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上杉謙信公の菩提寺・林泉寺(新潟県上越市)

 昨年、上杉謙信公の足跡を求めて新潟県上越市に旅行し、春日山城や神社仏閣を巡ってその結果を当ブログに3回に渡ってまとめた。
 しかしその後のFC2によるサーバー補修で多くの画像が失われたために残念ながら削除することとなった。いつかは復旧したいと考えていたがその画像の多さから躊躇していた。そこで心機一転、前回の構成を踏襲せずに新たに少しずつ書き記すことで別個の記事としてアップしていきたい。

 という訳で今回は上杉謙信公の菩提寺である林泉寺(りんせんじ)を紹介しよう。
林泉寺惣門から
 この林泉寺は新潟県上越市の春日山城跡のふもとに存在する。開基は明応6(1497)年、謙信公の祖父にあたる長尾能景(ながお よしかげ)公が亡父の供養の為、曇英恵応という和尚を招いて創建した曹洞宗のお寺である。
 謙信公も幼い時分に預けられて天室光育和尚から学問を授けられている。この寺で過ごした日々が、謙信公を深く仏教に帰依させ、生涯独身を貫いた遠因ともなったのである。(ちなみに天室光育和尚は謙信公の家臣・柿崎和泉守に招かれ、現在の上越市柿崎区に楞厳寺(りょうごんじ)を開いた)
 寺は慶長3(1598)年に越後から会津120万石に移封を命じられた上杉景勝(謙信公の甥)と共に移るが、この地にも残る。関ヶ原の戦いで負け組みに入った上杉家は会津120万石を取り上げられ、米沢30万石に押し込められた後から現在に至るまで米沢にも林泉寺は存在する。
 現在、二つのお寺にどのような関係があるかは調べていないが、興味ある方は調査されてはいかが?

 上の画像は林泉寺の入り口である惣門と次の山門を撮ったものである。

惣門モノクロ
 惣門をモノクロで撮影。

惣門と苔
 惣門を背景に手前の苔をクローズアップして撮影。緑が目に優しい。

 いつまでも惣門ばかり撮影していられない。次の山門に行こう。
山門
 この堂々とした佇まい・・訪れる価値は間違いなくある。更にこの門に掲げられた額は・・
春日山
 謙信公が書かれたものを写したものである。「春日山」と書いて「かすがさん」と読む。左の「藤原輝虎」が謙信公の名前の一つだ。ちなみに変名は武将に限らず、昔は多くの人が行っていたが、謙信公は他にも「長尾景虎」・「上杉輝虎」・「上杉政虎」「上杉謙信」など多くの名前を持っている。名乗りの理由はそれぞれ長くなるのでまた別の機会に・・・。

仁王・1
仁王・2
 山門にはいかめしい仁王像が待ち受けている。この像の作者は後で記す。

 門を潜る際に上を見上げると・・
天井の龍
 恐ろしげな龍が2体頭上でとぐろを巻いていた。

第一義
 先ほどの「春日山」の学の真裏にこの「第一義」の額がある。これも謙信公の筆跡だ。この三文字こそ謙信公の生涯を貫いている哲学を現している。実に感慨深い。林泉寺ではこの「第一義」をプリントしたものをお土産品として販売している。それがしも当然購入し、自室の頭上に掲げさせて頂いています。

 山門を抜けると、鐘楼や池が控え、その向うに本堂が出迎えてくれます。
林泉寺・鐘楼
 こちらは鐘楼。

鐘楼と蓮池モノクロ
 鐘楼と蓮池のモノクロ画像。

林泉寺・本堂
 本堂。こちらに謙信公の木像があるので、住職にお願いして本堂に上げていただいた。
本堂の謙信公1
本堂の謙信公2
 こちらの上杉謙信公坐像(木彫)と山門の仁王像のどちらも上越の彫刻家・滝川毘堂(たきがわ びどう)先生の作品である。毘堂先生は明治13(1880)年の生まれ。上杉謙信公をたいへん尊敬し、生涯に1000体の謙信公像作成を誓ったものの、835体を作られた昭和35(1960)年でお亡くなりになられた。初期の謙信公像はおしくも戦災で焼失し、全てがあるわけではない。また先生のご子息も「毘堂」と名乗り、彫刻家として活動され、春日山城跡の謙信公立像はご子息の作品。昭和55(1980)年に二代目毘堂先生も亡くなられている。
謙信公立像

