスト色々
 イラスト色々である。こう見ると、絵心はあったようですな。現代人が電話しながら書き散らす落書きよりよほど上手い。

謎の乗り物?
 この人?謎の乗り物に載っているのか、膝や太股が異常に発達しているのか??でも機嫌よさそうだな。

棋譜
 将棋の棋譜ね。それがし、将棋やらないのでわからないが、上手い人がみたらどっちも上手い指し手ではなかったみたい。細かく描き残したのにねぇ~。残念。

人魚?
 人魚が描かれている。これは・・
  「天正9年4月20日(旧暦です) 正月20日に安土(織田信長の安土城下)にかんてんちへあかり候。安土に而食人をくい候。声は『とのこほし』と鳴候。せいは六尺二分、名は人魚也」
 日記からそのまま抜粋。地名など分からない部分があるが、噂話を書き留め、人魚を想像して描いたものらしい・・ほんとお茶目なオジサマ!
 でも翌年に例の「本能寺の変」・・異変は織田信長の足元で起きていたのかもしれない・・・。

 まだまだ沢山紹介したいが、収拾つかないので最後にこちらを紹介しよう。
猿こう図
 恐らく、掛け軸や屏風によく描かれてきた「猿こう図」と思われる。水面に映った月をつかめるものと勘違いした猿を題材として描かれたものが古来から沢山あるが、これもその図だろう。家忠も老後に真剣に絵に取り組んでいれば、傑作を残したかもしれないという可能性を感じる。
 だが時代がそれを許さなかった・・。

 豊臣秀吉の死後、天下は急速に徳川家康の下へと傾き、その権勢は豊臣秀頼の存在を霞ませるほどのものであり、石田三成など豊臣恩顧の大名は切歯扼腕して状況の展開を図ろうとしていた。
 徳川家康はそれと察しつつ、自らの命令に服さない会津の上杉景勝を討つべく大軍を編成し、関東へと旅立とうとしていた。家康は出発前に幼馴染でもある鳥居元忠や内藤家長、松平家忠、旗本の松平近正らを呼び、伏見城の守備を命じたのである。それが西軍の前に差し出された生贄と知りつつ・・。
 その晩、家康は元忠と二人きりで酒を酌み交わし、幼い頃から共に苦労した思いで話をしていた。話題は尽きず、酒は進み、冷静沈着な家康の目尻から光るものが・・。それを見た元忠は背筋を正して、
  「殿!お家大事の前にわれ等のような老兵の500や1000を死なせることに心を乱してはなりませぬ!殿は天下をまとめる立場なのです。それを考えてください!」と叱咤した。家康は言い返す言葉もなく、二人は盃を交わすのみ・・・やがて夜もふけて、元忠は若い家臣に助けられて家康の下を辞した。家康は滲む視線でその背中を眺めるしか出来なかった・・。

 一方、同じ夜、家忠は古くからの家臣の一人を呼んで古びた槍を渡していた。
  「これはご先祖様より受け継いだ『鎮西八郎』源為朝の矢尻を鋳潰して造った槍・・これを合戦の中でなくせばご先祖様に申し訳がたたぬ。どうか、これを関東の息子の下に持ち帰ってくれ」といって嫌がる家臣を説得してついに納得させるに至った。
 翌朝、家臣は何度も伏見城を振り返りながら関東へと旅立っていったという・・。

 さて、宇喜田秀家や石田三成などの西軍が「家康討つべし!」と決起し、伏見城にも大軍が押し寄せてきた。使者が遣わされ、開城降伏を説いたが・・
 家忠は使者に対して
  「御家人が多き中にして、武略をえらばれ、(家康様は)我々をこの城(伏見城)に止めらる。いかでか、敵の多勢に臆して城をさけむや、東国勢の守るところ近国にをいてはこの城のみなれば、攻めやぶりて(西軍の)その武勇を試みられよ!」と珍しく語気を荒げて西軍に挑戦状を叩きつける家忠。他、3人の将の顔にも決然たる色が浮かんでいた・・。
 それから10日間以上、西軍は伏見城を攻めあぐんだが、ついに城の中から裏切り者を出すことに成功し、守りの一角を攻め破り、城内は乱戦に陥った。家忠は部下をまとめて3度まで撃退したが、城門の鍵をもっていた兵が討ち死にしたため「今はここまで」と思い、切腹した・・。享年46(数え年)歳・・。もし時勢が安定しており、家忠が老後を風流に費やしていれば、どれほどの記録や芸術を残しえたのか・・・可能性は摘まれやすきものである。