 さて、いよいよ謙信公のお墓参りであるが、その前に「自然の呼び声」に応じるために厠にいくと、このような案内板があった。いうまでも無いが、左が女性用、右が男性用である。お姫様と三日月の兜を被った武将というのがほのかな笑いをさそう。観光地にはこのパターンが結構多い。
トイレ標識

 お墓入り口
 本堂の脇から墓所へと通じている。
お墓案内図
 ここには長尾能景公(謙信公の祖父)・長尾為景公(謙信公の父親)・謙信公や長尾・上杉一族の墓や、江戸時代に越後を治めた大名家の墓が多数存在する。それだけ深く尊敬されていたという証左でもある。

お墓への・・
 深い緑に囲まれた石段を昇っていくと・・
謙信公のお墓1
謙信公のお墓2
 謙信公のお墓が出迎えてくれます。緑なす苔が歳月の重さを感じさせますね。ささ、皆様祈られよ。南無南無・・。

川中島戦没者供養塔
 少し離れた所に川中島戦没者供養塔もあります。南無南無・・。

林泉寺・魚眼風景
 無事参拝を終え、正面から魚眼レンズで撮影しました。今となってはすばらしい思い出です。

 次回は神社を巡ります。
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上越市内について

 前回までの3回に渡って上杉謙信公とその丹精された春日山城について記してきたが、周辺も検分してきたので、今回はその折に撮った写真や感想などを記していこう。

北陸の古い町並み
 まずこちら、何の変哲もない民家だが、歩道を覆う屋根を見て欲しい。これこそ雪深い北陸道に住む者の眼になれたものだ。昔はこのような屋根付きの民家が軒を連ねており、下を歩けば雪に悩まされず移動可能というわけだ。それがしは加賀の国出身であり、幼き日の記憶を刺激する情景に思わずパチリと撮ったものだ。
 ちなみにこちらは港町・直江津で撮ったもの。町並みは現代的になっており、このような屋根もここだけであった。駅前には古びたアーケードのような情景がある。

高田駅
 続いては春日山より一つ内陸よりの城下町・JR高田駅である。なかなか瀟洒な駅舎である。こちらには徳川家康四天王の1人として有名な榊原康政公が祀られている榊神社や三重櫓を持つ高田城址公園がある。街の規模としては直江津よりも高田が大きい。

榊神社
 こちらが榊神社。駅より徒歩20分ほどだ。高田は徳川幕政初期から多くの大名が入れ替わりで統治にあたり、その中に榊原家もある。この神社は明治に入ってから、ゆかりのある榊原家を追慕し、初代・康政公の武具を神宝として祀った神社とのこと。
 ここにはその康政公の甲冑が見ることができればと来た訳だが、あいにくと宝物館らしきものは厳重に閉ざされており、境内にもそれがし意外人影がなく、本殿のみ撮って引き上げた次第。灯篭に描かれた源氏車の紋所がわずかに榊原家との繋がりをしのばせるだけである。

蓮のお堀
 その榊神社の目の前にあるのが高田城址公園。桜の頃になると、桜の花と三重櫓を撮りに行く観光客が押し寄せる高田観光の目玉スポットである。公園内には他に市立総合博物館や日本画家・小林古径邸などあり、渋めの観光コースだ。若い子には退屈だろう。それがしもまだ若いが・・。

小林古径邸
 こちらは小林古径邸の裏手から。本当は中を撮りたかったが、撮影禁止なので。ちなみに小林古径先生は近代日本画を代表される方の一人で、その繊細なタッチで表現される絵には古来ゆかしい日本の情緒が見事に表現されている。詳しくは諸兄がネット、画集などで調べて欲しい。絵も見るのは好きだが、門外漢ゆえこれ以上の表現が難しい・・。

高田の三重櫓
 そしてこちらが三重櫓とお堀端である。秋のはじまりの麗らかな日差しの中、多くの家族連れ、観光客が憩う素晴らしい公園である。幼子がお堀の鯉に餌をやる様は実にほほえましい・・。
 話は変わって、太閤秀吉の時代、会津に領地替えになった後、堀家がはいり、後に徳川家康の子息・松平忠輝(「捨て童子忠輝」と書いた方がわかりやすいかな?)が50万石以上の知行で入った。忠輝はまた独眼龍・伊達政宗の婿であり、その将来を嘱望されていた。
 時はまさに大坂の事態が急変を迎えつつあり、城内に天守はおろか櫓一つない状況に危機感を覚え、伊達政宗の協力のもと、大急ぎでこの三重櫓が建てられたのである。そして大坂の陣での事態は歴史にあるとおりである。いずれが賢か愚か、時は黙して語らない・・。
 この櫓自体は近年建てられたものだが、その威容を伝えるに不足はない。
甍と三重櫓
 連なる甍越しに櫓を見るとき、過ぎし世に思いを馳せるのもまた一興。

米牛精肉店
 話はうってかわってこちらは高田駅前・本丸商店街にある精肉店・「肉の米久」さん。偶然通りかかったが、小腹が空いていたので、揚げたてコロッケとメンチカツを買い求めた。
コロッケとメンチカツ
 手前左がコロッケ、奥右がメンチカツ。どちらもソース無しでおいしい。コロッケはジャガイモ本来の甘みと肉の旨みが生かされており、メンチカツは肉本来の旨みが香辛料のスパイシーな香りと共に口いっぱいに広がるどちらも王道のおいしさだ。
 別に米久さんから何かもらったわけではないが、あまりの美味しさに紹介せずにはおられなかった。後、ここの若女将がかわいかった・・へへっ。

 最後に今回の越後・上越紀行の総評である。
 この地にはかねてより訪れてみたかった春日山城があったので、念願かなって感慨深い。すばらしい山城跡だった・・。
 だが、上越市自体は全体に元気のない街・・というより北陸人特有の恥じらいが出ているように思われた。上杉謙信公で売り出すのはいいが、駅からバスへの交通機関が限られていたり、積極的に売り出す旨いものがなかったりと腰が引けているように感じた。ポテンシャルは凄いものを秘めているのだから、奮起してほしいものだ。
 たまに長岡の田中一族のような恥じらいのかけらもないしょうもないのもいるが、あれは例外だろう。みんな喋ればいい人であり、人懐こい方ばかりだ。天下に越後あり!の勢いを示して欲しいものだ。

上杉謙信公の国・越後旅情

 以前からそれがしの敬愛する武将は楠正成公と上杉謙信公であると、書き続けてきた。楠正成公については湊川神社にお参りするなど探訪を果たしてきたが、上杉謙信公に関しては米沢に2回行っただけだった・・。

 今回、念願がかない、ついに春日山城登頂と菩提寺である林泉寺の訪問を果たすことができた。やはり米沢に謙信公の遺骸はあっても魂は越後に残られていたということを今回の越後旅行でしみじみと感じることができた。米沢は上杉景勝公と直江兼続公、そして上杉鷹山公の町なのである。