 後年、家忠の嫡男・忠利は常陸(茨城県)で3万石への加増を内示されたが、
  「加増は結構でございます。知行はそのままで先祖の地である三河・深溝へ帰らせてください」と願い出たので特別に許された。その後、松平は領国をあちこちに変えながらも、代々の藩主の遺骨は常に深溝の本光寺へと帰って行き、幕末を迎えた。 

 どうであろう?落書きの向こう側に家忠公の苦笑するさまが見えはしないだろうか?そう思っていただければ成功である。
 

MUSE_banner_02.jpg

にほんブログ村 歴史ブログ 日本史へ
にほんブログ村
スポンサーサイト

書評「人間提督 山本五十六」

 今年の黄金週間は天気に恵まれていないですね。前半はお仕事でしたが、やっと明日から連休・・でも雨・・本でも読むか・・。

 最近読んだ本の感想などを。
41xxEwceXxL__SL500_AA300_.jpg
 ご存知、真珠湾奇襲戦を成功させた山本五十六元帥の評伝です。山本提督の人間的な側面を書いて、更に対米英戦争にあくまで反対して海軍次官として徹底抗戦していたにも関わらず、連合艦隊司令長官に転出後は大日本帝国は合衆国の支那撤退などの要求をあくまで拒むことに決定・・・個人の思いとは裏腹に、司令長官として合衆国との戦争の最前線に立たざるを得なくなった・・・。
 開戦後は有名な話が多いのでこれ以上は書かないが、提督が日本史上屈指の名将であるということがあらためて分かる。この人には連合艦隊司令長官などもったいなかった。出来れば首相として日本を導いてほしかった・・真珠湾が奇襲になってしまったのは当時ワシントンD.C.にいた日本の外交官の怠慢ゆえであったのだ。日本はなんともったいない人を亡くしてしまったのだろう・・と思う。

 別にこんな本も読んでみた。
416yoKc3QtL__BO2,204,203,200_PIsitb-sticker-arrow-click,TopRight,35,-76_AA300_SH20_OU09__1
 先のイラク戦争はCIAが「イラクとビン・ラディンは協力関係にある」「大量破壊兵器がある」など誤った情報で無理やり戦争を起し、フセインは倒したものの、イラク国内はいまだに宗教テロが頻発するなど、イラクをいたずらに不安定化させてしまった。
 そのCIAが第2次世界大戦後、どのように設立され、そして的外れの工作ばかりして合衆国のみならず世界に混乱をばら撒いてきた実態をニューヨークタイムズ記者が1次資料をもとに書き綴ったものである。
 読んでいるとまあ・・・あきれ返るばかりである。と同時に腹立たしくなってきた。詳しくは実際に読んで頂きたいが、戦後の日本にも確実に彼らの工作はあったのだということがわかる。ああ、悔しい。

 とまあ2冊の本を読んでなんとなく考えたことがある。
  「アメリカ人にとって、山本五十六を殺害したことと、去年、アル・カイダ創設者ウサマ・ビン・ラディンを殺害したことは、彼らの精神上、等距離なのではないか?」ということに思い至って慄然とした。
 というのは、アメリカ人にとって真珠湾奇襲もニューヨーク貿易センタービル突入もショックなことであり、それらを画策した人間は等しく憎悪の対象であったろう、と思うのだ。

 発想の飛躍であろうか?

 だがもう一つ考えたことがある。合衆国はもともと内向きな国であり、それは今に至るも変わらない。第1次世界大戦も貨客船ルシタニア号がドイツ帝国海軍Uボートに沈められ、アメリカ人が200人以上死んでやっと参戦を決意したくらいだ。そんな国が今や世界中に戦争をばら撒く「迷惑」な国のように見られている。果たしてアメリカだけが悪かったのだろうか?

 ここでアメリカが過去やった対外戦争を振り返ってみたい。
 1846年にはじまった米墨戦争(合衆国対メキシコ)では、アラモ砦に篭るアメリカ人を殺されたことから「リメンバー・アラモ」と叫び開戦。テキサスなどを奪取。

 1898年に始まった米西戦争(合衆国対スペイン)では、合衆国海軍メイン号を爆沈させられたことから「リメンバー・メイン」を叫び開戦。カリフォルニアなどを奪取。

 1941年に始まった太平洋戦争は山本提督の真珠湾攻撃を「リメンバー・パールハーバー」と叫び開戦。大日本帝国は無条件降伏し、GHQのマッカーサー将軍の軍政を受け入れる。

 他にも朝鮮戦争やベトナム戦争、グレナダ侵攻、パナマ侵攻、湾岸戦争など沢山あるが、まあ、ここでは書きません。

 とまあこのように合衆国はどの戦争でも「報復」を旨とした戦争を行っている。世界中の他の国の戦争も似たようなものだが、合衆国はとりわけその傾向が強い。民主主義を標榜する国だから他国との戦争を合衆国市民が喜ばないから、アメリカ市民が殺されるような明確な大義名分がないと動きづらいというのが実相だろう。

 だが第2次世界大戦が終盤を迎える頃からアメリカはソビエトを強烈に意識せざるを得なかった。それが「冷戦」であるが、かつては国外での活動をやろうとしなかった合衆国が冷戦を機ににわかに世界中でスパイ活動を活発化させていく。不気味なほどに・・。
 そのきっかけに、1943年4月18日、米海軍が太平洋上で行ったある作戦があるのではないかと思う。その作戦は「山本五十六殺害」である。前線を訪問して兵士を激励していた山本提督はラバウル基地から一式陸攻に載って、ゼロ戦6機に護衛されてブーゲンビル島上空に差し掛かっていた。そこに米海軍機P38ライトニング16機(なんという戦力比!)が襲い掛かり、山本提督の乗った飛行機は落とされてしまった・・。
 これは「軍事作戦」というより「暗殺作戦」である。それだけアメリカ人は山本提督を憎むと同時に、恐れをも感じていたのだろう。生かしておいたらまた真珠湾をやるかもしれない、という恐怖を。
s0042l_1.jpg

 過去の合衆国の戦争ではそれがしが知る限り、暗殺をやるような国ではなかったが「ヤマモト・ミッション」で味をしめたのだろうか?以降、合衆国は恐るべき敵を「殺害」するようになっていく。

e0089964_023412.jpg
 1967年、キューバの革命家チェ・ゲバラはボリビアで政府軍により処刑されるが、彼の逮捕と殺害にはCIAの工作員が関わっていたという。
 それ以前の朝鮮戦争では金日成に命を狙っていたというし、ベトナム戦争でも北ベトナムの指導者ホー・チ・ミンの暗殺を狙った数多い秘密作戦があったという。

images.jpg
 そして記憶にも新しい2011年、ウサマ・ビン・ラディンはパキスタン国内で米海軍特殊部隊の急襲により殺害、遺骸はインド洋に葬られたという。
 成功率は高くないかもしれないが、「暗殺」を数多くやってきたのだ、ということがわかる。(皮肉なことにビン・ラディンを襲った特殊部隊の兵士の一部は作戦から2週間後、アフガニスタンでヘリを落とされて殺害されたという・・)