 また、春日山城内をくまなく巡ることで謙信公亡き後に起こった「御館の乱」の意味合いが見えてきたような気がする。以下に写真と共にそのことどもをも記していきたい。

春日山駅
 という訳でJR春日山駅に参る!この瞬間を20うん年待ち続けたことか・・周囲が寂しい駅なので感傷に浸ってみた。

林泉寺の山門から
 バスは1時間以上なく、駅前にレンタル自転車もないので仕方なくタクシー(頚城ハイヤーさんには世話になった)を呼んでホテルに荷物を預けて一路、謙信公の菩提寺・林泉寺に向かったのである。
 写真は林泉寺の山門から仁王門を見渡した1枚。仁王門の奥に本堂や謙信公のお墓があります。

仁王門
 みよ!この堂々たる仁王門。「春日山」と掲げられた額は謙信公の御直筆の写しです。以下に額の画像を。
春日山の額
 こちらは正面の「春日山」。真裏には・・
第一義の額
 「第一義」嗚呼!なんたる堂々たる筆致!謙信公!あなたはやはり一流の文化人でもあったのですね。再確認!

林泉寺本堂
 こちら林泉寺の本堂。中には御本尊の他に・・
上杉謙信公木像
 謙信公の木像が安置されております。本堂にはご住職に頼んで入れていただきました。この場を借りてお礼申し上げます。
 さて、こちらの木像の作者は上越出身の彫刻家・滝川美堂(たきがわ びどう)先生。上杉謙信公を深く敬愛し、生涯に1000体の謙信公像を作ることを念願としたものの、おしくも845体で病に倒れられましたが、その願いはご子息の滝川毘堂(びどう)先生に引き継がれ、春日山城に屹立する頭巾・甲冑姿のりりしい謙信公像を作られています。また、林泉寺仁王門の仁王像をはじめ、市内には滝川親子の作品が多く残されています。

謙信公のお墓への入り口
 そしていよいよ謙信公の墓参です。この石段を昇って、どんつきをチョイ右にいくと・・上杉謙信公のお墓
 皆様・・お祈りください・・南無南無・・。
川中島戦死者供養塔
 少し下には川中島戦死者供養塔も。南無南無・・。

居多神社
 名残を惜しみつつ、お寺の前の加賀街道を一路海へ・・やってまいりました。越後一ノ宮・居多(こた)神宮です。こちらの宮司さんは花ヶ崎盛明さんという方で上杉謙信公研究の大家であられます。ひょっとしてお会いできるかと期待していたのですが、誰もいませんでした。お守りやサイン本は代金を賽銭箱に入れるシステム(ゆるいなあ・・)でしたので、正直に・・正直に代金を入れて頂いてまいりました。生涯の宝にいたします。

親鸞上人銅像
 さてこちらは親鸞上人像。神社近くの海岸が親鸞上人の越後上陸地点であり、ちかくに西本願寺別院があります。また、高田には東本願寺別院があります。
逆巻く波の日本海
 親鸞上人も謙信公もこの荒波逆巻く(この日はそれほどでもない)日本海を見ていたんですよ。ちなみに11月くらいまでサーファーは海にいるそうです。さぶっ!!

御館公園
 今回の最後に直江津にある御館公園を。こちらは関東管領であった上杉憲政が謙信公に養ってもらっていた跡地です。「御館の乱」の舞台にもなりました。春日山城とここの距離を考えると、謙信公ですらあの馬鹿を「敬して遠ざけていた」ということが感じられて、失笑してしまいました。

 さて!次回はいよいよ春日山城です。お楽しみを! 

 
プロフィール

サムライ銅像研究会

Author:サムライ銅像研究会
歴史と銅像と芸術が大好きなあまり、日本各地を東奔西走する銅像・史蹟ハンターである。神出鬼没なため、脈絡無しのブログ更新を続ける。掟はただ一つ!「死して屍拾うものなし!」昔の時代劇の決め台詞だけどね・・皆さん、見てやあ!
 最近、キューピーに侍の装束を着用させる遊びをやっております。「武者ピー」と呼んで可愛がってやぁ~!以後は「キューピー甲冑師」とも名乗ります。

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