 国家はいつの時代、どの地域でも「暴力装置」をもつ恐るべき存在だが、合衆国はわけても恐ろしい。でも合衆国ひとつを「モンスター」視すればすむかというとそうではない。日本は彼の国の同盟国でもある。
 冷戦のプレッシャーが、スターリン率いるソビエトへの恐怖がアメリカ人に変化を起し、秘密工作をさせるようになったのではないか。また日本との悲惨な戦いが、ナチス・ドイツとの戦いが合衆国を好戦的な国に変えてしまったのかもしれない。
 そのような視点に立って全体を眺めると、「犯人探し」など軽々にできなくなる。あえていえば「戦争」そのものが憎い。「罪を憎んで人を憎まず」ともいう。そんなことをいうと平和ボケした日本人の独りよがりのような気もしないではないが、「憎悪の連鎖」こそ前ブッシュ大統領いう「悪の枢軸」ではないかと思うのだ。

 世界から戦争がなくなることはないが、日本がアメリカ合衆国の同盟国として今後どのように処していくか、ということまで考えて選挙行動をとらなければいけない。

 最後まで読んでくれた方がいたら、ありがとうの一言である。
  
にほんブログ村 歴史ブログ 日本史へ
にほんブログ村

「武王の門」北方謙三:著~何回でも読みたい本

「中学生に読ませたいオススメ本」を募集! ←参加中


 本を読む人には、何度でも読み返したい本があると思う。それがしにも何冊もあるが、強いて一冊紹介するならばこちら・・・
DSCF4994_1.jpg
 平成5年に出た本なので、この本が出た頃に生まれた子供達も成人しようというこのごろ・・・北方先生初めての歴史小説である。以来、「破軍の星」「悪党のすえ」「楠正成」「三国志」「水滸伝」「楊家将」「史記」など数々の歴史・時代小説を上梓し続けている・・。

 「鎌倉幕府を滅ぼし、『建武の新政』を敷いたはずの後醍醐天皇に対し、足利尊氏は反旗を翻した・・以来、楠正成や新田義貞など南朝を支える多くの武将が討ち死にし、吉野に篭る南朝方の命運は風前の灯火かと危ぶまれる時代・・。
 伊予(現在の愛媛県)・忽那(くつな)島の夜の海で足利方との合戦が始まろうとしていた。対するは南朝に組する忽那義範(くつな よしのり)率いる僅か300人・・その中に後醍醐天皇の第5皇子である牧宮懐良(まきのみや かねなが)親王も密かに混じり、刀を抜く時を待っていた。
 見事、足利方を撃退した皇子は、いよいよ九州へと上陸した。彼の地で皇子は南朝方の武士を糾合し、京の都に攻め上ることを期待されていたのである・・。

 一方、肥後(現在の熊本県)の一隅で元寇でも活躍した菊池家の分家を継ぐ豊田十郎が来るべき戦いの日を睨んで、兵を鍛錬する日々であった。とはいうものの、十郎はあくまで分家の主人。菊池家の全武士を糾合して戦場に立つ日々など思いもよらなかったが・・菊池家の本拠地が長く対立してきた合志(ごうし)家に占領されたとの報せがもたらされた!だが一門衆はどう対応すべきか協議するばかりで誰も戦おうとしない。十郎は憤った!
 「者ども!この戦いは我等菊池が弓矢の家として生きるための戦だ!力の限り戦え!」
DSC00764_1.jpg
 (熊本県菊池市に建つ豊田十郎こと菊池武光の騎馬銅像)
 十郎はわずか130人を率いて1000人を越える合志勢に正面から戦い、勝利し、菊池家の本城を奪還し、ここに菊池家の総領として菊池十郎武光と名乗ることになった・・。

 皇子と武光・・この二人の出会いは偶然であり、必然でもあった。二人の男の出会いはやがて九州全土をゆるがせるものとなっていく・・・」
 
DSC00818_12.jpg
 (菊池市の菊池神社・宝物館で撮影、左が皇子、右が武光の肖像画)

 夢に向かってひた走る男達の荒ぶる魂の記録を読み、その息吹を感じて欲しい。

テメレア戦記~大人が読めるファンタジー歴史小説

 最近、書評ばかり書いているような気がするが、寒い季節は読書などで新たな知識・情報を蓄え、暖かい季節に備えるのが北陸人の本能のようなもの。陽射しはそろそろ暖かくなってきたので春までそう遠くないですな。

 今回読んだ本は図書館で偶然見つけたこちら・・
83e838C838183A90ED8BL82P.jpg
 ナオミ・ノヴィク著(ヴィレッジ・ブックス発行)、日本人のような名前だが、ポーランド系のアメリカ人とのこと。ストーリーは・・

 「時は19世紀初頭、主人公ウイリアム(ウィル)・ローレンスは英国海軍のフリゲート艦艦長。大西洋で敵対するフランス(ナポレオン体制)の戦艦と戦闘後、拿捕に成功。艦長以下を捕虜にすると共に敵船の船底から巨大な卵を鹵獲したのである・・。」
 話はナポレオン戦争時代の海軍もののようでありながら、史実と決定的に違うところがここから。卵はなんとドラゴンの卵だったのである!しかもこの世界ではドラゴンを戦争に使っており、英国にも仏国にも空軍がすでに存在しているのだ!!!

 それがしはここでいったんページを閉じてみた。現実世界では飛行機はライト兄弟の発明を待たざるをえないし、戦争に使われるのは第1次世界大戦が最初だ。歴史に「もしも・・」は禁句といわれるが、空からの偵察・攻撃などは人類の軍事史上における夢であったに違いない。その夢がまさかナポレオン時代に実現されているとは・・荒唐無稽といえばそれまでだが、まずは読んでみた。

 「ウィルは紆余曲折の末、生まれたばかりの漆黒のドラゴンのパートナーとなり、大きい目をくるくる回しながら人語を話すドラゴンに「テメレア」と名づけた。海軍の規則では、ドラゴンのパートナーとなった者は海軍を離れなければならず、ウィルは海軍でのキャリアを諦め、英国空軍に籍を移すことになった。
 ウィルとテメレアはスコットランドの空軍の秘密基地ロック・ラガン基地に赴き、空軍の訓練を受けることになった。本来、ドラゴンのパートナーとなるものは幼い頃から基地で過ごさざるをえず、大人になってから訓練を受けるウィルは周囲から浮いた存在であった。それでも愛嬌いっぱいのテメレアを可愛がりつつ徐々に空軍軍人としての技能を身に付けていった二人(ウィルとテメレア)はやがて出撃の時を迎えることになった。
 大西洋の向こう岸に集結したナポレオンのグラン・ダルメ(大陸軍)が英国上陸作戦を開始するとの情報を掴んだのだ!果たしてウィルとテメレアは、仲間のドラゴンチーム達の運命や如何に!」

 ここから先は実際に読んで確かめて頂きたい。歴史好きもファンタジー好きも大興奮必至である。ただ、戦争を描いた作品ゆえ容赦なく人が死んでいくのでそのようなシーンに抵抗のある方は避けた方がいいかも。小学生に読ませるのは酷かもしれない。中学生以上がいいだろう。

 しかしそれだけで薦めるのではない。テメレアがとにかく可愛いのだ。そしてウィルとの心温まる友情は大人こそ読んで、冷え切った心を暖めるべきだろう。それがしも何度泣いたことか・・・。

 シリーズは現在まで4冊でており、2巻はテメレアの故郷である支那(中国)での話、3巻は再び英国に帰るための大冒険、4巻は英国からアフリカ奥地への大冒険、更にナポレオンその人まで出てくる。どのように出てくるかは読んでの御楽しみ。
 訳者の後書きによれば作者は全9巻を予定しており、順次日本語版が刊行される予定だ。英語で読める方は原書を入手するのもありだろう。

 そういえば昔、児童文学で「エルマーと竜」も読んだなあ。ミヒャエル・エンデの「はてしない物語」にも竜が出てきたし。架空の動物のはずなのに、ドラゴンは広く人類の心に訴えるものがあるようだ。

「007白紙委任状」を読んだ

 先日、久しぶりに本屋でジャケ買いした。それが・・
9784163809403.jpg
 見た瞬間、「え!なんやて!007を『ボーン・コレクター』で有名なミステリの巨匠ジェフリー・ディーバーが書いたって!」と叫び・・いえいえ、心の中のつぶやきです。

 「00(ダブルオー)のコードネームを持ち、殺しのライセンスを与えられた秘密工作員ジェームズ・ボンドはセルビアで『アイリッシュマン』と異名をとる殺し屋を監視中であった。
 そこに危険な化学物質を満載した鉄道が近づいてきた。もし転覆すれば、周辺の街に住む人々が全滅しかねない危険な薬品であったが、監視に気づいたアイリッシュマンはボンドに銃口をむけたのである・・。」
 あまり詳しく書くと読む人の興を削ぐことになるのでこのへんで。

 読破するのに3日かかりましたが、久々に寝不足の日々が続きました。007の映画はそんなに好きではないが、俳優ダニエル・クレイグの映画は好きなので見ている。(クレイグの『レイヤー・ケーキ』は面白い)
 この小説もクレイグ・ボンドを念頭に置いて書かれているという。練りに練られたプロット、細かい人物描写、詳しい情勢解説、酒や料理のウンチク、数々の秘密兵器(iフォンのアプリが駆使されていた)、沢山の美女との恋愛模様とお約束を踏まえつつ、ラストには全てを収斂させていく怒涛の展開!!久々に面白い冒険小説を読みました。なにせ年末年始と歴史・時代物を手当たりしだいに読んでいたのでこの辺で違うテイストのものが読みたかったのですよ。
 21世紀のボンドはこれまでのボンドとはどこか一味違います。女性差別しないし、環境問題配慮しちゃうし、自分の人生とか考えちゃうし、欧米(特にアメリカ)で流行のPC(ポリティカル・コレクト:政治的に正しい)にかぶれていますがそこはミステリの巨匠ディーバーですよ。格闘や銃撃戦の記述が詳細です。ロシア軍の格闘術「システマ」に詳しかったり、ボンドが使う拳銃の残弾数をきちんと確認させていたり、手を抜きません。特に銃の弾を確認する描写を織り込むあたりがしびれました。映画でも小説でもいいかげんなんですよね。実銃の装弾数以上に撃ちまくっていたりといい加減なものが多いですが、そのあたりはキチンとして頂きたいですね。

 アクションが面白い映画や小説は痛快ですな。映画監督ではサム・ペキンパー(『ワイルドバンチ』『ガルシアの首』『戦争のはらわた』)やマイケル・マン(『ヒート』『マイアミバイス』)、リドリー・スコット(『ブラックホーク・ダウン』『グラディエーター』)などが好きです。それがし、元ガン・マニアなもので鉄砲が出てくるものにはうるさいのです。

 とりとめもないのでこの辺で・・。
プロフィール

サムライ銅像研究会

Author:サムライ銅像研究会
歴史と銅像と芸術が大好きなあまり、日本各地を東奔西走する銅像・史蹟ハンターである。神出鬼没なため、脈絡無しのブログ更新を続ける。掟はただ一つ!「死して屍拾うものなし!」昔の時代劇の決め台詞だけどね・・皆さん、見てやあ!
 最近、キューピーに侍の装束を着用させる遊びをやっております。「武者ピー」と呼んで可愛がってやぁ~!以後は「キューピー甲冑師」とも名乗ります。

最新記事
最新コメント
最新トラックバック
月別アーカイブ
カテゴリ
検索フォーム
RSSリンクの表示
リンク
ブロとも申請フォーム

この人とブロともになる

QRコード
QR
上記広告は1ヶ月以上更新のないブログに表示されています。新しい記事を書くことで広告を消せます。